内川聖一




























































内川 聖一
福岡ソフトバンクホークス #1

Seiichi Uchikawa 2011.jpg
2011年4月16日、福岡 Yahoo! JAPANドームにて

基本情報
国籍
日本の旗 日本
出身地
大分県大分市
生年月日
(1982-08-04) 1982年8月4日(36歳)
身長
体重

185 cm
93 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
一塁手、外野手
プロ入り
2000年 ドラフト1位
初出場
2001年3月30日
年俸
4億円+出来高(2018年)
※2018年から2年契約(年俸変動制)[1][2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)



  • 大分県立大分工業高等学校


  • 横浜ベイスターズ (2001 - 2010)


  • 福岡ソフトバンクホークス (2011 - )



国際大会
代表チーム
日本の旗 日本
WBC
2009年、2013年、2017年

内川 聖一(うちかわ せいいち、1982年8月4日 - )は、大分県大分市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。福岡ソフトバンクホークス所属。妻は元フジテレビアナウンサーの長野翼。


NPBにおける、右打者史上最高打率記録保持者 (.378) 、史上2人目の両リーグでの首位打者獲得者、両リーグでの最多安打獲得者。史上4位タイ(右打者としては落合博満とならび1位タイ)の7年連続打率3割達成者、史上14位タイの8度の打率3割達成者。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 プロ入り前


    • 1.2 横浜時代


    • 1.3 ソフトバンク時代




  • 2 選手としての特徴


    • 2.1 打撃


    • 2.2 守備・走塁


    • 2.3 評価




  • 3 人物


  • 4 詳細情報


    • 4.1 年度別打撃成績


    • 4.2 WBCでの打撃成績


    • 4.3 年度別守備成績


    • 4.4 タイトル


    • 4.5 表彰


    • 4.6 記録


    • 4.7 背番号


    • 4.8 登場曲


    • 4.9 代表歴




  • 5 関連情報


    • 5.1 出演


      • 5.1.1 CM






  • 6 脚注


    • 6.1 注釈


    • 6.2 出典




  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク





経歴



プロ入り前


父親が国東高校の野球部の監督を務めていた頃の教え子が吉田豊彦であり、子供の頃からの知り合いだった。子供の頃にプロ野球に興味を持った最初の球団は、吉田が入団した南海ホークスで、南海ホークスのユニフォーム型のパジャマを着ていた[3]


大分工業高校時代は、1年生の秋に骨に穴があく骨嚢腫により左かかとを3回に亘って手術し3ヶ月の入院生活を送りながらも、通算43本の本塁打を記録した。3年夏の高校野球大分大会には主将として遊撃手で出場したが、決勝戦で中津工業高校にチームは1安打に封じられ、0対4で敗れ準優勝となり、甲子園には出場できなかった[4]


2000年11月17日に行われたプロ野球ドラフト会議で横浜ベイスターズから1巡目指名を受けて入団[5]。広島東洋カープも指名予定だったが、当時足に故障を抱えていたため、内川はヘッドコーチの大下剛史主導による広島の猛練習に不安を感じていたとされ、もし広島から1位指名された場合は拒否をして進学するとしていた。ちなみに横浜との入団契約の際には、故障の治療を保障する条件が盛り込まれている[6]。後に2017年の日本シリーズで福岡ソフトバンクホークスの選手としてベイスターズと対戦した後の手記に、「プロでやれる自信もなかったし、大学に行けば4年夏にアテネ五輪を迎えることができた。当時の代表はアマチュア選手が中心の編成。縦じまで、左胸に日の丸が入ったユニホームを着たいという夢があった。ただ、プロで通用しなかったとしても大学には入れるけど、大学に行ってもプロになれるとは限らない。そう思ってプロ入りを決断した。横浜が足の病気を理解してくれていたことも大きかった。」という趣旨を書いている[7]。背番号は「24」。



横浜時代


2001年は3試合ながらプロ1年目から一軍を経験。7月20日に東京ドームで行われたフレッシュオールスターゲームに遊撃手として途中出場し、7回に佐竹健太から二塁打を放ち、得点も記録した[8]。二軍ではイースタン・リーグ3位となる四球47を記録した。


2002年から背番号を「2」に変更し、代打として42試合に出場、70打席ながら打率.333、2本塁打と結果を残した。二軍では7月11日に長野オリンピックスタジアムで行われたフレッシュオールスターゲームに2年連続で選出され、5番三塁手で先発出場し、藤川球児から安打を放ち得点も記録、7回から二塁手で出場した[9]


2003年のキャンプ中、突然右目の視力が極端に悪くなり、開幕一軍を逃す。シーズン途中に再調整のため降格した石井琢朗に代わり、5月から2番・遊撃手のレギュラーに定着するが、原因不明の体調不良が続いて右手の握力が弱くなり、ボールを握ることすら出来なくなったため、6月に登録抹消。9月に再昇格した後は二塁手として起用され、打率.313の好成績を残した。体調不良の原因は、アゴが右側に曲がって頚椎の神経を圧迫していたことだったと判明。契約更改では顎の整形代という理由で年俸を微増されたが結局整形はせず、奥歯の噛み合わせを矯正することで解消した。


