内藤宇兵衛
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内藤 宇兵衛 (ないとう うへえ、1859年2月8日(安政6年1月6日) - 1926年(大正15年)4月6日)は、甲斐国出身の貴族院議員、山梨県の名望家。
少年期から漢学、英書を学び俊秀の誉れが高く、村会議員、村長を歴任後、県会議員、中巨摩郡会議員となる。1904年、多額納税者の互選による貴族院議員に選出された。
略歴
甲斐国巨摩郡築地新居村(現・中巨摩郡昭和町)で、父「宇兵衛(思温)」、母「とよ」の長男として生まれる。1880年(明治13年)に常永村会議員に当選、その後西條村、押原村、常永村が1884年(明治17年)10月に三か村合同して連合村となるにあたり最初の連合戸長(1884年10月 - 1887年7月)となった。1889年(明治22年)7月の 町村制施行に伴い、西條村外一か村組合長に当選、1890年(明治23年)3月から1891年(明治24年)10月まで山梨県会議員を、1904年(明治37年)からは貴族院議員(1904年9月29日[1] - 1908年8月11日)を務めている。
実業面においては、1895年(明治28年)7月17日に甲府市三日町で営業を開始した有信貯金銀行[2]の設立発起人21名の一人として同行創業時の監査役を、1907年(明治30年)1月から死去するまでの間は取締役として在任した他、1898年(明治31年)から1904年(明治37年)まで自らが創立委員長となった山梨馬車鉄道の取締役[3]、1908年(明治31年)4月15日に甲府市上連雀町で開業した山梨農工銀行[4]の取締役、1922年(大正11年)1月4日に甲府市桜町で開業した山梨貯蓄銀行[5]監査役を務めている。
親族
- 長男: 内藤 章(1883年(明治16年)7月29日 - 1949年(昭和24年)11月1日)は東京商科大学教授。夫人(内藤文子)は広瀬久政の長女
- 四男: 内藤 敬(1891年(明治24年)7月28日 - 1984年(昭和59年)3月6日)は東京農業大学教授、学長。
- 三女: 飯高 芳(明治30年12月8日生)は飯高一郎(工学博士、理化学研究所主任研究員、早稲田大学鋳物研究所所長)の夫人。
- 弟: 根津啓吉(1874年(明治7年)2月15日 - 1954年(昭和29年)12月4日)は貴族院議員、大日本麦酒及び東武鉄道取締役。夫人(根津たか)は根津嘉一郎 (初代)の姪(兄、根津一秀の長女)
脚注
^ 『官報』第6377号、明治37年9月30日。
^ 1907年(明治40年)4月に有信銀行と行名変更、1941年(昭和16年)12月1日に第十銀行と合併して山梨中央銀行となる。
^ 『日本全国諸会社役員録. 明治33年』(国立国会図書館近代デジタルライブラリー)
^ 「日本勧業銀行及農工銀行ノ合併ニ関スル法律(大正10年法律第80号)」の公布による合併の促進により、1921年(大正10年)9月1日に日本勧業銀行と合併し同行甲府支店となる。
^ 1943年(昭和18年)12月1日に山梨中央銀行と合併。