コンパイル (企業)
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2016年8月) |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 | 日本 東京都台東区東上野4丁目17番7-206号 |
設立 | 1982年4月7日 |
業種 | 情報・通信業 |
事業内容 | コンピュータゲーム制作 |
資本金 | 9700万円 |
発行済株式総数 | 1850株 |
関係する人物 | 仁井谷正充(創業者) |
特記事項:2002年12月8日解散、2003年11月6日破産宣告、2004年2月17日破産廃止。 |
株式会社コンパイルは、かつて存在した日本のソフトウェア開発会社。
コンピューターゲームの制作会社として知られ、1990年代に落ち物パズルゲーム『ぷよぷよ』で一世を風靡したことで知られるが、放漫経営が祟り後に経営破綻。2004年に破産廃止し、企業としては消滅した。経営破綻後に業務を受け継いだ企業や、人的な意味でコンパイルの流れを汲む会社については、#関連企業の節などを参照。
現在コンパイルが生み出したゲームのIPは、幾つかの別企業が分割・継承している。代表的なものは下記の通り(その他は、#コンパイルのゲーム等を引き継いだ企業を参照)。
セガゲームス - 『ぷよぷよ』ゲームシリーズ全般のIPを継承。
M2 - 『アレスタ』シリーズ全般のIPを継承[1]。
キャッチコピーは「の〜みそ コネコネ コンパイル」であった。
目次
1 沿革
1.1 会社設立
1.2 ぷよぷよによる躍進
1.3 急激な拡大路線による経営悪化
1.4 和議による規模縮小
1.5 経営再建の失敗
2 破産後の動向
2.1 新会社の設立
2.2 コンパイルハート
2.3 近年
3 代表作
3.1 シューティングゲーム
3.2 アクションゲーム
3.3 ロールプレイングゲーム
3.4 落ち物ゲーム
3.5 テーブルゲーム
3.6 ディスクマガジン
3.7 ビジネスソフト
4 主な所属したクリエイター
4.1 代表取締役
4.2 企画・プログラマー
4.3 グラフィック
4.4 サウンドコンポーザー
4.5 退社後に著名な活動をしたクリエイター
5 その他
6 関連企業
6.1 コンパイルのゲーム等を引き継いだ企業
6.2 元社員によって設立された企業
6.3 元社員が関わる企業
7 脚注
8 外部リンク
沿革
会社設立
1982年、広島電鉄社員だった仁井谷正充が、コンピューターソフトの開発・情報誌の企画などを行うベンチャー企業として設立。古くはセガの下請けでの作品開発や移植、コンシューマゲーム機への移植[2]やゲーム開発を行なった[3]。1983年に『BEE&FLOWER』を開発した際は、「真紅ソフト」というブランド名を使ったが、以後は使用されていない。
1980年代中盤には、『ザナック』『アレスタ』など良質なシューティングゲームで名を馳せ、1988年に発刊したMSX向けの『ディスクステーション』はディスクマガジンとして13年に渡ってリリースされた。
ぷよぷよによる躍進
テトリスの世界的大ヒットにより、落ち物パズルゲームが全盛であった90年代。1992年にアーケード版が発表された『ぷよぷよ』シリーズがヒットし、ファミコンなどに移植されたこともあり、予想を遥かに超えた大ヒット作品となった。テトリスと比べて、明確かつ親しみやすいキャラクターが存在し、面クリア型のステージを攻略していくことや、2人同時プレイによる対戦を前面に推したゲーム性など、それまでにない要素がヒットの要因であった。
ブームに乗じて、カーバンクルなどゲームに関連したキャラクターグッズや、広島名物のもみじ饅頭を基に作った「ぷよまん」などの販売に手を広げ、一世を風靡した。1996年に行った自社主催のイベント「全日本ぷよマスターズ」では幕張メッセに18,000人を集めるなどユーザーとの親和を図るイベントも積極的に展開し、事実上のイベント事業としての様相も見せ、1997年3月期には売上高約69億円を計上した。
