グアテマラ






グアテマラ共和国

República de Guatemala











グアテマラの国旗 グアテマラの国章
(国旗) (国章)


国の標語:標語なし


国歌:グアテマラの国歌(グアテマラよ幸福なれ!)


グアテマラの位置









































公用語

スペイン語

首都

グアテマラシティ
最大の都市
グアテマラシティ

政府












大統領

ジミー・モラレス

副大統領

ハフェット・カブレラ(英語版)


面積











総計

108,890km2(104位)
水面積率
0.4%


人口











総計(2008年)

14,027,000人(62位)

人口密度
131人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2013年) 4,227億[1]ケツァル


GDP (MER)





合計(2013年) 538億[1]ドル(78位)


GDP (PPP)











合計(2013年)
1,129億[1]ドル(78位)
1人あたり 7,290[1]ドル



独立
 - 日付

スペインより
1821年9月15日

通貨

ケツァル (GTQ)

時間帯

UTC -6(DST:なし)

ISO 3166-1
GT / GTM

ccTLD

.gt

国際電話番号
502



グアテマラ共和国(グアテマラきょうわこく、スペイン語: República de Guatemala)、通称グアテマラは、中央アメリカ北部に位置する共和制国家である。北にメキシコ、北東にベリーズ、東にホンジュラス、南東にエルサルバドルと国境を接しており、北東はカリブ海に、南は太平洋に面する。首都はグアテマラ市。


先コロンブス期にはマヤ文明が栄え、現在も国民の過半数はマヤ系のインディヘナであり、メキシコを除いた中央アメリカで最も人口の多い国である。経済的にはエルサルバドルと共に中央アメリカの中位グループに属するが、1960年から1996年まで続いたグアテマラ内戦により治安や政治においてグアテマラ社会は未だに不安定な状態にある。




目次






  • 1 国名


  • 2 歴史


    • 2.1 先コロンブス期


    • 2.2 スペイン植民地時代


    • 2.3 植民地から独立国へ


    • 2.4 中央アメリカ連邦共和国(1823年 - 1839年)


    • 2.5 再独立とニカラグア国民戦争


    • 2.6 アメリカ合衆国の進出 (1898 - 1920)と政治的空白期


    • 2.7 グアテマラの春


    • 2.8 グアテマラ内戦


    • 2.9 内戦終結以降




  • 3 政治


  • 4 軍事


  • 5 国際関係


  • 6 地方行政区分


    • 6.1 主要都市




  • 7 地理


  • 8 経済


    • 8.1 鉱業




  • 9 国民


    • 9.1 民族


    • 9.2 言語


    • 9.3 宗教


    • 9.4 教育


    • 9.5 治安




  • 10 文化


    • 10.1 文学


    • 10.2 音楽


    • 10.3 世界遺産


    • 10.4 祝祭日




  • 11 国の象徴


  • 12 災害


  • 13 著名な出身者


  • 14 脚註


    • 14.1 注釈


    • 14.2 出典




  • 15 参考文献


  • 16 関連項目


  • 17 外部リンク


    • 17.1 グアテマラ政府


    • 17.2 日本政府


    • 17.3 その他







国名


正式名称は、República de Guatemala(スペイン語: レプブリカ・デ・グアテマラ)。通称、Guatemala [gwateˈmala]


公式の英語表記は、Republic of Guatemala(リパブリック・オブ・グワーテマーラ)。通称、Guatemala [ˌɡwɑːtɨˈmɑːlə, ɡwæ-]


