タイム (雑誌)
タイム | |
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TIME | |
タイム誌のロゴ | |
ジャンル | ニュース情報誌 |
刊行頻度 | 週刊 |
発売国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
出版社 | Meredith(2018 - 現在) Time Inc(2014 -2017) Time Warner(1990 - 2014) Time Inc(1923 - 1990) |
編集長 | ナンシー・ギブス |
ISSN | 0040-781X |
刊行期間 | 1923年3月3日 - 現在 |
ウェブサイト | www.time.com |
タイム(英語: Time[1])は、1923年に創刊したアメリカ合衆国のニュース雑誌。世界初のニュース雑誌としても知られている。2018年1月に発行会社であるタイム社がメレディスに買収、吸収されて以降は前述のメレディスが同誌を発行している。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 2000年代
3 発行部数
4 スタイル
5 法的論争
6 パーソン・オブ・ザ・イヤー
7 タイム100
8 タイム・フォー・キッズ
9 著名な寄稿者
10 表紙を飾った日本人
11 脚注
12 関連項目
13 外部リンク
概要
政治・経済・最先端科学・エンターテイメントなどあらゆる情報を網羅している。
2006年中頃から現在まで、リチャード・ステンゲルが編集長を務めている。
ヨーロッパ版『タイム・ヨーロッパ』(以前は『タイム・アトランティック』として知られていた)はロンドンで発表され、2003年以降、中東、アフリカ、ラテンアメリカもカバーしている。一方、アジア版『タイム・アジア』は香港に拠点を置く。2009年現在、『タイム』はカナダの広告出版を発表していない。南太平洋版『タイム・サウスパシフィック』はシドニーに拠点を置きオーストラリア、ニュージーランド、太平洋諸島で発売されている。
日本国内で流通しているのは主にアジア版であり日本語版は発行されていない。ただし、日本語によるアジア版の定期講読サイトがある。
歴史
ブリトン・ハッデンとヘンリー・ルースによって1923年に創刊。アメリカにおける初の週刊ニュース雑誌であった[2]。ハッデンとルースは以前にも、『エール・デーリーニューズ』において議長と編集幹部を務めたことがある。
当初は題号を『Facts』とする考えもあった[3]が、結局『TIME』となり、1923年3月3日に初号が発売された。このとき表紙を飾ったのは、46年間米下院議員を務め(下院議長も7年以上務めて)、創刊号発売日当日に引退した共和党の政治家ジョセフ・ガーニー・キャノン。この第1号は、創刊15周年記念の際に1938年2月28日号で複製による再版もされた[4]。
1989年には、タイム社とワーナー・コミュニケーションズが合併し、タイム・ワーナーとなった。
2000年代
2001年には、タイム・ワーナーとAOLが合併し、AOLワーナーとなる(2003年に、再び「タイム・ワーナー」へ改名)。
2007年には、月曜日の会費/新聞市場送出から金曜日に発売が移行され、土曜日に雑誌が読者に届けられる(1923年の創刊時も金曜日の出版だった)。2007年前半、年の最初の号は発売が1週間遅れた。この改革に伴い、タイム社では49人の従業員削減を行っている[5]。
2009年には、広い読者層を狙った新雑誌『Mine』を発行。しかし、あまりにもその焦点が広すぎると批判され、否定的な反応を受けた[6]。
2014年6月6日には、タイム・ワーナーを分離・売却。
2017年11月、コーク兄弟(コーク・エクィティ・デベロップメント)からの支援を受けるメレディスがスピンオフしたタイム社を28億ドルで買収することで合意。買収は2018年1月31日に完了し、タイム社は吸収され消滅した[7]。
発行部数
年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 | 2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 |
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発行部数(単位:百万) | 4.2 | 4.1 | 4.1 | 4.1 | 4.1 | 4.1 | 4.1 | 4.0 | 4.0 | 4.1 | 3.4 | 3.4 | 3.4 |
2008年末には、60年以上続いたカナダ版の発行を中止した。