急激な拡大路線による経営悪化
「ぷよぷよシリーズ」の大ヒットを追い風に、1996年には約200人、1997年には約120人という大量の新入社員を採用し、新社屋に移転して本社を拡大。さらには、韓国にも関連企業コンパイルコリアを設立するなど、会社規模を急激に拡大していった。コンピュータソフト関連のメーカーということもあり、地元である広島県では「注目のITベンチャー企業」として頻繁に報道された。また、ビジネスソフト分野への進出も目論んで、グループウェア『パワーアクティ』の開発にも乗り出した。広島を拠点に拡大してゆくコンパイルは、全盛期にはいわば「地方ゲームメーカーの雄」とでもいうべき存在であり、株式上場や店頭登録などの噂も立つほどの勢いであった。
また、1995年にはオートバイチーム「コンパイルレーシングYAMAHA」を結成し、全日本ロードレース選手権にプライベーターとして参入(1998年和議申請の際に解散)。レースクイーンのコスチュームが同社のキャラクターである「カーバンクル」を模した、黄色を主体とした派手なものであったことでも知られる。
だが、内実を見ると、この時点のコンパイルは『ぷよぷよ』シリーズ以外に目立った看板商品が無く、その『ぷよぷよ』も仁井谷が思い描いた会社の急激な規模拡大を支えきれるほどのものではなかった。また、巨額の開発費用を投入した『パワーアクティ』の販売不振や、他にも広島市中心部での数度にわたる本社移転、企業体力を省みない人材の大量採用、過剰な宣伝広告費[4]など、いわゆる倍々ゲームを超えるペースで繰り広げられた性急過ぎた事業拡大路線の反動が起きていた。1997年度下半期から急激に資金面で経営を圧迫し始めたが、それはコンパイルの経営体力を遥かに超える、ひと度何かが狂えば短期間で経営自体を行き詰まらせてしまうほどのものであった。
和議による規模縮小
上述の『パワーアクティ』の販売不振の他にも、当初は1997年の年末商戦に投入する大型タイトルとして予定されていたセガサターン向けの『わくわくぷよぷよダンジョン』が開発難航により1998年春期に発売延期に追い込まれたことはコンパイルの財務に大打撃を与えた。1998年3月に入ると遂に資金面で窮し、最終的には3月末決済の約2億円の手形への目処が立てられず、3月18日に広島地方裁判所への和議を申請[5]し1度目の経営破綻。
負債総額は約75億円で、これは当時の日本のゲーム業界においては史上最大級となる経営破綻で、翌1999年に和議を申請したデータイーストの約33億円、ヒューマンの約37億円と比べても2倍以上、2007年に事業停止した日本テレネットの約10億円と比べても7倍以上の規模であった。その後もこれを超える規模のものは、2001年にSNKが約380億円という桁違いの大型倒産を引き起こすまで起きておらず、当時のゲーム業界におけるコンパイルの経営破綻の規模の大きさが窺い知れる。
和議申請は受理され、大量の新卒者の内定取り消しおよび大々的な社員の解雇を実施した。この時期にコンパイルから離れた社員は数多く、彼らはコンピュータゲーム業界の内外に幅広く散っていった。ケイブやエイティングなどの同業他社に移籍して再起した人物も多いが、一部には数年の雌伏を経て、アダルトゲームや同人ゲームの分野でゲーム業界に復帰して知名度を獲得し、表舞台に登場する様になった人物もおり、その中でも有名なのものとしてTYPE-MOON代表の武内崇が挙げられる。
なお、『わくわくぷよぷよダンジョン』は和議申請前に完成したものの、発売は和議申請には間に合わず、セガ(後のセガゲームス)の全面的な協力を得て発売されたのは1998年4月2日のことであった。
経営再建の失敗
