アレッサンドロ・バッラン































































アレッサンドロ・バッラン
Alessandro Ballan
Cycling (road) pictogram.svg

Alessandro Ballan, 2012 Giro d'Italia, Savona.jpg
個人情報
本名
アレッサンドロ・バッラン
Alessandro Ballan
愛称
ボンテンピーノ
生年月日
(1979-11-06) 1979年11月6日(39歳)
国籍
イタリアの旗 イタリア
身長
190cm
体重
72kg
チーム情報
所属
出場停止中
分野
ロードレース
役割
選手
特徴
クラシック・スペシャリスト
プロ所属チーム
2004-2009
2010-2013

ランプレ
BMCレーシング
グランツール最高成績
主要レース勝利

Arc en ciel.svg 世界選手権・ロードレース 2008
ロンド・ファン・フラーンデレン 2007
ツール・ド・ポローニュ 2009
ヴァッテンフォール・サイクラシックス 2007
トロフェオ・ライグエーリア 2006
デ・パンネ3日間 2007
ブエルタ・ア・エスパーニャ区間1勝









 
獲得メダル
















イタリアの旗 イタリア

ロードレース

世界選手権
金 2008 ヴァレーゼ

個人ロード
銀 2012 リンブルフ

TTT


最終更新日
2014年1月27日

アレッサンドロ・バッラン(Alessandro Ballan、1979年11月6日- )は、イタリア・カステルフランコ・ヴェーネト出身の自転車競技(ロードレース)選手。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 2004年


    • 1.2 2005年


    • 1.3 2006年


    • 1.4 2007年


    • 1.5 2008年


    • 1.6 2009年


    • 1.7 2010年


    • 1.8 2011年


    • 1.9 2012年




  • 2 エピソード


  • 3 脚注


  • 4 外部リンク





経歴



2004年


  • ランプレ・フォンディタル(現 ランプレ・ISD)と契約を結び、プロ選手としてのキャリアをスタートさせる。当初はロマーンス・ヴァインシュタインスや、ジャンルカ・ボルトラミのアシストとしての役割が多かった。


2005年



  • クラシック・ハリボー 3位


  • デ・パンネ3日間 区間1勝(第1S)・総合2位


  • ロンド・ファン・フラーンデレンでは6位に入る。


  • エネコ・ツアー 区間1勝(第5S)



2006年




  • トロフェオ・ライグエーリア 優勝


  • ミラノ〜トリノ 4位


  • ティレーノ〜アドリアティコ総合3位


  • ミラノ〜サンレモ 8位


  • E3プライス・フラーンデレン2位


  • ロンド・ファン・フラーンデレン 5位


  • パリ〜ルーベ3位などの実績を残す


  • ツール・ド・フランス初出場。第12ステージではヤロスラフ・ポポヴィッチに次いで2位に食い込む(総合63位)


  • エネコ・ツアー 総合8位


  • ツール・ド・ポローニュでは総合3位


  • UCIプロツアーでは6位に入った。



2007年




  • ティレーノ〜アドリアティコにおいて鎖骨骨折に見舞われる。

  • しかし、デ・パンネ3日間で総合優勝


  • ロンド・ファン・フラーンデレンでは、ベルギーのライフ・ホストとのスプリント争いを制して優勝。


  • クラシカ・サンセバスティアン 4位

  • 8月に行われたヴァッテンフォール・サイクラシックスでもスプリント争いを制し、2位になったオスカル・フレイレの同レース連覇を阻んだ。


  • ツール・ド・ポローニュ 総合5位



2008年




  • モンテ・パスキ・エロイカ 2位


  • ロンド・ファン・フラーンデレン 4位


  • パリ〜ルーベ 3位


  • コッパ・ベルノッキ 4位


  • GP西フランス・プルエー 2位

  • 8月30日に開幕したブエルタ・ア・エスパーニャでは山岳ステージの第7ステージにおいて20km近い単独走行を決めて快勝。同時にマイヨ・オロ(ゴールデンジャージ)も手中に入れた。その後はワンデイレースを得意とする脚質もあって総合優勝争いからは後退し、第15ステージを前に世界選手権に備えてリタイアする。[1]


  • Jersey rainbow.svg 9月28日、自国イタリア、ヴァレーゼで開催された世界選手権・個人ロードレースにおいて、同胞のダミアーノ・クネゴら、13人のスプリント争いを制し、初の世界王者の座に就いた。



2009年




  • トロフェオ・ライグエーリア 5位


  • ジロ・ディ・サルデーニャ 総合3位


  • ツール・ド・ポローニュ第5ステージを制して総合首位に立ち、最後まで守りきって総合優勝。



2010年




  • BMC・レーシングチームに移籍。

  • 4月にドーピング疑惑が発覚したことにより、一時的に出場自粛処分を受けた。5月28日に嫌疑が晴れた[2]。


  • ツール・ド・ポローニュ 総合5位



2011年




  • ストラーデ・ビアンケ 2位


  • ミラノ〜サンレモ 4位


  • パリ〜ルーベ 6位



2012年



  • ストラーデ・ビアンケ 4位


  • ミラノ〜サンレモ 8位


  • E3・ハレルベーク 9位


  • ロンド・ファン・フラーンデレン 3位


  • パリ〜ルーベ 3位


  • ジロ・ディ・トスカーナ 優勝


  • エネコツアー 区間1勝(第7S)


  • ロードレース世界選手権・チームタイムトライアル 2位


2014年1月17日、イタリアオリンピック委員会(CONI)は、マントヴァのドーピング捜査で名前が挙がった当人に対し、2年間の出場停止処分を下した。なお、所属していたBMC・レーシングチームは、これを受け即刻当人との契約を解除した[3]。



エピソード



  • ニックネームのボンテンピーノとは、かつてクラシックレースなどで活躍した元自転車競技選手、ギド・ボンテンピに風貌がよく似ていることからつけられたそうである。また、兄・アンドレア・バッランも自転車選手である。

  • 2009年、春先のクラシック開始と同時にウィルス性胃腸炎にかかり、見事にマイヨ・アルカンシエルに呪われた。

  • 2009年ジロ・デ・イタリア総合二位のダニーロ・ディルーカが血液検査でドーピング陽性反応が検出された一週間後、アマチュア選手からEPOの購入を持ちかけられたことをドーピング追放捜査に告発。さらなる衝撃とドーピング問題の根深さを浮き彫りにした。



脚注





  1. ^ ランプレ公式サイト:news(英語:15/09/2008をクリックし参照のこと。)


  2. ^ Ballan back to racing -サイクリングニュース2011年5月28日付記事(英語)


  3. ^ CONIがバッランに2年間出場停止処分を言い渡す BMCは即時解雇 - シクロワイアード 2014年1月18日付




外部リンク






  • アレッサンドロ・バッラン - サイクリングアーカイヴス(英語)





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