スタイル
1936年にウルコット・ギブズによって『ザ・ニューカー』でパロディ化された。1970年代中頃まで[8]『タイム』はセレクションした重要な映画、脚本、ミュージカル、テレビ番組と文学的なベストセラーなどに要約や批評を行う「リスト」という『ザ・ニューヨーカー』の「Current Events」のようなコーナーがあった。
『タイム』の表紙は赤い縁取りが特徴である。この態勢は創刊号から一貫して変わらないものの、例外として以下の2つのケースがある。
2001年9月14日特別増刊号[9]:9.11テロ事件を伝えた号で、表紙は追悼の意を込めて黒い縁取りになった。この号は「特別版」であり、次の定期的な号では赤い縁取りに戻った。次に『タイム』が特別版をリリースしたのは、マイケル・ジャクソンが死亡した後の2009年6月である。
2008年4月28日号:地球温暖化防止への取り組みを特集した号で、表紙は緑の縁取りとなった。
2007年には、大幅な紙面リニューアルを行う。これは、赤い縁取を減らしてコラムタイトルを大きくし、特集記事の数を減らして記事の周囲の余白を増やし、意見部分に作家の写真を加えるというものであった。この変化は賛否両論となった[10][11][12]。
法的論争
2007年9月10日に、インドネシアの最高裁判所は、ジャカルタ地方裁判所と控訴院の判断を覆し、インドネシアのスハルト元大統領に対する『タイム・アジア』の名誉毀損を認定、損害賠償1兆ルピアの支払いを命じた。訴えの対象となったのは、スハルトが270億米ドル以上(320億ドル)の金を海外に移したとする記事であった[13]。
パーソン・オブ・ザ・イヤー
『タイム』がその年で最も活躍した人を決定するもの。その年のニュースに最も影響を与えた個人または団体が選ばれる。受取人が必ずしも個人または人間であるとは限らない。例えば1983年1月3日にコンピュータが「マシーン・オブ・ザ・イヤー」と認められた。1989年には“危険にさらされた地球”が「プラネット・オブ・ザ・イヤー」と名づけられた。1999年にはアルバート・アインシュタインが「パーソン・オブ・ザ・センチュリー」に選ばれた。
時折、嫌疑のかかった独裁者や主戦論者が選ばれるため論争となる。良かれ悪かれ、その年のニュースで最も話題をさらった人物が選ばれると思われる。それが必ずしも名誉または報酬であるとは限らない。過去にアドルフ・ヒトラーとヨシフ・スターリンのような人物も「マン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれている。フィリピンで民主主義を回復させ、スピーチをアメリカの連邦議会に印象付けたコラソン・アキノは「ウーマン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。
2006年のパーソンは「You(あなた)」が選ばれたが、概念が創造的であると考える人がいた一方、その年の実在の人物を望んだ人もいた。またベネズエラのウゴ・チャベス大統領であると述べた人もいる[14]。
2009年はバラク・オバマが選ばれ、次点はサラ・ペイリンであった。
タイム100
『タイム』は近年、その年で最も有力な100人のリストを発表し始めた。当初は20世紀の最も有力な100人のリストを作成した。リストが発表される号のフロントカバーはリストアップされた人たちの写真が載り、特集としてリストアップされた人々の各々の記事が掲載される。この記事は雑誌の相当なページ数を占める。場合によっては100人以上がリストアップされるが、その際は2人一緒のリストを作成し、1つの記事で共有する。
タイム・フォー・キッズ
若いリポーターによって書かれる『タイム・フォー・キッズ』(以下、TFK)は、特に子供のために発売されて、主に教室に置かれる分割誌である。『TFK』は大衆文化に関するニュースと若干の国内ニュース、「今週の漫画」など色々な記事がある。1年の環境に関する号はアメリカの学期の終わり近くに発売される。ページ数はカバーと裏表紙を合わせても15ページを超えることが滅多にない。多くの図書館に置かれる。
著名な寄稿者
アラヴィンド・アディガ(2008年ブッカー賞受賞) - 3年間、通信員を務めた。- ジェイムズ・エイジー
マーガレット・カールソン - 『タイム』初の女性コラムニスト。
ウィットティカー・チェムバーズ - しばらく編集者であった。
リチャード・コルリスとリチャード・シッケル - 雑誌のための映画批評家である。シッケルが1972年、コルリスが1980年から務めている。
アナ・マリー・コックス - 雑誌のために「アナ・ログ」(政治的なさわりの編集)を書く。彼女は称賛されたブロガーと著者でもある。
