横溝正史
横溝 正史 (よこみぞ せいし) | |
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世界社『富士』第5号 (1952) より | |
誕生 | 横溝 正史 (よこみぞ まさし) 1902年5月24日 日本 兵庫県神戸市東川崎 |
死没 | (1981-12-28) 1981年12月28日(79歳没) 日本 東京都新宿区戸山 |
墓地 | 春秋苑墓地(神奈川県川崎市) |
職業 | 作家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
教育 | 旧制専門学校[注 1] |
最終学歴 | 大阪薬学専門学校 |
活動期間 | 1921年 - 1981年 |
ジャンル | 推理小説 |
代表作 | 『本陣殺人事件』(1946年) 『獄門島』(1947年) 『八つ墓村』(1949年) 『犬神家の一族』(1950年) 『悪魔の手毬唄』(1957年) |
主な受賞歴 | 探偵作家クラブ賞長編賞受賞(1948年) 勲三等瑞宝章受章(1976年) |
デビュー作 | 『恐ろしき四月馬鹿』(1921年) |
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横溝 正史(よこみぞ せいし、1902年(明治35年)5月24日 - 1981年(昭和56年)12月28日)は、日本の小説家、推理作家である。本名は同字で「よこみぞ まさし」。当初は筆名も同じ読みであったが、誤読した作家仲間にヨコセイと渾名されているうちに、セイシをそのまま筆名とした[1]。兵庫県神戸市東川崎(現在の中央区、神戸ハーバーランド界隈)生まれ[2]。
金田一耕助を探偵役とする一連の探偵小説で有名。また、薬剤師免許を持っていた。
目次
1 経歴
2 人物
3 解説
4 所蔵品
5 主要作品リスト
5.1 推理小説(由利麟太郎&三津木俊助)
5.1.1 長編
5.1.2 中短編
5.2 推理小説(金田一耕助)
5.2.1 長編
5.2.2 中短編
5.3 推理小説(その他の探偵・ノンシリーズ)
5.4 捕物帳シリーズ
5.5 時代小説
5.6 家庭小説
5.7 ジュヴナイル作品
6 演じた俳優
7 その他
7.1 研究・解説本
7.2 漫画作品
8 出演
8.1 映画
8.2 CM
9 脚注
9.1 注釈
9.2 出典
10 関連項目
11 外部リンク
経歴
1902年(明治35年)5月24日、兵庫県神戸市東川崎(現・中央区東川崎町)に父・宜一郎、母・波摩の三男として生まれる。父親は岡山県浅口郡船穂町(現・倉敷市)柳井原出身。翌日の旧暦5月25日が楠木正成の命日にあたることから、「まさし」まで取って命名された[注 2]。
1920年(大正9年)3月、神戸二中(現・兵庫県立兵庫高等学校)を卒業、第一銀行神戸支店に勤務。
1921年、雑誌『新青年』の懸賞に応募した『恐ろしき四月馬鹿(エイプリル・フール)』が入選作となる。これが処女作とみなされている。
1924年、大阪薬学専門学校(大阪大学薬学部の前身校)卒業後、一旦薬剤師として実家の生薬屋「春秋堂」に従事していたが、1926年に江戸川乱歩の招きに応じて上京、博文館に入社する。1927年に『新青年』の編集長に就任、その後も『文芸倶楽部』、『探偵小説』等の編集長を務めながら創作や翻訳活動を継続したが、1932年に同誌が廃刊となったことにより同社を退社し、専業作家となる。
1934年(昭和9年)7月、肺結核の悪化により、長野県八ヶ岳山麓での療養生活(富士見高原療養所)を余儀なくされ、執筆もままならない状態が続く。1日あたり3 - 4枚というペースで書き進めた渾身の1作『鬼火』も当局の検閲により一部削除を命じられる。また、戦時中は探偵小説の発表自体が制限されたことにより、時代劇(捕物帳シリーズ)等の執筆に重点を移さざるを得ないなど、不遇な時代が続いた。太平洋戦争の開戦前後(1941年6~12月)には横溝唯一の長編家庭小説とされる『雪割草』を地方紙(新潟毎日新聞、途中から新潟日日新聞に変更)に連載したことが2017年末に明らかになっている[3]。推理作家としての活動が制限されたため経済的にも困窮し、一時は本人も死を覚悟するほど病状が悪化したが、終戦後、治療薬ストレプトマイシンの急激な値崩れにより快方に向かう。
1945年(昭和20年)4月より3年間、岡山県吉備郡真備町岡田(現・倉敷市真備町)に疎開。第二次世界大戦終戦後、推理小説が自由に発表できるようになると本領を発揮し、本格推理小説を続々と発表する。1948年、『本陣殺人事件』により第1回探偵作家クラブ賞(後の日本推理作家協会賞)長編賞を受賞。同作はデビュー後25年目、長編としても8作目にあたるが、自選ベストテンとされるものも含め、代表作と呼ばれるものはほとんどこれ以降(特にこの後数年間)に発表されており、同一ジャンルで書き続けてきた作家としては異例の遅咲き現象である。やや地味なベテランから一挙に乱歩に替わる日本探偵小説界のエース的存在となった。