2004年は7番・二塁手として初めて開幕スタメンに起用され、1年を通じて二塁での先発出場が多くなったものの、2005年は二塁は種田仁の起用が多く、代打での出場が多くなった。


この頃について、内川自身は、2017年日本シリーズ後の手記で「5年目ぐらいまでは毎日必死だった。レギュラーをつかみかけては離す。そんなことが続くうちに、他球団では同い年の中島裕之(2005年当時西武ライオンズ)や片岡治大(2005年当時西武)が活躍し始め、置いていかれる感覚があった。」という趣旨を書いている[7]


2006年は二塁手の種田が不振に陥ったが、内川自身の送球難から左翼手や一塁手に回る事も多かった。初めて100試合出場と100安打以上を達成したが規定打席には届かなかった。


2007年は本格的に外野手へ転向され、右翼手に固定された。開幕から結果が出ず降格した時もあったが、再昇格後の8月には打率.448を記録し、復活を印象付けた。同シーズンはプロ入り後初めて、シーズンを通して外野手を務めた。


2008年は開幕から打撃好調で4月末に一塁手のレギュラーに定着。打率が4割を超える時期も長く、オールスターゲームに監督推薦で外野手部門で初出場し、2試合を通じて5打席連続安打を記録するなど活躍、マツダ・ビアンテ賞を獲得した。後半戦も好調を維持し、右打者としては1999年のロバート・ローズを抜き、日本人選手のセ・リーグ記録も更新する打率.378を記録(従来は1951年、読売ジャイアンツの川上哲治の.377)。自身初の首位打者に輝いた。同シーズンは最多安打(189安打)、最高出塁率(.416)のタイトルも獲得した他、得点圏打率は両リーグトップの.449を記録した。




横浜時代(2009年、阪神甲子園球場)


2009年の開幕前には第2回WBCの日本代表に選出され(上記「日の丸のユニホーム」を着る夢もかなった[7])、第1ラウンド2回戦の対韓国戦に6番・一塁手として先発出場。金廣鉉から三塁線を破る2点適時二塁打を放ち、勝利に大きく貢献した。第2ラウンド1位を決める対韓国戦でも、先制された直後に張洹三から同点本塁打を放った。決勝の韓国戦では6番・左翼手として出場し、5回裏の守備では高永民が打った鋭い当たりにスライディングで好捕し、正確な送球でバッターランナーを二塁でアウトにする好プレーを見せた[10]。打撃でも3安打と活躍し、10回表に先頭打者として右前安打を放ち、走者として決勝の得点を踏んだ。同大会では主に左投手相手に起用され、大会成績は6試合出場で打率.333(18打数6安打)、1本塁打であった。


シーズンでは同じく日本代表に選出された村田修一が大会期間中の3月30日に右脚を故障したため、内川は開幕4番打者を務め、全打順での試合出場を達成。アレックス・ラミレス(読売ジャイアンツ)と首位打者争いを繰り広げ、リーグ2位の打率.318[11]を記録した。この年外野手として獲得したダン・ジョンソンが怪我で一塁しか守れないこともあり、同年は主に左翼を守った。


ただ、内川は、この頃の心境について2017年の手記で「レギュラー、主力と立ち位置が変わるにつれ、自分の成績だけでは満足できずイライラが募り始めた。だけど誰も、チームが強くなるすべを知らない」と書いている[7]


2010年、6月3日に国内FA権を獲得した。6月15日の対福岡ソフトバンクホークス戦で、小椋真介から自身初の満塁本塁打を放った。当初は主に3番一塁手としての出場が多かったが、シーズン途中に獲得したブレット・ハーパーが一塁しか守れなかったため、シーズン後半は1番右翼手での出場が中心となる。最終的にリーグ3位の182安打を記録し、自身初めての全試合出場、3年連続打率3割を達成した。


シーズン終了後の11月8日、FA権行使を表明[12]。ソフトバンクと広島東洋カープが獲得に名乗りを上げ、両球団と交渉を行い、12月1日にソフトバンクへ移籍することを表明した[13]



ソフトバンク時代


2010年12月6日、福岡ソフトバンクホークスと正式に契約を交わし、同じく移籍加入した細川亨とともに入団会見を行った[14]。契約内容は4年契約で総額5億6,000万円から13億6,000万円(金額は推定)の間での変動制で、背番号は第2回WBCでも着用した「24」。


