幕下
幕下(まくした)は、大相撲の番付の階級。十両の下、三段目の上。
目次
1 概要
1.1 十両への昇進要件
2 幕下上位五番以降
3 記録
3.1 幕下優勝回数・全勝回数
3.2 2場所連続の幕下優勝
3.3 幕下昇進回数
3.4 通算在位場所数
3.5 関脇以上からの陥落
4 脚注
5 関連項目
概要
呼称の由来は、十両のなかった時代には幕内のすぐ下の階級であったため。番付では上から二段目[1]に記載されるため、正式名称は「幕下二段目」。江戸時代には十両の地位が存在しなかったことから、幕下に位置していても、幕内力士との対戦が組まれていた。現在では十両創設以降の「十両」「幕下」と区別して十両創設以前の時代(江戸時代から明治初期)の幕下を「二段目」と呼ぶことがある。通常15日間で7番の相撲を取る。ただし幕下以下の出場する全力士が6番相撲を取り終えた時点で7番相撲に出場する力士数が奇数となった場合は、1人だけ八番相撲が組まれることもある。
定員は東西60人ずつ、合計120人(1967年5月場所以降)。ただし幕下付出の力士については定員に含めない。優秀な力士は前相撲から最速4場所で昇進することも可能である。
関取(十両以上)を窺う地位であり、十両への昇進を目指す者と十両下位の力士との間で、最も競争の厳しい地位でもある。力士として一人前に扱われる関取と、力士養成員扱いの幕下以下とでは、その待遇に雲泥の差があるため、俗に「十両と幕下は天国と地獄」とまで言われる。ただ、幕下に昇進すると博多帯(博多織の帯)と冬場のコートを着用でき、中でも将来有望と見込まれた力士は稽古に専念させるためちゃんこ番などの雑用を免除する部屋もある等、三段目との待遇差も一目瞭然である。
幕下25枚目以上は本場所の場内で入場者に配布される当日の取組表の裏に印刷される星取表に掲載される。さらに幕下15枚目以内は成績次第で十両昇進の可能性が見えて来ることから俗に幕下上位と呼ばれる。21世紀以降は昇進競争が激化し、幕下上位に在位する力士の多くが関取経験者という事態がしばしばみられる。十両土俵入りから幕下最後の取組までの5番は特に幕下上位五番(後述)と呼ばれる。
優勝賞金は50万円。大相撲本場所の幕下以下の取組では、スイス式トーナメントを導入している関係上[2]、定員が120人の幕下では、6番相撲まで6連勝した力士2人が相星決戦の末に、勝者が7戦全勝で幕下優勝となるケースが大半であるが、休場力士が続出したり、6連勝した力士2人が同部屋のため相星決戦が組めず両者共に星違いの力士に敗れたりして、全勝力士が不在になり、6勝1敗の力士複数名による優勝決定戦が行われるケースも稀に発生する。
逆に、6連勝した力士2人が同部屋だったり、番付が著しく離れていたりしたため相星決戦が組めなかった際に、両者共に星違いの力士に勝利して、全勝同士の優勝決定戦が行われるケースも更に稀に発生する[3]。
十両への昇進要件
幕下に限らず、「番付は生き物」と俗称されるように、成績と翌場所の地位との関係は一定ではない。特に幕下では上位ほど、十両から陥落する力士数や十両以上の引退力士の有無によって大きく左右される。1967年5月場所の幕内及び十両の定員改定に伴い導入された十両昇進に係る唯一の内規に、幕下15枚目以内[4]で7戦全勝した力士を優先的に十両昇進させるというものが存在する。この内規は、7戦全勝同士の優勝決定戦で優勝を逃した場合にも適用される。
- 幕下15枚目格付出に内規が適用するかは定かではなかったが、2006年5月場所に幕下15枚目格付出で全勝優勝した若圭翔(当時「下田」)は、十両陥落者が少なかっため、「幕下15枚目格付出は幕下15枚目以内ではない」との理由付けで十両昇進はならなかった。現行内規に該当した力士で十両昇進を果たせなかった唯一の例である。
- 全勝以外で十両昇進を確実とする成績としては、東筆頭での勝ち越しがあるが(小結以上が関わる成績を除いては1点でも勝ち越せば番付が半枚以上は上がるため)、対して西筆頭の場合は勝ち越しても昇進が見送りとなる事例もある[5]。
- この他に幕下5枚目以内で6勝または幕下2枚目以内で5勝を挙げた場合、十両に昇進する可能性が高くなるが、この場合でも昇進できなかった例は存在する[6]。
