神社本庁
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神社本庁(東京都渋谷区代々木1-1-2) | |
前身 | 皇典講究所、 大日本神祇会、 神宮奉斎会[1] |
---|---|
設立年 | 1946年(昭和21年)2月3日[1] |
種類 | 宗教法人[1] |
法人番号 | 9011005000422 |
本部 | 日本 東京都渋谷区代々木一丁目1番2号 |
座標 | 北緯35度40分46秒 東経139度42分10秒 / 北緯35.67944度 東経139.70278度 / 35.67944; 139.70278座標: 北緯35度40分46秒 東経139度42分10秒 / 北緯35.67944度 東経139.70278度 / 35.67944; 139.70278 |
メンバー | 日本全国約8万の神社[1] |
主要機関 | 地方機関として47の都道府県神社庁。市郡にその支部[2]。 |
関連組織 | 全国神社総代会、 神道政治連盟、 全国敬神婦人連合会、 神道青年全国協議会、 全国神社保育団体連合会、 全国教育関係神職協議会、 全国神社スカウト協議会、 全国氏子青年協議会[3] |
ウェブサイト | http://www.jinjahoncho.or.jp/ |
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神社本庁(じんじゃほんちょう)は、神宮(伊勢神宮)を本宗とし、日本各地の神社を包括する宗教法人である。
庁が付くが、役所ではなく、民間の宗教法人である。
目次
1 概説
2 歴史
2.1 前史
2.2 神社本庁の設立
3 教義
3.1 神社本庁憲章
3.2 敬神生活の綱領
4 組織
4.1 広義と狭義の神社本庁
4.2 団体組織
4.3 神宮大麻
4.4 関係団体
4.5 指定団体
4.6 神社本庁との被包括関係に属さない神社
4.7 資産
5 政治活動・主張
5.1 皇室典範の改正
5.2 首相の靖国神社公式参拝
5.3 紀元節復帰運動
5.4 上関原子力発電所建設に伴う四代八幡宮境内地処分問題について
5.5 神社境内における憲法改正署名運動
5.6 津地鎮祭訴訟の最高裁判決について
6 訴訟
6.1 不動産売買をめぐる問題とその関連訴訟
7 参考文献
8 脚注
9 外部リンク
概説
神社本庁は、神道系の宗教団体として日本で最大[4]。約8万社ある日本の神社のうち主要なものなど7万9千社以上が加盟している[4]。都道府県ごとに神社庁を持つ[5][4]。内務省の外局であった神祇院の後継的存在であり、宗教法人法に基づく包括宗教法人である。
神社本庁の宗教法人としての規則である「神社本庁庁規」では、神社本庁の目的を、包括下の神社の管理・指導、神社神道の宣揚・神社祭祀の執行・信者(氏子)の教化育成・本宗である伊勢神宮の奉賛・神職の養成・冊子の発行頒布を通じた広報活動などとしている[要出典]。
歴史
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前史
1872年(明治5年)、伊勢神宮の少宮司で教部省にも所属した浦田長民が神宮教会を設立した。
1875年には全国の神道諸派を結集させた行政団体として神道事務局が創設され、総裁には有栖川宮幟仁親王、副総裁には岩下方平が就任した。1882には神道事務局から生徒寮を分離独立させて神職の中央機関である皇典講究所が創設。神道事務局のほうは1884年、神道本局と改編された。1885年には会通雑誌社『会通雑誌』が創刊され、皇典講究所と神道本局の録事や官報、外国の彙報、官国幣社の祭日などが報じられていた[6]。
1890年(明治23年)11月29日に施行された大日本帝国憲法第28条により、国民の「信教の自由」が認められると、神道も仏教、キリスト教とともに宗教団体として国家の公認を得ることになったが、一方で、神社は国家から宗教として扱われないまま国家祭祀を公的に行う位置づけとされた[7]。