2011年は、4月に打率.397、安打・塁打(38)でリーグトップ、打点・二塁打(5)でリーグ2位タイ、長打率(.603)でリーグ3位の好成績を残し、自身2度目となる月間MVPを獲得した[15][16]。さらに交流戦では打率 .326(交流戦6位)・20打点(交流戦4位)・4本塁打(交流戦7位タイ)、長打率.554(交流戦2位)と活躍し、交流戦の優勝に貢献。MVPも獲得した[17]。度重なる左足腿のケガに悩まされ一軍登録抹消やベンチ入りしながら代打出場にとどまる試合がありながらも、規定打席に到達。首位打者を事実上確定させた後も最終戦まで出場を続け、打率.338で自身2度目、江藤慎一(中日・ロッテ)以来史上2人目のセ・パ両リーグでの首位打者を獲得した。オフに背番号をこの年限りで現役引退した柴原洋の「1」へ変更[18]


2012年は6月に月間打率.128と苦しんだが、7月からは打率.346で、5年連続となる打率.300を記録し、最多安打のタイトルを獲得した。契約更改では、現状維持の1億7,000万円(金額は推定)で更改した。


2013年2月20日に、第3回WBCの日本代表28名に選出された[19]。3月24日のオランダ戦では、2回表に今大会初の本塁打を放ち、チームの勝利に貢献した。しかし準決勝のプエルトリコ戦では、2点ビハインドの8回裏一死一二塁の場面で投球直後に一塁走者だった内川が走ったものの、二塁走者だった井端弘和が二塁ベース上に留まっていたため、一・二塁間の挟殺プレーでアウトとなりチームの反撃の機会を逸する結果となった。


シーズンでは、4月29日の対千葉ロッテマリーンズ戦で吉見祐治[注 1]から史上267人目となる通算100号本塁打を放った。8月は打率.350・5本塁打・21打点を記録し通算3度目となる月間MVPを受賞[20]。本塁打(19本)・打点(92打点)は自己最高をマーク、打率も6年連続となる3割越えを記録する活躍で3年連続5度目のベストナインを受賞した[21]。この年の契約更改では、4年契約の3年目であったが、球団はこの契約を結び直す形で新たに2014年からの4年契約を提示、内川もこれに合意した。


2014年も打撃好調でリーグ優勝、CS制覇、日本一に大きく貢献した。日本シリーズではMVPを獲得した。オフの10月9日に、日米野球2014の日本代表に選出された[22]


2015年から監督に就任した工藤公康は、前年全試合で4番を打った李大浩の打点量産を期待して5番で起用しており、内川は4番打者を担当した。打率は.284で8年連続打率3割はならなかったが、秋山幸二・小久保裕紀以来のキャプテン・4番打者として優勝に大きく貢献した。


クライマックスシリーズファイナルステージでは3試合連続で決勝タイムリーを打ち、2011年に続く2度目のMVPを獲得した。しかし、日本シリーズ開幕前に肋骨骨折が発覚し、欠場せざるを得なくなった。だがチームは内川不在を感じさせない試合運びで第3戦以外を勝利し、4勝1敗で2年連続日本一に輝いた。


10月9日には第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出された[23]が、11月1日に前述の怪我のため辞退した[24]。12月22日に福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、4年契約の3年目となる来季を3000万円増の年俸3億3,000万円プラス出来高払い(金額は推定)でサインした[25]


2016年は李大浩の退団により本格的に一塁手へ転向(選手登録は外野手のまま)。この年も4番に固定され、141試合の出場で2年ぶりの3割台となる打率.304を記録し、自身初の100打点超えとなる106打点を記録した。オフの10月18日に「侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合」の日本代表に選出された[26]


2017年1月28日、同年3月に開催される第4回WBCの日本代表メンバーに選出される[27]。ところが2月25日、所属チームであるソフトバンクとの練習試合で一塁守備の際に打者走者の斐紹と交錯し、負傷交代する[28]。同日、宮崎市内の病院でX線検査・MRI検査を受けた結果、脱臼や骨の異常はなく「右肩打撲」と診断された[29]。その後は問題なく試合に出場し[30]、3月14日の対キューバ代表では8回に代打で登場し勝ち越しとなる犠飛を放って勝利に貢献する[31]


