U-20サッカー日本代表
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国または地域 | 日本 | |||
協会 | 日本サッカー協会 | |||
FIFAコード | JPN | |||
監督 | 影山雅永[1] | |||
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FIFA U-20ワールドカップ | ||||
出場回数 | 8回 | |||
最高成績 | 準優勝 (1999) | |||
AFC U-19選手権 | ||||
出場回数 | 40回 | |||
最高成績 | 優勝 (2016) | |||
U-20サッカー日本代表(アンダートゥエンティ(にじゅう)サッカーにほんだいひょう)は、日本サッカー協会(JFA)によって編成される20歳以下のナショナルチームである。FIFA U-20ワールドカップの前年にはU-19日本代表、さらにその前年にはU-18日本代表と呼称が変わる
目次
1 歴代監督
2 成績
2.1 AFC U-19選手権の成績
2.2 FIFA U-20ワールドカップの成績
3 選手
3.1 1977年チュニジア大会
3.2 1979年日本大会
3.3 1981年オーストラリア大会
3.4 1983年メキシコ大会
3.5 1985年ソビエト連邦大会
3.6 1987年チリ大会
3.7 1989年サウジアラビア大会
3.8 1991年ポルトガル大会
3.9 1993年オーストラリア大会
3.10 1995年カタール大会
3.11 1997年マレーシア大会
3.12 1999年ナイジェリア大会
3.13 2001年アルゼンチン大会
3.14 2003年UAE大会
3.15 2005年オランダ大会
3.16 2007年カナダ大会
3.17 2009年エジプト大会
3.18 2011年コロンビア大会
3.19 2013年トルコ大会
3.20 2015年ニュージーランド大会
3.21 2017年韓国大会
4 出典
5 関連項目
6 外部リンク
歴代監督
高橋英辰 1959年
岩谷俊夫 1960年
岡野俊一郎 1961年
水野隆 1962年-1963年
浅見俊雄 1964年
平木隆三 1965年
福原黎三 1966年
平木隆三 1967年-1969年
八重樫茂生 1970年
大橋謙三 1971年
松田輝幸 1972年
渡辺正 1973年
水口洋次 1974年
鎌田光夫 1975年
松本育夫 1976年-1979年
松本暁司 1980年
岡村新太郎 1981年-1984年
松本育夫 1985年-1986年
岡村新太郎 1987年-1988年
永井良和 1989年-1990年
西野朗 1991年-1992年
田中孝司 1993年-1995年
山本昌邦 1996年-1997年
清雲栄純 1998年
フィリップ・トルシエ 1999年
西村昭宏 2000年-2001年
大熊清 2002年-2005年
吉田靖 2006年-2007年
牧内辰也 2007年-2008年
布啓一郎 2009年-2010年
吉田靖 2011年-2012年
鈴木政一 2013年-2014年
内山篤 2015年-2017年
影山雅永 2017年-
成績
AFC U-19選手権の成績
AFC U-19選手権(2004年まではAFCユース選手権)には、1959年の第1回大会から全ての大会に参加。3大会(1982年、1984年、1986年)連続での予選敗退はあったが、それ以外は全て本大会出場を果たしている。2016年に初優勝を果たした。
AFC U-19選手権 | ||||||||
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開催年 | ラウンド | 試合数 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | |
1959年 | 3位 | 4 | 2 | 0 | 2 | 12 | 11 | |
1960年 | 3位 | 4 | 2 | 1 | 1 | 10 | 11 | |
1961年 | 1次リーグ敗退 | 4 | 0 | 1 | 3 | 4 | 8 | |
1962年 | 1次リーグ敗退 | 4 | 1 | 0 | 3 | 4 | 9 | |
1963年 | 1次リーグ敗退 | 5 | 1 | 1 | 3 | 8 | 13 | |
1964年 | 1次リーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 4 | |
1965年 | 1次リーグ敗退 | 4 | 2 | 0 | 2 | 8 | 4 | |
1966年 | 1次リーグ敗退 | 4 | 0 | 0 | 4 | 2 | 13 | |
