喜多郡
喜多郡(きたぐん)は、愛媛県(伊予国)の郡。
人口15,917人、面積299.43km²、人口密度53.2人/km²。(2018年10月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
内子町(うちこちょう)
目次
1 郡域
2 歴史
2.1 近世以降の沿革
2.2 町村制以降の沿革
3 脚注
4 参考文献
5 関連項目
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
大洲市の大部分(平野町野田・平野町平地・肱川町西・肱川町予子林・河辺町川上・河辺町北平・河辺町河都・河辺町三嶋および田処の一部を除く)
伊予市の一部(中山町中山)
西予市の一部(宇和町久保)- 内子町の一部(石畳および中野渡、吉野川、寺村、立石以東を除く)
歴史
貞観8年(866年)11月8日に宇和郡の北部が分立して成立。郡名は『日本三代実録』を初見とする。宇和郡の北部という意味の「きた」に「喜多」を当てたものと推察されている。古くは「岐多」「北」とも書かれる。
近世以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(3町83村)
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 伊予大洲藩 | 2町 80村 | 大洲町[2]、長浜町[2]、柚木村、北只村[3]、松尾村、梅川村、長谷村、久保村、正信村、稲積村、野佐来村、黒木村、大竹村、菅田村、宇津村、森山村、蔵川村、大谷村、宇和川村、山鳥坂村、植松村、横山村、宮谷村、中居谷村、名荷谷村、成能村、奈良野村、弦巻村、宿間村、大久喜村、古田村、知清村、平岡村、北表村、橡谷村、大瀬村、村前村、五百木村、城廻村、内子村、河内村、論田村、立山村、川中村、袋口村、中山村、田所村、柳沢村、徳森村、田口村、中村、若宮村、五郎村、多田村、春賀村、東宇山村、八多喜村、戒川村、手成村、米津村、加屋村、大越村、上老松村、黒田村、柴村、下須戒村、櫛生村、豊茂村、穂積村、高山村、阿蔵村、大洲村、藤縄村、喜多山村、重松村、只海村、中津村、川崎村、市木村、上須戒村、今坊村、出海村 |
伊予新谷藩 | 1町 3村 | 新谷町[2]、上新谷村、下新谷村、恋木村 |
- 明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が大洲県、新谷県の管轄となる。
11月15日(1871年12月26日) - 第1次府県統合により、全域が宇和島県の管轄となる。
- 明治5年6月23日(1872年7月28日) - 神山県の管轄となる。
- 明治6年(1873年)2月20日 - 愛媛県の管轄となる。
- 明治7年(1874年) - このころ奈良野村・弦巻村が合併して福岡村となる。(3町82村)
- 明治11年(1878年)12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、行政区画としての喜多郡が発足。郡役所が大洲町に設置。
- 明治13年(1880年) - 黒木村の一部(青島)が長浜町に編入。
- 明治15年(1882年)
- このころ上新谷村・下新谷村が合併して新谷村となる。(3町81村)
- 田処村が下浮穴郡堺村を編入。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)12月15日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足[4]。特記以外は全域が現・大洲市。(3町33村)
大洲町 ← 大洲町[大洲町]、柚木村[大部分]
久米村 ← 阿蔵村、大洲村、高山村
南久米村 ← 北只村、松尾村、梅川村、長谷村、久保村、正信村、稲積村、野佐来村、黒木村、柚木村[一部]
菅田村 ← 菅田村、大竹村、宇津村
大成村 ← 成能村、森山村
蔵川村 ← 蔵川村、宇和川村[一部]
大谷村(単独村制)
宇和川村 ← 名荷谷村、中居谷村、宇和川村[大部分]
山鳥坂村 ← 山鳥坂村、宇和川村[一部]、横山村[一部]、北表村[一部]、只海村[一部]
奥南村 ← 川崎村、宮谷村、植松村、橡谷村、中津村、横山村[大部分]
御祓村 ← 北表村[大部分]、只海村[大部分](現・内子町)
天神村 ← 平岡村、重松村、宿間村、福岡村(現・内子町)
五十崎村 ← 古田村、大久喜村(現・内子町)
内子町 ← 内子村、知清村(現・内子町)
五城村 ← 五百木村、城廻村(現・内子町)
村前村、大瀬村(それぞれ単独村制。現・内子町)
立川村 ← 立山村[大部分]、川中村、河内村[一部](現・内子町)