レギュラーシーズンでは、3月31日の開幕戦(対ロッテ戦)に「4番・一塁手」で先発出場し今季初安打を記録すると[32]、4月2日の同カード第3戦では今季第1号となるソロ本塁打を放つなど[33]、WBC出場の影響をみせず、4月25日には対北海道日本ハムファイターズ戦の試合前練習で左手甲に打球が当たり打撲するアクシデントがあったが、この日2安打を記録するなど[34]3月・4月は打率.340・5本塁打の好成績でスタートする。その後も5月25日の対ロッテ戦で移籍後初の3試合連続本塁打を放つなど好調を維持していたが[35]、6月2日のセ・パ交流戦(対横浜DeNA戦)の打席でスイングした際に首の左側を痛めて負傷交代し、翌3日に一軍出場選手登録を抹消された[36]。その後の検査で頸椎捻挫と診断されリハビリ組での調整となったが[37]、6月27日に一軍復帰し[38]、6月29日の対日本ハム戦で先制となる適時打を放った[39]。7月14日・15日両日に開催されたマイナビオールスターゲーム2017では、アルフレド・デスパイネとともに選手間投票で選出され[40]、14日の第1戦で決勝打を含む2安打を放ち、4年ぶり2度目のオールスターゲームMVPを獲得する[41]。しかしオールスターゲーム後の7月23日、対ロッテ戦で一塁の守備で打球を処理した際に左手を負傷。腫れが引かなかったため25日に仙台市内の病院でMRI検査・CT検査を受けた結果、「左手母指基節骨尺側基部の剥離骨折で全治6週間の見込み」と診断され離脱を余儀なくされた[42]。シーズン終盤の9月30日、対オリックス・バファローズ戦でようやく一軍復帰し適時打を放ったが[43]、レギュラーシーズンは怪我の影響もあって73試合出場と10年ぶりに出場100試合を割り、同じく10年ぶりに規定打席到達とシーズン100安打も逃すなど、レギュラーに定着した2008年以降では最低の成績に終わった。本塁打は12本と二桁に乗せたものの、確実視されていた通算2000安打の達成は持ち越しとなった。怪我による長期の離脱期間はあったが、シーズン前半の活躍で2年ぶりのリーグ優勝に貢献した。


楽天とのクライマックスシリーズファイナルステージでは、第1戦から第4戦まで4試合連続で本塁打を放つ活躍を見せ自身通算3度目のMVPを獲得[44]。古巣・横浜DeNAとの日本シリーズ第6戦では、9回一死の場面で山崎康晃から同点となるソロ本塁打を放つ活躍で優秀選手に選ばれた[7]


シーズンオフの12月18日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、このシーズンで4年契約は満了となったが、新たに2018年シーズンからの2年契約、5,000万円アップの年俸4億円プラス出来高(金額は推定)で契約合意に達した[1]


2018年、この年から正式に内野手登録となった[45]。5月9日の対西武戦(メットライフドーム)で、NPB史上51人目の通算2000安打を達成した。同5日の対オリックス戦(福岡ヤフオク!ドーム)で王手をかけてから14打席連続無安打と足踏みしていた中での達成となった。ホークス球団の選手としては前身の南海・ダイエーを含めて史上7人目[46]で、35歳9カ月での達成は1970年の野村克也(35歳3カ月)に次ぐ球団史上2番目の年少記録となった。 また初出場から1800試合目での記録達成は榎本喜八(1830試合)を抜いて歴代9位、右打者としてはアレックス・ラミレス、長嶋茂雄に次ぐ歴代3位の速さとなった[47]


2018年6月29日、ヤフオクドームにて試合前に名球会入りのセレモニーが開かれ、日本プロ野球名球会顧問の王貞治から名球会のブレザーが贈られた[48]



選手としての特徴




打席での内川(2010年)



打撃


早打ち型で三振と四球はともに少ないが、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年のリーグ最高通算打率.317を誇っている。元々は球を前で捌く打撃に自信を持っていたが、当時横浜の一軍打撃コーチであった杉村繁から、球を体の近くまで引き付けて打つようアドバイスされる[49]。杉村との特訓による打撃改造が実って広角にヒットを量産するようになり、2008年に初めて首位打者のタイトルを獲得した[50]。また、和田一浩がキャンプ中はカーブマシンしか打たないと聞いて、「遅いボールを強く打つということがどれだけ大変なのかが改めてわかった」とコメントしている[51]


首位打者を獲得した2008年から2010年までの対左打率.356と左投手に強く、統一球導入後も通算打率.318と左右の違いを苦にしていない。特に首位打者を獲得した2008年には対左打率.439を残し、2009年のWBCでは日本代表監督の原辰徳にこの点が評価され[52]、左投手の先発試合では積極的に6番で起用された。


2018年5月9日の2000本安打達成時点で右方向への安打が580本と29%を占める[53]



守備・走塁


右打者ながら一塁到達まで4.20秒と平均以上の脚力を備えている[54]。外野守備ではライト線近くの打球に弱く、右翼手での守備範囲は平均を下回るが[55]、左翼守備では2012年にUZR3.5と平均を上回る数値を記録した[56]。内野守備ではフィールディングは悪くないが、イップスのため短い距離の送球が出来ないこともあり、スローイングに難があると評されるも[50]、外野守備でのスローイングは比較的安定している[54]



評価


メジャーのスカウトからは前述の第2回WBCでの好送球とバットスピードが速い点から「ジェイソン・ワースを思わせる」と評価された[57]



人物



  • 父の内川一寛は、大分県の県立高校の野球部の監督を歴任しており、内川も大分工業高校では父の指導を仰いだ[4]

