スポーツニッポン
スポーツニッポン | |
---|---|
種類 | 日刊紙 |
サイズ | ブランケット判 |
事業者 | 株式会社スポーツニッポン新聞社 |
本社 | 東京都江東区越中島2-1-30 |
代表者 | 河野 俊史 |
創刊 | 1949年(昭和24年)2月1日(大阪) 1950年(昭和25年)3月6日(東京) 1955年(昭和30年)5月1日(西部) |
言語 | 日本語 |
価格 | 1部 140円 (東海地方)130円 月極 3,353円 |
ウェブサイト | https://www.sponichi.co.jp/ |
スポーツニッポンは、株式会社スポーツニッポン新聞社[1]の発行するスポーツ新聞である。
発行元であるスポーツニッポン新聞社は毎日新聞グループホールディングス(以下、毎日新聞グループ)の主要企業であり、グループの中核事業でもある。なお、本項目ではスポーツニッポン新聞社についても述べる。
目次
1 概要
2 沿革
3 スポーツニッポングループ
4 社史・記念誌
5 発行所とエリア
5.1 直轄
5.2 委託
5.3 印刷工場
5.4 題字
5.5 紙面構成
5.5.1 テレビ面の収録局
5.5.1.1 東京本社版
5.5.1.2 大阪本社版
5.5.1.3 西部総局版
5.5.1.4 北海道総局版
5.6 東日本大震災関連
5.7 1部の価格
6 毎日新聞社との関係について
6.1 スポニチ夕刊 (早版)
7 主な評論家
7.1 野球
7.1.1 東京本社
7.1.1.1 西部総局
7.1.2 大阪本社
7.2 競馬
7.2.1 大阪本社
8 その他
9 物議を醸した報道
10 スポニチジュニア
11 脚注
12 関連項目
13 外部リンク
概要
創刊当初は「スポーツ紙唯一の全国紙」をスローガンにしてスポーツ、芸能情報を積極的に提供してきたが、現在では定番となった1面記事見出しのカラー化(赤見出し)や、即売版(駅売店など)の専用紙面である風俗記事の連載、最終面をニュース記事のページにする「ダブル1面」を初めて採用した。1980年代の終わりから総合大衆紙を標榜し、社会事件や政治報道などにも力を入れた。1995年(平成7年)にはオウム真理教による一連の事件報道などで、東京本社管内でスポーツ紙としては初めて実売100万部超を達成。この年4月から3か月間、これを維持した。
2004年(平成16年)には東京本社、大阪本社及び西部本社が合併し、全国を一社でカバーする単一法人となった。東京を存続会社とし、2007年(平成19年)4月から旧3社の人事・賃金など諸制度統一に向けた新制度がスタートさせた。また、合併を機にスケールメリットを追求しすべての取引制度を見直した結果、2005年(平成17年)度決算は減収ながらも史上最高益を記録した。なお、総売上げにおける3本社の比率は東京6、大阪3、西部1の割合となっている。
これに併せて、題字ロゴを全国で統一[2]。2008年(平成20年)元日からの大阪本社管内を皮切りに、1面題字に商品バーコードが掲載されるようになった。
- 発行所は東京本社、大阪本社及び西部総局。
- 札幌では東京本社名義、名古屋と広島では大阪本社名義でそれぞれ発行し、一部を地域独自版に差し替え。
- 九州地区は、西部本社を福岡に統合移転後、会社全体の組織見直しで、西部本社としては廃止され「福岡総局」を復活させる形(格下げ)となったが、新聞の発行自体は継続。さらに名称を「西部総局」に改め、発行元については単に「西部」とだけ記されるようになった。
- 沖縄では、株式会社琉球新報社に委託(実質「地域フランチャイズ契約」)し「新報スポニチ」が発行されている。
メディア環境の激変により、新聞界全体で紙媒体の部数減が経営を苦しめる中、2011年(平成23年)2月1日、親会社毎日新聞社と経営統合することで合意。4月1日付で両者の株式を移転して設立される共同持株会社の完全子会社となるもので、同日関東財務局に必要な報告書を提出した。
スポーツ報知と異なるのは、報知新聞社が読売新聞グループとは経営で一体化していないのに対し、スポニチの場合親会社と完全に経営を一体化するという点である。そして2011年(平成23年)4月1日、毎日新聞社とスポーツニッポン新聞社の株式移転によって設立された共同持株会社毎日・スポニチ持株移行株式会社(現在の株式会社毎日新聞グループホールディングス)の完全子会社となった。
沿革
1949年(昭和24年)
2月1日 - 大阪に於いて創刊(タブロイド版)。初代社長は戦前のオリンピックマラソン代表だった津田晴一郎。
1950年(昭和25年)
3月6日 - 当時有楽町にあった毎日新聞東京本社内に東京支社を設置し、東京に於いて発刊。
1955年(昭和30年)
5月1日 - 福岡県門司市清滝の毎日新聞西部本社内に西部支社を設置し、九州に於いて発刊。
1957年(昭和32年)
2月 - 日本プロ野球キャンプの全会場に取材班を配置し、シーズン前の調整をきめ細かく伝える。
1959年(昭和34年)
6月1日 - 北海道札幌市で東京支社版の現地印刷を開始。
1960年(昭和35年)
8月10日 - 東京支社を分社し、「株式会社スポーツニッポン新聞東京本社」設立。これに伴い時期は不明だが大阪本社の社名を「株式会社スポーツニッポン新聞大阪本社」に変更。
10月15日 - スポーツ新聞として初めて1面に赤色の見出しを採用。
1961年(昭和36年)
8月29日 - 西部支社を分社し、「株式会社スポーツニッポン新聞西部本社」設立。これにより3本社体制を整える。
1965年(昭和40年)
北九州市小倉区紺屋町に毎日西部会館が完成し、毎日新聞西部本社が移転。これに伴い、従来毎日西部が使っていた建物を西部本社専用の社屋として使用。
1966年(昭和41年)
9月26日 - 毎日新聞東京本社が有楽町から同じ千代田区内に建てたパレスサイドビルディングに移ったことに伴い、東京本社も一緒に移転。但し、編集部門のみ港区芝に移った。
1971年(昭和46年)
9月13日 - 東京本社、番組表を掲載するページに、鉄道駅売店などの即売版専用紙面「スポニチ環状線」の連載を開始(いわゆる二毛作)。以後他のスポーツ紙も追随。
1983年(昭和58年)
10月11日 - 東京本社、最終面をスポーツニュース記事にしたダブル1面を開始。これにより従来最終面にあったテレビ番組表(宅配版)や「スポニチ環状線」(即売版)は中面に移動。以後他のスポーツ紙も追随。