日本語の表記は、グアテマラ共和国。通称、グアテマラグァテマラガテマラと表記されることもある。



歴史




先コロンブス期





ティカルの神殿。



紀元前1800年頃に太平洋岸にバラ相の土器文化が興り、テコマテと呼ばれる祭祀に用いられたと考えられる無頸壺の器形で知られる。バラ相にメソアメリカ最古に属する土偶も作られた。先古典期中期初頭の紀元前900年頃に、パシオン川流域のセイバルとアルタル・デ・サクリフィシオスに集落が形成された。やがて、先古典期中期後葉になるとナクベに高さ18mに達する大規模な建物が造られた。一方、南部の高地にはカミナルフューにラス・チャルカスの精巧な土偶を伴う文化が興った。先古典期後期には、紀元前500年以降ペテン低地にワシャクトゥンやエル・ミラドールなどのマヤの大規模な都市が出現する。南部の高地には、イサパ文化の影響を受けた石碑を伴うアバフ・タカリク、エル・バウル、カミナルフューなどの祭祀センターがきずかれた。


古典期には、378年にティカルにメキシコのテオティワカンゆかりの強力な王朝が建てられ、メキシコ、カンペチェ州のカラクムルと「優越王」として覇を争うようになる。古典期になると、カミナルフューもテオティワカンに征服される。エル・バウルを含めた周辺区域には、ナワ語系のピピル族によると言われるコツマルワパ様式の祭祀センターが築かれた。10世紀初頭までにペテン低地の祭祀センターは放棄されたが、グアテマラ高地のマヤ系諸王国はスペイン人に征服されるまで存続した。後古典期にはいると、11世紀頃から北方のチチメカ族が侵入した影響を受け、キチェ王国(スペイン語版、英語版)やカクチケル王国(Reino Kakchiquel)に、チチメカ様式の影響を受けた都市が築かれた。



スペイン植民地時代




スペイン人のコンキスタドール ペドロ・デ・アルバラード。




1492年にクリストーバル・コロンがアメリカ大陸を「発見」すると、現在のグアテマラに相当する地域にもヨーロッパ人の征服者が訪れた。1523年に現れたスペイン人の征服者、ペドロ・デ・アルバラードは、1524年にはこの地域を征服した。アルバラードはカクチケル族の協力を得て、グアテマラの地を支配していたキチェ族の都クマルカフ (ウタトラン)を1524年に攻略し、カクチケル族の都イシムチェに本拠地を構えた。だが、カクチケル族との同盟関係はごく短い期間で決裂し、カクチケル族は都を放棄して征服に抵抗するようになった。1526年に脱走兵の放火によってイシムチェは破壊され、アルバラードは現在のシウダー・ビエハ(スペイン語版、英語版)に新しい首都を建設。さらに、イシムチェの近くにあるテクパン(スペイン語版、英語版)に都を移したが、1541年7月にアルバラードは死に、同1541年9月にアグア火山の噴火によってテクパンは壊滅してしまう。その後、現在のアンティグア・グアテマラが首都となった。


1544年、スペインはグアテマラ総督領(スペイン語版、英語版)をおき、自治権を与えた。グアテマラ総監領の統治範囲には諸説があるが、現在の中米五国ホンジュラス・エル・サルバドル、ニカラグア、コスタリカなどを含んでいた。スペイン人征服者の政策により、先コロンビス・マヤ文化の古文書(Pre-Columbian Maya codex)はほとんどがこの植民地時代に焼却されたが、辛うじてマヤ神話の『ポポル・ヴフ』と呼ばれるキチェ族の創世神話が現在に伝わっている[† 1]


1717年に起きたマグニチュード7.4の地震(en:1717 Guatemala earthquake)はアンティグア・グアテマラに甚大な被害をもたらし、さらに1773年の地震(en:1773 Guatemala earthquake)でも大きな被害が出たため、1776年にスペイン国王の命により、首都はグアテマラシティへと移ることになった。1786年にはスペインからイギリスにカリブ海側の領土が割譲された。この地域は「英領ホンジュラス」として統治され、現在はベリーズになっている。