  • 2015年3月24日、福岡ソフトバンクホークスのキャプテンに就任する。キャプテン制を敷くのは2012年シーズンの小久保裕紀以来で、球団の福岡移転後では、秋山幸二(1999年~2002年)、小久保裕紀(2009年~2012年)に次いで歴代3人目となる[58]

  • シーズンオフには「チーム内川」と称される合同自主トレを行っており、上林誠知らホークスの選手のみならず、球団の垣根を越えて白崎浩之や松本啓二朗、鈴木誠也や小窪哲也、上本崇司など内川を慕う他球団の選手が参加している[59][60]。現在は独り立ちして自身で自主トレを行っているが、過去には今宮健太も参加していた[61]

  • 2010年3月24日にフジテレビアナウンサーの長野翼と結婚し[62]、シーズンオフの12月18日に挙式した[63]

  • 2012年6月5日には球団のTwitterで、夫人が5日に福岡市内の病院にて、体重3,956gの女児を出産したことを発表した。

  • 2016年7月20日、第二子となる男児が誕生したと報じられた[64]


  • 大相撲の琴奨菊と親交があり、家族ぐるみの付き合いをしている[65]。琴奨菊が度々ホークスの試合を観戦する姿もみられる[66]


  • プロサッカー選手の田中隼磨とは横浜在籍時(田中は横浜F・マリノス在籍時)より親交があり、田中の在籍する松本山雅FCの試合観戦に訪れたり[67][68]、また田中もホークスの宮崎キャンプを訪問する[69]などの交流がある。田中は「同じプロアスリートとして自分にとって凄く大切な存在」と評している。



詳細情報



年度別打撃成績































































































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

2001

横浜
3 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000

2002
41 73 66 11 22 4 1 2 34 7 0 0 3 0 4 1 0 13 1 .333 .371 .515 .887

2003
45 161 150 20 47 5 0 4 64 18 4 4 6 0 5 0 0 13 1 .313 .335 .427 .762

2004
94 369 338 55 97 11 1 17 161 45 2 7 12 1 18 0 0 42 7 .287 .322 .476 .798

2005
90 262 234 33 64 11 0 5 90 23 1 1 6 1 19 1 2 36 10 .274 .332 .385 .717

2006
124 439 402 41 115 15 2 4 146 34 8 3 7 3 22 0 5 64 9 .286 .329 .363 .692

2007
92 274 247 24 69 17 3 7 113 29 3 4 4 1 16 0 6 37 9 .279 .337 .457 .795

2008
135 544 500 83 189 37 1 14 270 67 2 3 5 4 31 1 4 49 7 .378 .416 .540 .956

2009
132 552 503 65 160 32 2 17 247 66 1 5 2 4 42 5 1 56 16 .318 .369 .491 .860

2010
144 637 577 75 182 36 4 9 253 66 1 2 3 4 47 1 6 51 17 .315 .371 .438 .809

2011

ソフトバンク
114 463 429 48 145 21 3 12 208 74 4 0 0 7 25 1 2 48 3 .338 .371 .485 .856

2012
138 567 523 44 157 21 3 7 205 53 6 4 0 7 31 6 6 36 12 .300 .342 .392 .734

2013
144 633 570 76 180 33 1 19 272 92 1 0 0 5 46 0 12 47 23 .316 .376 .477 .853

2014
122 534 488 50 150 26 1 18 232 74 0 0 0 7 34 6 5 48 5 .307 .354 .475 .829

2015
136 585 529 60 150 24 1 11 209 82 1 0 0 7 45 2 4 55 24 .284 .340 .395 .735

2016
141 605 556 62 169 19 0 18 242 106 3 2 0 9 38 2 2 53 27 .304 .345 .435 .781

2017
73 300 266 31 79 13 0 12 128 50 0 1 0 2 32 0 0 26 9 .297 .370 .481 .851

2018
71 296 281 27 68 11 0 8 103 30 1 1 0 3 9 0 3 32 6 .242 .270 .367 .637

NPB:18年
1840 7296 6661 806 2043 336 23 184 2977 916 38 37 48 65 464 26 58 706 186 .307 .354 .447 .801