1898年(明治31年)に全国神職会が結成され、全国の神社の連携が強化された[8]。1900年(明治33年)、社寺局から独立するかたちで、内務省社寺局が神社局と宗教局として再編され、神社と仏教が区別されることとなる[9]。全国神職会は後に大日本神祇会と改称し、神社本庁の前身団体の一つとなる[9]。
1899年には神宮教会が神宮奉斎会に発展。
1909年1月30日、国鏡社の社主飯山正秀により、皇道学と教育勅語の普及を目的とした教育団体である日本奨学義会が創立[10]。
明治末期になると、皇室祭祀関連の規定も整備され、大正に入ると全国神社の祭祀・祭式の形式も整う[11]。
1918年(大正7年)には今泉定助が皇典講究所の理事に就任し、次いで1921年(大正10年)には神宮奉斎会の会長となる。
昭和期に入り、1938年には日本大学皇道学院が設立され今泉定助が院長に就任[12]。1940年に神祇院が設置される[13]。
1945年(昭和20年)10月4日に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)が「思想、宗教、集会及言論の自由に対する制限」を撤廃し「天皇、国体及日本帝国政府に関する無制限なる討議」を認める「自由の指令[14]」を公布する[15]。12月15日には、「神道指令」を日本政府に命じて神祇院を廃止し、西洋で見られる緩やかな政府と宗教の分離とはかけ離れた、国家から宗教的要素を完全に分離させることを目的とする過激な内容を実施しようとした[16][15]。これにより、12月28日に「宗教団体法」が廃止されるとともに、「宗教法人令」が公布され即日施行される[17]。
1946年(昭和21年)1月23日、神道指令に伴い、大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会の3団体が中心となり、神社本庁を設立した。
神社本庁の設立
神祇院は占領軍の圧力を想定せず、神社非宗教の立場で現体制を維持出来るものと思っていたが、「神道指令」の発布と同日に廃止された[18]。一方で、葦津珍彦は厳しい弾圧があると想定しており、皇典講究所の吉田茂、神宮奉斎会の宮川宗徳とともに打開策を探っていた[18]。
1945年(昭和20年)10月25日、葦津の「神社制度改革に対する私見」が、大日本神祇会、皇典講究所、神宮奉斎会の関係者に提示され、民間主導により、神社界の生き残りをかけた話し合いの場がもたれる[18][19]。葦津案は、「正確な情報の伝達と統一ある処理を行う全国組織の構築」、「各神社の緩やかな連合体としての神社連盟」、「この神社連盟には教義についての採決権を与えない」とする内容であった[18]。11月7-8日に、第2回の民間三団体の合同懇親会が開催され、「三団体は合同する」、「準備事務局を神祇会館に設ける」、「合同についての原案を作成して審議会を開催する」という3点が可決された[18]。しかし、11月13日に、一つの宗教団体のように教義採決権や傘下神社の人事権をもつとする、大日本神祇会の「神社教(仮称)教規大綱案」が、設立準備審議会に提出される[18]。これに対し、葦津は、「教義を固定化することは神社神道の本質に反し、占領下で強力な中央集権組織を造れば占領軍の干渉に有利に働く」と主張し、大日本神祇会案に強く異議を唱える[18]。翌14日に、葦津案を基調とした折衷案が、宮川宗徳から提出され、改めて、検討されることとなった[18]。こうして、審議会は、葦津案を中心に神社界の組織構想を練り上げ、1946年(昭和21年)1月23日、「全国神社の総意に基き、本宗と仰ぐ皇大神宮の許に、全国神社を含む新団体を結成し、協力一致神社本来の使命達成に邁進し、以て新日本の建設に寄与せんことを期す。」として神社本庁設立に関する声明が発せられて宗教法人である神社本庁が発足し、2月3日をもって設立する[18][20]。神社本庁の発足に従い、宗教法人法(宗教法人令)のもと、神社も、他の宗教と同じく宗教団体として扱われることとなった[9]。