植民地から独立国へ



グアテマラ建国以後の歴史は、革命、クーデター、非民主主義政権、特にアメリカ合衆国からのさまざまな内政干渉に彩られている。1789年のフランス革命により、ヨーロッパでの政局は混乱した。大革命によりナポレオン戦争が勃発し、1808年には本国スペインがフランス皇帝ナポレオン1世によって侵攻された。ナポレオンはボルボン朝のフェルナンド7世を退位させ、兄のジョゼフ・ボナパルトをスペイン王ホセ1世に据えたため、それに対する民衆暴動が契機となってスペイン独立戦争が勃発、インディアス植民地はホセ1世への忠誠を拒否した。グアテマラ総監領は1821年にスペインから独立を宣言し、同年内にアグスティン・デ・イトゥルビデ皇帝の第一次メキシコ帝国に併合された。



中央アメリカ連邦共和国(1823年 - 1839年)


1823年にメキシコ帝国は崩壊し、新たに結成された中央アメリカ連合州(Provincias Unidas del Centro de América)の一州となった。中米連邦では、最初から内紛が絶えなかったが、1827年から1838年にかけ、ラファエル・カレーラの率いる保守主義のグアテマラ派と、フランシスコ・モラサンの率いる自由主義のエル・サルバドル派の内戦に陥った。



再独立とニカラグア国民戦争




アルカルデスの人々(1891)。


結局カレーラが勝利して連邦は解体に至り、1839年グアテマラは独立国となった。内戦に勝利し、連邦派を駆逐したカレーラはそのままグアテマラの政治を支配し、以後グアテマラは1865年にカレーラが死ぬまで強力な保守統治が行われることになる。カレーラは保守政治家だったが、その一方でインディヘナに対しては共有地の保護などの優れた政策を行った。また、1856年のウィリアム・ウォーカーとの国民戦争(スペイン語版)の際にはグアテマラも中米連合軍の一員に加わった。


1871年には自由党が内戦に勝利して政権に就き、1873年にはフスト・ルフィーノ・バリオス(スペイン語版、英語版)が大統領になった。以降1885年までバリオスの統治が続き、自由主義的な様々な政策が行われ、1879年には憲法が制定された。一方で、ホンジュラスやエル・サルバドルなど近隣諸国との戦争を続け、またこの時期にインディヘナの共有地は解体されて奪われ、大土地所有制が強化された。また、この時期から経済がコーヒーモノカルチャー化し、1880年代には実に輸出の9割近くをコーヒーが占めるほどであった。こうしたコーヒー農園の労働力として移民が導入され、1893年には日本初のラテンアメリカ移民が行われた。



アメリカ合衆国の進出 (1898 - 1920)と政治的空白期




独裁者マヌエル・エストラーダ・カブレーラ。ミゲル・アンヘル・アストゥリアスの『大統領閣下』のモデルとなった。



1898年にマヌエル・エストラーダ・カブレーラが大統領に就任し、22年間の独裁政治を行うが1920年にカブレーラは失脚した。カブレーラが失脚すると、政治的空白状況が生まれ、クーデターが繰り返される不安定な状況が続いたが、1931年にホルヘ・ウビコ将軍が隙を突いて権力を握ると、「ウビコ以外は全て不自由である」といわれるほど苛烈な統治を行い、グアテマラ社会の荒廃は一層進んだ。



こうした状態を憂いた愛国者によりウビコは1944年に追放され、民主主義の時代がグアテマラにも訪れた。


なお、日本とは1935年に堀義貴初代駐グアテマラ日本公使が着任し、正式に外交関係が成立した[2]



グアテマラの春


1944年から1954年まではグアテマラの春と呼ばれ、自由な空気の下に、各種の民主的な社会改革が進められた。


ハコボ・アルベンス・グスマンはポプリスモ的政治家として土地改革などの政策を行ったが、これは次第に、アメリカ合衆国が「グアテマラは共産主義化している」というネガティブキャンペーンを張る要因となって行き[† 2]、土地改革がユナイテッド・フルーツの社有地に適用されることになると、合衆国の怒りは頂点に達した。アメリカ政府の雇用した反アルベンス派傭兵軍がエル・サルバドルから侵攻すると、軍の上層部はアルベンスを見捨てアルベンスは亡命した。こうして、グアテマラの春は終わりを告げたのであった(PBSUCCESS作戦)[† 3]



