上陸戦
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上陸戦(じょうりくせん、英語: landing warfare)は、近代戦争における戦闘形態の一つである。この戦闘を計画として作戦に起こしたものを水陸両用作戦(すいりくりょうようさくせん 、英語: amphibious warfare)という。一般的には、敵の支配下にある陸地へ海などの水域を越えて侵攻を試みる作戦の実行に伴って発生した戦闘を主にさす。
目次
1 概要
1.1 強襲揚陸
1.2 隠密上陸
1.3 その他
2 特徴
3 上陸作戦の一覧
4 関連項目
5 参考文献
6 脚注
概要
基本的に上陸戦は、野戦のように偶発的な遭遇により発生することがある戦闘形式とは違い、交戦者のいずれかの陣営が意図的に実行しない限り、発生しないものである。
発生の経緯は、敵の支配下にある陸地へ、何らかの理由により水域を越えて侵攻する必要が生じ、海岸線、川岸などの支配権を奪取することを目的に味方の陸上戦力を送り込むことから始まる。
その規模や方法は、目的に応じて様々であるが、主に次のようなものが挙げられる。
強襲揚陸
これは、海岸や川岸を守備する敵の正面に味方の陸上部隊を送り込み、敵の沿岸防衛網を殲滅して強引に自軍の支配下に納め、その地における支配権を確立しようとするものである。
通常は、大規模な陸上戦力を投入し、支配下においた海岸を足がかりにして、さらに内陸へ攻め込む計画や小さな島嶼であればその島嶼の奪取および、それに引き続く次の侵攻計画が準備されている場合がほとんどであり、戦争の行方を左右するような大規模なものが実行されることもある。
よって、上陸地点の選定にあっては、次の計画に向けて迅速に橋頭堡などの兵站機能を持つ拠点の確保が必要となることから、敵が強力な防御網を敷いていることがわかっていても後続部隊の活動の利便並びに引き続く侵攻に必要となる大量の武器、弾薬、食料などといった物資の陸揚げなどの事情を考慮して決定しなければならなくなる。
そして、その性格上、攻める側は敵の支配下へ最も不利な条件で乗り込む形になり、さらに守備側が、上陸可能な地域に強固な戦闘陣地を築城している場合は、上陸の時点において激烈な戦闘が発生し、多数の死傷者が生じることが明らかであるため、十分な数の地上部隊が確保され、十分な火力支援(艦砲射撃、爆撃など)が行える体制でない場合は、沿岸の拠点の確保はおろか、海に追い落とされる可能性すら出てくる。
戦史に刻まれる著名な上陸戦のほとんどは、この敵前強行上陸であり、特に戦史に残るような上陸地点における激烈な戦闘が発生するのは、この敵前強行上陸に対して守備側が一歩も引かない防御を行った場合である。
また、近代戦ではないが、元寇における弘安の役で元軍が、日本側が築いた防塁を避けて志賀島に上陸する際、これを予想して迎え撃つために待機していた日本側の大軍との間で発生した戦闘もこれに該当する。
汀線上の障害物を啓開する海兵隊員
前進するAAV7装甲車と海兵隊員
ズバイル市近郊で海岸線を確保する海兵隊員
着上陸するLCACと誘導員
LCACより上陸するK1戦車
隠密上陸
これは、事前の調査によって敵がいない場所に陸上部隊を送り込むものである。
偵察や破壊活動などを目的として小規模な特殊部隊によって遂行されるコマンド作戦など、少数の兵士が闇夜にまぎれて海岸線まで小さなゴムボートで進入を試みる場合などで採用されることが多い。
この場合は、特に艦砲射撃などの火力支援が行われることはなく、上陸地点付近まで潜水艦など隠密性の高い艦船で輸送され、目的を果たした後は、速やかに引き上げてしまうのが常である。また、北朝鮮の拉致作戦やイスラエルの要人暗殺作戦のように、テロとの区別が曖昧な作戦が行われる事もある。