和議成立後のコンパイルは、本社を広島市中心部から郊外部の佐伯郡大野町(後の廿日市市)の食品工場跡地に移転。また、この和議に際して、債務圧縮のために債権の一部放棄を受けると共に、『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権をセガ(知的財産権は2015年4月以降はセガホールディングスが保有)に譲渡。ただし、セガからコンパイルに対して2002年8月まで『ぷよぷよ』の使用許可が与えられ、ひとまずは企業再建の道を歩むかに見えた。
しかし、和議申請と共に元従業員や関係先などの発言や情報から、一連の無謀な経営や社内の問題ある実態が次々と露呈し、いわゆるワンマン社長として知られていた仁井谷の対外的信用が失墜した上に、社内システムの建て直しも不首尾に終わったことから往時の勢いは戻らなかった。そして最後まで『ぷよぷよ』に代わる新しい作品を生み出すことができなかった。
後に広島から撤退し、東京都内に残存していた東京事務所を移転集約する形で本社を埼玉県所沢市小手指町に移転。企業規模も縮小を続け、所沢への移転後は実質的にマンションの地下の1フロアに収まるほどになっていた。
2002年8月末で『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権の使用権を失い、関連商品の販売が不可能となる[6]。同月にタイトーとの業務提携により新たな落ち物パズル『ポチッとにゃ〜』の製作を発表するも[7]、その後、同年12月8日付で会社解散し活動停止。直後の同年12月25日付で本社を東京都台東区に移転した。2003年11月6日には東京地方裁判所より破産を宣告され再び経営破綻した。この時点での負債総額は約54億円。
2004年2月17日、費用不足のため破産廃止。その旨の登記が同年5月12日付でなされ、株式会社コンパイルは法人格を消滅させた。
破産後の動向
新会社の設立
破産宣告と前後して同社のメンバーにより新会社として有限会社アイキが設立され、倒産後の『ぷよぷよ』シリーズを除いたコンピュータゲーム関連の知的財産権・営業権は同社に引き継がれ、仁井谷もアイキに合流した。『ポチッとにゃ〜』は紆余曲折を経てアイキが製作を引き継いで、アーケード版はエイブルとビスコによるMulti Video Systemへの移植協力によりタイトーから、PlayStation 2版はバンダイから発売されることになり、その他ジー・モードとの提携により過去のコンパイル作品の携帯電話アプリ版の製作も行っていた。そのアイキも経営が芳しくなかったのか2007年に破産廃止。
かつてコンパイルおよびアイキが所有していたゲームコンテンツの知的財産権は(既にセガへ譲渡されていた『ぷよぷよ』シリーズを除いて)、2005年11月にD4エンタープライズに商標が継承されており、同社が運営するデジタルコンテンツ配信事業の一環として、ウェブサイト「コンパイルステーション」や「プロジェクトEGG」などでゲームコンテンツが配信されている。
コンパイルハート
2006年、元データイースト社員の桑名真吾によって、アイディアファクトリー株式会社の関連子会社としてコンパイルを社名に冠したコンパイルハートが設立され、仁井谷が開発の監修を行うとして旧コンパイルのキャッチコピーを冠したパズルゲーム『のーみそコネコネパズル たころん(発表当時の仮題)』が発表された。しかし仁井谷とコンパイルハートの関係は年内に解消され、それと同時期に同作も『のーコネパズル たころん』へと改題されている。仁井谷との決別後、当時のコンパイルハートはかつてのコンパイルとはほとんど関係のない会社となり、『アガレスト戦記』『超次元ゲイム ネプテューヌ』などコンパイルのIPに頼らない独自の展開を行っていく。
2010年、コンパイルハートはD4エンタープライズより旧コンパイル作品にまつわるコンシューマの営業権を取得し「旧コンパイルの版権を活かした展開を行う」との発表を行った。同社の公式サイトでは旧コンパイルの社ロゴがコンパイルハートと並んで表記されている。2013年にはコンパイルの代表作のひとつであった『魔導物語』シリーズの最新作として、キャラクターを一新した『〜聖魔導物語〜』を発売した。