1986年(昭和61年)
1月 - 東京本社、1面のカラー印刷開始、その後カラーページを拡大。後に他のスポーツ紙も追随。
1988年(昭和63年)
8月 - 東京本社、2か所に分かれていた拠点を江東区越中島に毎日新聞グループの東日印刷と共同で建設したSTビルに全面統合移転。
1989年(平成元年)
12月 - 西部本社、門司社屋の老朽化に伴い、毎日西部会館に移転。
1990年(平成2年)
7月 - 株式会社琉球新報社、韓国朝鮮日報[3]系のスポーツ紙・スポーツ朝鮮との提携関係が成立。1日から琉球新報社が沖縄県向けに「新報スポニチ」を発刊。
1993年(平成5年)
2月 - 大阪本社、北区西梅田(大阪駅前)の毎日新聞大阪本社に移転。それまでの北区(旧・大淀区)の旧社屋についてはその後スポニチとの等価交換によりマンションとして再整備された。
1995年(平成7年)
1月17日 - 阪神・淡路大震災発生。これを受け後に3本社連携により義援金募集を実施、4,204万円余の義援金が集まった。
4月 - スポーツ紙初の、発行部数1日平均100万部を達成(日本ABC協会調べ)。
2001年(平成13年)
10月 - 国会記者クラブにスポーツ紙で初めて加入。
2004年(平成16年)
10月1日 - 東京本社を存続会社として3本社が合併、商号を株式会社スポーツニッポン新聞社に変更。
11月8日 - 創刊20000号(新聞休刊日発行の特報版を除く)[4]。
2008年(平成20年)
元日 - 創刊60年を記念し、年間イメージモデルとして、前年度上半期のNHK連続テレビ小説『どんど晴れ』でヒロイン・浅倉夏美を演じた比嘉愛未を起用。この日付け紙面で特集記事が紹介され、またキャンペーンキャッチフレーズ「そのへんはスポニチが詳しい。」が採用された。
2009年(平成21年)
2月1日 - 創刊60周年。イメージキャラクター兼特別編集局長によしもとクリエイティブ・エージェンシー所属のお笑いタレント・今田耕司を起用、キャンペーンキャッチフレーズ「ハッとしてホッとするスポニチ」「読むなら、いまだ!」が採用される。この日から2012年(平成24年)4月1日まで吉本興業との長期共同コラム「よしもと100年笑いは地球を救う」も連載開始。
6月12日 - 今田からの繋がりで、よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の漫才師、石田明(NON STYLE)を期間限定の特別編集委員に任命。
7月1日 - 西部本社を毎日西部会館から福岡総局(福岡市中央区天神1丁目の毎日福岡会館)に統合移転。西部版の発行所が旧福岡総局となる。但し販売部は毎日西部会館に残した上で、毎日西部本社と事実上統合。[5]
10月1日 - 当初から東京本社管轄だった北海道支社を総局に格下げ。
11月29日 - この日を以って大阪本社発行の“夕刊”(即売のみ)の発行を休止。
2010年(平成22年)
5月1日 - 大阪本社、大阪・ミナミの鰻谷スクエア[6](中央区東心斎橋)に読者との交流を図る事実上の第2大阪本社「スポニチプラザ大阪」を開設。
7月 - 抜本的組織再編を実施し、本社を東京・大阪の二元体制とする。これに伴い西部本社は機能を維持しつつ格下げされ、紙面構成の都合で東京本社管轄となり「福岡総局」復活。但し発行機能は維持。
10月1日 - 福岡総局を「西部総局」に改称。これと前後して毎日西部本社も一部の機能を福岡本部に移す。
2011年(平成23年)
4月1日 - 毎日新聞社と共同で株式移転を行い、共同持株会社の毎日・スポニチ持株移行株式会社(現在の株式会社毎日新聞グループホールディングス)を設立して、同社の完全子会社となった。統合比率は毎日1に対しスポニチ1.45。
2012年(平成24年)
11月 - 大阪本社発行による東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)向けの紙面を中日新聞社本社工場による受託印刷を開始。
2013年(平成25年)
2月1日 - 創刊65周年。イメージキャラクターに女優の忽那汐里(オスカープロモーション所属)を起用。
スポーツニッポングループ
子会社の一覧である(2018年1月現在)
- スポニチクリエイツ
- スポニチプライム
- スポニチパートナー
社史・記念誌
スポーツニッポン新聞社では、以下の6冊を発行している(2016年9月22日時点)。
スポーツニッポン新聞25年史(スポーツニッポン新聞社東京本社社史編纂委員会・編)1975年発行、149ページ。
スポーツニッポン新聞三十年史(スポーツニッポン新聞大阪本社・編)1979年2月1日発行、227ページ。
スポーツニッポン新聞50年史(東京)(スポーツニッポン新聞東京本社・編)1999年発行、451ページ。
スポーツニッポン新聞50年史(大阪) 1 通史(スポーツニッポン新聞大阪本社・編)1999年2月発行、231ページ。
スポーツニッポン新聞50年史(大阪) 2 年表(スポーツニッポン新聞大阪本社・編)1999年2月発行、245ページ。
スポーツニッポン新聞60年小史(スポーツニッポン新聞東京本社・編)2009年2月1日発行。
- 『スポーツニッポン新聞50年史』は、旧・東京本社が発行したものと旧・大阪本社が発行したものがある[7](前述の通り、2004年10月の3本社合併までは旧・西部本社も含め、それぞれ独立した法人だった)ため、本項では、便宜上“スポーツニッポン新聞50年史”の後に括弧書きで東京or大阪とつけている。
発行所とエリア
東京本社(S・Tビル) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | スポニチ |
本社所在地 | 日本 〒135-8517 東京都江東区越中島二丁目1番30号 |
設立 | 1960年8月10日 (株式会社スポーツニッポン新聞東京本社) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 | 6010601004120 |
事業内容 | スポーツ新聞の発行など |
代表者 | 森戸 幸生(代表取締役社長) |
資本金 | 2億4,000万円 |