グアテマラ内戦



キューバ革命の周辺国への影響(ドミノ理論)を恐れたアメリカ中央情報局はグアテマラ軍上層部の支援を得て、1954年、PBSUCCESS作戦と呼ばれる政府転覆を実行し親米独裁政権が生まれたが、これがグアテマラに長い動乱の時代を招いた。1960年からグアテマラ内戦が始まり、36年間にわたり武装反乱軍(FAR)などのゲリラとグアテマラ政府軍の戦闘が続いた。1980年代には軍部がほぼ実権を握り、農村部への焦土作戦をとるなど反体制派に対する徹底した弾圧を行った。この軍事行動の結果、数万人の行方不明者を含め最大20万人が死亡もしくは行方不明となったといわれる[3]。内戦状態は1996年に平和条約の調印によって終わった。



内戦終結以降


1996年に署名された和平合意のほとんどは、1年以上経過しても履行されなかった。直近の国政選挙は2015年に行われた。



政治




国会議事堂



グアテマラは一院制議会をもつ。議会は「共和国議会」(Congreso de la República)と呼ばれる。国会は158議席で、国会選挙は4年ごとに行われ、同時に大統領選挙が行われる。


グアテマラの大統領は国家元首であり、政府の長である。行政を行うために、大統領は閣僚を米国の内諾を得た上で指名する。



軍事



2014年現在のグアテマラ陸軍は現役1万3,444名、予備役約6万2,000名で、15の軍管区に旅団を基礎とした実戦部隊が配備されている。



国際関係







  ベリーズ領のうちグアテマラとのあいだで領土問題になっていない地域


  ベリーズが実効支配し、グアテマラが主張している地域


  グアテマラ領



現在グアテマラとベリーズとの間には、国境未確定の部分があり、両国の問題となっている。両国はこの国境確定を国際司法裁判所に提訴することに合意した。しかし、国際司法裁判所の判決を受諾するためには、管轄権をあらかじめ受諾することが必要であり、両国は国民投票をして管轄権を受諾するか否か決定することとなっているが、国民投票を行う期日は未定であり、グアテマラ国内には国民投票を行おうとする機運は全くない。他方、ベリーズでは、2009年3月にも国民投票を行うとの情報もあったが、実施されていない。2008年12月8日、両国は合意文書を署名し、国境紛争を国際司法裁判所に付託することに最終的に合意した。


グアテマラは中華民国(台湾)を承認している。



地方行政区分





グアテマラの地図




グアテマラの県


グアテマラは22の県(departamentos 地方、州とも訳す)から構成される。



  1. アルタ・ベラパス県

  2. バハ・ベラパス県

  3. チマルテナンゴ県

  4. チキムラ県

  5. ペテン県

  6. エル・プログレソ県

  7. キチェ県

  8. エスクィントラ県

  9. グアテマラ県

  10. ウェウェテナンゴ県

  11. イサバル県

  12. ハラパ県

  13. フティアパ県

  14. ケツァルテナンゴ県

  15. レタルレウ県

  16. サカテペケス県

  17. サン・マルコス県

  18. サンタ・ローサ県

  19. ソロラ県

  20. スチテペケス県

  21. トトニカパン県

  22. サカパ県



主要都市



ほとんどの主要都市は国の南半分に位置している。主要都市は首都グアテマラ市、ケツァルテナンゴ、エスクィントラである。その他にも港町としてカリブ海側にプエルト・バリオスが存在する。



地理





地形図


グアテマラは太平洋とカリブ海に面し、北緯14度から18度にかけて位置する。
気候は基本的に亜熱帯型である[4]


地形的には、北緯16度で北と南の二地帯に分け、そのうちの南部を"山岳高原地帯"と"太平洋海岸地帯"の二つに分けると三地帯に分けられる。山岳地帯は第三紀の火山活動で形成された地帯であり、太平洋海岸地帯はさらに三つの地帯に分けることができる。北部は、北緯16度から以北のユカタン半島にいたる熱帯雨林やサバンナが広がった"平原地帯"である[4]