本庁の設立の際、神宮奉斎会から10万円が神社本庁に寄付され、奉斎会の地方本部奉斎所のうち「相当ノ設備ヲ有スル」(宮川による説明より)ものは神社として再発足した[21]。たとえば東京の奉斎会本院は1946年(昭和21年)3月に神社本庁に神社設立を申請し、東京大神宮として再発足した[21]。
1956年(昭和31年)5月、神社信仰の基本となる指針として「敬神生活の綱領」を掲げ、氏子・崇敬者の教化・育成に努めている。また、1980年(昭和55年)7月から「神社本庁憲章」を施行し、神社本庁の精神的統合の基本的規範を確立した[22]。
教義
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神社本庁憲章
神社本庁は全国約8万社の包括宗教法人である。各神社にはそれぞれ由緒があり、信仰的にも八幡信仰、稲荷信仰などと様々であって、一つの教義を定めるのは非常に困難であった。そこで1980年(昭和55年)5月21日評議員会議決を以て「神社本庁憲章」を定めた。その経緯と位置づけは前文に「今日まで重要な懸案とされてきたのは、精神的統合の紐帯として、基本的規範を確立整備することであつた。」とあり、その効果については附則に「この憲章施行の際、庁規及び従前の規程等は、この憲章に基いて定めたものとみなす。」とある。
第一条は「神社本庁は、伝統を重んじ、祭祀の振興と道義の昂揚を図り、以て大御代の彌栄を祈念し、併せて四海万邦の平安に寄与する。」とある。
敬神生活の綱領
「神社本庁憲章」以前、神社本庁の実践的精神を示すものとして、昭和31年(1956年)に制定されたのが「敬神生活の綱領」である。
神道は天地悠久の大道であって、崇高なる精神を培ひ、太平を開くの基である。神慮を畏み祖訓をつぎ、
いよいよ 道の精華を発揮し、
人類の福祉を増進するは、使命を達成する所以である。
ここにこの綱領をかかげて向ふところを明らかにし、実践につとめて以て大道を宣揚することを期する。
一 神の恵みと祖先の恩とに感謝し、明き清きまことを以て祭祀にいそしむこと
一 世のため人のために奉仕し、神のみこともちとして世をつくり固め成すこと
一 大御心をいただきてむつび和らぎ、国の隆昌と世界の共存共栄とを祈ること
神社本庁には成文化された教義はないが、『神社本庁憲章の解説』によれば神社本庁は「神社本庁憲章」と「敬神生活の綱領」を以てその設立及び活動の精神としている[23]。
組織
広義と狭義の神社本庁
神社本庁は約8万社の神社包括団体である。そのため広義の「神社本庁」とは被包括神社を含めた集合体を指し、狭義の「神社本庁」とは渋谷区代々木にある事務組織を指す。神社本庁の議決機関は全国の神職・総代から選出された評議員会であり、総長以下役員もそこで選任される。戦前の監督官庁であった神祇院とは根本的に組織体質が異なる[24]。
団体組織
- 主たる事務所は東京都渋谷区代々木一丁目1番2号(明治神宮の隣)[25]。
総裁が「神社本庁憲章」(憲章)に基づき、名誉を象徴し、表彰を行なう。現任は前神宮祭主・池田厚子(旧名・順宮厚子内親王 昭和天皇の第4子・四女で今上天皇実姉)- 「統理」は憲章に基づき、神社本庁を総理し代表する。また日本会議で顧問を務める。現任は霞会館理事長で前・伊勢神宮大宮司の北白川道久
- 神社本庁の規則である「神社本庁庁規」に基づく宗教法人としての代表役員は総長。現任は石清水八幡宮宮司で京都府神社庁長・田中恆清。田中は日本会議副会長でもある。
- 地方機関として各都道府県に1つずつ神社庁を置き、各神社庁の配下に支部を置く。人事財政などの諸事務のほか、地域活動の推進などを行う。一部の神社庁は宗教法人となっており、その場合は神社本庁の被包括法人である。
- 全国の約8万社の神社が、神社本庁によって管轄される[26]。そのうち、特に神社本庁が神職の進退等に介入する神社は別表神社とよばれ、350社にのぼる[26]。
