川内市
せんだいし 川内市 | |||||
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川内市街地 | |||||
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廃止日 | 2004年10月12日 | ||||
廃止理由 | 新設合併 川内市、樋脇町、入来町、東郷町、祁答院町、里村、上甑村、下甑村、鹿島村 → 薩摩川内市 | ||||
現在の自治体 | 薩摩川内市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 九州地方 | ||||
都道府県 | 鹿児島県 | ||||
団体コード | 46202 | ||||
面積 | 265.44km2 | ||||
総人口 | 72,881人 (2004年4月1日) | ||||
隣接自治体 | 阿久根市、串木野市 薩摩郡樋脇町、東郷町 | ||||
市の木 | クロガネモチ | ||||
市の花 | キンモクセイ | ||||
川内市役所 | |||||
所在地 | 〒895-8650 鹿児島県川内市神田町3-22 川内市役所(現・薩摩川内市役所) | ||||
外部リンク | 川内市(Internet Archive) | ||||
座標 | 北緯31度48分49.34秒 東経130度18分13.774秒 / 北緯31.8137056度 東経130.30382611度 / 31.8137056; 130.30382611座標: 北緯31度48分49.34秒 東経130度18分13.774秒 / 北緯31.8137056度 東経130.30382611度 / 31.8137056; 130.30382611 | ||||
川内市の県内位置図 | |||||
ウィキプロジェクト |
川内市(せんだいし)は、九州の南西部、鹿児島県の北西部に所在していた市。
1929年5月20日に隈之城村、平佐村および東水引村が合併し川内町(せんだいちょう)として発足。1940年2月11日に市制施行し川内市となった。鹿児島県内においては1889年に市制施行した鹿児島市に次いで2番目の市制施行となった。その後水引村、永利村、高江村及び下東郷村の一部、高城町を編入。2004年時点で人口約7万人であった。
2004年10月12日に東郷町、樋脇町、入来町、祁答院町、上甑村、下甑村、里村、鹿島村と合併し薩摩川内市となり、自治体としては消滅した。
目次
1 地理
2 歴史
2.1 都市名の由来
2.2 沿革
3 姉妹都市・友好都市
4 教育
4.1 大学
4.2 高等学校
4.3 高等学校・中学校
4.4 中学校
4.5 小学校
4.6 特別支援学校
5 交通
5.1 鉄道
5.2 道路
5.2.1 高速道路
5.2.2 国道
5.2.3 県道
6 経済
6.1 川内市に本社または事業所を置く主要企業
7 出身有名人
8 川内市を舞台とした作品
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク
地理
東シナ海へと注ぐ川内川が市の中央を東西に貫き、その河口が湾状になり市の中部に達し、川内平野を形成している。市の西部、川内川河口の末端には川内港や川内原子力発電所、川内発電所(火力)がある。
市内には京セラの工場がある他、薩摩焼酎(藷焼酎)の産地として知られる。
歴史
都市名の由来
ニニギ (ニニギノミコト)がこの地に皇居を定めるにあたり、千の台を作るように命じたという故事によるとされる。
また、この地は薩摩の中心で高台には国府や国分寺が置かれており、その高台を「千台」と言った。この「千台」が川内川の北側(内側)にあった事から「川内」になったとも言われている。
古来は「仙台」「千代」「千台」「河内」などとも書かれたが、1720年に当時の薩摩藩主であった島津吉貴が「川内」と命名し定着した。これは川内川と高城川の内側という意味である。
江戸時代には川内の名は広域地名となり、高城郷・水引郷・高江郷・隈之城郷・永利郷・平佐郷・中郷・東郷は川内八郷と呼ばれた。なおここでの「郷」は外城のことである。
後に中郷が東郷へ統合されたものの、1889年の町村制施行後、郷は「村」として継承された(水引は西水引村・東水引村へ、東郷は下東郷村・上東郷村へ分割)。その後昭和期の合併を経て八郷(上東郷村→東郷町を除く)は「川内市」としてひとつの自治体を構成するに至った。
なお、名前の読みが同じ宮城県仙台市にも「川内」という地名が存在するが、こちらの読みは「かわうち」となっている。またに仙台市川内では地下鉄東西線川内駅があるが川内市の中心駅である鹿児島本線川内駅とは当然読みが異なる。
沿革
- 前史
1889年 - 町村制施行に伴い以下の村が成立。
