岩倉道倶
岩倉 道倶(いわくら みちとも、1881年(明治14年)5月29日[1] - 1946年(昭和21年)10月9日)は、日本の華族。貴族院男爵議員。
目次
1 経歴
2 親族
3 脚注
4 参考文献
経歴
1881年岩倉具視の四男として生まれる[2][3]。1896年分家して、同年12月3日、父の勲功により男爵を叙爵[4][5]。学習院を経て[2]、東京帝国大学文科大学修了[4]。1909年欧米視察[4]。1911年貴族院議員となる[4]。福徳生命保険[6]、大成漁業各取締役、十五銀行監査役[2]。1932年以降米穀対策調査会、石油業委員会、液体燃料委員会、帝国石油、台湾拓殖、樺太開発その他各設立委員[4][3]、川崎造船、千代田火災保険各取締役を務め[3]、翼賛政治会常任総務を歴任した[7]。
戦後の1946年5月8日に貴族院男爵議員を辞職し[8]、その後公職追放となり[9]、間もなく死去した。
親族
- 妻:裕子(青山寛五女、澤宣元養女)[1]
- 長男:泰倶(陸軍主計大尉)[1]
- 二女:直子(難波経一夫人)[1]
脚注
- ^ abcd『平成新修旧華族家系大成』上巻、213頁。
- ^ abc『人事興信録. 8版』 イ二三四。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ abc『人事興信録. 13版』 イ二五四。(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ abcde『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』64頁。
^ 『官報』第4031号、明治29年12月4日。
^ のちに第百生命保険に統合される。現在のマニュライフ生命保険の源流の一つ(生命保険会社変遷図 (PDF) )。
^ 議会新聞社編 『翼賛議員銘鑑』、1943年、2頁。NDLJP:1439721。
^ 『官報』第5803号、昭和21年5月22日。
^ 『朝日新聞』1946年9月26日一面
参考文献
- 『人事興信録』第8版 人事興信所、1928年。
- 『人事興信録』第13版 人事興信所、1941年。
- 『翼賛議員銘鑑』議会新聞社、1943年。
- 『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
日本の爵位 | ||
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先代: 叙爵 | 男爵 岩倉家(分家)初代 1896年 - 1946年 | 次代: 華族制度廃止 |