太平洋海岸地帯の標高100メートル以下の平地はコスタと呼ばれる。 コスタ[† 4]は、乾季(5~6か月)が明瞭なサバンナ気候で、年間降水量は1000~2000ミリメートル程度で乾燥した亜熱帯林が広がっている平地である。標高100メートルから1500メートルまでの斜面はポカコスタと呼ばれる。標高500メートルを境に、低地ポカコスタ[† 5]と高地ポカコスタ[† 6]に分かれる。標高が高くなるにつれて雨量は増加し、乾季も3~4か月と短くなる。[5]


山岳高原地帯はクチュウマタネ山系(北米プレート)と北西から南東に走るシエラ・マドレ山系(カリブプレート)に分けられる。両者の間の地溝帯には、ポロチェク川とモタグア川があり、この両川は国内に川口をもつ。ポロチェク川の下流域に国内最大のイサバル湖(590平方キロメートル)がある。シエラ・マドレ山系の太平洋岸沿いには多くの火山が分布し、メキシコとの国境付近に国内かつ中米最高峰であるタフムルコ山(4,220m)、タカナ山など4000メートルを超える火山もある。アティトラン湖(126平方キロ)畔やアンティグア・グアテマラからはコニーデ型の火山を眺望できる[6]



経済





首都グアテマラシティ


グアテマラはエルサルバドルと並んで中米では経済的に中位の国である。国民総生産の4分の1を農業が占める。農業は輸出の3分の2を占め、また労働人口の半分が従事する。主要産品は、コーヒー、砂糖、バナナである。工業・建設は国民総生産の5分の1を占めている。


1996年の停戦により、36年間に及んだ内戦が終結したため、外資投入への障害は取り除かれている。1998年のハリケーン・ミッチによる被害は、近隣諸国に比べれば僅少であった。


グアテマラ経済はパナマを含めた中米諸国(約4,000万人)のうちの3割を占める。但し、中米諸国は、所得水準で、上位のパナマ、コスタリカ、中位のグアテマラ、エルサルバドル、下位のニカラグア、ホンジュラスと三段階に別れ、その所得水準はいずれも先進国には遅れを取っている。国内の製造業が未発達であることから、高付加価値の製品製造がままならず、サービス産業の拡大が近年の傾向である。2000年以降、世界的な金利低下の恩恵をうけ国内のクレジットサービス及び貸付が拡大の一歩をたどる。IMFの推計によると、2013年のグアテマラのGDPは538億ドル、一人当たりのGDPでは3,475ドルである。[1]


グアテマラの治安は世界159番目である。2013年には5252人が殺害され、メキシコからの麻薬組織の流入、ギャング団の跳梁などにより、治安は深刻な状況にある[7]




鉱業


2009年時点の原油生産量は110万トン、天然ガスは0.43千兆ジュールにとどまっているが、これは油田・炭田が未開発なためである。金属鉱物資源は金、鉄、ニッケルが中核であるが、鉄は1万トン、ニッケルはほとんど採掘されておらず、金が若干生産されている。



国民





マヤ系住民



貧困問題が恒常化しており、国民の生活水準は全体に低い。平均寿命は72歳。識字率は69.3%、人口の10%が国民全体の所得の47%を占める一方、国民の52%が貧困層に属する。


都市部と農村部の貧困差も大きく、地方農村では、貧困層が76%に達する。国民の大多数を占めるマヤ族など先住民は、概して零細な小規模農業に従事し、また多くはスペイン語の読み書き能力をもたないため、他の職業に就く機会も少ない。



