ヨン・ダール・トマソン
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名前 | ||||||
愛称 | ゴールの外科医 | |||||
ラテン文字 | Jon Dahl Tomasson | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | デンマーク | |||||
生年月日 | (1976-08-29) 1976年8月29日(42歳) | |||||
出身地 | コペンハーゲン | |||||
身長 | 183cm | |||||
体重 | 77kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW (ST, CF) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1992-1994 | キューゲ | 48 | (28) | |||
1994-1997 | ヘーレンフェーン | 78 | (37) | |||
1997-1998 | ニューカッスル | 23 | (3) | |||
1998-2002 | フェイエノールト | 122 | (55) | |||
2002-2005 | ミラン | 76 | (22) | |||
2005-2007 | シュトゥットガルト | 30 | (8) | |||
2007-2008 | ビジャレアル | 36 | (7) | |||
2008-2011 | フェイエノールト | 37 | (20) | |||
通算 | 450 | (180) | ||||
代表歴 | ||||||
1992 | デンマーク U-16 | 3 | (2) | |||
1992 | デンマーク U-17 | 8 | (8) | |||
1993-1995 | デンマーク U-19 | 16 | (12) | |||
1995-1997 | デンマーク U-21 | 10 | (5) | |||
1996 | デンマーク B | 1 | (0) | |||
1997-2010 | デンマーク [1] | 112 | (52) | |||
監督歴 | ||||||
2012-2013 | エクセルシオール (アシスタント) | |||||
2013 | エクセルシオール | |||||
2014 | ローダ | |||||
2015-2016 | フィテッセ (アシスタント) | |||||
2016- | デンマーク代表 (アシスタント) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ヨン・ダール・トマソン(Jon Dahl Tomasson、1976年8月29日 - )は、デンマーク・コペンハーゲン出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。元デンマーク代表。
目次
1 経歴
1.1 クラブ
1.2 デンマーク代表
1.3 指導者として
2 評価
3 エピソード
4 人物
5 個人成績
5.1 クラブでの出場記録
5.2 代表での得点
6 タイトル
6.1 クラブ
6.2 個人
7 脚注
8 外部リンク
経歴
クラブ
キューゲBKの下部組織でサッカーを学び、1992年11月に16歳でトップチームに昇格でキャリアをスタート。1994年12月、オランダのSCヘーレンフェーン移籍すると2年目にレギュラーに定着しコンスタントに得点を重ね、1996年にはデンマーク年間最優秀若手選手に選ばれた。
ヘーレンフェーンで3シーズンを過ごした後、1997年にイングランドのニューカッスル・ユナイテッドFCに移籍するも、リーグ戦23試合で3得点と結果を残すことは出来ず。翌1998年にはフェイエノールトに移籍すると初年度にオランダ・リーグ優勝、2001-02シーズンのUEFAカップ決勝のボルシア・ドルトムント戦では決勝点になる3点目を挙げる活躍などで優勝に貢献した。
2002年にイタリアのACミランへ移籍。当時のチームにはウクライナ代表のアンドリー・シェフチェンコやイタリア代表のフィリッポ・インザーギが在籍していたこともあり、スタメンでの出場は叶わなかったが、スーパーサブとしてUEFAチャンピオンズリーグ 2002-03優勝や2003-04 セリエA優勝に貢献。トマソン自身はサッカー人生において思い出深い出来事としてフェイエノールトでのUEFAカップ優勝とACミランでのチャンピオンズリーグ優勝の双方を挙げている[2]。
2004-05シーズン終了後にドイツ・ブンデスリーガのVfBシュトゥットガルトに移籍し、2007年冬の移籍市場でスペインのビジャレアルCFにレンタル移籍。欧州主要4リーグ(イタリア・セリエA、イングランド・プレミアリーグ、スペイン・リーガ・エスパニョーラ、ドイツ・ブンデスリーガ)でプレーした経験のある5人目の選手となった(他4人はフロリン・ラドチョウ、ゲオルゲ・ポペスク、アベル・シャヴィエル、ピエール・ウォメ)[3]。 2007-08シーズンからは完全移籍となった。
2008-09シーズンには古巣であるフェイエノールトへと復帰を果たし[4]、2009年4月26日のADOデン・ハーグ戦でエールディビジ通算100得点を達成した。2010-11シーズンは右足の怪我のため出場機会はなく、2011年5月に医師から「復帰までに全治3カ月かかり、その後再びピッチに立てる保証はない」と診断されたことを受けて、同年6月7日に現役引退を発表した[2]。
デンマーク代表
