小出英たけ
本来の表記は「小出英筠」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。 |
凡例 小出 英筠 | |
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
生誕 | 安永3年12月7日(1775年1月8日) |
死没 | 文政4年5月10日(1821年6月9日) |
官位 | 従五位下、信濃守、伊勢守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
藩 | 丹波園部藩主 |
氏族 | 小出氏 |
父母 | 父:小出英常、母:井伊直存娘 |
兄弟 | 英筠、英信、娘(稲垣定淳正室)、娘(立花鑑門継室)、娘(小出英俊室) |
妻 | 正室:松平頼謙娘・鑑 継室:分部光賓娘 |
子 | 祐英(長男)、英発(次男)、祐順(三男)、定(稲垣長剛正室) |
小出 英筠(こいで ふさたけ(ふさもと))は、丹波園部藩の第7代藩主。吉親系小出家7代。
生涯
第6代藩主・小出英常の長男。母は井伊直存の娘。正室は松平頼謙の娘。継室は分部光実の娘。
安永4年(1775年)、父の死去により2歳で跡を継ぐ。天明7年(1787年)11月、天明の大飢饉が原因で大規模な百姓一揆が起こり、その鎮圧と解決に努めた。藩財政窮乏化のため、タバコの専売制を実施し、さらに藩校・教先館を設立する。財政改革にはあまり効果がなかったが、文化的には発展した。
文政4年(1821年)5月10日、48歳で死去し、跡を次男・英発が継いだ。
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