一方、仁井谷はコンパイルハートと袂を分かった後も活動を続けており、2016年にコンパイル丸を設立している。
近年
コンパイルも、後を継いだアイキも完全消滅し、コンパイルは完全に終焉したかのように見えた。しかし、近年ぷよまん販売騒動や、D4エンタープライズのEGG MUSICから「田中勝己RARE TRACKS」「魔導物語音楽館 RETURNS PLUS」をリリース。その後、同時期にイラストレーター壱による新たな形の『魔導物語』のコミックを発表。『魔導物語』や、『ZANAC × ZANAC』の復刻販売も開始した。
また、2010年末にはコンパイルハートが、コンパイル作品の営業権利を取得。そして、2011年1月にはファンによるイベントが開催され北出和彦(北出マン)、やなせなつみ、小沢ミナコのラジオコンパイルパーソナリティーがイベントの司会を勤めた。
さらに翌月、長い間公から姿を消していた仁井谷正充がTwitter上に現れ、また、Twitterには、多くの元コンパイル社員が登録している。2011年6月16日には、iTunesで田中勝己(Minus Attack名義)の新曲が発売されるなど、当時の関係者の対外的な活動が徐々に見られる様になっている。
代表作
シューティングゲーム
- ザナックシリーズ
- ザナック(ポニーより販売)
- ザナックEX
- ZANACxZANAC
- アレスタシリーズ
- アレスタ
- アレスタ外伝 武者アレスタ(東亜プランより販売)
- アレスタ2
- ガーディックシリーズ
- ガーディック
ガーディック外伝(アイレムより販売)- ブラスターバーン
テグザー(MSX版移植担当:ゲームアーツより販売)
ガルケーブ(MSX版:ポニーより販売、SG-1000版:セガより販売)
R-TYPE(セガ・マークIII版移植担当:セガより販売)
ゼビウス ファードラウト伝説(ナムコより販売)
GUNHED(ハドソンより販売)
ガンナック(トンキンハウスより販売)
精霊戦士スプリガン(ナグザットより販売)
スプリガン mark2(ナグザットより販売)
シルフィア(トンキンハウスより販売)
アクションゲーム
ロードランナーシリーズ(MSX版移植担当:ソニーより販売)
- ロードランナー
- ロードランナーII
- チャンピオンシップロードランナー
魔界島 七つの島大冒険(MSX2版移植担当:カプコンより販売)
ロールプレイングゲーム
魔王ゴルベリアスシリーズ
- 魔王ゴルベリアス
- 真魔王ゴルベリアス
魔導物語シリーズ
クルセーダー(ポニーキャニオンより販売)
ロマンシア(ファミコン版移植担当:東京書籍より販売)
サイバーナイト(トンキンハウスより販売)
落ち物ゲーム
- ゴルビーのパイプライン大作戦
ぷよぷよシリーズ(バンプレスト、NECグループ、CSK総合研究所(現・CRI・ミドルウェア)、SNKなどからも発売)
テーブルゲーム
ルナーボール(ポニーより販売)
エイリアンクラッシュ(ナグザットより販売)
デビルクラッシュ(ナグザットより販売)
邪鬼破壊(ジャキクラッシュ)(ナグザットより販売)
ディスクマガジン
- ディスクステーション
ピーチアップ[8]
- 18禁ブランド・もものきはうすより発売。MSX2向けのアダルトゲームオンリーのディスクマガジン。
ビジネスソフト
POWER ACTY win95 コンパイル CD-ROM ※パーソナルパックと導入パックの2種類有
- 登録メンバーのスケジュール把握やメンバー同士のメールなど、ビジネスでの効率アップを目的とした、中小零細企業向けのグループウェア。実用一辺倒ではなく、ゲーム会社らしい「あそびごころ」も含まれていた。
主な所属したクリエイター
代表取締役
仁井谷正充(MOO仁井谷) 創業者・プログラマー
企画・プログラマー
- 広野隆行(じぇみに広野) - 企画・プログラマー
