チャド
- チャド共和国
République du Tchad (フランス語)
جمهوريّة تشاد (アラビア語)
(国旗)
(国章)
- 国の標語:Unité - Travail - Progrès
(フランス語: 統一 - 労働 - 進歩)
国歌:La Tchadienne
公用語
フランス語、アラビア語
首都
ンジャメナ
最大の都市
ンジャメナ
- 政府
大統領
イドリス・デビ
首相
(廃止)
- 面積
総計
1,284,000km2(20位)
水面積率
1.9%
- 人口
総計(2012年)
12,000,000人(???位)
人口密度
7人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年)
3兆7,396億[1]CFAフラン
- GDP (MER)
合計(2008年)
83億[1]ドル(123位)
- GDP (PPP)
合計(2008年)
108億6,000万[1]ドル(161位)
1人あたり
1,656[1]ドル
独立
- 日付
フランスより
1960年8月11日
通貨
CFAフラン (XAF)
時間帯
UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1
TD / TCD
ccTLD
.td
国際電話番号
235
チャド共和国(チャドきょうわこく、フランス語: République du Tchad、アラビア語: جمهوريّة تشاد)、通称チャドは、アフリカ中央部の国家。スーダン、中央アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニジェール、リビアと国境を接する内陸国。首都はンジャメナ。
目次
1 国名
2 歴史
2.1 独立前
2.2 独立後
2.3 チャド内戦
3 政治
3.1 元首
3.2 行政
3.3 立法
3.4 司法
3.5 外交
4 経済
4.1 農業
4.2 石油・エネルギー産業
5 地理
6 地方行政区分
6.1 主要都市
7 国際関係
7.1 日本との関係
8 国民
8.1 民族
8.2 言語
8.3 宗教
8.4 教育
9 文化
10 脚注・出典
11 参考文献
12 関連項目
13 外部リンク
国名
正式名称はフランス語で République du Tchad(レピュブリク・デュ・チャド)。通称 Tchad (チャド)。アラビア語で جمهورية تشاد (Jumhūriyyat Tshād)。
公式の英語表記は Republic of Chad(リパブリック・オヴ・チャド)。通称 Chad (チャド)。
日本語の表記はチャド共和国、通称チャド。国名の由来は、アフリカ大陸中央部の湖のチャド湖にちなんでいる。
チャドは現地語で「大きな水域」という意味がある[2]。
歴史
独立前
チャド地方に最初に成立した広域帝国は、9世紀頃にチャド湖北東部のカネム地方に建国されたカネム王国である。カネム王国はサハラ交易を基盤とする国家で、南方から入手した象牙や奴隷などを主に輸出していた。11世紀にはイスラム教を受け入れたが、14世紀に本拠地を奪われ、チャド湖南西岸のボルヌ地方に遷都した(ボルヌ帝国)。しかし16世紀後半にイドリス・アローマ王が現れてカネム地方を回復し、19世紀に至るまでチャド盆地の主導勢力であり続けた。この2王国は連続性があるため、総称してカネム・ボルヌ帝国と呼ばれる。チャド湖沿岸地域を本拠としたカネム・ボルヌ帝国に対し、その西には17世紀以降ワダイ王国が、シャリ川中流域にはバギルミ王国が存在し、そのほかいくつかの小王国が存在していた。
1900年にはフランスがこの地を占領し、フランス領赤道アフリカの一部とした。1958年には自治政府が設立され、1960年にはフランソワ・トンバルバイの元で独立を達成した。
独立後
独立後、トンバルバイは与党チャド進歩党による一党制を取り、他の政党を禁止して独裁体制を敷いた。しかしトンバルバイは政権基盤のある南部のキリスト教徒を重視したため北部のイスラム教徒が反発し、1965年には内戦が勃発した。この反乱は北部のアオゾウ地帯の領土問題を抱えるリビア政府が支援していた。1975年にはフェリックス・マルームがクーデターを起こしてトンバルバイ政権を打倒したが、南部中心の政府にかわりはなく、北部の反政府軍との対立は続いた。しかし反政府軍内でもグクーニ・ウェディ派とイッセン・ハブレ派の対立が激化しており、1978年にはマルーム大統領はハブレ派との和解を行い政府内に取り込んだものの、1979年にはこの同盟は瓦解。ハブレ派が首都を制圧してマルームは亡命した[3]。