デンマーク代表としては1997年3月のクロアチア戦で代表デビュー[1]し、1999年6月9日に行われたUEFA EURO 2000予選のウェールズ戦で代表初得点を決めた[1]。UEFA EURO 2000では無得点だったが、2002 FIFAワールドカップグループリーグ第1戦のウルグアイ戦で2得点、第2戦のセネガル戦と第3戦のフランス戦で1得点ずつを決め合計4得点をあげグループ首位でのベスト16進出に貢献し、自身も大会得点ランキングの4位になった。UEFA EURO 2004でもグループリーグ第2戦のブルガリア戦で1得点、第3戦のスウェーデン戦で2得点の合計3得点をあげベスト8進出に貢献した。
代表チームでは主将を務め精神的支柱としてチームを牽引し[5]、2008年2月6日のスロベニアとの親善試合でポウル・ニールセンの持つ歴代最多代表通算52得点に1得点と迫った[1]が、選手としてのピークが過ぎていたこともあり[5]、その後2年間近く無得点に終わった。2010 FIFAワールドカップグループリーグ第3戦の日本戦の81分にPKから得点を決め[6]、歴代最多得点記録に並んだが、デンマークはこの試合に1-3で敗れグループリーグ敗退。2010年8月8日に代表からの引退を表明した[7]。国際Aマッチ112試合出場は歴代2位[8]
、52得点は前述の通りポウル・ニールセンと共に歴代最多記録である[8]。
指導者として
2011年6月6日、ワールドカップの終了後引退をすることを表明し、2011-12シーズンからSBVエクセルシオールのアシスタントコーチに就任することが発表された。
2013年6月17日、エクセルシオールの監督に就任した[9]。
2013年12月26日、14位で残留争いに苦しみ、ルート・ブロートをシーズン途中で解任していたローダJCからのオファーを受けて、ジュピラー・リーグ7位のエクセルシオールを去ってローダJCの監督に就任した[10]ものの、結局エクセルシオールは新監督マリヌス・ダイクハイゼンのもとで後半戦立て直しに成功し、リーグ戦3位から入れ替え戦を経て昇格に成功。一方でローダJCは後半戦15試合でわずか勝ち点11とさらに失速し、最下位で降格。トマソンはシーズン後に解任された[11]。
2015年6月19日、フィテッセのアシスタントコーチに就任した[12]。
2016年3月7日、アシスタントコーチとしてオーゲ・ハレイデ率いるデンマーク代表に復帰した[13]。
評価
選手時代は瞬間的なスピードとポジショニングを生かして得点を重ねた[5][14]が、一方で豊富な運動量と、自ら囮となる動きで相手の守備陣を引きつけ味方の得点チャンスを生み出していた[14]。デンマーク代表時代の監督だったモアテン・オルセンからは「常に自分のプレーよりチームのことを優先して考える、究極のチームプレーヤー」と評されている[7]。
エピソード
ある日本の個人サイトに「2002 FIFAワールドカップが開催された2002年にデンマーク代表が和歌山で合宿を行った際に、トマソンと聴覚に障害を持つ地元の少年との間で心温まる交流があった」とするエピソード[14]が掲載され、インターネットを中心に話題となり、2006年4月に、このストーリーを綴った『少年とストライカーと約束』が双葉社より出版された[15]。トマソンには、聴覚に障害のある姉がいて、その結果、トマソンは手話ができるという設定だった。
しかし、2010年5月にNHKで放送された2010 FIFAワールドカップ関連番組[16][17]の中で、インタビューを受けたトマソン本人が「その話は知らない。私は手話もできないし、一人っ子です」と否定。番組内で「このストーリーはフィクションでした」と結論付けた。
人物
引退後は故郷のデンマークには戻らず、オランダで暮らしている。
個人成績
クラブでの出場記録
- 2010年10月18日時点[18][19][20][21][22][23]
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグ杯 | 国際大会 | 通算 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
デンマーク | リーグ | DBU杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
1992 | ケーエ | ダニッシュ | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | 2 | 0 |
1993 | 15 | 5 | 5 | 5 | - | - | 0 | 0 | 20 | 10 | ||
1994 | 31 | 23 | 2 | 4 | - | - | 0 | 0 | 33 | 27 | ||
オランダ | リーグ | KNVB杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
1994-95 | ヘーレンフェーン | エールディヴィジ | 16 | 5 | 2 | 1 | - | - | 0 | 0 | 18 | 6 |
1995-96 | 30 | 14 | 1 | 0 | - | - | 0 | 0 | 31 | 14 | ||
1996-97 | 32 | 18 | 6 | 6 | - | - | 0 | 0 | 38 | 24 | ||
イングランド | リーグ | FAカップ | FLカップ | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
1997-98 | ニューカッスル | プレミア | 23 | 3 | 2 | 0 | 3 | 1 | 7 | 0 | 35 | 4 |
オランダ | リーグ | KNVB杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
1998-99 | フェイエノールト | エールディヴィジ | 33 | 13 | 3 | 1 | - | - | 2 | 2 | 38 | 16 |