- 神社本庁に属する神社であっても、別に宗教法人を設立している場合がある。
- 例:出雲大社(出雲大社教)、石鎚神社(石鎚本教)、金刀比羅宮(金刀比羅本教)等
以上の団体のほか、関係団体、指定団体がある。
神宮大麻
- 全国の傘下の神社で得られる神宮大麻(天照大御神の札)の初穂料のうち、半分が神社本庁の収入とされる。残りの半分は伊勢神宮の収入となる[26]。これによる2001年(平成13年)度の神社本庁の収入は約35億円だった[26]。なお、神社本庁は傘下の神社に対し、一定数の神宮大麻の頒布を求めており、規定数に達しない場合も傘下の神社は札を返さない、と週刊ダイヤモンドは報じている[26]。神社本庁は、神宮大麻の頒布を活動目的の一つとしている[27]。
関係団体
全国神社総代会は神社の氏子総代からなり、神社本庁内に事務局が置かれる[28]。
神社本庁の初代事務総長宮川宗徳が社長となり1946年(昭和21年)2月に神社新報社を設立した[29]。一般財団法人神道文化会も宮川の提唱で設立された[30]。神社本庁の評議委員会が神社新報社などで開催が公示される[31]。
1969年(昭和44年)に、神道政治連盟が神社本庁を母体として設立された[32]。
指定団体
神社関係団体のうち特に神社本庁がその活動を勧奨、育成、助成するものに指定団体[33]がある。
- 全国敬神婦人連合会 - 神社に奉仕する婦人会の全国組織。
- 神道青年全国協議会 - 若手神職からなる全国組織。
- 全国神社保育団体連合会 - 神社を運営母体とする幼稚園・保育園・認定こども園・保育所等の相互互助と研鑚を目的とする。
- 全国教育関係神職協議会 - 教職員を兼業する神職の相互互助と研鑚を目的とする。
- 全国神社スカウト協議会 - ボーイスカウト・ガールスカウトを直接運営又は運営に協力する神社の相互互助を目的とする。
- 全国氏子青年協議会 - 神社を中心にした青年の団体で神社への奉仕を通じて地域社会の発展に寄与することを目的とする。
神社本庁との被包括関係に属さない神社
有名な神社であっても、鎌倉宮・靖国神社・伏見稲荷大社・日光東照宮・気多大社・梨木神社・新熊野神社・富岡八幡宮など神社本庁との被包括関係を有せず、単立宗教法人として運営される場合がある。大きな単立神社は約2000社、小さな祠等を含めると20万社の単立神社がある[26][34]。東大阪市のように宗教法人格を有している神社に限っても半数以上が神社本庁に属していない地域もある[35]。
神社本庁以外にも神社神道系の包括宗教法人がいくつかあり(神社本教、北海道神社協会、神社産土教、日本神宮本庁など)、これに属する神社は神社本庁の被包括関係には属さない。
気多大社は別表神社であったが、財産の管理および処分に関する気多大社神社規則変更における対立から訴訟の末、神社本庁から離脱し、単立神社となっている[36][37][38]。明治神宮も2004年(平成16年)に神社本庁と被包括関係を解消し、別表神社から離脱したが、2010年(平成22年)8月23日に再び神社本庁と被包括関係になった。富岡八幡宮は宮司人事に対する神社本庁の姿勢に疑問を持ち、2017年(平成29年)6月に脱退した[39]。
資産
週刊ダイヤモンドによれば、2014年の時点で、神社本庁の所有財産は、93億7644万円だった[40]。このうち、神社本庁の建物は14億4079万円、境内地の評価額は10億8900万円とされる[40]。また、所有する普通財産には、歴史教科書を出版している教科書会社の株式などが含まれる[40]。
政治活動・主張
神社本庁の関係団体に神道政治連盟がある[32]。また、神社本庁総長の田中恆清は日本会議の副会長である[41]。