首都を制圧したハブレはグクーニ派との北部連合政権を樹立。グクーニが大統領に就任したものの、翌1980年には対立が激化して戦闘が始まり、1982年にはグクーニ政権は崩壊してハブレが首都を制圧した。グクーニ派はリビアの支援を受けて北部に度々侵攻した(「トヨタ戦争」参照)。1990年にはイドリス・デビがクーデターを起こして政権を掌握した。
チャド内戦
2006年4月13日、反政府勢力en:United Front for Democratic Change(FUC)が首都ンジャメナに侵攻(en:Battle of N'Djamena (2006))。
2008年2月2日、FUCを含む反政府勢力en:Union of Forces for Democracy and Development(UFDD)が首都ンジャメナに侵攻(en:Battle of N'Djamena (2008))。
政治
チャドは共和制をとる立憲国家である。現行憲法は1996年3月31日の国民投票により承認されたもの。世界各国の汚職を監視している非政府組織(NGO)の一つトランスペアレンシー・インターナショナル(本部ベルリン)は、2005年10月に腐敗認識指数(CPI:Corruption Perceptions Index)を発表した。対象地域は159の国と地域。発表によると、他の4か国と並んでチャドが最下位であった。
元首
国家元首である大統領は国民の直接選挙により選出され、任期は5年。再選制限は無い。
行政
首相は大統領により任命される。内閣に相当する国家評議会の委員は、首相の推薦に基づき大統領が任命する。
立法
チャドの議会は憲法上は二院制で、上院と国民議会(下院)で構成される。しかし実際は上院は未設置で、国民議会のみで運営されている。国民議会議員は国民の直接選挙で選出され、任期は4年。
主要政党には現大統領イドリス・デビ率いる愛国救済運動があり、1990年以来の長期政権を維持している。野党勢力は脆弱だが、比較的有力なものに民主進歩連合、共和国連邦運動がある。
司法
最高司法機関は最高裁判所である。
外交
チャドは2004年頃から隣国スーダンのダルフール紛争が激化した影響により、国内の反政府勢力も活発化。2006年4月には、反政府軍から首都ンジャメナが攻撃を受ける事態となった。イドリス・デビ大統領は攻撃を撃退し、翌5月の総選挙で勝利し再び国内の体制固めを行ったものの、2008年1月にはウムハジェル、アティが反政府勢力の影響下となり、翌2月には再び首都のンジャメナが攻撃に晒された。
なお、チャドは中華民国(台湾)の承認国だったが(1962年 - 1972年、1997年 - 2006年)、2006年8月に、アフリカにおいて積極的な外交を進める中華人民共和国と復交した。そのため、中華民国とは現在断交している。
国民の過半数がイスラム教徒であることもあり、1972年にイスラエルと断交していた。イスラム過激派対策などからイスラエルに再接近し、2018年11月にデビがチャド指導者として初めてイスラエルを訪問。2019年1月にはイスラエル首相ベンヤミン・ネタニヤフがンジャメナをと訪れて国交回復で合意するとともに、軍事・安全保障協定を締結した[4]。
経済
チャドは後発開発途上国の一つである。経済不振の原因として、長年の内戦状態と交通網の不整備がある。道路網はほとんど未舗装であり、雨季には使用できなくなる。また、チャド湖に繋がる河川舟運が、近年の砂漠化の進行で雨季の限られた期間しか利用できない課題もある。
アメリカのシンクタンクによれば、2010年度の失敗国家ランキング第2位とされた。
農業
チャド北部は乾燥地域であり、農業は中部および南部に限られている。主な農業地域はチャド湖に流れ込むシャリ川およびロゴンヌ川の流域である。主な農業生産物は綿花であり、石油生産が始まるまでは輸出の70%程度を占めていた。南部を中心にウシやラクダによる牧畜も行われており、それらから取れる肉、皮も輸出されている。
石油・エネルギー産業
2003年に南部のロゴン・オリエンタル州にあるドバ油田からカメルーンのクリビ港までのパイプライン1,070kmが完成。日量10万バーレルの石油生産が始まった。2013年には、チャドの輸出の86.7%は原油によって占められており[5]、原油輸出が経済の生命線となっている。ドバ油田から上がる収益は監視委員会によって管理されている。また、アオゾウ地帯にウラン鉱脈が発見されたが、開発が遅れている。