1967年 | 1次リーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 6 | |
1968年 | 1次リーグ敗退 | 3 | 0 | 1 | 2 | 0 | 6 | |
1969年 | ベスト8 | 3 | 1 | 0 | 2 | 5 | 11 | |
1970年 | ベスト4 | 6 | 2 | 1 | 3 | 5 | 13 | |
1971年 | 4位 | 6 | 4 | 1 | 1 | 13 | 2 | |
1972年 | ベスト8 | 5 | 2 | 2 | 1 | 12 | 5 | |
1973年 | 準優勝 | 5 | 1 | 2 | 2 | 5 | 6 | |
1974年 | ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 9 | 4 | |
1975年 | 1次リーグ敗退 | 4 | 2 | 0 | 2 | 10 | 5 | |
1976年 | 1次リーグ敗退 | 4 | 1 | 2 | 1 | 2 | 4 | |
1977年 | ベスト4 | 5 | 1 | 2 | 2 | 8 | 6 | |
1978年 | 1次リーグ敗退 | 4 | 1 | 2 | 1 | 8 | 6 | |
1980年 | 3位 | 4 | 2 | 0 | 2 | 4 | 5 | |
1982年 | 予選敗退 | – | – | – | – | – | – | |
1985年 | 予選敗退 | – | – | – | – | – | – | |
1986年 | 予選敗退 | – | – | – | – | – | – | |
1988年 | 1次リーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 3 | 7 | |
1990年 | 1次リーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 5 | 4 | |
1992年 | 3位 | 5 | 3 | 0 | 2 | 8 | 4 | |
1994年 | 準優勝 | 6 | 4 | 0 | 2 | 9 | 4 | |
1996年 | 4位 | 6 | 3 | 1 | 2 | 12 | 6 | |
1998年 | 準優勝 | 6 | 3 | 1 | 2 | 18 | 10 | |
2000年 | 準優勝 | 6 | 3 | 1 | 2 | 15 | 8 | |
2002年 | 準優勝 | 6 | 4 | 1 | 1 | 11 | 4 | |
2004年 | 3位 | 6 | 3 | 0 | 3 | 10 | 3 | |
2006年 | 準優勝 | 6 | 3 | 2 | 1 | 12 | 6 | |
2008年 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 10 | 6 | |
2010年 | ベスト8 | 4 | 3 | 0 | 1 | 11 | 4 | |
2012年 | ベスト8 | 4 | 1 | 1 | 2 | 2 | 4 | |
2014年 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 7 | 5 | |
2016年 | 優勝 | 6 | 4 | 2 | 0 | 13 | 0 | |
2018年 | 3位 | 5 | 4 | 0 | 1 | 15 | 5 | |
計 | 168 | 70 | 29 | 69 | 293 | 232 |
FIFA U-20ワールドカップの成績
FIFA U-20ワールドカップ(2005年まではFIFAワールドユース選手権)には1979年大会に開催国として初出場を果たすが、以降は16年間、本大会出場から遠ざかる。1995年大会で2度目の本大会出場(初めてアジア予選を通過しての本大会出場)を果たして以降は2007年大会まで7大会連続で本大会出場を果たしたものの、2009年大会、2011年大会、2013年大会、2015年大会と4大会連続で本大会出場ならず。2017年大会は5大会ぶりに本大会の出場を獲得。
1979年と2001年大会を除いては全て1次リーグ通過を果たしており、中でも「黄金世代」と呼ばれた小野伸二・本山雅志・高原直泰らを擁して臨んだ1999年大会では、準優勝に輝いている。
FIFA U-20ワールドカップ | ||||||||
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開催年 | ラウンド | 試合数 | 勝 | 分 | 負 | 得点 | 失点 | |
1977年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
