ジョルジョ・ヴァザーリ
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ジョルジョ・ヴァザーリ | |
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『自画像』 | |
生誕 | (1511-07-30) 1511年7月30日 アレッツォ |
死没 | 1574年6月27日(1574-06-27)(62歳) |
ジョルジョ・ヴァザーリ(Giorgio Vasari, 1511年7月30日 - 1574年6月27日)は、イタリアのマニエリスム期の画家、建築家。ミケランジェロの弟子[1][2]。芸術家の列伝でも知られる。
目次
1 生涯
2 絵画
3 建築
4 著作・伝記
5 脚注
生涯
イタリアのアレッツォ生まれ。1529年、ローマを訪れ、ラファエロらの作品に学ぶ。のちにメディチ家のトスカーナ大公コジモ1世(1519年-1574年)お抱えの芸術家となった。現在は美術館になっているウフィッツィ宮殿も手掛けている。
ミケランジェロを中心にルネサンス期の芸術家の評伝を書き、これは美術史の基本資料になっている。『画家・彫刻家・建築家列伝』は1550年に出版され、チマブーエからミケランジェロまで芸術家133人の作品と生涯を記している(1568年の第二版では30人を追加)。この中で「再生」 (rinascita) という用語を用いており、ヴァザーリが中世とは異なるルネサンスの時代を強く意識していたことが示されている。また、1563年には美術アカデミー、アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョを創立する。1572年からフィレンツェ大聖堂ドーム天井に『最後の審判』のフレスコ画を描くが、1574年逝去(天井画は1579年に完成)。
絵画
- ゲッセマネの祈り(国立西洋美術館蔵)
- 市庁舎(ヴェッキオ宮殿)壁画「シエナ攻防戦」等
レオナルド・ダ・ヴィンチの未完成の壁画「アンギアーリの戦い」と、ミケランジェロの未完成の壁画「カッシナの戦い」の上に描いたとされている。
- ストゥディオーロ(ヴェッキオ宮殿内の小書斎)壁画
フィレンツェ大聖堂ドーム天井画「最後の審判」
建築
- ウフィッツィ宮殿(1560-)
- ヴァザーリの回廊(ウフィッツィ美術館とピッティ宮殿を結ぶ回廊)
フィレンツェ(フランス)官庁舎(現ウフィッツィ美術館)[3]
著作・伝記
- 『画家・彫刻家・建築家列伝 Le vite de' piu eccelenti pittori, scultori e architettori 』
- 日本語訳(抜粋版)は、各白水社
- 『ルネサンス画人伝』(1982年)、『続 ルネサンス画人伝』(1995年)[4]
- 『ルネサンス彫刻家建築家列伝』(1989年)[5]
- 『芸術家列伝』白水Uブックス 全3冊。(2011年)[6]
- 日本語訳(抜粋版)は、各白水社
- 全訳版 『美術家列伝』、森田義之ほか監修、中央公論美術出版 全6巻。2014年~。
- ロラン・ル・モレ 『ジョルジョ・ヴァザーリ-メディチ家の演出者』、平川祐弘・平川恵子共訳、白水社、2003年
- 『ルネサンスの演出家 ヴァザーリ』、樺山紘一・稲川直樹ほか4名、白水社、2011年
- ラウル・コルティ 『ヴァザーリ』、岡田温司訳、京都書院〈カンティーニ美術叢書5〉、1995年
脚注
^ “イタリア・フィレンツェへ ミケランジェロを訪ねる旅”. NHKオンライン (2016年10月23日). 2018年4月4日閲覧。
^ 中島智章 『世界で一番美しい天井装飾』 エクスナレッジ、2015年、11頁。ISBN 978-4-7678-2002-6。
^ 美術検定実行委員会編『美術検定 過去問題集 2008』美術出版社、2008年、30-31頁。
^ 部分訳で、ヴァザーリ研究会編『ヴァザーリの芸術論 『芸術家列伝』における技法論と美学』(平凡社、1980年)にも収録。
^ 各新装版刊、主要作家の列伝・編訳版。
^ 新書判で、著名な計17名の画家を収録。