ナンシー・ギブス - エッセイストとエディター・アット・ラージ。100以上のカバーストーリーを書いた。
レヴ・グロスマン – 主に本について書く。
ロバート・ヒューズ - 1970年以降、芸術批評家であった。
マイケル・キンズレー – よく移動するアメリカのジャーナリストであり、『タイム』のエッセイストである。
ジョー・クライン – コラムニスト。
チャールズ・クラウトハマー – 『ワシントン・ポスト』の解説者である。『タイム』ではエッセイを書いた。
ナサニエル・ランデ – 著者、映画製作者で元クリエイティブ・ディレクター。- ウィル・ロング・ジュニア
マイケル・シャーマン – アジアの経済学、政治と歴史を専門とするアメリカのジャーナリスト。彼は現在、香港に拠点を置く『タイム・アジア』のアジアビジネス通信員である。- ロバート・D・サイモン
ジョエル・スタン – 時々、論争の的となる作家で2006年の「Most Influential」号で“ジョエル100”という記事を書いた。
表紙を飾った日本人
パーソン・オブ・ザ・イヤーに限らず、アメリカの政治家・実業家・ジャーナリストなどは、タイム誌の表紙に載ったか否かを一つの格付けの目安ともしている。
『タイム』はあくまでもアメリカの雑誌であり、その視点はアメリカを中心としている。それでもアメリカの国策や外交、経済や文化などに大きな影響を及ぼす海外の話題や人物が特集されることはたびたび見られる。
1923年の創刊以来、このタイム誌の表紙には日本人が39回取り上げられている。戦前・戦中はそれなりに多かったが、戦後は極めて稀になった。さらに昭和天皇が6回、近衛文麿と米内光政、盛田昭夫が各2回載っており、また「アジア系の高知能児」や「広島の被爆者」といった人々を代表する不特定の人物として掲載された者が2例あることから、実際に「カバーパーソン」にとして表紙に取り上げられた日本人は29名を数えるのみとなっている。
以下、号日付は各号の表紙、その下のタイトルはカバーパーソンを特集した記事へのリンク。肩書は選出された当時の代表的なものをあげた。
号・記事 | 表紙 | 人物・肩書 | 備考 | |
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1 | 1926年11月8日号 Sea Noon | 東郷平八郎 | 元帥海軍大将 | |
2 | 1928年11月19日号 Emperor Enthroned | 昭和天皇 | ||
3 | 1931年5月18日号 Universal Crisis | 各務鎌吉 | 日本郵船社長 | |
4 | 1931年10月12日号 Secessionist Movements | 幣原喜重郎 | 外務大臣 | |
5 | 1931年12月28日号 Strong Policy | 犬養毅 | 内閣総理大臣 | 名の「毅 (つよし)」を「Ki」と誤読している |
6 | 1932年6月6日号 Divinity with Microscope | 昭和天皇 | 2度目、前回とまったく同じ画像が使われた | |
7 | 1932年9月5日号 Fissiparous Tendencies | 内田康哉 | 外務大臣 | |
8 | 1933年1月23日号 The Way of the Perfect... | 荒木貞夫 | 陸軍大臣 | |
9 | 1934年5月21日号 Keeper of Peace | 廣田弘毅 | 外務大臣 | |
10 | 1935年5月20日号 Butterfly Redeemed | 斎藤博 | 駐米大使 | |
11 | 1936年2月24日号 Soviets v. Empires | 昭和天皇 | 3度目、溥儀、蒋介石、スターリンとともに | |
12 | 1936年12月28日号 Pain in the Heart | 昭和天皇 | 4度目 | |
13 | 1937年7月26日号 Another "Kuo"? | 近衞文麿 | 内閣総理大臣 | |
14 | 1937年8月30日号 Sailors Ashore | 米内光政 | 海軍大臣 | |
15 | 1940年3月4日号 Son of a Samurai | 米内光政 | 内閣総理大臣 | 2度目 |
16 | 1940年7月22日号 Imitation of Naziism? | 近衞文麿 | 内閣総理大臣 | 2度目 |
17 | 1941年7月7日号 So Delicate Situation | 松岡洋右 | 外務大臣 | |
18 | 1941年9月22日号 Honorable Fire Extinguisher | 野村吉三郎 | 駐米大使 | |