従業員数 | 890人(2009年1月1日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 毎日新聞グループホールディングス 100% |
外部リンク | http://www.sponichi.co.jp/ |
直轄
西部総局は、紙面構成[8]の関係から、格下げ時に東京本社傘下に置かれた。ただし歴史的経緯から独自性を残している。
本支社等 | 所在地 | 発行エリア | |
---|---|---|---|
東京本社 | 東京都江東区越中島2丁目1-30 | 関東甲信越、東北及び静岡の17都県 | |
北海道総局 | 札幌市中央区北4条西6丁目1 毎日札幌会館 | 北海道 | |
西部総局[9] (旧西部本社) | 福岡市中央区天神1丁目16-1 毎日福岡会館[10] | 九州7県、山口県及び島根県西部 | |
大阪本社 | 大阪市北区梅田3丁目4-5 毎日新聞ビル | 近畿、北陸、中京、四国の16府県並びに 鳥取県、岡山県、広島県並びに島根県東部 | |
名古屋総局 | 名古屋市中村区名駅4丁目7-1 ミッドランドスクエア[11] |
委託
- 新報スポニチ
- 委託先:株式会社琉球新報社
- 発行所:那覇市天久
- エリア:沖縄県
印刷工場
全国の毎日新聞社系の工場で印刷されている。
- 東京本社
東京都江東区、埼玉県川口市、神奈川県川崎市川崎区、神奈川県海老名市、群馬県高崎市、福島県福島市、青森県青森市
- 北海道総局
北海道北広島市
- 大阪本社
大阪府大阪市北区、大阪府堺市堺区、大阪府摂津市、愛知県名古屋市中区、岡山県倉敷市
- 西部総局
福岡県北九州市小倉南区、佐賀県鳥栖市
- 新報スポニチ
沖縄県那覇市
題字
2002年頃(大阪本社管轄地域は2004年の法人統合)までは、明朝体で「ス」という文字を大きく表示したものを使用していた。モノクロ時代(少なくとも1990年代前半まで)はバックに縦ジマのスクリーントーンが貼り付けてあった。1990年代のカラー化後は1頁の紙面左端に縦1行、最終頁も左端の縦1行(デザインは東京・西部本社と大阪本社とではやや異なり、「SN」マーク=当時は聖火をイメージしたものも、東京・西部には載せてあるも、大阪には掲載されていなかった。また大阪本社版では最終頁は縦1行題字は使わず、欄外の小題字の文字を朱色でアクセントさせている)にしていた。
なお、2002年-2004年の法人統合までの大阪本社版では、その日の紙面構成により1頁目の題字のサイズが異なる形式(横長、横正方形、縦正方形の3種)が採用されていた。
それ以後は1頁右上に「スポニチ」、左上には青地・白抜きで「スポーツニッポン新聞社」とブロック体で書かれていたものを掲載。2011年からは亀甲型の「S」「N」のロゴを掲載し、その右に「スポーツニッポン」と表示されるようになった。
紙面構成
テレビ番組欄、公営競技面を除き、東京本社版と大阪本社版とに分かれる。
- 西部版は、中央競馬については地域の関係で大阪本社版を、一般のスポーツ記事・芸能記事などは東京本社版を、それぞれ使用する。
- 中央競馬面の馬柱は東京本社版は縦組み、大阪本社版はスポーツ新聞では唯一横組みとなっている。
- 『新報スポニチ』は、テレビ番組欄、公営競技面など他の都道府県で掲載される紙面内容の一部が省略されており、ページ数も少ない。
- テレビ番組欄もほぼ幅広く1ページを使って広範囲の情報を掲載している。
- 東京本社版では、アダルト面はスタンド売り用紙面で、宅配用はテレビ欄になるが、大阪本社・西部版と北海道総局版はテレビ欄とアダルト面がそれぞれある。
テレビ面の収録局
東京本社版
(首都圏版)
<右ページ>
- フルサイズ
NHK総合(東京)- NHK Eテレ
- 日本テレビ
- テレビ朝日
- TBSテレビ
- テレビ東京
- フジテレビ
- ハーフサイズ
- NHK BS1
NHK BSプレミアム(旧・NHK衛星第2テレビジョンの箇所)- NHK Eテレ デジタルサブチャンネル・ワンセグ2
<左ページ>
- ハーフサイズ
BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSテレ東、BSフジ
WOWOW プライム、スターチャンネル1、BSイレブン、BS12 トゥエルビ
TOKYO MX、tvk、テレ玉、チバテレビ(通常ハーフより若干狭い)
- クォーターサイズ
(右端)
J SPORTS(1・2・3・4)
山梨放送、テレビ山梨、群馬テレビ、とちぎテレビ(何れも、東神埼千の各独立局の下)
(下段)
NHKラジオ第1(東京)- TBSラジオ
- 文化放送
- ニッポン放送
- ラジオ日本
- 日テレプラス
- BSスカパー!
(宮城・福島版)
- フルサイズ
- NHK総合
- NHK Eテレ
- TBCテレビ
- 仙台放送
- ミヤギテレビ
- 東日本放送
- 福島テレビ
- 福島中央テレビ
- 福島放送
- テレビユー福島
- ハーフサイズ
- NHK BS1
- NHK BSプレミアム
- WOWOW プライム
- NHK-FM
- ふくしまFM
- クォーターサイズ
- 日本テレビ
- テレビ朝日
- TBSテレビ
- テレビ東京
- フジテレビ
- WOWOWライブ
- WOWOWシネマ
- BS日テレ
- BS朝日
- BS-TBS
- BSジャパン
- BSフジ
- BS11
- BS12 トゥエルビ
- 日テレプラス
- BSスカパー!
- J SPORTS(1・2・3・4)
- 釣りビジョン
(静岡版)
- フルサイズ
- NHK総合(静岡)、NHK Eテレ、SBS、テレビ静岡、静岡朝日テレビ、Daiichi-TV
- ハーフサイズ
- BS放送
- NHK BS1、NHK BSプレミアム、WOWOW プライム
- FMラジオ放送
- NHK-FM(静岡)、K-mix、TOKYO FM、FM-FUJI
- NHK-FM(静岡)、K-mix、TOKYO FM、FM-FUJI
- クォーターサイズ
- 地上テレビ放送
- 日本テレビ、テレビ朝日、TBSテレビ、テレビ東京、フジテレビ
- BS放送
- BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSテレ東、BSフジ、WOWOW ライブ、WOWOW シネマ、BS11、トゥエルビ
スカパー!