- 石丸忠 (WAO ISEE) - 企画・プログラマー
- 藤島聡 (PAC) - 企画・プログラマー
- 吉中圭二 - プログラマー
- たつき・けい - プログラマー
- 佐藤隊長 - プログラマー
- オカリナ惣一郎 - プログラマー
- 風になりたい - プログラマー
米光一成 - 企画- 河野上和廣 - 取締役・企画・営業・司会
- 北出和彦 - 企画・営業・司会・北出マン
- ガッツ中松 - 企画・ディレクション
- 正廣康伸 - 取締役・企画・ディレクション・あざらし君
- 北野不凡 - 企画・ディレクション
グラフィック
- JANUS寺本 - グラフィック
- 氷樹むう - グラフィック
- 平健次郎 - グラフィック
- 高本伸一郎 - グラフィック
- 森田健吾 - デザイナー
- 壱 - イラスト、キャラクターデザイン
- 村長さわ - イラスト、キャラクターデザイン
戸部淑 - イラスト、キャラクターデザイン- 渡辺孝行(ケロル) - 企画・グラフィック・ディレクション
- みふづかつかさ - イラスト、キャラクターデザイン
- ねこにゃん - イラスト、キャラクターデザイン
- 沢渡寿三郎 - イラスト、キャラクターデザイン
- 弓弦之助 - イラスト、デザイナー
サウンドコンポーザー
田中勝己 取締役・歌手・作曲・営業- 迫田敏明
- 塚本雅信 (MATS)
- 永田大祐
- 林康
- 宮本昌知 (MIYAMO)
- 松島剛史
- 南智紀 (BA.M)
- 長尾英之助
- 大成康二
- Taishow (Floppy Disco)
退社後に著名な活動をしたクリエイター
山藤武志 - 株式会社スティング代表取締役- 米光一成 - 立命館大学映像学部教授。
迫田敏明 - 音楽家。
外山雄一 - テクノソフト出身のプログラマー。エイティング取締役。
武内崇 - TYPE-MOON代表。有限会社ノーツ代表取締役。
單気筒 - 現在はこにしひろしの名で活動 イラストレーター
ねこにゃん - イラストレーター
弥穏 - 現在は輪くすさが 唖采弦二の名で活動 イラストレーター他
エナミカツミ - イラストレーター
戸部淑 - イラストレーター
ゆきみ - イラストレーター
むらさき朱 - 漫画家
三家本礼 - 漫画家
貴島煉瓦 - 漫画家
佐藤両々 - 漫画家。退社後、コンパイルをモデルとしたゲーム会社を描く『そこぬけRPG』を連載。
その他
コンパイルクラブ・コンパイルクラブ地下版- コンパイルサポートアソシエーション
- 全日本ぷよ協会
- 元祖ぷよまん本舗
- 銘菓ぷよまんと主に『ぷよぷよ』、『魔導物語』などのコンパイル関係のグッズを販売する広島本通り商店街にあった直営店。
- ももも通販
- グッズ情報、通販情報のフリーペーパー。
- コンパイル・ステーション
- レトロゲームの保護・保存から発展したD4エンタープライズのサイトの1コーナー。コンパイルのゲームがPCで遊べる。
- 全盛期に「丁稚制度」と称する新入社員育成システムを導入。ピンク色の丁稚ジャージを着用していた。
関連企業
コンパイルのゲーム等を引き継いだ企業
- 有限会社アイキ
- コンパイルの所有する『ぷよぷよ』シリーズを除いたコンピューターゲーム関連の知的財産権・営業権を引き継いだが、2005年に後述のD4エンタープライズへ諸権利を引き継ぎ、2007年に破産廃止している。当時COMクラブを発行していた。
- 株式会社D4エンタープライズ
- 2005年11月よりアイキの知的財産権・営業権を引き継いだ会社。当時ボーステックの社員だった鈴木直人が、同社よりレトロゲーム復刻・配信サービス「プロジェクトEGG」の事業譲渡を受ける形で2004年3月3日に設立。旧コンパイルのゲームソフトを扱うサイトとして「コンパイルステーション」を運営している。
- 株式会社コンパイルハート
- 2010年10月よりD4エンタープライズからコンシューマゲームの営業権[9]を取得したゲームメーカー(ライセンシー契約)[10][11]。