1953年(昭和28年)の第3回参議院議員通常選挙で神社本庁は宮川宗徳を擁立したが、宮川は落選した[32]。1966年(昭和41年)に神社審議会は「神社本庁関係の全組織をあげて強力な推進団体を組織して、国会に代表を送る」べきだと答申した[42]。1969年(昭和44年)の神道政治連盟結成後は、独自候補擁立ではなく既存政党の政治家の推薦が行われた[32][42]。塚田穂高によれば神道政治連盟結成後、神社本庁と神道政治連盟は自由民主党の議員を主に支援しており[42]、堀幸雄によれば「利益代表を出すのに熱心」だった[32]。ジェフ・キングストンによれば、神社本庁は日本遺族会など他の右派団体と共に、靖国神社を参拝する見返りに政治家に票と金を提供するロビー活動をおこなった[43]。
上杉聰は、過去に実施された日本会議の行事の受付では、神社本庁を含む各種宗教団体別の受付窓口が設けられ、参加者を組織動員した旨を述べている[44]。
皇室典範の改正
2005年(平成17年)3月17日、神社本庁は、「皇室典範に関する有識者会議」が皇位継承のあり方を検討していることを受け、「皇室典範改正に関する神社本庁の基本的な姿勢」としてまとめ、各都道府県の神社庁に送付した。また同年11月24日に有識者会議が報告書を提出したことに対し、12月2日に「皇室典範改正問題に関する神社本庁の基本見解」を発表した[45]。その中で皇位は「一つの例外もなく男系により継承されて」いるとして[45]、「皇室典範改正に関する神社本庁の基本的な姿勢について」で政府や有識者会議に対して男系による皇位継承の尊重を呼びかけた[45]。
首相の靖国神社公式参拝
2005年(平成17年)6月9日、神社本庁は内閣総理大臣の参拝等で議論を呼んだ靖国神社の諸問題、いわゆる靖国神社問題に関して、神社本庁としては分祀は「神社祭祀(さいし)の本義からあり得ない」などとする基本見解を発表した[46][47]。その中で、神社本庁としては、A級戦犯も含め、戦争裁判犠牲者を日本政府の一連の措置により昭和殉難者として合祀、慰霊してきた靖国神社を支持するとともに、多くの人が祭神の「分祀」の意味を誤解して神社祭祀の本義から外れた議論がなされていることを憂慮すると表明。見解の要旨は、靖国神社は日本の戦没者追悼の中心的施設である・祭神の分離という意味の「分祀」は神社祭祀の本義からありえない・首相は靖国神社参拝を継続するべきである・いわゆるA級戦犯は国会の決議とそれにかかる政府の対応により合祀されたというものである。
なお、神社本庁は靖国神社崇敬奉賛会の法人会員でもある。
紀元節復帰運動
1957年(昭和32年)8月21日に、生長の家や修養団などと合同で紀元節(西暦紀元前660年2月11日に初代・神武天皇が即位したとされる日を日本国誕生の日とする)を復活させる運動のための統一団体「紀元節奉祝会」を結成した。1967年(昭和42年)には「建国記念の日」の名称で紀元節を復活させるなど政治的な理念も有して活動している。
上関原子力発電所建設に伴う四代八幡宮境内地処分問題について
中国電力が建設予定の山口県上関原子力発電所予定地の一部が四代八幡宮の境内地にかかっていたが、当時の宮司林春彦が神社地の原発用地への提供に反対した[48][49]。このことについて、神社本庁の代表役員らが林の解任を画策したと林は2002年に主張した[48]。2003年には原発推進派の氏子が宮司解任を要求するなどの騒動に発展した[49]。
神社本庁は同神社境内地の財産処分申請に対し「原子力発電は地球温暖化の原因となる温室効果ガスを排出しないため環境破壊に当たらない」として、四代八幡宮に対して境内地売却の財産処分を承認した[50]。
神社境内における憲法改正署名運動
神社本庁参加の一部の神社において、神社本庁が参加する「美しい日本の憲法をつくる国民の会」(櫻井よしこ主宰)が憲法改正を求める署名活動を行っている[51]。神社におけるこのような活動に関しては、「神社の職務は、参拝者に気持ちよくお参りをしていただく環境を整えること。不快感を抱く人もいる改憲運動を持ち込むのは、神職の職務放棄、神社の私物化」などの、神社本庁内外の有力神社関係者からの批判がある[34]。