19 | 1941年11月3日号 Safety Razor | 東條英機 | 内閣総理大臣 | |
20 | 1941年12月22日号 Yamamoto v. the Dragon | 山本五十六 | 連合艦隊司令長官 | 日米対戦下 |
21 | 1942年4月2日号 Is Hitler Running Japan? | 山下奉文 | 第25軍司令官 | 日米対戦下 |
22 | 1943年2月15日号 How Japs Fight | 永野修身 | 軍令部総長 | 日米対戦下 |
23 | 1942年8月3日号 Man With a Plan | 板垣征四郎 | 朝鮮軍司令官 | 日米対戦下 |
24 | 1943年11月8日号 Come Out and Fight | 古賀峯一 | 連合艦隊司令長官 | 日米対戦下 |
25 | 1944年7月3日号 Ruin in Two Phases | 嶋田繁太郎 | 海軍大臣 | 日米対戦下 |
26 | 1945年5月21日号 The God-Emperor | 昭和天皇 | 5度目、日米対戦下 | |
27 | 1955年3月14日号 Land of the Reluctant Sparrows | 鳩山一郎 | 内閣総理大臣 | |
28 | 1958年12月22日号 The Girls on Grant Avenue | 梅木美代志 | ハリウッド女優 | 日系歌手パット・スズキとともに |
29 | 1959年3月23日号 The Girl from Outside | 正田美智子 | 後の皇太子妃 | |
30 | 1960年1月25日号 Bonus to Be Wisely Spent | 岸信介 | 内閣総理大臣 | |
31 | 1962年2月23日号 Following Henry Ford | 松下幸之助 | 松下電器産業会長 | |
32 | 1967年2月10日号 The Right Eye of Daruma | 佐藤栄作 | 内閣総理大臣 | |
33 | 1971年5月10日号 Japan, Inc.: Winning the Most Important Battle | 盛田昭夫 | ソニー社長 | |
34 | 1971年10月4日号 Japan: Adjusting to the Nixon Shokku | 昭和天皇 | 6度目 | |
35 | 1987年8月31日号 Asian-American Whiz Kids | 岡政偉 | アジア系高知能児 | 「高い知能をもつアジア系アメリカ人」の一人として(他5人と共に、表紙のみ、記事中では紹介されていない) |
36 | 1995年4月3日号 Shoko Asahara: The Making of A Messiah | 麻原彰晃 | オウム真理教教祖 | |
37 | 1998年12月7日号 TIME 100: Builders & Titans | 盛田昭夫 | ソニー創業者 | 2度目、ヘンリー・フォード、ウォルト・ディズニー、サム・ウォルトン、ビル・ゲイツとともに |
38 | 2001年9月15日特別増刊号[9] Music Goes Global | 宇多田ヒカル | 音楽アーティスト | ビョーク、ブレンダ・ファッシー、マーク・アンソニー、マックス・ジ・カストロ、シャキーラとともに |
39 | 2005年8月1日号 Living Under the Cloud | 渡辺絹代 | 広島の被爆者 | 「ヒロシマの生き証人」の一人として |
厳密には日本「人」ではないが、1999年11月22日号「Beware of the Poke Mania」では日本発祥のキャラクターである『ポケモン』が表紙を飾った。
なお『アジア版』の発刊以後、日本人表紙への門戸はそちらで開放されている傾向がある。しかし『アジア版』においても日本人が表紙を飾る機会は稀である。以下に例を挙げる。
号・記事 | 表紙 | 人物・肩書 | 備考 |
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1989年8月9日号(アジア版) Woman of the Hour | 土井たか子 | 日本社会党党首 | |
1996年10月14日号(アジア版) The Divas of Pop | 吉田美和 | 音楽アーティスト | |
1999年4月26日号(アジア版) Obuchi | 小渕恵三 | 内閣総理大臣 | |
2001年9月17日号(アジア版) The Real Junichiro Koizumi | 小泉純一郎 | 内閣総理大臣 | |
2001年12月17日号(アジア版) Global Music Special: Utada Hikaru | 宇多田ヒカル | 音楽アーティスト | |