人気が高まる中、骨太な本格探偵小説以外にも、やや通俗性の強い長編も多く執筆。4誌同時連載を抱えるほどの売れっぷりだったが、1960年代に入り松本清張などによる社会派ミステリーが台頭すると執筆量は急速に減っていった[注 3]。1964年に『蝙蝠男』を発表後、探偵小説の執筆を停止し[2]、一時は数点の再版や『人形佐七捕物帳』のみが書店に残る存在となっていた。
1968年、講談社の『週刊少年マガジン』誌上で『八つ墓村』が漫画化・連載(作画:影丸穣也)されたことを契機として注目が集まる。同時に、江戸川乱歩、夢野久作らが異端の文学としてブームを呼んだこともあり、最初の全集が講談社より1970年から(1976年まで)刊行された。また、1971年から、『八つ墓村』をはじめととした作品が、角川文庫から刊行され、圧倒的な売れ行きを示し、角川文庫は次々と横溝作品を刊行することになる。少し遅れてオカルト・ブームもあり、横溝の人気復活もミステリーとホラーを融合させた際物的な側面があったが(実際には横溝は超常現象的な内容はほとんど書かない)、映画産業への参入を狙っていた角川春樹はこのインパクトの強さを強調、自ら陣頭指揮をとって角川映画の柱とする。
1974年、角川文庫版の著作が、300万部突破。1975年、角川文庫の横溝作品が500万部突破。1976年、角川文庫の横溝作品が1,000万部を突破。1979年、角川文庫横溝作品4,000万部突破。
1975年にATGが映画化した『本陣殺人事件』がヒットし[注 4]、翌年の『犬神家の一族』を皮切りとした石坂浩二主演による映画化(「石坂浩二の金田一耕助シリーズ」参照)、古谷一行主演による毎日放送でのドラマ化(「古谷一行の金田一耕助シリーズ」参照)により、推理小説ファン以外にも広く知られるようになる。作品のほとんどを文庫化した角川はブームに満足はせず、さらなる横溝ワールドの発展を目指す。70歳の坂を越した横溝も、その要請に応えて驚異的な仕事量をこなしていたとされる。1976年1月16日の朝日新聞夕刊文化欄に寄稿したエッセイ「クリスティと私」の中で、前年に「田中(平櫛田中のこと)先生には及びもないが、せめてなりたやクリスティ(アガサ・クリスティ)」という戯れ歌を作ったと記している(別のインタビュー記事では「田中さん」となっている)。田中が100歳の誕生日に30年分の木工材料を買い込んだというエピソードを聞いてのものであった。
実際に、この後期の執筆活動により、中絶していた『仮面舞踏会』を完成させ、続いて短編を基にした『迷路荘の惨劇』、金田一耕助最後の事件『病院坂の首縊りの家』、エラリー・クイーンの「村物」に対抗した『悪霊島』と、70代にして4作の大長編を発表している。『仮面舞踏会』は、社会派の影響を受けてか抑制されたリアルなタッチ、続く2作はブームの動向に応えて怪奇色を強調、『悪霊島』は若干の現代色も加えるなど晩年期ですら作風の変換に余念がなかった[注 5]。また、小林信彦の『横溝正史読本』などのミステリー研究の対象となったのもブームとは無縁ではない。
1976年(昭和51年)勲三等瑞宝章受章[5]。
1981年(昭和56年)12月28日、結腸ガンのため国立病院医療センターで死去した。戒名は清浄心院正覚文道栄達居士[6]。
人物
横溝は閉所恐怖症で、大の電車嫌いであった[注 6]。電車に乗る際は必ず酒の入った水筒を首からさげ、それを飲みながら電車を乗り継いだ。時には妻とともに乗ることもあったが、その際には妻が横溝の手をずっと握っていないとダメだったという。
執筆に行き詰まった際には編み物をして気分転換をしていた。また、プロ野球・近鉄バファローズの大ファンであった。
温厚で誰に対しても偉ぶることのない人柄はブームの中でも好感を持って迎えられ、また膨大な再刊、映画化が(角川春樹事務所が管理していたとはいえ)ほとんどスルーで実現する現象につながった。多忙期に乱作したような作品も含め片っ端から文庫に収録されるので、心配した友人の西田政治らから忠告を受け、また自身もおいおい気恥ずかしくなって、「ええ加減にしてくださいよ。これ以上出すとおたく(角川文庫)のコケンにかかわりますよ。」と尻込みしたが、角川春樹に押し切られ、その結果、自身が最低と決めつけている作品でも出ると売れたことから、最高と最低を自身で決めることは僭上の沙汰ではないか、読者諸賢の審判を待つべきであると割り切ることにした[7]。
また、晩年も酒を欠かさず、時折乱れて妻を困惑させるさまは公刊日記にそのまま記されている[8]。