民族


グアテマラの民族は、60.7%は、非先住民族として分類されており、その内訳はラディーノ 42.2%(Ladino、ヨーロッパ系と先住民族の混血およびスペイン語を母語とする先住民族)およびヨーロッパ系が18.5%となっている。マヤ系先住民族が39.3%(内訳はキチェ 9.1%、カクチケル族 8.4%、マム(Mam)7.9%、ケクチ(Q'eqchi')6.3%、その他のマヤ系民族8.6%)、先住民族のシンカ(Xinca)が0.22%、アフリカ人と先住民族の混血のガリフナ(Garifuna)が0.04%である(2002年センサス)。


先住民は主にマヤ系住民が多数を占め、人種的に先住民でも非先住民的な生活様式(スペイン語の使用)を行う先住民はラディーノ(非先住民)と呼ばれ、メスティーソと同様に扱われる。白人系住民は植民地時代以来からのスペイン人の子孫が最も多いが、19世紀にプランテーション農業のためにヨーロッパから移民が導入され、ドイツ人、フランス人、イタリア人、スイス人、ギリシャ人などが、アジアからもアラブ人(シリア人、レバノン人、パレスチナ人)、トルコ人、ユダヤ人、中国人、日本人などが導入された。アラブ人の多くが商業に従事しており、商業で得た資金がアラブのテロ組織に送金されているとも言われている。なお、グアテマラはラテンアメリカで最初に日本人が移民した国である。


近年はグアテマラ人の近隣諸国への出稼ぎや移民も多く、アメリカ合衆国やメキシコ、カナダ、ベリーズなどに多くのグアテマラ人が居住している。特にアメリカ合衆国には約150万人以上のグアテマラ人が居住しているが、ほとんどが不法移民であり、毎年合衆国からは約3万人、メキシコからも約3万人が強制送還されている。



言語




グアテマラの言語分布地図


言語はスペイン語が公用語とされており、国民の6割程度が使用している。残りの4割は先住民族の言語を使用する。地方では特に21種類のマヤ系言語が用いられている他、シンカ語やアラワク語系(Arawakan languages)のガリフナ語など、非マヤ系言語も用いられている。DECRETO NÚMERO 19-2003によれば、23種類の言語がグアテマラの国語として認められている。



宗教


宗教は、国民の3人に2人がローマ・カトリック教徒で最も多い。しかし、近年ではプロテスタント信者の人口の伸びが著しく、特に福音派の牧師であるエフライン・リオス・モント将軍政権下で顕著であった。グアテマラ人の3分の1はプロテスタント信者で、福音派とペンテコステ運動派が特に多い。少数ながら、ユダヤ教徒とムスリム(ユダヤ人は1万人以上、アラブ人は約500人ほど)も居住している。


ゲリラとグアテマラ政府の間で締結された1996年の平和条約により先住民族の文化が保護されるようになって以来、伝統的なマヤ民族の宗教も復興の勢いを見せており、グアテマラ政府は全てのマヤ遺跡で宗教儀式を行えるように祭壇を整備する条例を制定している。










































































各宗教の信者数の割合
国勢調査年
ローマ・カトリック
プロテスタント
無宗教
その他
(1882-1940)
97.0%
2.0%
0.3%
0.7%
(1978)
80.9%
17.4%
0.8%
0.9%
(1980)
78.9%
19.1%
1.0%
1.0%
(1982)
75.4%
22.2%
1.4%
1.0%
(1986)
66.5%
30.0%
2.2%
1.3%
(1991)
66.0%
21.0%
11.0%
2.0%
(2001)
58.3%
25.2%
14.2%
2.3%
(2006)
57.5%
30.7%
9.9%
1.9%
(2010)
47.6%
31.7%
18.3%
2.4%


教育



2002年のセンサスによれば、15歳以上の国民の識字率は69.1%である
[8]


主な高等教育機関としては、サン・カルロス・デ・グアテマラ大学(1676)やフランシスコ・マロキン大学(1971)などの名が挙げられる。



治安


1960年から36年間続いた内戦によって25万人が犠牲になったグアテマラでは、一般の犯罪や暴力団による殺人で2008年には6,232人が死亡している。また、誘拐では400人以上が誘拐された。2011年には毎日平均14人が殺害され、犯罪を犯しても98%の犯人は処罰されないとされた[9]