薩摩郡 : 隈之城村、平佐村、永利村、高江村、下東郷村
高城郡 : 高城町、水引村
1891年 - 水引村が東水引村と西水引村に解体分割される。
- 川内町成立後
1929年5月20日 - 薩摩郡隈之城村・平佐村・東水引村が合併し、川内町が発足[1]。
1940年2月11日 - 川内町が市制施行し川内市となる[2]。県内では1889年に市制が施行された際に市制施行地に指定された鹿児島市に次いで2番目、51年振りであった。
1951年4月1日 - 薩摩郡水引村(西水引村から改称)を編入[3]。
1956年9月30日 - 薩摩郡永利村・高江村を編入。
1957年4月1日 - 薩摩郡下東郷村の一部を編入(残部は高城村、東郷町にそれぞれ編入)。
1965年4月15日 - 薩摩郡高城町を編入。
2004年10月12日 - 東郷町、樋脇町、入来町、祁答院町、甑島四村と合併、薩摩川内市となる[4]。
姉妹都市・友好都市
常熟市(中華人民共和国 江蘇省蘇州市)
1991年7月26日 川内市と常熟市の間で友好都市締結
教育
大学
鹿児島純心女子大学
高等学校
鹿児島県立川内高等学校
鹿児島県立川内商工高等学校
川内純心女子高等学校
高等学校・中学校
れいめい中学校・高等学校
中学校
川内市立川内北中学校
川内市立川内中央中学校
川内市立川内南中学校
川内市立水引中学校
川内市立高江中学校
川内市立平成中学校
川内市立高城西中学校
小学校
川内市立亀山小学校
川内市立可愛小学校
川内市立川内小学校
川内市立隈之城小学校
川内市立平佐西小学校
川内市立平佐東小学校
川内市立水引小学校
川内市立永利小学校
川内市立峰山小学校
川内市立寄田小学校
川内市立滄浪小学校
川内市立八幡小学校
川内市立育英小学校
川内市立高来小学校
川内市立城上小学校
川内市立吉川小学校
川内市立陽成小学校
川内市立湯田小学校
川内市立西方小学校
特別支援学校
- 鹿児島県立串木野養護学校川内分校 - 2000年3月閉校。同年4月に開校した鹿児島県立出水養護学校(鹿児島県出水市)へ統合された。
交通
鉄道
九州旅客鉄道
九州新幹線
- 川内駅
鹿児島本線
- 川内駅 - 隈之城駅 - 木場茶屋駅
- 川内駅 - 隈之城駅 - 木場茶屋駅
肥薩おれんじ鉄道
肥薩おれんじ鉄道線
- 川内駅 - 上川内駅 - 草道駅 - 薩摩高城駅 - 西方駅
- 川内駅 - 上川内駅 - 草道駅 - 薩摩高城駅 - 西方駅
- 廃止路線
日本国有鉄道
宮之城線(1987年廃止)
- 川内駅 - 薩摩白浜駅 - 楠元駅 - 吉野山駅 - (樋脇町)
道路
高速道路
2004年時点では高速道路は南九州西回り自動車道川内道路が工事中であり、未開通であった。
国道
国道3号
- 隈之城バイパス
- 国道267号
県道
- 主要地方道
- 鹿児島県道36号川内郡山線
- 鹿児島県道42号川内加治木線
- 鹿児島県道43号川内串木野線
- 一般県道
- 鹿児島県道332号荒川川内線
- 鹿児島県道333号川内祁答院線
- 鹿児島県道341号吉川川内線
- 鹿児島県道342号上川内停車場線
- 鹿児島県道394号山崎川内線
経済
川内市に本社または事業所を置く主要企業
- 京セラ
- 中越パルプ工業
丸竹産業(甲冑の生産量日本一)
九州電力
- 川内発電所
- 川内原子力発電所
- 大和
- 山元酒造
- クッキー
出身有名人
上山和人 - 日本の政治家(元参議院議員)
松下忠洋 - 日本の政治家(衆議院議員)
逆鉾與治郎 - 大相撲力士
岩切秀雄 - 日本の政治家(第2代薩摩川内市長)
松若勲 - 騎手
シゲ福山 - 元プロボクサー
川畑和人 - 元プロ野球選手
花増幸二 - 元プロ野球選手
にわのまこと - 漫画家
小西真奈美 - 女優
木佐貫洋 - プロ野球選手
林摩理子 - 女優、声優
田ノ上信也 - 元サッカー選手
SAYUKI - 歌手、モデル(山田孝之の姉)
井手迫弘美 - 福岡県のローカルタレント
山田孝之 - 俳優
川内市を舞台とした作品
- 『釣りバカ日誌9』(1997年) - 新田神社や甑島が舞台。旧川内市と宮城県仙台市を勘違いする話題がある(川内市は「かわうちし」と読むと誤解している)。
- 『微笑みを抱きしめて』(1996年) - 当時の川内市が製作費の半分を出し、同市の市民団体の協力によって作られた。
脚注
^ 昭和4年鹿児島県告示第158号(川内町設置、 原文)
^ 昭和15年内務省告示第38号(川内市設置、 原文)
^ 昭和27年総理府告示第34号(市村の廃置分合、 原文)
^ 平成16年総務省告示第590号(市町村の廃置分合、 原文)
関連項目
- 鹿児島県の廃止市町村一覧
外部リンク
川内市役所ホームページ - 閉鎖。(2003年8月4日時点のアーカイブ)- 川薩地区法定合併協議会