地理
チャドの国土面積128万4千平方km²は世界で21番目。ペルーよりやや小さく、南アフリカ共和国より大きい。国土の大部分をチャド盆地が占めている。
地理区分として北部はサハラ砂漠、中部はサヘル、南部はサバナになる。
西部のチャド湖は7千年前に33万平方km²もあった巨大な湖の名残で、現在も砂漠化により縮小している。南部にはチャド湖へ注ぐシャリ川やその支流ロゴーヌ川が流れる。国の最高地点は北部のティベスティ山地にあるエミクーシ山(標高3445m)である。en:Ennedi Plateauにあるオアシスのen:Guelta d'Archeiは野生のラクダが集まることで知られている。
熱帯前線が南から北へ移動するため、雨季はサバナで5月から10月にかけて、サヘルで6月から9月となる。北部砂漠の年間降水量は50mm、南部サバナは900mmである。
地方行政区分
チャドは首都ンジャメナおよび22の州に分かれている。
主要都市
最大都市は首都のンジャメナであり、人口は121万人(2014年)を数え[6]、突出した大都市となっている。これに次ぐ都市は南部のムンドゥ(14万人)、サール(12万人)がある。
国際関係
日本との関係
- 在留日本人数 - 9人(2016年10月時点)[7]
- 在日チャド人数 - 2人(2016年時点)[7]
国民
民族
住民は、スーダン系黒人が大半を占めており200以上の部族に分かれる。大きく分けると、北部・中部のムスリム(イスラム教徒)中心の部族と南部の非ムスリム中心の部族に分けられる。アラブ系民族は人口の14%を占める。アラブ系部族、非アラブ系ムスリム部族、非ムスリム部族と、一見、隣国スーダンの国民構成と類似しているように見えるが、人口比率は大きく異なる。スーダンで人口の半数以上を占めるアラブ系部族はチャドでは少数派である。またチャドでは非ムスリム部族の人口に占める割合も高い。チャドで最も人口が多い民族であるサラ族は、伝統宗教やキリスト教の信者が大半である。フラニ族、ハウサ人、トゥーブゥー系(ザガワ人)、バッガーラ族(ディファ・アラブ[8])。
言語
言語は、フランス語、アラビア語が公用語である。その他、現地の言葉として南部のサラ語、トゥーブゥー語(Toubou)、テダ語、ダザガ語など120以上の言葉が使われている。
宗教
宗教はイスラームが51%、キリスト教が35%、アニミズムが7%、その他(ブードゥー教、バハーイー教、エホバの証人)が7%である。国土の大部分がイスラム教徒の多数派地域だが、人口は、南部の非イスラム教徒多数派地域に集中している。そのため、国全体での割合から見ればイスラム教徒の比率はそれほど高くは無い。
教育
この節の加筆が望まれています。 |
文化
日付 | 日本語表記 | 現地語表記 | 備考 |
---|---|---|---|
4月13日 | 国民デー | ||
5月1日 | メーデー | ||
5月13日 | アフリカの日 | ||
8月11日 | 独立記念日 | ||
11月28日 | 共和国の日 |
脚注・出典
- ^ abcd『IMF Data and Statistics』2009年4月27日閲覧([1])
^ https://www.library.metro.tokyo.jp/search/research_guide/olympic_paralympic/area_studies/index/chad/
^ 田辺裕、島田周平、柴田匡平、1998、『世界地理大百科事典2 アフリカ』p371、朝倉書店 ISBN 4254166621
^ 「中東・アフリカ諸国 イスラエルに接近/軍事やIT 高い技術力魅力」『産経新聞』朝刊2019年2月1日(国際面)2019年2月10日閲覧。
^ 『データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計』p292 二宮書店 平成28年1月10日発行
^ 『データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計』p291 二宮書店 平成28年1月10日発行
- ^ ab外務省 チャド基礎データ
^ カネム州やニジェールのディファ州等を遊牧活動の範囲としている。
参考文献
この節の加筆が望まれています。 |
関連項目
- チャド関係記事の一覧
外部リンク
日本外務省 - チャド (日本語)
|
|
|
|