- 幕下15枚目以内での全勝と幕下東筆頭以外の力士は十両から陥落する人数に大きく左右されるため、「何枚目で何勝したので確実に昇進する」とは一概に言えない部分がある。また、1場所15番相撲を取る関取は「勝ち越し1点につき1枚昇進する(負け越しの場合も同様・横綱大関は除く)」という目安で計算できるため(以下「計算上」「相当」はこの目安を基にする)、幕内十両間の入れ替えは計算上の番付の優劣である程度決められる部分があるが、1場所7番の幕下力士にはこのような目安はないため、十両幕下間の入れ替えは計算上の番付の優劣では決めることができず、以下のようにな目安で決められることになる。
- 十両の負け越し力士は計算上、幕下陥落相当の成績の力士がそのまま陥落する。ただし、幕下上位での勝ち越し力士に対して幕下陥落相当の成績の力士が少なすぎる場合、計算上十両最下位となる力士が幕下に陥落することはある。また、幕下陥落相当の成績の力士に対して幕下上位での勝ち越しが少なすぎる場合、「あと1勝していれば計算上十両に残留できる力士」が陥落を免れる場合もある。
- 幕下から十両への昇進は十両から陥落する人数に合わせて優先順位の高い順番に決定する。なお、この優先順位と番付の昇降は別物であるため、ある二者を比較して一方のみが昇進する場合、双方とも昇進あるいは双方とも昇進見送りになった場合には番付が下位になる方が昇進する場合もある。
- 幕下15枚目以内での全勝と幕下東筆頭以外の力士については幕下5枚目以内での勝ち越しが優先される傾向にあるが、幕下5枚目での4勝3敗と幕下6枚目での6勝1敗のように近い番付で成績に開きがある場合にはこの例に当てはまらないこともある。
- 幕下15枚目以内での全勝や幕下5枚目以内での勝ち越し以外では、琉鵬が2010年9月場所、飛翔富士が2011年9月場所に、西幕下11枚目の6勝1敗で昇進した例がある(前者は大相撲野球賭博問題で大量の陥落力士が出たことによるもの、後者は大相撲八百長問題[7]の影響で減らされていた関取の定員が戻されたことによるもの)。
幕下上位五番以降
十両土俵入りは十両力士の支度の都合上、幕下の取組を5番残したタイミングで行われる。この5番は特に幕下上位五番と呼ばれる。
- 十両土俵入り直後の取組では、対戦する力士の四股名に続いて「幕下上位の取組であります」とアナウンスされる。
- 土俵下の控えに十両力士と同じ座布団が用意される。
- 十両格行司が取組を裁く。
- かつては、幕下上位五番に限り、館内の電光掲示板でも勝敗を表示していた(十両以上の定員増加等に伴い、1991年1月場所以降は行われていない)。
NHKの大相撲中継では、幕内取組の合間を縫って、十両結果とともに発表される(決まり手はアナウンサーによる口頭発表のみで表示はされない)。- 仕切りの最中の力士紹介は、十両土俵入りまでは力士名・番付・出身地・所属部屋・勝敗数を横文字で紹介されるが、幕下上位五番からは縦文字(力士名は幕下力士のみ明朝体)で紹介される。
出場している関取が奇数になると、幕下力士が日替わりで十両の取組に登場する。休場・引退力士が多いときには、複数人が十両の土俵に上がる。また、終盤には十両下位で不振の力士と幕下上位で十両昇進の可能性を残している力士の取組が組まれることが多い(いわゆる入れ替え戦)。いずれの場合も、十両力士と対戦する幕下力士は大銀杏を結って土俵に上がる。
記録
いずれも、2018年11月場所終了時点の記録である。
幕下優勝回数・全勝回数
幕下以下1場所7番制が定着した1960年7月場所以降では、幕下優勝回数の最多記録は3回であり、神幸・天ノ山・出羽の洲・和歌乃山・大輝煌・若孜の6人が達成。いずれも3回目の幕下優勝の前に1場所以上の関取在位を経験し、神幸・和歌乃山・若孜は3回すべて7戦全勝を伴い、天ノ山・大輝煌は1回目のみ6勝1敗で2・3回目は7戦全勝、出羽の洲は1・3回目が6勝1敗で2回目のみ7戦全勝だった。
優勝を伴わないケースも含めた7戦全勝の最多記録もやはり3回であり、上述3人に加え、若晃・千葉の山・修羅王・立洸の延べ7人が達成。決定戦敗退を含む4人の内訳はいずれも優勝2回・決定戦敗退1回であった。