津地鎮祭訴訟の最高裁判決について
1977年(昭和52年)、津地鎮祭訴訟の最高裁判決(昭和52年7月13日大法廷判決)において、国や自治体が、社会の一般的慣習に従った儀礼などにおいて宗教と関わることが日本国憲法第20条第3項で禁止される「宗教的行為」には該当しないとする合憲判決が下される[52][53]。神社本庁では、これにより占領軍による国家と宗教の「完全分離主義」が退けられ、憲法の政教分離条項の解釈が確定したとしている[52]。また、この法理解釈により、平成の皇位継承に関する儀式・儀礼を根拠づけることが可能となるとしている[54]。
訴訟
不動産売買をめぐる問題とその関連訴訟
2015年に一般職員のための百合丘職舎を売却し、総務部長が居住するための危機管理用の新たな職舎を購入したことが報じられた[55][56][57]。
この売却を巡り、上層部と業者による癒着の疑いを指摘して懲戒処分を受けた元幹部職員二人が「正当な内部告発への報復的な措置であり違法」として近く本庁に処分の無効確認を求める訴えを東京地裁に起こすことが報じられた[56][57]。
参考文献
神社本庁研修所, ed (2005). わかりやすい神道の歴史. 神社新報社. ISBN 9784915265051.
阪本是丸(編); 石井研士(編); 武田秀章・松本久史・笹生衛・岡田荘司・西岡和彦・中西正幸・茂木栄・茂木貞純・星野光樹・黒﨑浩行・藤本頼生 (2011). プレステップ神道学. 弘文堂. ISBN 9784335000799.
- 井上順孝 『神道』 ナツメ社〈図解雑学〉(原著2006年12月4日)、初版。ISBN 9784816340628。2009年5月4日閲覧。
塚田穂高 『宗教と政治の転轍点 保守合同と政教一致の宗教社会学』 花伝社、2015年3月25日。ISBN 978-4763407313。
脚注
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^ 神社本庁 > 神社本庁のご案内 > 神社庁一覧
^ 神社本庁 > 神社本庁のご案内 > 関係団体一覧
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^ 「日本奨学義会規則」、飯山正秀編『成功名家列伝』、国鏡社。1910年。NDLJP:778190/5
^ 神社本庁研修所 2005, pp. 215-221.
^ 1936年成立の思想犯保護観察法により、東京市渋谷区千駄ヶ谷4-658の住所(旧住所)には思想犯保護観察所が設置され、東京・千葉・埼玉・山梨で思想犯とされた集団の保護観察に当たっていた。
^ 神社本庁研修所 2005, pp. 232-234.
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- ^ ab神社本庁研修所 2005, pp. 244-246.
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^ 神社本庁 関係団体一覧
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^ 大阪府神社庁 第六支部 東大阪市参照。なお、ここにおける単立神社には式内社の石切剣箭神社等も含まれている・
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^ 「気多大社 人事で混乱 宮司2人 法廷頼み」、朝日新聞、2006年9月17日
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- ^ ab神社本庁元幹部ら、解雇処分無効など訴え提訴 不動産売却めぐり癒着指摘、2017年10月17日。
外部リンク
- 公式サイト
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