しかし、敵の巧妙な兵力の隠蔽により敵の守備戦力を見誤ったり、調査後に敵の兵力が作戦予定地点に移動して来たりなどの理由により、強力な敵の抵抗に遭遇してしまうこともあり、実施直前まで敵の配置に関する情報を正確に収集する必要がある。
作戦の性格上、公に発表される事は多くない(発表される場合には大規模な作戦に付随する事が多い)が、北朝鮮・イスラエル・ロシアなどはこうした任務の特殊部隊を多数保有している。
隠密上陸を展示するNavy SEALs隊員
夜間上陸の訓練を行う海上自衛隊
その他
敵前強行上陸と隠密上陸の双方の要素を持つもので、ベトナム戦争でメコン川のデルタ地帯において、ベトコンの拠点もしくはシンパとなっている村落を急襲する作戦がアメリカ海軍によって行われた。内容は、砲や火炎放射器を搭載した河川哨戒艇(強襲支援哨戒艇-実質的には砲艦に近い)による水上からと、武装ヘリコプター・COIN機(時として戦闘攻撃機も投入)による空からの援護のもと、SEALsによる小規模・散発的な上陸攻撃であった。
河川やデルタ地帯の性格上、陸地と水上が接近しているため、陸上に陣取る敵からの迫撃砲・RPG-7・機関銃などによる反撃も激しく、航空機による援護は必須であった。なお、作戦の性格から、舟艇だけではなく、航空機・SEALsともにアメリカ海軍の所属である。
特徴
小規模な隠密裏の偵察目的のものは別として、大規模な上陸戦の実行においては、陸軍、海軍(軍事構成によっては空軍も含む)という、政治において反目しがちな組織が連動して動く統合作戦であり、あらゆる形態の戦闘の中でもっとも複雑なものである。よって、所属の異なる軍種間の調整を専門に行う組織の設置が、勝敗を左右する重要な要素となる。第一次世界大戦のガリポリの戦いでは、このような役職が置かれなかったために、統制が取れなかったと伝えられている。
上陸戦は、所属が異なる陸海空の戦力が同時進行で展開する戦術面での複雑さから、作戦中よりも作戦前の計画が成功の鍵となる。逆に、作戦中の一つの混乱が作戦全体を崩壊させるきっかけとなる恐れもある。攻める側としては、最も綱渡り的な要素が強い作戦ともいえる。例えば、ガダルカナル島上陸作戦(ウォッチタワー作戦)で、アメリカ海兵隊は兵力の上陸にこそ成功したものの、引き続く物資の揚陸が遅れたためにその隙に日本軍の艦隊突入を受け、深刻な物資不足に陥った。
上陸戦において攻撃側が投入する兵力は、想定される敵兵力に比べて大幅に大きくなる。これは、攻める側にとって圧倒的に不利な条件で始まる戦闘であるからである。例えば島嶼に対する上陸戦であれば、相手の守備兵力の3倍前後の兵力を投入することが多い。アメリカ海兵隊が第二次世界大戦で実行した島嶼に対する敵前強行上陸を例にとると、アメリカ軍が守勢から反攻に切り替わる初期の頃はウォッチタワー作戦(20倍)・マキンの戦い(約10倍)のように守備兵力を大幅に上回る兵力を投入する作戦が行われたが、グアムの戦いで約3倍、硫黄島の戦いで3倍強の兵力が投入されている。
一方、防衛側から上陸戦を考えた場合、攻撃側の上陸地点が最終的にどこであるかを見極めることが困難であることから、兵力を集中させがたい。
例えば、オーバーロード作戦では連合軍はカレー地区に主力を上陸をさせるように様々な欺瞞工作を行った結果、ドイツ軍はカレー地区が連合軍の主上陸正面であると判断し、連合軍がノルマンディーに上陸した後もこれを連合軍の牽制作戦だと決めつけ、カレー地区があくまで主と考え、兵力をノルマンディーに割くのをためらってしまった。[1]
また、船から上陸するという性質上、もっとも攻撃側が不利であるのは上陸直後の段階である。特に大規模な上陸戦の場合、トーチカや鉄条網といった防衛設備で身を守りながら待ち構えている防衛側に対して、無防備に近い状態で侵攻するため、損耗が激しくなる。[2]