1999-00 | 28 | 10 | 1 | 0 | - | - | 11 | 4 | 40 | 14 | ||
2000-01 | 31 | 15 | 2 | 1 | - | - | 2 | 1 | 35 | 17 | ||
2001-02 | 30 | 17 | 1 | 1 | - | - | 7 | 4 | 38 | 22 | ||
イタリア | リーグ | イタリア杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2002-03 | ACミラン | セリエA | 20 | 4 | 7 | 4 | - | - | 10 | 3 | 37 | 11 |
2003-04 | 26 | 12 | 4 | 2 | - | - | 7 | 1 | 37 | 15 | ||
2004-05 | 30 | 6 | 3 | 2 | - | - | 6 | 1 | 39 | 9 | ||
ドイツ | リーグ | DFBポカール | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2005-06 | シュトゥットガルト | ブンデス | 26 | 8 | 2 | 1 | 3 | 0 | 6 | 2 | 37 | 11 |
2006-07 | 4 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | 1 | ||
スペイン | リーグ | 国王杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2006-07 | ビジャレアル | ラ・リーガ | 11 | 4 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | 11 | 4 |
2007-08 | 25 | 3 | 4 | 0 | - | - | 8 | 5 | 37 | 8 | ||
オランダ | リーグ | KNVB杯 | リーグ杯 | ヨーロッパ | 通算 | |||||||
2008-09 | フェイエノールト | エールディヴィジ | 13 | 9 | 0 | 0 | - | - | 1 | 0 | 14 | 9 |
2009-10 | 24 | 11 | 4 | 1 | - | - | 0 | 0 | 28 | 12 | ||
2010-11 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
リーグ | リーグ | カップ | リーグ杯 | 国際大会 | 通算 | |||||||
通算 | デンマーク | 48 | 28 | 7 | 9 | - | - | 0 | 0 | 55 | 37 | |
オランダ | 237 | 112 | 20 | 11 | - | - | 23 | 11 | 280 | 134 | ||
イングランド | 23 | 3 | 2 | 0 | 3 | 1 | 7 | 0 | 35 | 4 | ||
イタリア | 76 | 22 | 14 | 8 | - | - | 23 | 5 | 113 | 35 | ||
ドイツ | 30 | 8 | 4 | 2 | 3 | 0 | 6 | 2 | 43 | 12 | ||
スペイン | 36 | 7 | 4 | 0 | - | - | 8 | 5 | 48 | 12 | ||
総通算 | 450 | 180 | 51 | 30 | 6 | 1 | 67 | 23 | 574 | 234 |
これ以外の重要な試合としては、1999年のオランダ・スーパーカップ(フェイエノールト、1試合出場1得点)、2003年のインターコンチネンタルカップ(ACミラン、1試合出場1得点)、2004年のスーペルコッパ・イタリアーナ(ACミラン、1試合出場0得点)、2009年のUEFAヨーロッパリーグ出場プレーオフ(フェイエノールト、2試合出場1得点)などがある。
代表での得点
52得点を挙げており、ポウル・ニールセンと並んでデンマーク代表最多得点記録を保持している[24]。
代表 | UEFA欧州選手権 | FIFAワールドカップ | UEFA欧州選手権予選 | FIFAワールドカップ予選 | 親善試合 | 通算 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
デンマーク | 7 | 3 | 6 | 5 | 24 | 19 | 31 | 10 | 44 | 15 | 112 | 52 |
デンマーク代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1997 | 4 | 0 |
1998 | 3 | 0 |
1999 | 8 | 6 |
2000 | 11 | 3 |
2001 | 9 | 4 |
2002 | 12 | 10 |
2003 | 8 | 4 |
2004 | 14 | 8 |
2005 | 10 | 3 |
2006 | 6 | 5 |
2007 | 11 | 7 |
2008 | 6 | 1 |
2009 | 5 | 0 |
2010 | 5 | 1 |
通算[24] | 112 | 52 |
スコアと結果はデンマーク代表の数字を左側に示している[24]。
# | 日時 | 場所 | 相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1999-06-09 | リヴァプール | ウェールズ | 1–0 | 2–0 | UEFA EURO 2000予選 |
2 | 1999-09-04 | コペンハーゲン | スイス | 2–1 | 2–1 | UEFA EURO 2000予選 |
3 | 1999-09-08 | ナポリ | イタリア | 3–2 | 3–2 | UEFA EURO 2000予選 |