- BSスカパー!、J SPORTS(1・2・3・4)、釣りビジョン、ゴルフネットワーク、日テレプラス
大阪本社版
(近畿地方版)
- フルサイズ
- NHK総合(大阪)
- MBSテレビ
- ABCテレビ
- カンテレ
- 読売テレビ
- テレビ大阪
- ハーフサイズ
- サンテレビ
- 京都テレビ
- (以上2局 テレビ大阪の横)
- NHK BS1
- NHK BSプレミアム(旧・NHK衛星第2テレビジョンの箇所)
- WOWOW プライム
- GAORA SPORTS
- クォーターサイズ
(右端)
- びわ湖放送
- 奈良テレビ
- テレビ和歌山
(下段)
- WOWOW ライブ・シネマ
- 在京キー局系BSデジタル放送5局(BS日テレ、BS朝日、BS-TBS、BSテレ東、BSフジ)
- NHKラジオ第1(大阪)
- MBSラジオ
- ABCラジオ
- FM802
- BS11
- トゥエルビ(2011年(平成23年)4月1日掲載開始 それまではNHKデジタル衛星ハイビジョンを掲載)
- J SPORTS(1・2・3・4)
- スカイA
- ※ 以前はAM・FMのうち、近畿圏の大半のラジオ局の番組表を載せていたが、紙面スペースの見直しにより大幅に減った。なおBSも一時期収録局をNHKの3→2、WOWOW、BS-TBSだけに絞って掲載していた時期があったが、2011年(平成23年)7月24日以後民放キー局系の他4局の掲載を再開、新たにBS11を追加した。
- 2013年10月1日以後は、在阪準キー局とNHK総合の番組表サイズ・文字を拡大したほか、一時期掲載を中断していたFM放送の番組表をFM802のみの限定で掲載を再開した。近畿版のテレビ欄の局名表記カットにはその局のマスコットキャラクターが表記されている[12]。
(東海版)
- フルサイズ
- NHK総合(名古屋)
- 東海テレビ
- CBCテレビ
- メ~テレ
- 中京テレビ
- テレビ愛知
- ハーフサイズ
- NHK Eテレ
- 三重テレビ
- ぎふチャン
- クォーターサイズ
- ※BS・CSは近畿地方版と同じ
- NHKラジオ第1(名古屋)
- NHK-FM
西部総局版
この節の加筆が望まれています。 |
- 早版(9版)はNHK(総合・Eテレ)2チャンネルのみフルサイズ。それ以外(在福民放を含む九州各県)はハーフかクォーターサイズ。
- 遅版(福岡県のみ)と早版(山口県・大分県のみ)はNHK(総合・Eテレ)の2チャンネルとRKB、KBC、TNC、FBS、TVQのみフルサイズ。それ以外(山口・大分の民放)はハーフサイズ。
北海道総局版
- 地上波テレビ:NHK総合・Eテレ、HBC、STV、HTB、TVH、UHB
- ラジオ:NHKラジオ第1・第2・FM、HBCラジオ、STVラジオ、AIR-G'、NORTH WAVE、青森放送、エフエム青森、ラジオNIKKEI
東日本大震災関連
東日本大震災で甚大な被害を受けた高田高等学校野球部の姿を通して、被災地の今を伝える連載企画『復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年』を2011年5月11日から連載を開始した。2012年3月までは毎月1回、3日連続で裏1面にて連載された。定期連載終了後も年数回、不定期にて掲載を続けている[13]。
- 当該連載は、定期連載時(2011年5月~2012年3月)には大阪本社版にも掲載されたが、東京本社版とは違い中面での掲載となっていたほか関連記事の一部は割愛されていた。
- また、東日本大震災を決して忘れてはいけないという意味を込めて、2012年から毎年3月11日と12日の東京本社版と西部版の1面左端に震災復興をこれからも伝え続ける旨の内容が縦書きで記載されている[14]。
1部の価格
地域ごとに分かれていた3社の統一合併によって、発行地域による定価価格に差がある現状がある。新聞は独占禁止法が禁じる再販価格維持制度の例外規定によって、小売定価の制定が認められている数少ない商品である。しかし原則は「全国一律の一物一価」。定価制定の理由である「遠隔地も都市部も同一価格で手に入れられるべき公共性」のためである。
従来は3社が法人としては異なっていたためそれぞれ定価を決められたが、現在は単一会社なので、本来は定価改定を行ってしかるべきであるにもかかわらず、行われてこなかった。大阪本社管内では以前1部売りで他紙と10円の価格差となっていて価格競争力が強いとされ、大阪では定価問題は微妙な問題であろうことは容易に想像された。しかし、その大阪管内も2009年(平成21年)10月1日から1部売りが130円に値上げされ、全国に足並みを揃えた。
なお、大阪管轄の中でも東海3県(名古屋市で現地印刷。三重県伊賀・東紀州地区を除く)は当面、120円に据え置いていた。これは、同地で圧倒的なシェアを有するスポーツ新聞である中日スポーツが1部110円(2012年5月より。それまでは1部100円)であり、価格を抑えなければ対抗できないためである。その後2013年4月より、中日スポーツも1部売り120円に値上げし、一時期、東海3県のスポーツ紙1部売り価格が各紙120円と軒並みそろった。2014年4月1日、消費税が5%→8%に増税になったのに伴い、130円に値上げされた。
- 東京本社(北海道総局含む)、大阪本社(東海版エリアを除く)、西部:140円
- 東海版(大阪本社発行。愛知県・岐阜県・伊賀・東紀州地区を除く三重県):130円(日刊スポーツ・スポーツ報知も東海地区発行版は1部130円で販売)
また沖縄県では「新報スポニチ」が60円で発行されているが、こちらは発行元が琉球新報社のため小売価格が異なることの問題は発生しない。ちなみに、紙面は東京本社版の紙面から一部分のみを抜き刷りしたもので、ページ数も東京本社版の半分弱となっていることから、その実態を勘案した価格設定とみることもできる。
バックナンバーは2か月分の東京最終版、大阪最終版、広島最終版のみ扱っている。申込先は、東京最終版が東京本社、大阪最終版と広島最終版が大阪本社となっている。20部までの注文は送料がかかるが、21部以上の注文は送料が無料となる(他のスポーツ紙のバックナンバーは部数に関わらず送料がかかる)[15]。
毎日新聞社との関係について
スポーツニッポンは、毎日新聞の僚紙的位置付けとして創刊した。毎日グループ企業として位置付けられるのはこのためであり、現在東京本社以外の拠点は全て毎日新聞の地域本社・支社・本部等に置かれている。
戦後の混乱期、用紙難からGHQは既存新聞社の増紙を認めない一方、新興新聞社には出来る限り用紙を割り当てる政策を採った。既存新聞社はこの政策を逆手に取り、ダミー子会社を設立して新興紙を多く創刊した。毎日新聞系としては「東京日日新聞」「サン写真新聞」(東京)、「東海毎日新聞」(名古屋)、「新大阪」「新関西」(大阪)、「新九州」(門司)といった新聞があった。
