白石城





























































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白石城
(宮城県)

三階櫓
三階櫓

別名
益岡城、枡岡城
城郭構造
梯郭式平山城
天守構造
大櫓(三階櫓)複合式層塔型3重3階(1819年再、非現存。1995年木造復元)
築城主
白石氏
築城年
鎌倉時代
主な改修者
蒲生郷成
主な城主
白石氏、蒲生氏、上杉氏、片倉氏
廃城年
1875年
遺構
石垣、移築門、移築蔵
指定文化財
白石市指定史跡
再建造物
三階櫓、門、塀
位置
宮城県白石市益岡町



  • 益岡町 - 地理院地図


  • 白石城跡 - Google マップ



北緯38度0分9.32秒
東経140度37分1.66秒

地図


白石城の位置(宮城県内)

白石城

白石城














1976年度(昭和51年度)撮影の国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成
白石城は、白石盆地の中央西寄りを南北に延びる独立丘陵(写真中央)の北端にある。その北側を北東方向に白石川が流れる。


白石城(しろいしじょう)は、宮城県白石市にあった日本の城である。別名益岡城枡岡とも)。白石市指定史跡[1]




目次






  • 1 概要


  • 2 地理


  • 3 歴史・沿革


  • 4 行事


  • 5 参考画像


  • 6 脚注


  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク





概要


主として仙台藩伊達氏の支城として用いられ、片倉氏が代々居住した。九州の八代城などと並んで、江戸幕府の一国一城制の対象外とされて明治維新まで存続した。天守の代用となっていた三階櫓は、支城という格と幕府への配慮から天守の名をはばかり大櫓と名づけられたとされる。かつての城は、本丸、二の丸を中心に、幾重にも外郭を備えた堅城であった。虎口のうち、大手門付近には幅が変化し、鍵の手に折れる通路など,特に工夫がみられる。


明治初頭の廃城令により廃城処分とされ、ほとんどの建物は破却された。天守閣は石垣なども撤去され更地になった。現在、三階櫓など本丸の一部が1995年に木造で復元されて現在は公園となっている。


現存する建物としては、厩口門が市内の延命寺山門に、東口門が市内の当信寺山門に、どこの門か定かではない城門が名取市の耕龍寺山門に、煙硝蔵が市内の個人宅に、それぞれ移築されている。土塁は当時のものがそのまま残っている。



地理


奥羽山脈と阿武隈高地に囲まれた白石盆地は白石川によって南北に分断されているが、その白石川南岸(右岸)に接して独立丘陵がある。同丘陵の長軸は南北約1,600m、短軸は東西300-650m、最も標高が高い三角点は南端付近にある下前山の標高97.10mである(地図)。白石城は南北に長い同丘陵の北端(三等三角点「城山」の標高75.79m。地図)に築城され、同城の南側には空堀を掘って丘陵の尾根の連続性を断っている[2]。空堀より南側の同丘陵上には、常林寺(地図)・清林寺(地図)・傑山寺(地図)などの寺院が並ぶ。


白石川沿いを上流に行くと羽州街道(七ヶ宿街道)に至るが、白石城下町を通るのは奥州街道である。奥州街道は南側の福島藩から仙台藩に入ると最初にある小規模な盆地に越河宿(地図)があり、次の白石盆地に入るとすぐ斎川宿(地図)がある。ここから白石盆地内に点在する地蔵院舘、八幡神社がある小山、金華山神社がある小山、太平神社がある小山などの間を縫うように通り、さらに権現山と八ツ森山という2つの小山の間を通って、上記の南北に長い丘陵の東麓に沿って北上し、白石城下町に入る。



歴史・沿革




  • 鎌倉時代以後 - 刈田氏が白石の地に居住。同氏は後に伊達氏家臣となる。伊達政宗に仕えた白石宗実が著名である。


  • 1591年 - 会津に封された蒲生氏郷の家臣・蒲生郷成によって本格的に築城。


  • 1598年 - 会津に封された上杉景勝の家臣・甘糟景継によって修築。


  • 1600年 - 関ヶ原の戦いの際、白石城の戦いが勃発し伊達政宗が上杉景勝から白石城を奪い取って再び伊達領とし、政宗の叔父、石川昭光が城代として入る。


  • 1602年 - 伊達政宗の側近、片倉景綱(小十郎)が城主となる。


  • 1819年 - 火災で焼失する。4年後の片倉宗景の時に再建される。


  • 1868年 - 戊辰戦争の際、東北諸藩の代表たちが白石城に於いて白石列藩会議を開く。これが奥羽越列藩同盟の結成につながった。


  • 1869年 - 新政府軍が占領、新政府に降った盛岡藩(南部氏)の管理下に置かれて、一時移封される(→白石藩)。


  • 1875年 - 白石城破却、売却代金は特に片倉家中の北海道移住費用に充てられた。


  • 1997年 - 3月に三階櫓(天守)・大手の一ノ門と二ノ門・土塀の復元工事が完了。


  • 2011年 - 3月11日の東日本大震災で壁の崩落など1億円超の被害が出る。文化財などには指定されていないため補助金が出ず市の財政と募金や寄付金などで復旧を行っている[3]。復旧工事は2012年5月から9月までの予定で[4]、期間・場所限定で復旧工事見学会も行われている[5][6]


  • 2017年 - 4月6日、続日本100名城(105番)に選定された。



行事



  • 元日 - 天守閣から初日の出を拝む会

  • 4月 - 白石城桜まつり

  • 5月 - 片倉鉄砲隊火縄銃演舞・城の会

  • 10月 - 鬼小十郎まつり

  • 大晦日 - 除夜の鐘を鳴らす会



参考画像




脚注


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  1. ^ 『白石市内の指定文化財』白石市HP


  2. ^ 白石城下絵図(白石城管理事務所)


  3. ^ 白石城の修復助太刀を 被害1億円超(2012年4月20日時点のアーカイブ):河北新報(2011年6月12日)


  4. ^ 白石城災害復旧工事が始まります(2012年4月19日時点のアーカイブ):白石市


  5. ^ 白石城災害復旧工事見学会のお知らせ:白石城(2012年06月01日)


  6. ^ 白石城、仮設通路が完成 あすから天守閣外壁公開(2012年8月19日時点のアーカイブ):河北新報(2012年07月25日)




関連項目







  • 日本の城一覧

  • 伊達政宗

  • 片倉景綱

  • 白石宗実

  • 仙台藩

  • 仙台藩の城砦

  • 戊辰戦争


  • 南部利恭(盛岡藩主。白石藩に転封されるが一度も白石城に入ることなく盛岡に復帰した)


  • 登別市(片倉家家中の移住先。幌別地区には片倉町という地名と、刈田神社がある)

    • 登別市郷土資料館(白石城を模している)



  • 白石区(札幌市)(同上)

  • 白石市


  • 宮城県白石高等学校(白石城内にある高校)



外部リンク




  • 白石城(公式サイト)


  • 奥州仙台領白石城絵図(国立公文書館デジタルアーカイブ)









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