4 | 1999-11-13 | テル・アビブ | イスラエル | 1–0 | 5–0 | UEFA EURO 2000予選 |
5 | 1999-11-13 | テル・アビブ | イスラエル | 2–0 | 5–0 | UEFA EURO 2000予選 |
6 | 1999-11-17 | コペンハーゲン | イスラエル | 3–0 | 3–0 | UEFA EURO 2000予選 |
7 | 2000-03-29 | レイリア | ポルトガル | 1–0 | 1–2 | 親善試合 |
8 | 2000-06-03 | コペンハーゲン | ベルギー | 1–0 | 2–2 | 親善試合 |
9 | 2000-09-02 | レイキャヴィーク | アイスランド | 1–1 | 2–1 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
10 | 2001-05-25 | コペンハーゲン | スロベニア | 2–0 | 3–0 | 親善試合 |
11 | 2001-06-02 | コペンハーゲン | チェコ | 2–1 | 2–1 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
12 | 2001-09-05 | ソフィア | ブルガリア | 1–0 | 2–0 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
13 | 2001-09-05 | ソフィア | ブルガリア | 2–0 | 2–0 | 2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
14 | 2002-04-17 | コペンハーゲン | イスラエル | 2–0 | 3–1 | 親善試合 |
15 | 2002-05-17 | コペンハーゲン | カメルーン | 2–0 | 2–1 | 親善試合 |
16 | 2002-06-01 | 蔚山 | ウルグアイ | 1–0 | 2–1 | 2002 FIFAワールドカップ |
17 | 2002-06-01 | 蔚山 | ウルグアイ | 2–1 | 2–1 | 2002 FIFAワールドカップ |
18 | 2002-06-06 | 大邱 | セネガル | 1–0 | 1–1 | 2002 FIFAワールドカップ |
19 | 2002-06-11 | 仁川 | フランス | 2–0 | 2–0 | 2002 FIFAワールドカップ |
20 | 2002-09-07 | オスロ | ノルウェー | 1–0 | 2–2 | UEFA EURO 2004予選 |
21 | 2002-09-07 | オスロ | ノルウェー | 2–1 | 2–2 | UEFA EURO 2004予選 |
22 | 2002-10-12 | コペンハーゲン | ルクセンブルク | 1–0 | 2–0 | UEFA EURO 2004予選 |
23 | 2002-11-20 | コペンハーゲン | ポーランド | 1–0 | 2–0 | 親善試合 |
24 | 2003-02-12 | カイロ | エジプト | 2–1 | 4–1 | 親善試合 |
25 | 2003-03-29 | ブカレスト | ルーマニア | 3–2 | 5–2 | UEFA EURO 2004予選 |
26 | 2003-09-10 | コペンハーゲン | ルーマニア | 1–0 | 2–2 | UEFA EURO 2004予選 |
27 | 2003-11-16 | マンチェスター | イングランド | 3–2 | 3–2 | 親善試合 |
28 | 2004-05-30 | タリン | エストニア | 1–0 | 2–2 | 親善試合 |
29 | 2004-06-18 | ブラガ | ブルガリア | 1–0 | 2–0 | UEFA EURO 2004 |
30 | 2004-06-22 | ポルト | スウェーデン | 1–0 | 2–2 | UEFA EURO 2004 |
31 | 2004-06-22 | ポルト | スウェーデン | 2–1 | 2–2 | UEFA EURO 2004 |
32 | 2004-10-09 | ティラナ | アルバニア | 2–0 | 2–0 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
33 | 2004-10-13 | コペンハーゲン | トルコ | 1–0 | 1–1 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
34 | 2004-11-17 | トビリシ | ジョージア | 1–0 | 2–2 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
35 | 2004-11-17 | トビリシ | ジョージア | 2–1 | 2–2 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
36 | 2005-08-17 | コペンハーゲン | イングランド | 2–0 | 4–1 | 親善試合 |
37 | 2005-09-07 | コペンハーゲン | ジョージア | 4–1 | 6–1 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
38 | 2005-10-12 | アルマトイ | カザフスタン | 2–0 | 2–1 | 2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選 |