2002年3月25日号(アジア版) Ayumi Hamasaki | 浜崎あゆみ | 音楽アーティスト | |
2002年4月29日号(アジア版) Asian Heroes | イチロー 中田英寿 | プロ野球選手 プロサッカー選手 | 4種の表紙の中の1種 |
2003年9月22日号(アジア版) Does He Have What It Takes? | 小泉純一郎 | 内閣総理大臣 | |
2003年4月28日号(アジア版) Asian Heroes | 松井秀喜 | プロ野球選手 | 5種の表紙の中の1種 |
2003年8月11日号(アジア版) Japan Rules OK! | 椎名林檎 | 音楽アーティスト | |
2004年7月12日号(アジア版) Fading Away? | 小泉純一郎 | 内閣総理大臣 | |
2006年7月3日号(アジア版) After Koizumi | 小泉純一郎 | 内閣総理大臣 | |
2006年9月18日号(アジア版) Who Is Shinzo Abe? | 安倍晋三 | 内閣官房長官 | |
2007年9月24日号(アジア版) After Abe | 安倍晋三 | 内閣総理大臣 | |
2009年3月23日号(アジア版) The Maverick | 小沢一郎 | 民主党代表 | |
2009年8月31日号(アジア版・オセアニア版) Young Japan | 今村久美 | NPOカタリバ代表理事 | |
2012年7月30日・8月6日号(アジア版) Summer Olympics Special | 澤穂希 | プロサッカー選手 | |
2014年4月28日号(アジア版・ヨーロッパ版・オセアニア版) The Patriot | 安倍晋三 | 内閣総理大臣 | |
2015年1月19日号(アジア版・オセアニア版) The Way of Kei | 錦織圭 | プロテニス選手 |
脚注
^ 雑誌名はオールキャップスされた TIME で商標登録されている。
^ “History of TIME”. TIME magazine. 2009年9月7日閲覧。
^ "Henry R. Luce", in Current Biography 1941, p530
^ Instant History: Review of First Issue with Cover
^ “Time Inc. Layoffs: Surveying the Wreckage”. Gawker. 2007年10月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年12月15日閲覧。
^ “Time's foray into personal publishing” (2009年4月27日). 2007年12月15日閲覧。
^ Meredith Corporation Announces Completion Of Time Inc. Acquisition And Reports Fiscal 2018 Second Quarter And First Half Results メレディス社のプレスリリース
^ http://www.time.com/time/archive
- ^ ab2001年は、9月10日号と9月17日号の間に、9月14日特別号と9月15日特別号が増刊されている。9月14日特別号は9/11テロ事件の速報、9月15日特別号は当初9月17日号に掲載される予定だった特集記事を前倒しにして9/11テロ事件関連記事に紙面を譲ったもの。
^ “The Time of Their Lives”. 2007年4月22日閲覧。
^ “Does The Redesign of Time Magazine Mean It Has A New Business Model As Well?”. 2007年4月22日閲覧。
^ “Full Esteem Ahead”. 2007年4月22日閲覧。
^ News.com.au, Suharto wins $128m in damages
^ “The Time of Their Lives”. 2007年4月22日閲覧。
関連項目
- パーソン・オブ・ザ・イヤー
- タイム誌の表紙を飾った人物の一覧
- ライフ (雑誌)
- ピープル (雑誌)
読売新聞(提携先)
外部リンク
TIME Magazine(英語)
TIMEasia.com(英語)
TIME's Man of the Year List (About)(英語)
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