  • 2018年度シーズン終了時

  • 各年度の太字はリーグ最高



WBCでの打撃成績




























































































































































2009

日本
6 20 18 3 6 1 0 1 10 4 0 1 0 0 2 0 0 1 1 .333 .400 .556

2013
6 25 23 4 8 0 1 1 13 4 1 2 0 0 1 0 1 3 1 .348 .400 .565

2017
6 10 8 1 3 2 0 0 5 3 0 0 0 1 2 0 0 1 0 .375 .455 .625


年度別守備成績


内野守備










































































































































































































































































































一塁 二塁 三塁
遊撃

















































2001
横浜
- - - 2 0 3 0 0 1.000
2002
- 16 34 32 1 9 .985 2 0 1 0 0 1.000 2 0 1 0 1 1.000
2003
1 3 0 0 0 1.000 24 49 63 4 11 .966 - 18 28 60 5 7 .946
2004
- 82 196 274 10 56 .979 - 9 5 14 2 2 .905
2005
4 6 1 0 0 1.000 1 0 1 0 0 1.000 9 4 10 1 1 .933 -
2006
43 328 14 1 27 .997 60 128 174 10 37 .968 1 0 3 0 0 1.000 -
2007
- - - -
2008
119 1094 75 5 96 .996 - - -
2009
- - - -
2010
73 651 38 4 47 .994 - - -
2011
ソフトバンク
- - - -
2012
- - - -
2013
- - - -
2014
- - - -
2015
3 13 0 0 0 1.000 - - -
2016
114 908 82 6 68 .994 - - -
2017
72 527 36 2 38 .996 - - -
2018
71 582 37 3 37 .995 - - -
通算
500 4112 283 21 313 .995 183 407 544 25 113 .974 12 4 14 1 1 .947 31 33 78 7 9 .940

外野守備









































































































































外野














2005
横浜
59 78 0 1 0 .987
2006
12 13 1 0 0 1.000
2007
79 119 1 2 0 .984
2008
11 12 0 0 0 1.000
2009
130 216 1 3 1 .986
2010
72 127 6 0 2 1.000
2011
ソフトバンク
88 126 3 0 1 1.000
2012
136 236 7 1 2 .996
2013
106 170 7 0 1
1.000
2014
63 102 0 0 0 1.000
2015
114 182 4 3 2 .984
2017
2 0 0 0 0 .000
通算
872 1381 32 10 9 .993


  • 2018年度シーズン終了時

  • 各年度の太字はリーグ最高



タイトル




  • 首位打者:2回(2008年、2011年) ※両リーグでの首位打者は江藤慎一と内川の2人のみ。


  • 最多安打:2回(2008年、2012年)


  • 最高出塁率:1回(2008年)



表彰




  • MVP:1回(2011年)


  • ベストナイン:通算5回(2008年 = 一塁手部門、2009年、2011年、2012年、2013年 = 外野手部門)

  • セ・リーグ会長特別賞:1回(2008年、右打者史上最高打率に対しての表彰)


  • 月間MVP:5回(野手部門:2008年8月、2011年4月、2013年8月、2014年7月、2016年9月)


  • 「ジョージア魂」賞:2回(2011年度第12回、2013年度第8回)


  • オールスターゲームMVP:2回(2013年 第3戦、2017年 第1戦)

  • オールスターゲーム・ベストバッター賞:1回(2008年 第2戦[注 2]

  • オールスターゲーム マツダ ビアンテ賞:1回(2008年)


  • セ・パ交流戦MVP:1回(2011年)


  • クライマックスシリーズMVP:3回(2011年、2015年、2017年)


  • 日本シリーズMVP:1回(2014年)

  • 日本シリーズ優秀選手:1回(2017年)

  • 日本シリーズ特別賞



  • みんなで選ぶコナミ賞:1回(2011年)


  • ドリームナイン賞:1回(2011年)


  • BASEBALL HEROES賞:1回(2011年)



  • パ・リーグ特別表彰:1回(2011年:史上2人目となるセ、パ両リーグで首位打者を獲得)


  • 報知プロスポーツ大賞:1回(2011年)


  • 日本プロスポーツ大賞 功労賞:1回(2011年)[70]


  • ヤナセ・福岡ソフトバンクホークスMVP賞:1回 (2012年)[71]


  • 大分市民栄誉賞(2008年)



記録






初記録


  • 初出場:2001年3月30日、対ヤクルトスワローズ1回戦(横浜スタジアム)、9回裏にジョン・ズーバーの代走で出場

  • 初打席:2001年10月7日、対ヤクルトスワローズ27回戦(横浜スタジアム)、6回裏に前田浩継から投手ゴロ

  • 初安打:2002年4月24日、対中日ドラゴンズ5回戦(札幌ドーム)、9回裏にエディ・ギャラードから右前安打

  • 初先発出場:2002年5月3日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、7番・二塁手で先発出場

  • 初本塁打・初打点:2002年7月7日、対中日ドラゴンズ15回戦(石川県立野球場)、5回表に山井大介から左越ソロ

  • 初盗塁:2003年6月8日、対読売ジャイアンツ14回戦(横浜スタジアム)、3回裏に二盗(投手:工藤公康、捕手:村田善則)


節目の記録


  • 1000安打:2011年6月9日、対読売ジャイアンツ4回戦(福岡Yahoo! JAPANドーム)、6回裏に東野峻から右前安打 ※史上265人目

  • 1000試合出場:2011年9月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス24回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、3番・左翼手で先発出場 ※史上446人目