1979年 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 2 | |
1981年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
1983年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
1985年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
1987年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
1989年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
1991年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
1993年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
1995年 | ベスト8 | 4 | 1 | 1 | 2 | 6 | 6 | |
1997年 | ベスト8 | 5 | 2 | 1 | 2 | 12 | 9 | |
1999年 | 準優勝 | 7 | 4 | 1 | 2 | 11 | 9 | |
2001年 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 4 | 4 | |
2003年 | ベスト8 | 5 | 3 | 0 | 2 | 6 | 10 | |
2005年 | ベスト16 | 4 | 0 | 2 | 2 | 3 | 5 | |
2007年 | ベスト16 | 4 | 2 | 2 | 0 | 6 | 3 | |
2009年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
2011年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
2013年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
2015年 | アジア予選敗退 | - | - | - | - | - | - | |
2017年 | ベスト16 | 4 | 1 | 1 | 2 | 4 | 6 | |
計 | 39 | 14 | 10 | 15 | 53 | 54 |
選手
1977年チュニジア大会
1977年チュニジア大会は、アジア予選で敗退し、出場権獲得はならなかった。
1979年日本大会
1979年日本大会では、松本育夫監督の指揮の下、尾崎加寿夫、水沼貴史、柱谷幸一、風間八宏、柳下正明、鈴木淳らが出場した。2分1敗でグループリーグ3位となり、決勝トーナメント進出は果たせなかった。
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1981年オーストラリア大会
1981年オーストラリア大会は、アジア予選で敗退し、出場権獲得はならなかった。
1983年メキシコ大会
1983年メキシコ大会は、アジア予選で敗退し、出場権獲得はならなかった。
1985年ソビエト連邦大会
1985年ソ連大会は、アジア予選で敗退し、出場権獲得はならなかった。
1987年チリ大会
1987年チリ大会は、アジア予選で敗退し、出場権獲得はならなかった。
1989年サウジアラビア大会
1989年サウジアラビア大会は、アジア予選で敗退し、出場権獲得はならなかった。
1991年ポルトガル大会
1991年ポルトガル大会は、アジア予選で敗退し、出場権獲得はならなかった。
1993年オーストラリア大会
1993年オーストラリア大会は、アジア予選で敗退し、出場権獲得はならなかった。
1995年カタール大会
グループリーグを突破し準々決勝でブラジルに1-2で敗れるが、同大会での初のベスト8進出は日本サッカー界にとって明るい話題となった。他の有力選手としては、怪我の影響のためDFの中心選手の田中誠、この翌年にA代表へ選出された楢崎正剛、西澤明訓らがメンバーから外れている。後にトルシエジャパンの主力として活躍する森岡隆三も代表に選出されていたが、試合出場は無い。監督は田中孝司。
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1997年マレーシア大会
前回大会に出場した中田英寿、松田直樹に加え、宮本恒靖の3人は早生まれのため他の最年長組の選手より1学年上の先輩だったが、年齢的には国際基準の参加資格を満たしていた。しかし、中田と松田は前年のアトランタオリンピックに出場していたため、当時の大会規定で参加していない宮本のみが出場する事ができた(後にこのルールは撤廃)。その一方、一世代下から永井雄一郎と南雄太が飛び級で参加し、主力として活躍した。彼らを山本昌邦監督が率いて臨み、準々決勝でガーナに敗れるが2大会連続でベスト8進出を成し遂げた。
