紀元前223年
世紀 | 前4世紀 - 前3世紀 - 前2世紀 |
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十年紀 | 前240年代 前230年代 前220年代 前210年代 前200年代 |
年 | 前226年 前225年 前224年 紀元前223年 前222年 前221年 前220年 |
紀元前223年は、ローマ暦の年である。
当時は、「ガイウス・フラミニウス、プブリウス・フリウス・ピルスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元531年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前223年と表記されるのが一般的となった。
目次
1 他の紀年法
2 できごと
2.1 セレウコス朝
2.2 共和政ローマ
2.3 中国
3 誕生
4 死去
5 脚注
6 関連項目
他の紀年法
干支 : 戊寅
日本
皇紀438年
孝霊天皇68年
中国
秦 - 始皇24年
楚 - 楚王負芻5年
斉 - 斉王建42年
燕 - 燕王喜32年
趙 - 代王嘉5年
朝鮮 :
ベトナム :
仏滅紀元 : 324年
ユダヤ暦 :
できごと
セレウコス朝
セレウコス朝の王セレウコス3世は、ペルガモン王国のアッタロス3世討伐の遠征の際、フリギアで自軍の兵士に暗殺された。- セレウコス3世の後を弟のアンティオコス3世が継いだ。
共和政ローマ
執政官ガイウス・フラミニウスとプブリウス・フリウス・ピルスは、ガリア・キサルピナのガリア人インスブレス族に勝利し凱旋式を挙行した。
中国
秦の王翦と蒙武が楚王負芻を捕らえた。- 楚の項燕が昌平君を立てて楚王としたが、蘄南で敗れた。昌平君は戦死し、項燕は自殺した。
誕生
「Category:紀元前223年生」も参照
死去
「Category:紀元前223年没」も参照
項燕:戦国時代末期の楚の大将軍。
昌平君:中国戦国時代の楚の公子。
脚注
注釈
出典
関連項目
- 年の一覧
- 年表
- 年表一覧
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