グアテマラの抱える最大の問題は治安問題、麻薬密輸、司法権の機能不全、政府の無策、腐敗、社会的不平等、人権侵害である。治安問題はコロン政権になっても全く無策であり、毎日、テレビ・ニュースで殺人事件が報道されている。


人権面では、政治犯はいないが未だに地方都市ではリンチが行われているほか婦女子に対する暴力が多く、また裁判を受ける権利も保証されておらず人権侵害は著しく人権意識が希薄である。



文化



グアテマラの文化はマヤ文明とスペインの文化に根を持ち、グアテマラには現在もなおマヤ文明とスペイン植民地時代の遺風が残っている。衣食には伝統的なマヤ文化の色彩が今でも残り、また国のいたるところにマヤの遺跡が残っている。また、カリブ海沿岸には、宗教儀式、舞踊、音楽などにアフリカ文化の影響がみられる。



文学






ノーベル文学賞作家、ミゲル・アンヘル・アストゥリアス。


グアテマラ文学はマヤ時代からの先住民の口承文学に伝統を持っている。先コロンブス期の文学で現存するものとしては、キチェ語で書かれた『ポポル・ヴフ』が残っている。


グアテマラの小説は、独立後の19世紀半ばに、アントニオ・ホセ・デ・イリサリによってはじまり、サロメ・ヒルによって大成された。ロマン主義文学においては、『マリア』(1897)のフェリペ・デ・ヘススが活躍した。モデルニスモ文学においては報道文学で活躍し、日本との交流もあったエンリケ・ゴメス・カリーリョや、マクシモ・ソトホールらが活躍した。


現代の文学者としては、『大統領閣下』、『緑の法王』の著者であり、キューバのアレホ・カルペンティエルと共に魔術的リアリズムの創造に大きな役割を果たしたノーベル文学賞作家のミゲル・アンヘル・アストゥリアスや、マリオ・モンテフォルテ・トレド、ロドリゴ・レイローサ、アウグスト・モンテローソらが特に有名である。



音楽



グアテマラではアフリカ伝来のマリンバが独特の発展を遂げている。また、カリブ海側の先住民、ガリフナ族の音楽は世界的に有名である。


クラシック音楽においては、グアテマラ出身の特に著名な作曲家/指揮者としてホルヘ・サルミエントスの名が挙げられる。



世界遺産



グアテマラ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が2件、複合遺産が1件存在する。




祝祭日











































































日付
日本語表記
現地語表記
備考

1月1日
新年(元旦)
Año Nuevo


3月~4月の一週間

イースター週間
Semana Santa
移動祝日

5月1日

メーデー
Día del Trabajador


6月30日
軍隊記念日
Día del ejército


8月15日

聖母被昇天祭
Día de la Virgen de la Asunción


9月15日

独立記念日
Día de la Independencia


10月20日
革命記念日
Día de la Revolución


11月1日

死者の日
Día de los muertos


12月24日

クリスマス・イブ
Noche Buena
午後のみ

12月25日

クリスマス
Navidad, Pascua


12月31日

大晦日
Noche Vieja
午後のみ


国の象徴




国鳥のケツァール


国鳥はケツァールで、グアテマラの国章に描かれており通貨名ともなっている。紙幣にはマヤ時代の数字が用いられている。



災害




  • 1976年2月4日に、首都グアテマラシティ北東部でマグニチュード7.5の地震が発生した(詳細はグアテマラ地震を参照)。


  • 2010年9月4日、豪雨に伴う土砂崩れが各地で発生した。政府は非常事態を宣言した。死者多数、何万人もの人が家を失い、行方不明者も多数にのぼった。[10]


  • 2012年11月7日、レタルレウ県チャンペリコ(英語版)付近で、マグニチュード7.4の地震が発生した[11]


  • 2015年10月1日夜に、首都グアテマラシティ郊外で地滑りが発生し、少なくとも30人が死亡、約600人が行方不明になっている。政府の災害当局が2日、発表した。(AFP=時事)[12]