一方で、毎日新聞大阪本社の有志がこの動きとは別にスポーツ振興を旗印としてスポーツ新聞の創刊を企画した。これがスポニチである。スポニチは毎日新聞社の後援はあったものの、上記毎日新聞のダミー子会社ではなく比較的独自の発展を遂げた。
ダミー子会社の発行する新聞は、その後用紙規制緩和に伴う毎日本紙の増紙と夕刊発行復活で存在意義が無くなり、「東海毎日新聞」は廃刊(毎日の名古屋再進出に伴う事実上の本紙吸収)。「サン写真新聞」も休刊し「新大阪」は毎日から独立、残る3紙も結局スポニチに吸収される形になった。
- 「東京日日新聞」は戦前存在した同名紙の復刊といった触れ込みだったが、毎日本紙夕刊と競合したため朝刊に転身したものの休刊。印刷工場(のちの東日印刷)にはスポニチ東京本社編集局が設けられた。
- 「新九州」(1946年(昭和21年)4月8日創刊、1950年(昭和25年)3月6日朝刊紙に転向)も、スポニチ西部本社の発足と入れ替わるように休刊した。
スポニチ夕刊 (早版)
「新関西」は1946年(昭和21年)4月10日創刊の「日本投書新聞」が1949年(昭和24年)10月に毎日グループ入りした後に改題した物で、毎日本紙の夕刊発行とスポニチの伸長後はスポニチ大阪本社との経営統合で「スポニチ夕刊・新関西」と改題した。
- 「スポニチ夕刊・新関西」は1970年代後半まで存続したが、経営難から1979年11月1日付け(10月31日夕方発行 [16])をもって休刊した。
- その後もスポニチ大阪本社は「スポニチ前夜速報版」や「スポニチ早刷り号」の名義で地方都市向けの早版である第6版をそのまま夕刊として発行していたが、輸送コストが高くかかることや近年のライフスタイルの変化などから2009年(平成21年)11月30日付(11月29日発行)で発行を休止した。
大阪市、京都市、神戸市とその周辺地域の駅売店を対象に、翌日付け第6版を、前日夕方に夕刊として発売している。- レース面では、その日のレース結果付きで翌日の公営競技のレース予想[17]を掲載、「特捜班」の穴予想が人気を集めていた。これにより、翌日に行われるレースを前夜に予想出来た。
- 早版を夕刊として発売していた関係で、ラテ欄は掲載日付のものだけを載せていた。
- なお、関西地方ではスポニチ以外のスポーツ新聞も早版を夕刊として発行していたが、1990年代に全て廃止している。
関東地方では、神戸新聞系のデイリースポーツが2009年(平成21年)11月30日付までは駅売店・コンビニ向けに「夕刊デイリースポーツ」名義で夕刊を発行していた。
主な評論家
野球
東京本社
張本勲 (1982- )
田淵幸一 (1985-1989, 1993-2001, 2004-2010, 2013- )
有藤道世 (1990- )
中畑清 (1990-1992, 1995-2011, 2016- )
牛島和彦 (1994-2004, 2007- ) 大阪本社管轄の名古屋版にも登場している。
東尾修 (2002- ) 1989-1994は日刊スポーツの専属評論家だった。
槙原寛己 (2002- )
以下の評論家は広島東洋カープのOBであるため、大阪本社管轄の広島版にも登場することがある。
大野豊 (2000-2009, 2013- )
野村謙二郎 (2006-2009, 2015- )
新井貴浩(2019- )※デイリースポーツも兼任。
西部総局
若菜嘉晴 (2003- )
岸川勝也 (2017- )
大阪本社
鈴木啓示 (1986-1992, 1997- )
広澤克実 (2004-2006, 2009- )
亀山つとむ (2004- )
赤星憲広 (2010- )
関本賢太郎 (2016- )
競馬
大阪本社
池江泰郎 (2011- )
その他
- 江東区越中島にある東京本社社屋は、同じ毎日系の新聞印刷会社「東日印刷」との共同所有。同ビルには東日印刷に印刷を委託している株式会社東京スポーツ新聞社も本社を置いている。
- 他のスポーツ紙と比較して紙が良質である。
プロ野球では全国規模で地域密着の表看板を打ち出している。そのため紙を挙げて特定球団を応援するような方針は取らず、比較的東京本社は埼玉西武ライオンズと横浜DeNAベイスターズ、大阪本社は阪神タイガース、広島版は広島東洋カープ、西部版は福岡ソフトバンクホークス中心の記事が載る傾向が強い。
- 1989年から選手や監督・コーチのオフレコでの発言を取り上げた「隠しマイク」を連載中。2009年からは年間でもっとも面白い発言をした者に「隠しマイク大賞」としてトロフィーを贈呈している。
- なお、毎日新聞社が毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)を保有していた頃は、オリオンズ色が強かった。このため、とりわけ大阪地区では販売に苦戦を強いられていたという。
Jリーグのスコア表記における韓国・朝鮮系選手の氏名表記が来日選手と在日選手とで異なっている。来日選手はフルネームが均等割り付けで、途中交代時および縮小版(J2リーグ戦やJリーグカップグループリーグで使用)ではフルネーム表記なのに対し、在日選手はフルネームが姓と名で分けられていて、途中交代時および縮小版では姓のみ表記。ちなみにサッカー北朝鮮代表における在日選手の表記法は、Jリーグにおける来日選手と同じ(それ以外の選手はカタカナ表記)。
埼玉県および隣接する一部都県に於いては、浦和レッドダイヤモンズの記事を1面で大きく扱う場合がある。
広島県に於いては、大阪本社管内ではあるが広島のスポーツニュース(広島東洋カープ・サンフレッチェ広島・高校野球など)を1面で大きく扱う場合がある。広島版は岡山県倉敷市にある毎日新聞中四国センターで印刷されている。
東海3県(愛知県・岐阜県・三重県)も大阪版の管轄だが、こちらは中日ドラゴンズに関する情報が少ない。名古屋版は名古屋市中区の毎日新聞名古屋センター→中日新聞社本社工場で印刷されているが、公営競技・テレビ欄以外は大阪版とほぼ同じ内容の紙面で、名古屋で印刷されるスポーツ紙では唯一、阪神タイガースの情報が最も多く掲載されている。テレビ欄のみを「東海版」と定め、テレビ欄の欄外に名古屋総局の住所・電話番号を表記している。なお、三重県の伊賀・東紀州地方は近畿版(京阪神)の販売エリアである。
- 以前は大阪版発行対象地域全域で1面の題字の発行所クレジットに小さく名古屋総局の住所を掲載していた。
- 欄外の題字の字体は、東京・大阪・西部各版とも左右寄り(1頁を除く奇数面は左寄り、偶数面は右寄り)に「スポーツニッポン」として表記されている。
