フェルディナント2世 (オーストリア大公)













































フェルディナント2世
Ferdinand II.

オーストリア大公

Francesco Terzio 002.jpg

出生
(1559-11-13) 1559年11月13日
リンツ
死去
(1621-07-15) 1621年7月15日(61歳没)

配偶者
フィリッピーネ・ヴェルザー
 
アンナ・カテリーナ・ゴンザーガ
子女
一覧参照
父親
神聖ローマ皇帝フェルディナント1世
母親
アンナ・ヤギエロ
役職
ボヘミア総督
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フェルディナント大公




フェルディナント大公


フェルディナント2世・フォン・エスターライヒ(Ferdinand II. von Österreich, 1529年6月14日 - 1595年1月24日)は、オーストリア大公(前方オーストリア(Vorderösterreich)大公)。神聖ローマ皇帝フェルディナント1世と皇后アンナ・ヤギエロの次男(第3子)として、リンツで生まれた。皇帝マクシミリアン2世の弟である。




目次






  • 1 生涯


  • 2 子女


  • 3 脚註


  • 4 参考文献





生涯


1547年から父に命じられボヘミアの統治者になり、1556年のハンガリーにおける対オスマン帝国戦を指揮した。


1557年、フェルディナントは秘密裡にアウクスブルクの豪商ヴェルザー家出身のフィリッピーネ・ヴェルザーと結婚した[1]。当時ヴェルザー家は貴族に列せられていたが、皇族と結婚できるほど身分は高くなく、フェルディナント1世以外には結婚を伏せることでようやく許されたものだった[2]。フィリッピーネとの間に生まれた子供たちは“フォン・エスターライヒ”と名乗ることは許されたものの、帝位継承権は認められず、男子についてのみブルガウ辺境伯の称号を授けられた。


1564年のフェルディナント1世の死後、父の望み通りチロルの統治者となった。しかし、兄マクシミリアンの要請もあり、1567年までプラハでボヘミア総督を務めた。


1580年にフィリッピーネに先立たれると、1582年に姪にあたるアンナ・カテリーナ・ゴンザーガ(マントヴァ公グリエルモ・ゴンザーガと、フェルディナントの妹エレオノーレの娘)と再婚。アンナ・カテリーナとの間には男子が生まれなかったため、チロルはフェルディナントの死後に同族に継承された。アンナ・カテリーナの生んだ娘アンナが皇帝マティアスの皇后となると、チロルはマティアスに継承された。



子女


フィリッピーネとの間には4子が生まれた。




  • アンドレアス(1558年 - 1600年) - 枢機卿


  • カール(1560年 - 1627年) - ブルガウ辺境伯

  • フィリップ(1562年 - 1563年)

  • マリア(1562年 - 1563年)


アンナ・カテリーナとの間には3子が生まれた。



  • アンナ・エレオノーレ(1583年 - 1584年)

  • マリア(1584年 - 1649年) - 尼僧


  • アンナ(1585年 - 1618年) - 皇帝マティアスの皇后


他に2人の庶子がいた。



  • フェロニカ・フォン・フィランデルス(1551年 - 1584年) - 母親不明。ジョヴァンニ・フランチェスコ・ディ・ゴンザーガの妻

  • ハンス・クリストフ・フォン・ヘルテンベルク(1592年 - 1613年) - ヨハンナ・フォン・マイエンブルクとの子。



脚註


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  1. ^ グレーシング、p. 116


  2. ^ グレーシング、p. 121




参考文献


  • ジクリト=マリア・グレーシング 『ハプスブルク 愛の物語 王冠に勝る恋』 東洋書林、1999年






先代:

フェルディナント1世


前方オーストリア大公

1564年 - 1595年


次代:


ルドルフ2世
マティアス
マクシミリアン3世









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