満穂村 ← 袋口村、論田村、河内村[大部分]、立山村[一部](現・内子町)
柳沢村 ← 柳沢村、藤縄村
田処村(田所村が単独村制)
喜多山村 ← 喜多山村、恋木村
新谷村 ← 新谷町、新谷村
喜多村 ← 中村、大洲町[常盤町]、若宮村、五郎村
平村 ← 田口村、市木村、徳森村
三善村 ← 春賀村、多田村、東宇山村
粟津村 ← 八多喜村、米津村、手成村
上須戒村(単独村制)
柴村 ← 柴村、下須戒村[都梅・峰大越・小田際]
滝川村 ← 戒川村、加屋村、大越村
相生村 ← 穂積村、下須戒村[都梅・峰大越・小田際を除く]、上老松村[大部分]
豊茂村、出海村、櫛生村(それぞれ単独村制)
長浜町 ← 長浜町、青島[5]、上老松村[一部]
喜多灘村 ← 今坊村、黒田村- 中山村が下浮穴郡中山村の一部となる。
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
- 明治32年(1899年)4月1日 - 西宇和郡平野村の所属郡が本郡に変更。(3町34村)
- 明治41年(1908年)
- 4月1日 - 喜多村・平村が合併して大洲村が発足。(3町33村)
10月1日 - 満穂村が伊予郡下灘村の一部(石畳)を編入。
- 明治42年(1909年)1月1日(3町31村)
- 柳沢村・田処村が合併し、改めて柳沢村が発足。
- 山鳥坂村・奥南村が合併して河辺村が発足。
大正9年(1920年)5月21日 - 五十崎村が町制施行して五十崎町となる。(4町30村)- 大正10年(1921年)11月1日 - 大成村・蔵川村が合併して大川村が発足。(4町29村)
- 大正11年(1922年)
- 1月1日 - 柴村・滝川村が合併して白滝村が発足。(4町28村)
- 4月1日(4町26村)
- 豊茂村・相生村が合併して大和村が発足。
- 新谷村・喜多山村が合併し、改めて新谷村が発足。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正14年(1925年)8月1日 - 南久米村の一部(柚山)が大洲町に編入。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
昭和4年(1929年)12月26日 - 村前村が分割し、一部(池窪・亀井)が天神村に、一部(本村・喜田村・甲上日地・乙上日地・穂積)が大瀬村に、残部(中土・長前・北浦・深谷・下成・上成)が五城村にそれぞれ編入。(4町25村)- 昭和9年(1934年)1月1日 - 大洲町・大洲村・久米村が合併し、改めて大洲町が発足。(4町23村)
- 昭和18年(1943年)
- 4月1日 - 河辺村が上浮穴郡浮穴村の一部(北平・川上)を編入。
4月29日 - 河辺村・宇和川村・大谷村が合併して肱川村が発足。(4町21村)
- 昭和23年(1948年)4月1日 - 大川村が肱川村の一部(宇和川の一部)を編入。
- 昭和26年(1951年)1月1日 - 肱川村の一部(北平・川上・川崎・宮谷・横山・植松・橡谷および山鳥坂の一部)が分立して河辺村が発足。(4町22村)
- 昭和29年(1954年)9月1日(3町11村)
- 五十崎町・天神村・御祓村が合併し、改めて五十崎町が発足。
- 大洲町・平野村・南久米村・菅田村・大川村・柳沢村・新谷村・三善村・粟津村・上須戒村が合併して大洲市が発足し、郡より離脱。
- 昭和30年(1955年)
- 1月1日(3町2村)
- 内子町・大瀬村・五城村・立川村・満穂村が合併し、改めて内子町が発足。
- 長浜町・喜多灘村・櫛生村・出海村・大和村・白滝村が合併し、改めて長浜町が発足。
2月11日 - 肱川村が東宇和郡貝吹村の一部(西の一部)・横林村の一部(予子林の一部)を編入。
- 1月1日(3町2村)
- 昭和34年(1959年)11月3日 - 肱川村が町制施行して肱川町となる。(4町1村)
平成17年(2005年)
- 1月1日 - 内子町・五十崎町が上浮穴郡小田町と合併し、改めて内子町が発足。(3町1村)
1月11日 - 大洲市・長浜町・肱川町・河辺村が合併し、改めて大洲市が発足。(1町)
脚注
^ 大洲市田処の一部は境界線の比定が困難なため未反映。
- ^ abc無高のため「旧高旧領取調帳」には記載なし。
^ 記載は北多田村。
^ 読み方は「旧高旧領取調帳データベース」を参照。
^ 長浜町の一部。本項では村数に数えない。
参考文献
角川日本地名大辞典 38 愛媛県- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
- 北郡
- 木田郡
先代: 宇和郡 | 行政区の変遷 866年 - | 次代: (現存) |
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