2011年(平成23年)2月14日まで(休刊日のため「臨時即売版」=駅・コンビニ売店用のみ。宅配は前日の2月13日まで)の大阪本社版は中央に東京本社・西部版とは別の字体で(といっても東京・西部とはさほど変わっていなかった)「スポーツニッポン」と表記されていたほか、中央競馬面では「スポニチチャレンジKEIBA」、芸能・社会面は「スポニチエンタメ&NEWS」「スポニチエンタメWIDE」「スポニチNEWS」の表記に差し替えていた。同年2月15日付から大阪本社版も新聞制作システムの更新に伴い東京・西部版に準拠した欄外題字に変更された。なお中央競馬・公営競技頁は左右端(左ページは右端、右ページは左端)に白抜きで「SPONICHI RACE」の文字が入っている。大阪本社版の芸能面は、独自に紙面制作されていたが、2011年(平成23年)3月1日付から東京本社制作による記事を一部掲載する内容に変更された。このため、大阪版の芸能面のテレビ番組関連の記事ではこれまでTBS系列の番組については「毎日系」として表記されていたが、同日から東京・西部と同様に「TBS系」の表記に変更された。- 1頁の題字(左上)も一時期「スポーツニッポン新聞社」と表記されていたが、2011年(平成23年)2月1日の紙面から「スポーツニッポン」に戻されている。
2011年(平成23年)3月1日付から、「スポーツニッポン」の題字左端に新シンボル(亀甲に白抜きで「SN」)のマークが新たに加えられた。- 一部の記事(一部一般スポーツ、芸能、社会など)で欄外端(奇数ページ=左端、偶数ページ=右端)にその頁掲載記事についての関連の一口メモ的な1行記事が掲載されている場合がある。
出版社の日本スポーツ出版社、日本スポーツ企画出版社と関係があるように誤解されやすいが、それらとの資本・人材関係は一切持っていない。- カナダのサイト『PressDisplay』にて紙面を閲覧することができる(有料)。ただし、一部の広告は掲載されない。
- 大阪のMBSラジオでは、特別番組の際にスポーツニッポン新聞社がスポンサーに付くことが多い。提供スポンサー読みは「スポーツ紙のトップランナー・スポーツニッポン」と呼んでいる。ちなみに、同局で流れているスポニチのCMは、フリーアナウンサーの子守康範がMBSアナウンサー時代に収録したものである。
- 2012年5月18日、38歳の女性記者が無免許運転で人身事故を起こし、自動車運転過失傷害と道交法違反(無免許運転)の現行犯で4月に逮捕されていた事が判明する[18]。
- 2008年3月までお笑いコンビの「レム色」で活動していた渡辺剛太が、2009年4月に東京本社へ入社した。東京本社編集センター、福島支局への勤務を経て、2014年10月からスポーツ部の記者としてプロ野球を担当している。プロ野球の春季キャンプを初めて取材した2015年2月には、スポニチアネックスで「キャンプ 上から下から」という記事を連載。「元・回文芸人記者」という肩書で日本プロ野球全12球団の一軍キャンプ地を訪れるとともに、「レム色」時代の十八番でもあった回文とイラストでキャンプの模様を報告していた[19]。
- 2016年のシーズンより必ず1面には、阪神タイガース金本知憲監督の直筆で、その年の書が披露されている(同年の書は「超変革」17年の書は「挑む」18年の書は「執念」いずれも毛筆とサインペンで書かれている)。
物議を醸した報道
スポーツニッポンは、過去にも物議を醸した報道を起こしている。
1994年(平成6年)4月21日のTMN(当時:現TM NETWORK)のデビュー10周年であったこの日限りでのプロジェクト終了を、朝刊での紙面発表5日前にいち早くスクープした。
1996年(平成8年)10月から1997年(平成9年)3月にかけ、サンケイスポーツが発行している競馬専門紙『競馬エイト』に掲載されている調教コメントの大部分をスポニチ東京本社版の競馬面で剽窃していた[20]。いつも記事が似通っていることに疑念を抱いていたサンスポ側はスポニチ側に調査を申し入れ、その結果サンスポ側が各調教師に確認したところスポニチ側からは取材を受けていないことが発覚。さらにスポニチ側も記事の剽窃を認めサンスポ側に全面謝罪しスポニチの紙面で謝罪文を掲載した(この謝罪文はサンスポでも取り上げられていた)。これにより一部の役員が剽窃の責任を取って辞職したほか、当時TBS系で放送されていた報道情報番組「ブロードキャスター」(2008年(平成20年)9月番組終了)で行われていた翌日のスポニチの紙面を紹介するコーナーも打ち切りとなり、同時に出演していた同紙記者(当時)の大隅潔も降板した。
野村克也の阪神タイガース監督最終年の2001年(平成13年)に野村監督に対する批判記事の度が過ぎていると批判された。南海ホークス時代の鶴岡一人(監督辞任後スポニチ専属評論家だった)との確執に端を発する問題で、南海兼任監督時代の1977年(昭和52年)、大阪府豊中市の自宅マンションに泥棒が入ったことで当時愛人関係にあった沙知代夫人との同棲が発覚し大スクープとなった。さらに同年9月、球団が野村監督の解任を決定したことをいち早くすっぱ抜いたという経緯もあった。大阪本社による野村批判は、年を追う毎に他紙と比較しても異常な出稿量となり、ついには自社の読者投稿欄や阪神の公式サイト掲示板の野村批判まで利用(当時かなり少数派だった野村批判の書き込みを「殺到」と表現)した記事内容と、過剰なまでの世論誘導を行ったことから、球団社長(当時)の野崎勝義が「事実に反する内容で遺憾であります」とコメントし、2001年(平成13年)7月、阪神球団サイドよりスポーツニッポンの記者側へ取材禁止処置がとられる程に発展した。同年シーズンオフ、野村監督が辞任したため沈静化していった。野村監督の後に阪神の監督に就任した星野仙一は打撃チーフコーチに田淵幸一を招聘した理由の一つに「タイガースが長年頭を痛めていたスポニチとの対立も、スポニチの専属評論家だった田淵の出現で雪解けのタイミングを迎えられる。マスコミとの無用な摩擦の解消。そういう希望も叶った。」と著書の中で記している[21]。
2005年(平成17年)2月22日の朝刊一面で「進藤晶子、松嶋菜々子の実兄と結婚」と報じた。その記事に追従して夕刊フジ等他のマスコミも一斉にこの話題を取り上げた。しかし、スポニチの報道直後に進藤サイドから「松嶋の実兄に会った事もありません」と否定のコメントが出され誤報であることが確定、スポニチはサイト上の記事を即座に削除し後日訂正記事を掲載した。この話題に乗っかった他のマスコミも、大慌てで記事の差し替えを余儀なくされた。誤報のきっかけは、「松嶋の実兄が進藤に似た女性と歩いていた所を目撃されたから」という説が有力だが真相は不明である。なお進藤は翌年にプロゴルファーの深堀圭一郎と結婚している。ちなみに、松嶋の実兄と結婚したのはフリーアナウンサーの孫明日香だった(のちに松嶋あすかと改名した。)。
2010年(平成22年)5月27日、サッカー日本代表のワールドカップ前による高地トレーニングについて、マラソントレーナーの小出義雄が「高地トレーニングの効果ゼロ」、「これなら低地で全力で追い込んだ方が良かったのにね」、と話したと報道[22]。しかし、その約一週間後には、関係者から小出が日本代表の高地トレーニングを否定していると言った虚偽の報道をされていることを聞き、小出自身のホームページで「今回の日本代表の練習日程は丁度いいと思いますよ」と真っ向から反論、記事によりサッカー日本代表監督(当時)の岡田武史が気を悪くしていないか心配した[23]。