2場所連続の幕下優勝
1967年5月場所で十両昇進に関わる内規が導入されて以降、2場所連続で幕下で優勝した力士は以下の8名である。いずれも、幕下16枚目(21枚目)以下で7戦全勝で優勝した翌場所に幕下15枚目(20枚目)以内でも7戦全勝で優勝して十両に昇進した。
四股名 | 1場所目 | 番付 | 2場所目 | 番付 |
---|---|---|---|---|
輪島博 | 1970年1月 | 60枚目格 | 1970年3月 | 東8枚目 |
長浜広光 | 1970年5月 | 西42枚目 | 1970年7月 | 東3枚目 |
垂沢和春 | 1973年9月 | 西30枚目 | 1973年11月 | 東2枚目 |
山崎直樹 | 1990年1月 | 東24枚目 | 1990年3月 | 東4枚目 |
尾曽武人 | 1993年1月 | 60枚目格 | 1993年3月 | 東8枚目 |
竹内雅人 | 1998年7月 | 60枚目格 | 1998年9月 | 西6枚目 |
松谷裕也 | 2011年1月 | 西51枚目 | 2011年技量審査 | 西4枚目 |
栃ノ心剛 | 2014年3月 | 西55枚目 | 2014年5月 | 西6枚目 |
上記8名のうち、連続優勝以前に関取在位を経験した力士は松谷(同時点の最高位は東十両8枚目)及び栃ノ心(同時点の最高位は西小結)の2名。
幕下昇進回数
三段目から幕下に昇進した回数が最も多い力士は、井筒部屋の辻本正人で18回記録した。
通算在位場所数
順位 | 幕下在位 | 四股名 | 最高位 |
---|---|---|---|
1位 | 120場所 | 栃天晃正嵩 | 東十両4 |
2位 | 114場所 | 牧本英輔 | 東前頭12 |
3位 | 102場所 | 琴冠佑源正 | 東十両6 |
4位 | 94場所 | 輝面龍政樹 | 東幕下4 |
4位 | 94場所 | 大雷童太郎 | 東十両2 |
関脇以上からの陥落
幕下以下まで陥落した元関脇の力士は、昭和以降で1936年5月場所の出羽ヶ嶽から2017年1月場所の朝赤龍まで延べ16人おり、このうち出羽ヶ嶽と栃赤城はその後三段目まで陥落し、小城ノ花・土佐ノ海・北勝力・若の里は陥落直後の場所前[8]に引退し、番付の掲載のみで出場はしなかった。琴風は陥落後に土俵に復帰し、その後再度関脇に昇進、最終的には大関に昇進した。
2018年7月場所、元大関の照ノ富士が、(江戸時代の看板大関などのケースを除けば)史上初の幕下陥落となった。なおそこから2場所連続で全休したため、11月場所では更に三段目に陥落した。
脚注
^ この段には十両の力士も書かれているが、細く小さい文字の方が幕下で、地位表示は「同」の字が数名ごとに(現在の番付では8個)書かれている。
^ 同部屋・力士間の親族関係など、厳密な規定を無視すると、スイス式トーナメントでは出場力士128名中1名が必然的に7連勝となる。
^ 平成以降、このような経緯で幕下力士2名が全勝同士で優勝決定戦を戦ったケースは6例あるが、前者のように同部屋の幕下力士2名が7戦全勝で優勝決定戦を戦ったケースは、2015年11月場所の芝‐宇良の1例のみである(寄り倒しで芝の勝ち)。
^ 導入当初は「幕下20枚目以内」、1977年3月場所より現行。
^ 平成以降に限ると大岳、琴藤本、五剣山、市原、蒼国来、希善龍、北太樹が西筆頭で4勝3敗で勝ち越ししたにも関わらず昇進を見送られた。また、福岡は2008年11月場所で西幕下筆頭で5勝2敗と勝ち越したにもかかわらず昇進を見送られた。
^ この成績で見送られた例として2008年11月場所の福岡(西筆頭で5勝2敗で昇進できず)、2017年9月場所の翔猿(東2枚目で5勝2敗で昇進できず)がある。
^ 大相撲八百長問題の際は、技量審査場所における多数の関取在位者の引退により、同場所に幕下上位で負け越した垣添(西幕下筆頭で3勝4敗)及び荒鷲(東幕下3枚目で3勝4敗)も昇進の対象となった。
^ 北勝力のみ当該場所を引退を前提として休場し、場所中に引退届を提出。
関連項目
- 幕下付出
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