39 | 2006-05-27 | オーフス | パラグアイ | 1–1 | 1–1 | 親善試合 |
40 | 2006-09-01 | ブロンビー | ポルトガル | 1–0 | 4–2 | 親善試合 |
41 | 2006-09-06 | レイキャヴィーク | アイスランド | 2–0 | 2–0 | UEFA EURO 2008予選 |
42 | 2006-10-11 | ファドゥーツ | リヒテンシュタイン | 3–0 | 4–0 | UEFA EURO 2008予選 |
43 | 2006-10-11 | ファドゥーツ | リヒテンシュタイン | 4–0 | 4–0 | UEFA EURO 2008予選 |
44 | 2007-02-06 | ロンドン | オーストラリア | 1–0 | 3–1 | 親善試合 |
45 | 2007-02-06 | ロンドン | オーストラリア | 3–0 | 3–1 | 親善試合 |
46 | 2007-06-02 | コペンハーゲン | スウェーデン | 2–3 | 中止 | UEFA EURO 2008予選 |
47 | 2007-09-12 | オーフス | リヒテンシュタイン | 3–0 | 4–0 | UEFA EURO 2008予選 |
48 | 2007-10-13 | オーフス | スペイン | 1–2 | 1–3 | UEFA EURO 2008予選 |
49 | 2007-10-17 | コペンハーゲン | ラトビア | 1–0 | 3–1 | UEFA EURO 2008予選 |
50 | 2007-11-21 | コペンハーゲン | アイスランド | 2–0 | 3–0 | UEFA EURO 2008予選 |
51 | 2008-02-06 | ツェリェ | スロベニア | 1–0 | 2–1 | 親善試合 |
52 | 2010-06-24 | ルステンブルク | 日本 | 1–2 | 1–3 | 2010 FIFAワールドカップ |
タイトル
クラブ
- フェイエノールト
エールディヴィジ : 1998-99
ヨハン・クライフ・シャール : 1998-99
UEFAカップ : 2001-02
- ACミラン
コッパ・イタリア : 2002-03
UEFAチャンピオンズリーグ : 2002-03
セリエA : 2003-04
スーペルコッパ・イタリアーナ : 2004
個人
- U-19デンマーク最優秀選手賞 : 1994
- デンマーク最優秀若手選手賞 : 1996
オランダ年間若手最優秀選手賞: 1996
デンマーク最優秀選手賞 : 2002, 2004
2002 FIFAワールドカップ ブロンズ・ブーツ (得点ランキング3位)
UEFA EURO 2004 オールスターチーム
脚注
- ^ abcd“Jon Dahl Tomasson - Century of International Appearances”. RSSSF.com. http://www.rsssf.com/miscellaneous/tomasson-intlg.html 2011年6月16日閲覧。
- ^ ab“トマソンが「輝かしいサッカー人生」に終止符”. UEFA.com. (2011年6月7日). http://jp.uefa.com/memberassociations/association=ned/news/newsid=1640343.html 2011年6月16日閲覧。
^ “Striker Tomasson heading to Villareal on loan”. ESPN Soccernet. (2007年1月24日). http://soccernet.espn.go.com/news/story?id=404501&cc=3888 2011年6月16日閲覧。
^ “トマソン、フェイエノールトに復帰”. UEFA.com. (2008年7月2日). http://jp.uefa.com/news/newsid=729960.html 2011年6月16日閲覧。
- ^ abc“時事ドットコム:ワールドカップ 南アフリカ大会 選手名鑑【デンマーク】ヨン・ダール・トマソン”. 時事ドットコム. http://www.jiji.com/jc/wcup?id=wcup_s_africa&p=main_player_denmark_02 2011年6月16日閲覧。
^ “日本、デンマークを下し決勝トーナメント進出 W杯”. AFPBB News. (2010年6月25日). http://www.afpbb.com/article/sports/soccer/soccer-others/2737491/5912229 2011年6月16日閲覧。
- ^ ab“トマソン、デンマーク代表引退を表明”. UEFA.com. (2010年8月9日). http://jp.uefa.com/uefaeuro2012/news/newsid=1511529.html 2011年6月16日閲覧。
- ^ ab“Denmark - Record International Players”. RSSSF.com. http://www.rsssf.com/miscellaneous/den-recintlp.html 2011年6月16日閲覧。
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^ 少年とストライカーと約束 著:上井建治 株式会社双葉社
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外部リンク
デンマークサッカー協会による紹介(デンマーク語)
国際サッカー連盟による紹介(英語)
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