2011年(平成23年)6月28日の紙面6月29日のスポニチAnnexにてイタリアのサッカーチームであるユベントスがサッカー日本代表の本田圭佑の獲得に乗り出し、クラブ間交渉が詰めの段階まで来ているとユベントス幹部が明らかにしたと報道した[24]。イタリアではそのような報道は無かったため、イタリア各紙はユベントスが本田を獲得するとスポニチを情報源として発表すると[25][26][27]、スポニチはスポニチを情報源としているイタリア各紙の報道について、イタリア各紙がユベントスが本田獲得と報道していると発表[28]した。それに対し、本田[29][30]及び代理人や[31]、本田の所属するCSKAモスクワのババエフゼネラルマネージャー[32]と移籍先であると報道されたユベントスの[33]ジュゼッペ・マロッタゼネラルマネージャーも揃って移籍を否定した。さらにスポニチは、ユベントス幹部が戦力として評価していることを明言した[34]としていたがマロッタゼネラルマネージャーは、「構想には入っていない。本田には興味がない」と発言したため[33]、スポニチの報道しているユベントス幹部が実際に存在するかは不明である。このように関係者全てに否定されたにも関わらず、約1週間後に今夏の補強の目玉や獲得を目指すユベントスなどと続報をした[35]。
2012年(平成24年)1月29日の紙面で、1週間前からイタリア紙などで報道されていた本田のセリエAのSSラツィオ移籍交渉についてスポニチはソースを明かさずに条件面とクラブ間で合意したと報道した[36]、本田のユベントス移籍交渉の報道時と同じく、海外ではそのような報道が無かったため、スポニチをソースに海外紙が本田移籍と報道[37][38][39]したが、ラツィオ技術部長のターレは29日のスカイ・スポーツのテレビインタビューにて「合意したという情報も流れているようだが、そのニュースに驚いている。交渉は続いているが、合意はしていない」と完全に否定し[40]、同時にCSKA側は本田のラツィオ入団が内定されたかのような報道に不快感を露わにした[41]。しかし翌30日に本田がイタリア入りし会長と会食しクラブの将来を話し合ったと報道するも[42]、本田が交渉中にイタリア入りした事実はなかったことが判明[43]、イタリア入りも会食も完全なスポニチ記者の先走り報道であった。結局、本田の移籍交渉は破談となったが、破談後のスポニチの記事は「「合意」と伝える一部報道もあったが、関係者によると一貫して両者の開きは大きなままだったという。」[44]というものだった。
2012年(平成24年)2月6日、ロンドンオリンピック男子サッカーの最終予選にて、2月22日のマレーシア戦に向けて京都サンガの久保裕也が秘密兵器として招集される可能性が出てきたと報道があった[45]。だが、久保はアジア最終予選の予備登録に入っていないため招集・メンバー登録し試合に出すことは不可能であり、実際に招集可能かどうかの確認を怠ってしまった。- 2012年3月10日、CSKAモスクワの本田が前半途中交代したことに対してレオニード・スルツキー監督と怒った様子で口論する場面があり指揮官との意見の相違などで交代を命じられた可能性もある、と報道した[46]。が、実際には3月9日に現地の報道でスルツキー監督がゼニト戦での怪我の調子がよくないため交代させたと話しており[47]、事実確認を怠ってしまった。
- 2015年7月15日、フジテレビアナウンサー(当時)の加藤綾子が9月いっぱいで退社すると報道があり[48]、同局社長(当時)の亀山千広が「辞めるんだったら僕に一番最初に相談すると約束しています。そんな相談はありません。」と強く否定した[49]。もっとも、2016年1月22日にはフジテレビから同年4月30日付で加藤が退社することを正式に発表した。退社の時期は異なるものの、上記の報道を大筋で裏付ける結果になった[50]。
スポニチジュニア
スポーツニッポン新聞社の大阪本社では、2010年(平成22年)2月から「子供でも読めるスポーツ紙」をキャッチコピーに『スポニチジュニア』を創刊した。紙面の内容は、日本のプロ野球や大リーグ、サッカー、ゴルフなどのスポーツを小学生にも理解するためのもので、不定期で発行している。フリーペーパー扱いになっており、本物のスポニチと同じ内容の見出しで、ブランケット判8ページで発行し、京阪神と首都圏のマクドナルドに設置されている。また、大阪・心斎橋のスポニチプラザ大阪でも扱っている。関西・関東以外の読者には、1部につき返信用の140円切手をスポニチの大阪本社もしくは東京本社に送れば、購読が可能である。
脚注
^ 株式会社毎日新聞グループホールディングスの完全子会社
^ 会社が統合される前にも旧題字を全国統一で使用していたが、2002年(平成14年)頃から大阪本社以外のエリアで現在使用している新題字を使うようになった。
^ 毎日新聞の友好紙。
^ おかげさまでスポニチ20000号、スポニチアネックス。(2004年11月保存)(インターネットアーカイブのキャッシュ)
^ 組織再編後もこれは変わらず。
^ このビル名にちなみ、同所でのイベント開催の模様が「スポニチPlaza鰻谷通信」として時折掲載されている。
^ 旧・大阪本社が発行したものについては、1999年3月に改訂版が発行されている
^ 西部版の1面と裏1面の内容が基本的に東京本社版と同一であるため(一部例外あり)。一方、大阪本社版は1面に阪神タイガース関連の記事を載せることが多く、紙面構成上での独自性が強い。
^ 発行元表記は単に「西部」。
^ 旧西部本社は2009年(平成21年)6月まで、毎日西部会館(北九州市小倉北区紺屋町13-1)にあった。その後組織上は福岡総局を吸収しつつ場所をここに移転。だが本社としては約1年と短命であった。
^ 2003年(平成15年)から2007年(平成19年)まで毎日新聞中部本社等再開発工事により、同じ中村区名駅の三井ビル北館に暫定移転していた。
^ NHK総合 - どーもくん、NHK Eテレ - ななみちゃん、MBS - らいよんチャン、ABC - エビシー、カンテレ - ハチエモン、読売 - ウキキ、大阪 - たこるくん、サン - おっ!サン
^ 高田高 奥村部長あらためて自らに問う 教師として被災した意味 - 復興へのプレーボール~陸前高田市・高田高校野球部の1年(2016年3月10日)
^ 3月11日は『東日本大震災から○年 スポニチは復興の「今」と「これから」を伝え続けます』。3月12日は『震災から○年 スポニチは復興への歩みを伝え続けます』。(いずれも○には震災発生からの年数)
^ 購読についてスポーツニッポン
^ 外部リンク写真の1頁の記事が1979年日本シリーズ第4戦、広島が近鉄に勝利した試合の記事が掲載されていることでわかる)新関西最終号の1面(右は1991年に廃刊した関西新聞の最終号。新関西との関係はない)
^ 主要全国発売レースと近畿圏の全てのレースに対応