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1999年ナイジェリア大会
1999年ナイジェリア大会では、前年のフランスW杯にも出場した小野伸二を中心に、のちにA代表に名を連ねる本山雅志、高原直泰、小笠原満男、遠藤保仁、中田浩二、稲本潤一、加地亮、酒井友之、播戸竜二、2大会連続出場の永井雄一郎・南雄太らを擁した、いわゆる「黄金世代」が、フィリップ・トルシエ監督の指揮の元に準優勝という日本サッカー史上に残る快挙を成し遂げた。大会の直前に主力であった金古聖司・市川大祐を負傷と疾病で欠き、また稲本も負傷の回復途上でコンディションが整わないなど不安視される要素も多かったが、その穴を感じさせぬ各選手の活躍が目立った。精神面・戦術面双方の支柱であったキャプテン小野を警告累積による出場停止で欠いた決勝ではスペインに0-4で完敗したものの、小野・本山は大会ベストイレブンにも選出された。
また、準々決勝のメキシコ戦で、日本の鮮やかなプレーに興奮した観客が試合終了後選手を祝福しようとピッチになだれ込むハプニングがあったことに代表されるように、この大会における日本の試合の質は高かった。グループリーグのイングランド戦では照明灯の半分が突然ダウンし薄暗い中での試合が強行される、決勝トーナメント1回戦のポルトガル戦では後半開始早々、交代3人枠を使い切ったポルトガルのキーパーが負傷退場し急遽、フィールドプレイヤーが代わりにキーパーになり10人で戦うなどの珍事もあった。
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2001年アルゼンチン大会
西村昭宏監督の指向する攻撃的サッカーで挑んだが、大久保嘉人、阿部勇樹、松井大輔、今野泰幸、茂庭照幸といった既にJリーグの各クラブで主力の位置にあった選手を怪我で欠いた事もあって、グループリーグ突破は成らなかった。この年代は1999年のFIFA U-17世界選手権の出場を逃し、ワールドユースでいきなり世界と戦うことになった事から「強化の谷間」という意味で「谷間の世代」と呼ばれていたが、前3大会で果たした決勝トーナメント進出を逃したことで、「実力的な谷間」という意味が付きまとう様になった。しかし、この年代からは多くの日本代表選手を輩出し中核を担っている。
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※当初、選出されていた茂庭照幸は怪我のため登録解除、代わりに那須大亮を登録
2003年UAE大会
2003 FIFAワールドユース 布陣 阿部祐大朗 (平山相太) 茂木弘人 (坂田大輔) 成岡翔 (阿部) 徳永悠平 鈴木規郎 (山口慶) 今野泰幸 小林大悟 (成岡) 近藤直也 (栗原勇蔵) 菊地直哉 (永田充) 角田誠 (菊地) 川島永嗣 監督:大熊清 |
2003年UAE大会では、大熊清監督が就任し、前大会の出場を直前の怪我で逃した今野泰幸を中心とする世代を率いた。グループリーグを突破しベスト16ラウンドでは韓国に勝利。準々決勝でブラジルに大敗するもベスト8の成績を残した。なお、坂田大輔が4得点を挙げ大会得点王に輝いた。また、平山相太が2歳年少ながら飛び級で招集された。
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2005年オランダ大会
2005 FIFAワールドユース 布陣 平山相太 カレン・ロバート (森本貴幸) 兵藤慎剛 (水野晃樹) 家長昭博 中村北斗 小林祐三 (本田圭佑) 梶山陽平 (小林) 柳楽智和 増嶋竜也 水本裕貴 西川周作 監督:大熊清 |
2005年オランダ大会では2大会連続で出場した平山相太を中心とするメンバーで、前回大会に引き続いて大熊清監督が指揮を取って挑んだ。日本はグループリーグを2分1敗の勝ち点2という成績だったが、同グループ1位通過のオランダを除く3カ国が2分1敗の勝ち点2で並び、結果得失点差でグループリーグを2位で通過する事となった。しかし決勝トーナメントの初戦(ベスト16)で、モロッコに0-1で敗退。結局、大会を通じて1勝も出来ずに大会を終える結果となった。大熊は大会後、「チーム立ち上げ時からの選手に情が入ってしまった」と振り返った。
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2007年カナダ大会
2007 FIFAワールドユース 布陣 河原和寿 (平繁龍一) 森島康仁 (ハーフナー・M) 柏木陽介 (香川真司) 梅崎司 田中亜土夢 青山隼 (森重真人) 内田篤人 槙野智章 (柳川雅樹) 福元洋平 安田理大 (太田宏介) 林彰洋 (武田洋平) 監督:吉田靖 |
