隈部館




隈部館(くまべやかた)は肥後隈部氏が戦国時代に築いた城砦。永野城とも称される。館跡は熊本県山鹿市菊鹿町上永野地区にあり、「隈部氏館跡」の名称で国の史跡に指定されている。




目次






  • 1 概要


  • 2 歴史


  • 3 現状


  • 4 脚注


  • 5 参考文献


  • 6 関連項目





概要


隈部館に接する標高682mの山頂には猿返城が聳え、その北東尾根伝いに米山城に至ることができ、両城を詰城としていたと考えられている。隈部館は猿返城南方に広がる扇状の尾根にあって、左右を急峻な谷に囲まれ、その南方に山鹿市一帯を眺望できる。隈部館の南方に広がる上永野集落に降る途中の山腹の至るところ、石垣や土塁が存在し付近一帯に隈部氏一族や家臣が邸を並べていたと推定される。



歴史


隈部武治が上永野に本拠を定め、隈部親家または隈部親永が隈部館を整理拡張したと伝えられる。隈部親永が1580年(天正8年)に隈府城に移るまで隈部氏の居城であった。隈部親永が隈府城に移った後も重要拠点であったが、1587年(天正15年)に発生した肥後国人一揆の鎮圧後に破却された。
「肥後国誌」では『隈部親永カ家人富田伊予守氏続永野城代に成』『里俗ハ日渡ノ城』というとある。「日本歴史地名大系第44巻 熊本県の地名」では永野城を日渡城のこととしているが、隈部館と日渡城を混同した可能性が高い。



現状


『肥後国誌』には、居館跡には大手枡形ノ跡、城ノ礎石、若殿ノ部屋ノ跡、庭石泉水ノ跡、花園ノ跡が残るとある。隈部神社の下にある広場には、庭園跡と接して3棟分の建物の礎石が残っている。隈部神社と広場の北側には堀切が残り、神社の南側には枡形の跡がある。枡形の跡から小道をさらに南に降ると、その脇に厩跡と伝えられる空き地がある。


2009年の国の史跡指定を記念して、隈部親永銅像が建立され、2011年11月26日除幕式が行われた[1][2]



脚注




  1. ^ 山鹿市 県内最大級の武士像が完成しました (隈部親永公像)


  2. ^ あんずの丘 【熊本県】山鹿市特産工芸村 あんずの丘 | お知らせ&イベント



参考文献


  • 『日本歴史地名大系第44巻 熊本県の地名』(平凡社、1985年(昭和60年)3月初版)


関連項目


  • 日本の城一覧

座標: 北緯33度3分20.0秒 東経130度47分48.0秒 / 北緯33.055556度 東経130.796667度 / 33.055556; 130.796667







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