このため、防衛側から見ると、水際で敵を撃滅させることが望ましいが、第二次大戦のウォッチタワー作戦やディエップ上陸作戦(ジュビリー作戦)以降の大規模上陸作戦では、上陸実行前に入念な艦砲射撃や航空攻撃(空軍もしくは海軍航空隊)を加えて敵の防御能力を奪った上で上陸するのが連合軍のセオリーとなった。
連合軍と島嶼戦を戦った日本軍は、当初こそ水際に兵力を配置し、水際に近いところで敵を迎え撃とうとしていたが、マリアナ諸島の失陥以降は沿岸や内陸で撃滅、持久する方針に変化していく。[3]実際、艦砲射撃や航空攻撃では射程や威力の問題から水際から離れたところに構築された強固な地下防衛陣地に決定的打撃を与えることはできないということが、ペリリューの戦いや硫黄島の戦いで証明されている。
ただし、沿岸や内陸で戦闘するということはそこに至るまでの地域を攻撃側に明け渡すことを意味しており、水際に重要な都市などが存在する場合などは失陥を覚悟しなければならない。このため、前述の日本軍も、戦争末期に連合軍の日本本土上陸が間近になった際には、行政上の制約や国民の士気への影響を考慮し、沿岸での撃滅からあらためて水際で撃滅する方針に再転換している。[3]
上陸作戦の一覧
- ガリポリの戦い
- 杭州湾上陸作戦
あしか作戦 ドイツの対イギリス上陸作戦、計画のみ- コタバル上陸作戦
- ウェーク島上陸作戦
- ウォッチタワー作戦
- トーチ作戦
- ハスキー作戦
- アンツィオ上陸作戦
- ディエップ上陸作戦
- アッツ島の戦い
- タラワの戦い
- マキンの戦い
- サイパンの戦い
- グアムの戦い
- オーバーロード作戦
- レイテ島の戦い
- ペリリューの戦い
- 硫黄島の戦い
- 沖縄戦
ダウンフォール作戦(日本本土への上陸作戦、中止された)- 仁川上陸作戦
- トルコのキプロス侵攻
- フォークランド紛争
グルジア紛争(ロシア海軍スペツナズによるグルジア海軍ポチ基地の破壊および制圧)
関連項目
- 海兵隊
作戦 - 戦術 - 戦闘
- 強襲揚陸艦
- 橋頭堡
- 水際作戦
- 兵学
参考文献
- Bartlett, M. L. 1983. Assault from the sea: Essays on the history of amphibious warfare. Annapolis, Md.: U.S. Naval Institute Press.
- Dupuy, R. E. and T. N. Dupuy. 1970. The encyclopedia of military history from 350 B.C. to the present. Rev. ed. New York: Harper and Row.
- Heinl, R. D., Jr. 1979. Victory at high tide. Annapolis, Md.: Nautical and Aviation.
Iseley, J. A. and P. A. Crowl. 1951. The U.S. Marines and amphibious war. Princeton, N.J.: Princeton Univ. Press.
- Thucydides. 1954. The Peloponnesian war, trans. R. Warner. Harmondsworth, Middlesex, U.K.: Penguin Books.
- 久保正彰訳『トゥーキュディデース 戦史 上中下』岩波文庫、1966-67年
脚注
^ 児玉慎二「対着上陸作戦における主動に関する史的考察」『陸戦研究』陸戦学会 1986年3月号
^ 現代では、この無防備な瞬間を減らそうと、装甲化された水陸両用車がアメリカ海兵隊や自衛隊で導入されている。
- ^ ab川島正 「太平洋戦争における対着上陸作戦の変遷と基本的対応形態に関する考察」『陸戦研究』陸戦学会、1982年