2007年カナダ大会では、長年ユース年代の代表にコーチングスタッフとして参加した吉田靖が監督に就任した。
グループリーグではFIFA主催の世界大会において日本サッカー史上初めて2試合で突破を決めたが、決勝トーナメント初戦では、この大会を準優勝したチェコ相手に2点をリードしながら追いつかれ、PK戦に敗れた。前回とは対照的に1敗もすることなく(PK敗退は記録上引き分け扱い)同じベスト16で大会を終えたが、FIFAフェアプレー賞を受賞した。
ゴールを決めたときに行うビリーズブートキャンプなどのパフォーマンスでも注目を集め、明るいチームカラーから「調子乗り世代」「悪ガキ世代」「お調子者世代」と評された。また全4試合を戦ったヴィクトリアでも人気は高く、日本代表のユニフォームは完売した程であった。
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2009年エジプト大会
AFC U-19選手権2008 布陣 永井謙佑 (柿谷曜一朗) (木暮郁哉) 宮澤裕樹 (遠藤敬佑) 鈴木惇 (香川真司) 水沼宏太 山本康裕 (香川) 青木拓矢 (下田光平) 岡本知剛 (吉田) 村松大輔 金井貢史 (薗田淳) 鎌田翔雅 (吉田勇樹) 権田修一 (松本拓也) 監督:牧内辰也 |
2009 FIFA U-20ワールドカップは、その前年2008年に開催されたアジア予選で準々決勝で敗退し、1995年大会以来の8大会続けての出場権獲得はならなかった。監督は牧内辰也。
AFC U-19選手権2008メンバー (U-19日本代表)
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2011年コロンビア大会
AFC U-19選手権2010 布陣 宇佐美貴史 (永井龍) 指宿洋史 (杉本健勇) 酒井高徳 (古田寛幸) 菊池大介 (小林祐希) 藤田息吹 (加藤大) 六平光成 (風間宏希) 岡本拓也 (田中優毅) 遠藤航 (寺岡真弘) 平出涼 (内田達也) 阿部巧 (古林将太) 中村隼 (川浪吾郎) 監督:布啓一郎 |
2011 FIFA U-20ワールドカップは、2010年に開催されたアジア予選準々決勝で敗退したため、出場ならず。監督は布啓一郎。
AFC U-19選手権2010メンバー (U-19日本代表)
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2013年トルコ大会
2013 FIFA U-20ワールドカップは、2012年に開催されたアジア予選準々決勝で敗退したため、出場ならず。これで3大会連続で本戦出場を逃した。監督は吉田靖。
AFC U-19選手権2012メンバー (U-19日本代表)
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2015年ニュージーランド大会
2015 FIFA U-20ワールドカップは、2014年に開催されたアジア予選準々決勝で敗退したため、出場できなかった。これで4大会連続で本戦出場を逃したことになる。さらに、この年はU-17日本代表もアジア予選を突破出来なかったため28年ぶりに両代表が世界大会へ出場出来ないという事態となった[2]。監督は鈴木政一。
AFC U-19選手権2014メンバー (U-19日本代表)[3]
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2017年韓国大会
2017 FIFA U-20ワールドカップは、2016年に開催されたAFC U-19選手権2016大会において見事優勝を果たし、日本にとって5大会ぶりの出場となった。監督は内山篤。
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出典
^ JFA・日本代表コーチングスタッフ
^ 日本代表、育たぬ若手 U-19は北朝鮮に敗れU-20W杯出場逃す - 2014年10月18日zakzak
^ 招集メンバー
関連項目
- サッカー日本代表
- U-23サッカー日本代表
- U-17サッカー日本代表
- FIFA U-20ワールドカップ
外部リンク
- U-20日本代表(日本サッカー協会)
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U-20サッカー日本代表 - 歴代選手 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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