  • 100本塁打:2013年4月29日、対千葉ロッテマリーンズ6回戦(QVCマリンフィールド)、1回表に吉見祐治から中越ソロ ※史上267人目

  • 1500安打 : 2014年7月11日、対北海道日本ハムファイターズ9回戦(札幌ドーム)、1回表に浦野博司から遊撃内野安打 ※史上116人目

  • 150本塁打:2016年4月27日、対オリックス・バファローズ4回戦(京セラドーム大阪)、1回表に東明大貴から左越2ラン ※史上162人目

  • 2000安打:2018年5月9日、対埼玉西武ライオンズ6回戦(メットライフドーム)、8回表に武隈祥太から中前打 ※史上51人目


通算記録

  • 打率.3096(史上8位、現役選手中1位)[72]

※2017年度シーズン終了時点


その他の記録


  • 3打席連続本塁打:2004年5月18日、対読売ジャイアンツ7回戦(横浜スタジアム)、1回裏・3回裏に木佐貫洋、4回裏にマシュー・ランデルから


  • 全球団から本塁打:2011年6月19日、対横浜ベイスターズ4回戦(横浜スタジアム)、5回表に須田幸太から左越ソロ ※史上21人目


  • オールスターゲーム出場:6回(2008年、2009年、2011年 - 2013年、2017年)



背番号




  • 25(2001年)


  • 2(2002年 - 2010年)


  • 24(2009年WBC、2011年、2013WBC)


  • 1(2012年 - )



登場曲




  • ザ・キラーズ「Somebody Told Me」(2005年)


  • フランツ・フェルディナンド「Do You Want To」(2006年)


  • 大塚愛「フレンジャー」(2006年)

  • My Chemical Romance「Welcome To The Black Parade」(2007年)


  • 倖田來未「BUT」(2007年)


  • RYUKYUDISKO「NICE DAY feat. BEAT CRUSADERS」(2007年、2016年)

  • ヨースケ@HOME 「トコナッツ」(2008年夏季)


  • Good Charlotte 「I Don't Wanna Be In Love」(2008年、2016年)

  • Blue Stealer「Take The Dream」(プロレスラー・佐々木健介の入場曲)(2009年 - 2011年、2015年CS)

  • ゆず「虹」(2009年 - 2010年)

  • キマグレン「LIFE」(2010年)

  • キマグレン「リメンバー」(2010年)


  • FUNKY MONKEY BABYS 「桜」(2010年)

  • Klaus Badelt「He's A Pirate」(2011年)

  • DJ OZMA「Mr.DJ」(2011年)

  • 無限 -MUGEN-「魂 ~spirit~」(2011年)

  • 1.2.3.DA!「INOKI BOM-BA-YE」(2011年)


  • 遊助 「ひまわり」(2012年 - )


  • 福山雅治 「vs. 〜知覚と快楽の螺旋〜」(2012年)

  • Chumbawamba「Tubthumping」(2012年)

  • Superfly「タマシイレボリューション」(2012年)


  • 斉藤和義 「やさしくなりたい」(2012年8月 - 、当曲を登場曲にしていた松田宣浩の故障離脱後から使用。)

  • BEGIN with アホナスターズ「笑顔のまんま」(2012年 - 2013年)

  • 遊助「一笑懸命」(2012年 - 2013年)


  • ラッツ&スター 「め組のひと」(2012年 - 2014年)

  • 斉藤和義 「ひまわりの夢」(2013年)


  • カラーボトル 「ファイター」(2013年 - 2014年、「TVQスーパースタジアム」テーマソングでもある。)


  • いきものがかり 「いつだって僕らは」(2014年)

  • doa 「英雄」(2014年)

  • ZYYG「ぜったいに誰も」(2014年)

  • DREAMS COME TRUE 「AGAIN」(2014年 - )


  • DREAMS COME TRUE 「愛して笑ってうれしくて涙して」(2015年)


  • 嵐 「ファイトソング」(2015年)

  • Luis Miguel「Oro De Ley」(2015年)※北斗晶入場テーマ


  • ケツメイシ 「太陽」(2017年 - )


  • [Alexandros] 「ワタリドリ」(2017年 - )

  • Bruno Mars「24K Magic」(2018年)

  • ONE OK ROCK「C.h.a.o.s.m.y.t.h.」(2018年)

  • ONE OK ROCK「欲望に満ちた青年団」(2018年)

  • ONE OK ROCK「Mighty Long Fall」(2018年)


[73]



代表歴



  • 2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

  • 2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表

  • 日米野球2014

  • 侍ジャパン 野球オランダ代表 野球メキシコ代表 強化試合 野球日本代表

  • 2017 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表



関連情報



出演



CM



  • オフィス アイ プラン(横浜在籍時 大分県の保険代理店)

  • 昭和建設


  • ふくおかフィナンシャルグループ(福岡銀行、親和銀行、熊本銀行)

  • 九電工



脚注


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注釈





  1. ^ 内川と吉見は共に2000年ドラフトで横浜より指名され入団した同期生である。


  2. ^ イチロー以来の5打席連続安打。




出典




  1. ^ ab“ソフトバンク・内川が5000万円増の4億円+出来高払いで更改 新たに2年契約”. SANSPO.COM (2017年12月18日). 2017年12月26日閲覧。