- 元データイースト社員が立ち上げたアイディアファクトリー株式会社の100%子会社として2006年6月に設立。設立当初、仁井谷監修のパズルゲーム『のーみそコネコネパズル たころん』を開発していたが、2006年12月5日に仁井谷との監修契約解除が発表され[12]、以降は前述の営業権を取得するまで旧コンパイルとの直接的な関連は無かった。
- 株式会社セガ
- 1998年3月よりぷよぷよシリーズ全般の知的財産権・営業権を引き継いだ会社。2015年4月1日付で、知的財産権・営業権はセガホールディングスが、開発・製造・販売はセガゲームスとセガ・インタラクティブがそれぞれ承継。
- 有限会社M2
- 取得時期は不明だが、2018年にゲーム関連企画記事webサイト「電ファミニコゲーマー」が公開した記事の中で、『アレスタ』シリーズのIPを持っている事を公にしている[1]。
元社員によって設立された企業
レボ・リューション - かつて企画本部長だった河野上和廣により設立された会社。ただし現在は、アクセスする術が途絶えてしまっている。
TYPE-MOON(有限会社ノーツ) - 元グラフィッカーの武内が設立。
マイルストーン - 元社員の木村拓史により設立された会社。プログラム・企画・音楽・グラフィック担当者も元社員が中核。ぷよぷよフィーバーのDS版も制作。
スティング - コンパイル出身の元サウンドコンポーザー山藤武志によって設立。また米光一成、迫田敏明もコンパイル退社後に所属し、同社を代表するタイトル『バロック』を手がけている。また、両氏取締役を務めた。
エンター - 元コンパイル社員の石丸忠により設立された会社。『ぷよぷよフィーバー』の開発を一部請負う。
ソフトファクトリー - 元コンパイル社員の北野不凡によって設立。現在は開発を休止中。
コンパイル丸 - 上記の通り、代表取締役だった仁井谷正充が設立。
元社員が関わる企業
エイティング - PCエンジン・メガドライブ用シューティングゲームの開発に携わったスタッフの一部が移籍。
ケイブ - かつて自社作品の発売を担当した旧東亜プランを前身とする会社。元コンパイル社員の一部が移籍。
脚注
- ^ abゲームファンが今遊びたい過去の名作とは?電ファミニコゲーマー 2018年8月30日、同8月31日閲覧。
^ FC版『太陽の神殿』など。
^ FC版『ゴジラ』など、クレジットに明示されていないタイトルも多い。
^ 仁井谷がテレビ東京の深夜番組『ギルガメッシュないと』に出演した際に『ぷよぷよ通』『ぷよぷよSUN』での販促展開では、仁井谷自らが「サタンさま」のコスプレをして各地のイベントに出演していたが、この衣装を制作するのに100万円費やしたことを公言している。
^ 「コンパイルが広島地裁に和議申請、今後はイベントを縮小しゲーム制作を柱に」。1998年3月19日、ASCII24。2007年10月20日閲覧。
^ 「コンパイル、会社組織を解散」 ジーパラドットコム、2003年1月23日。
^ 「つないで・分岐・発火! タイトーとコンパイル、新世代“落ちモノ”ゲーム『ポチッとにゃ〜』を発表」 ASCII.jp、2002年8月5日。
^ 「第2回魔導同窓会コンパイルナイトが開催決定 広島で興奮が再び」 週刊アスキーPLUS、2012年9月12日。
^ 「株式会社コンパイルハートとの業務提携について」 D4エンタープライズ、2010年10月28日。
^ 「コンパイルハートがコンパイルの営業権取得、ゲーム開発も予定」 電撃オンライン、2010年10月28日。
^ 「コンパイルハート,旧コンパイルのコンシューマゲームの営業権を,D4エンタープライズから取得と発表」 4Gamer.net、2010年10月28日。
^ 「「のーコネパズルたころん」お知らせ」 コンパイルハート、2006年12月5日。
外部リンク
- コンパイルハート
- コンパイルステーション
|