  • 2018年6月3日に、フエゴ山が噴火。



著名な出身者





  • ミゲル・アンヘル・アストゥリアス - ノーベル文学賞作家


  • リゴベルタ・メンチュウ - マヤ系先住民の女性人権活動家。ノーベル平和賞受賞者。


  • エリック・バロンド -競歩選手。ロンドン五輪陸上競技20km競歩銀メダリスト。グアテマラ初の五輪メダリスト。



脚註


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注釈




  1. ^ ポポル・ヴフは林屋永吉元スペイン大使がスペイン語から日本語に重訳し、中央公論社から出版されている。


  2. ^ このネガティブキャンペーンの仕掛け人が心理学者ジークムント・フロイトの甥で『プロパガンダ教本』著者のエドワード・バーネイズである。


  3. ^ アルベンス夫人は2009年に亡命先のコスタリカで死亡した。


  4. ^ いわゆるティエラ・カリエンテ(熱い土地、海抜600メートル以下、年平均気温24度以下の土地)


  5. ^ ティエラ・カリエンテに属する。雨量は2000~3000ミリに達する


  6. ^ ティエラ・テンプラーダに属し、海抜600~1800メートルの間で、3000ミリを超える地域もある。年平均気温16~23度



出典




  1. ^ abcde“World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2015年1月2日閲覧。


  2. ^ 「堀義貴公使の中米5ヶ国着任(1935年)」外務省


  3. ^ “Conclusions: The tragedy of the armed confrontation”. Shr.aaas.org. 2009年9月3日閲覧。

  4. ^ ab桜井三枝子編著 『グアテマラを知るための65章』 明石書店〈エリア・スタディーズ〉 2006年 16ページ


  5. ^ 桜井三枝子編著 『グアテマラを知るための65章』 明石書店〈エリア・スタディーズ〉 2006年 16・18ページ


  6. ^ 桜井三枝子編著 『グアテマラを知るための65章』 明石書店〈エリア・スタディーズ〉 2006年 18ページ


  7. ^ 外務省安全対策ホームページ


  8. ^ CIA World Factbook 2009年3月30日閲覧


  9. ^ 頭部切断の27遺体発見=グアテマラの農場 時事ドットコム 2011年5月17日


  10. ^ “グアテマラで大雨による土砂崩れ相次ぐ、死者41人に”. ロイター (2010年9月6日). 2011年1月9日閲覧。


  11. ^ グアテマラ地震の死者48人、負傷者150人 道路や建物の損壊多数 CNN-Japan 2012年11月8日閲覧


  12. ^ [1]




参考文献



  • エドゥアルド・ガレアーノ/大久保光夫訳 『収奪された大地──ラテンアメリカ五百年』 新評論、東京、1986年9月

  • マイケル・D・コウ/加藤泰建訳 『古代マヤ文明』 創元社、大阪、2003年4月

  • 桜井三枝子編著 『グアテマラを知るための65章』 明石書店〈エリア・スタディーズ〉、東京、2006年9月。ISBN 4-7503-2389-6。

  • 二村久則、野田隆、牛田千鶴、志柿光浩 『ラテンアメリカ現代史III』 山川出版社〈世界現代史35〉、東京、2006年4月。ISBN 4-634-42350-2。

  • A.レシーノス原訳/林屋永吉重訳 『ポポル・ヴフ』 中央公論社〈中公文庫〉、東京、1977年



関連項目


  • グアテマラ関係記事の一覧


外部リンク







グアテマラ政府




  • グアテマラ共和国政府 (スペイン語)


  • グアテマラ観光局 (スペイン語)


  • 在日グアテマラ大使館 (日本語)



日本政府




  • 日本外務省 - グアテマラ (日本語)


  • 在グアテマラ日本国大使館 (日本語)


  • JICA グアテマラ情報/概要 国際協力機構のサイト。



その他



  • グアテマラ情報 - グアテマラ (日本語)









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