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  6. ^ 『広島スカウト』 第三回朝日新聞 2000年11月の記事より[リンク切れ]

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  8. ^ 2001年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果NPB.jp 日本野球機構


  9. ^ 2002年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果NPB.jp 日本野球機構


  10. ^ 第2回WBCのこのプレーで、内川は2009年の公式戦観戦に訪れた皇太子徳仁親王家への挨拶を果たしている(“プロ野球 逆境に勝った男たち(3)内川聖一”. 2017年11月19日閲覧。)。


  11. ^ “年度別成績 2009年 セントラル・リーグ”. NPB.jp 日本野球機構. 2015年9月2日閲覧。


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  15. ^ 4月度「日本生命月間MVP」受賞者発表NPB.jp 日本野球機構


  16. ^ 「ほっとしている」内川は両リーグ受賞


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  21. ^ “ソフトB 内川3年連続選出/ベストナイン”. 日刊スポーツ. (2013年11月21日). http://www.nikkansports.com/baseball/news/f-bb-tp0-20131121-1221283.html 2013年11月23日閲覧。 


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  23. ^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年10月9日) 2015年10月9日閲覧


  24. ^ 侍ジャパントップチーム、出場選手変更のお知らせ野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年11月1日) 2015年11月5日閲覧


  25. ^ ソフトバンク・内川、3000万円増の3億3000万円で更改 - 日本経済新聞(2015/12/22 17:19)


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  29. ^ “侍内川は「右肩打撲」と診断 脱臼や骨の異常はなし”. 日刊スポーツ (2017年2月25日). 2017年12月13日閲覧。


  30. ^ “右肩痛の侍内川が「6番指名打者」で先発出場”. 日刊スポーツ (2017年3月1日). 2017年12月13日閲覧。


  31. ^ “侍「代打の切り札」内川勝ち越し犠飛 小林に代わり”. 日刊スポーツ (2017年3月14日). 2017年11月30日閲覧。


  32. ^ “2017/03/31(金)第1回戦 福岡ソフトバンク vs 千葉ロッテ”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2017年3月31日). 2017年12月13日閲覧。


  33. ^ “ソフトバンク内川先制弾&V打 監督「さすが4番」”. 日刊スポーツ (2017年4月3日). 2017年12月13日閲覧。


  34. ^ “ソフトバンク4番内川強行!左手負傷もなんの2安打”. 日刊スポーツ (2017年4月26日). 2017年12月13日閲覧。


  35. ^ “移籍後初3試合連続弾ソフトバンク内川「たまたま」”. 日刊スポーツ (2017年5月25日). 2017年12月13日閲覧。


  36. ^ “ソフトバンク内川が首の左側を痛め登録を抹消”. 日刊スポーツ (2017年6月3日). 2017年12月13日閲覧。


  37. ^ “ソフトバンク内川「憧れの選手」井口引退を惜しむ”. 日刊スポーツ (2017年6月20日). 2017年12月13日閲覧。


  38. ^ “ソフトバンク内川ら登録/プロ野球27日公示”. 日刊スポーツ (2017年6月27日). 2017年12月13日閲覧。


  39. ^ “ソフトバンク内川が復帰初適時打「ベースさまさま」”. 日刊スポーツ (2017年6月29日). 2017年12月13日閲覧。


  40. ^ “ソフトバンク内川、デスパイネが選手間投票で球宴”. 日刊スポーツ (2017年6月29日). 2017年12月13日閲覧。


  41. ^ “ソフトバンク内川2度目MVP「申し訳ないなと」”. 日刊スポーツ (2017年7月14日). 2017年12月13日閲覧。


  42. ^ “ソフトバンク内川、左手剥離骨折で全治6週間”. 日刊スポーツ (2017年7月26日). 2017年12月13日閲覧。


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  44. ^ “ソフトバンク内川MVP 5戦連続打点!最後もV打”. 日刊スポーツ (2017年10月22日). 2017年12月13日閲覧。


  45. ^ “2017/12/25(月)プレスリリース 内川聖一選手の守備位置変更について”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト (2017年12月25日). 2017年12月26日閲覧。


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  72. ^ 日本野球機構 打率【通算記録】


  73. ^ “チーム情報 球場使用曲一覧”. 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト. 2017年6月4日閲覧。




関連項目



  • 大分県出身の人物一覧

  • 横浜DeNAベイスターズの選手一覧

  • 福岡ソフトバンクホークスの選手一覧



外部リンク








  • 個人年度別成績 内川聖一 - NPB.jp 日本野球機構

  • 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)


  • 1 内川 聖一 選手名鑑 - 福岡ソフトバンクホークスオフィシャルサイト


  • 内川聖一 オフィシャルブログ 「一笑健命」 - Ameba Blog (2011年7月3日 - )














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