^ スポニチの女性記者が無免許で73歳女性はねる 4月に逮捕、すでに釈放 MSN産経 2012年5月18日[リンク切れ]によると、平成15年に違反点数の累積で免許を取り消されており、9年以上無免許のまま車を運転していたとのこと。
^ 「元・回文芸人記者」が見るキャンプ、ソフトバンク編「うそ!?工藤独走!?」 (スポニチアネックス2015年2月2日付記事)
^ 『新版競馬歴史新聞』 p236 「スポニチがエイトの記事を無断転用」(競馬歴史新聞編集委員会編、日本文芸社、2004年、ISBN 4-537-25205-7)
^ 星野仙一著、夢 命を懸けたV達成への647日、2003年、角川書店、P175-P176
^ 岡田ジャパンの高地トレーニングは無意味!? サポティスタ2010年5月28日
^ 小出監督「今回の日本代表の練習日程は丁度いい」 サポティスタ 2010年6月9日
^ ユーベ幹部“全力獲り”明言「近日中に発表も」スポニチAnnex 2011年6月29日
^ La Juve vuole Honda e tratta con il Cska Corriere dello sport.it 6月28日
^ Dal Giappone sicuri: «La Juve vuole Honda» Tuttosport6月28日
^ Juve, Aguero si avvicina L'idea nuova è Honda La Gazzetta dello Sport 6月28日
^ “ユベントス本田”地元イタリア各紙も一斉報道 スポニチAnnex 2011年6月30日
^ 本田がユーベ移籍報道を否定「誰が?」 nikkansports.com 2011年6月29日
^ 本田「トンネルを抜けた」移籍情報には苦笑い サンスポ 2011年6月29日
^ 本田の代理人がユヴェントスやアーセナル移籍を否定「オファーはない」 本田の代理人がユヴェントスやアーセナル移籍を否定「オファーはない」 SOCCER KING 2011年6月29日
^ 本田にユーベ接触「ない」GM断言! サンスポ.com 2011年7月1日
- ^ abユーベGMが断言「本田には興味がない」 スポーツ報知 2011年7月2日
^ 名門幹部がベタボレ「本田はまさにユベントスに値する選手」 スポニチAnnex 2011年6月29日
^ CSKAモスクワ 本田移籍でユベントスに破格の要求!スポニチAnnex2011年7月7日
^ 本田 背番号は「10」 14億円で完全移籍 スポニチannex 2012年1月29日
^ Per i giapponesi ormai è fatta: "Honda è della Lazio!"...Tare: "Stiamo trattando con i russi...Il QPR ci ha chiesto Cisse" lalaziosiamonoi 2012年1月29日
^ В Японии уверены: Хонда перейдет в "Лацио" Спорт-Экспрес 2012年1月29日
^ Stampa giapponese: Honda è della Lazio calciomercato.com 2012年1月29日
^ ラツィオ側「本田合意まだ」日刊スポーツ 2012年1月29日
^ 本田、ラツィオ移籍破談も スポーツ報知 1月30日
^ ラツィオ指揮官 本田を歓迎「国際レベルの選手」 スポニチAnnex 2012年1月30日
^ 日刊スポーツ 2012年2月1日
^ 本田移籍破談の背景に…安売り拒むCSKAと欧州クラブの懐具合 スポニチAnnex 2012年2月1日
^ U23に秘密兵器 次戦マレーシア戦で京都・久保招集へ スポニチAnnex 2012年2月6日
^ 本田 2戦連続アシストも途中交代…無言で立ち去る スポニチアネックス 2012年3月10日
^ Слуцкий: Хонда не смог оправиться от повреждения, полученного в игре с "Зенитом" Чемпионат.com 2012年3月9日
^ カトパン、9月いっぱいでフジ退社…「めざまし」降板 フリー転身 スポニチアネックス 2015年7月15日
^ フジ亀山千広社長「カトパン9月退社」強く否定!10月1日からも同じようにMCやってる
^ 加藤綾子アナ フジ退社を発表「走り続けた8年間 ゆっくり日常を歩みたい」 スポニチアネックス 2016年1月22日
関連項目
スポニチクリエイツ - かつてのスポニチテレビニュース社で、スポーツニッポン新聞社の子会社である。- 王将戦
全日本軟式野球連盟(天皇賜杯全日本軟式野球大会、高円宮杯全日本学童軟式野球大会などを主催)
ジャパンオープンボウリング選手権(1977年(昭和52年)から2010年(平成22年)まで主催していた)- スポーツニッポン賞京都金杯
- スポーツニッポン賞ステイヤーズステークス
東京放送ホールディングス
- TBSテレビ
阿久悠(スポニチ客員。1979年(昭和54年)から2006年(平成18年)まで全国高等学校野球選手権大会の開催期間中、エッセイ「甲子園の詩」を連載した。)
有本義明(スポニチ記者を歴任したスポーツライター・野球評論家)
コジロー(漫画『いも虫ランド』を連載中)
比嘉愛未(2008年、創刊60周年のイメージキャラクターを務めた)
今田耕司(2009年度のイメージキャラクター。「スポニチ特別編集局長」の肩書でスポニチ紙上にコラムを執筆。)
栗山英樹(野球面に週1回コラム『熱中先生』を連載。2011年1月20日付紙面で連載700回を迎えた。)
情報ライブ ミヤネ屋(読売テレビ制作・日本テレビ系列)-火曜日に東京本社文化社会部の川田一美津編集委員、小池聡デスク、阿部公輔デスクが交代でレギュラー出演。
今日感テレビ(RKB毎日放送)- 水曜日の芸能コーナーに東京本社の宮嶋極文化社会部長がコメンテーターとしてレギュラー出演。
せやねん!(毎日放送)- 土曜日午前から午後にかけて放送されている生情報番組。本紙がスポーツ・芸能関係の取材で独自に得た情報を提供するほか、本紙大阪本社編集局の管理職が代々レギュラーで出演している。
ミス日本 - ミス日本コンテストを初めとする各種プロモーション活動を和田研究所と共に主催、スポニチウェブサイト内に同コンテストの公式サイトを開設するほか、紙面でもそのプロモーションの模様が掲載されている。
レム色 - 東京本社記者の渡辺剛太がかつて活動していたお笑いコンビで、渡辺は2008年3月の解散を機に入社した。
石田敦子 (漫画家) - 『ヤングキングアワーズ』(少年画報社)にてスポニチを舞台にした漫画作品『野球プラス+!』を連載中。
外部リンク
- スポニチアネックス
ウィキニュースに関連記事があります。ステイヤーズステークスの2015年第49回はアルバートが勝利【2015年12月9日】
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