近年復刊した小林信彦の『横溝正史読本』でも触れているように、横溝は雑誌『新青年』の編集長であった。月刊誌であり、文芸誌でもあった『新青年』はこの時期の文壇を含めた文化人(たとえば茂田井武も『新青年』へ寄稿している)とクロス・オーバーする存在であり、横溝はその中心人物の1人でもあった。
戦前派作家の唯一の現役生き残りであった(しかも晩年に突如空前のブームを迎えた)こともあり、困窮し病に伏した往年の作家仲間に援助したり、再刊の口利きをしつこく頼んでくる遺族に辛抱強く応対したりする様子も、公刊日記に控えめに記されている。
昭和モダニストのたしなみ程度であるがクラシック音楽を好んだ。一般に土俗的な舞台が多いとされる横溝作品の中にも、『悪魔が来りて笛を吹く』『仮面舞踏会』『蝶々殺人事件』『迷路荘の惨劇』など、クラシック音楽がらみの長編も複数ある。その影響か、長男の横溝亮一は東京新聞記者を経て音楽評論家として重きをなしている。急逝直前のバス歌手・大橋国一との対談(新版全集収録)は亮一がセットした。
東京都世田谷区成城にあった横溝の書斎(1955年(昭和30年)頃建築)は、山梨県山梨市に移築され、2007年(平成19年)3月25日より「横溝正史館」として公開されている。
解説
金田一耕助が登場する作品は、長短編あわせて77作(中絶作品・ジュブナイル作品等を除く)が確認されている。探偵・金田一耕助は主に東京周辺を舞台とする事件と、作者の疎開先であった岡山など地方を舞台にした事件で活躍した(岡山県以外では、作者が戦前に転地療養生活を送り、戦後は別荘を所有していた長野県や、静岡県の事件が多い)。前者には戦後都会の退廃や倒錯的な性、後者には田舎の因習や血縁の因縁を軸としたものが多い。一般的には後者の作品群の方が評価が高いようである(前者は倶楽部雑誌と呼ばれる大衆誌に連載されたものが多く、発表誌の性格上どうしても扇情性が強調されがちである)。外見的には怪奇色が強いが、骨格としてはすべて論理とトリックを重んじた本格推理で、一部作品で装飾的に用いられるケースを除いて超常現象やオカルティズムは排されている。このような特徴は、彼が敬愛する作家ジョン・ディクスン・カーの影響であるとのこと。また、薬剤師出身であるにもかかわらず、理化学的トリックは意外に少なく、毒殺の比率は高いものの薬名があっさり記述される程度である。
一旦発表した作品を改稿して発表するケースも多かった。通常このような原型作品は忘れられるものであるが、『金田一耕助』シリーズについてはそれらの発掘・刊行も進んでおり、人気の高さが窺える。創作した探偵役は他に、由利麟太郎と三津木俊助、捕物帖には人形佐七、お役者文七を主役とするシリーズがある。
金田一もの以外で重要なのは、戦前に発表された『鬼火』『蔵の中』『かいやぐら物語』などの耽美的中短編、江戸川乱歩に「横溝探偵小説の一つの頂点を為すものかも知れない」との賛辞を寄せられた戦前の長編『真珠郎』(探偵役は由利麟太郎)、坂口安吾に世界的レベルの傑作と激賞された終戦直後の純謎解き長編『蝶々殺人事件』(探偵役は由利麟太郎)、『探偵小説』『かめれおん』ほか戦後初期短編など。また、昭和初期に書かれた、洒落た中に一抹の哀愁を湛えた都会派コントの数々は、『新青年』編集長として昭和モダニズムの旗手であった横溝の一面をよく伝えている。ユーモアのセンスは後年の長編にも金田一のキャラクターをはじめ残されているが、戦後にも今日のバカミスの遠祖ともいうべき『びっくり箱殺人事件』という全編ドタバタに終始する異色長編がある。
1980年から角川書店の主催による長編推理小説新人賞、横溝正史ミステリ大賞が開始されている。
所蔵品
2006年6月、東京・世田谷の横溝邸から未発表の短編『霧の夜の出来事』、『犬神家の一族』などの生原稿をはじめ、横溝が小説執筆の資料に使っていたと思われる文献など、貴重な所蔵品が発見された。これらの所蔵品や資料は二松学舎大学が保管し、一般公開されることになっており[注 7]、前述の『雪割草』の掲載媒体や文面を再発見したのも二松学舎大学である。
主要作品リスト
推理小説(由利麟太郎&三津木俊助)
長編
真珠郎(『新青年』1936年10月号 - 1937年2月号)
夜光虫(『日の出』1936年11月号 - 1937年6月号)- 白蝋変化(『講談雑誌』1936年4月号 - 12月号)
- 幻の女(『富士』1937年1月号 - 4月号)
- 双仮面(『キング』1938年7月号 - 12月号)
仮面劇場(『サンデー毎日』1938年10月 - 11月)
蝶々殺人事件(『ロック』1946年5月号 - 1947年4月号)
中短編
- 憑かれた女(『大衆倶楽部』1933年10月号 - 12月号)
- 獣人(『講談雑誌』1935年9月号)
- 石膏美人(『講談倶楽部』1936年5月増刊号 - 6月号)
- 蜘蛛と百合(『モダン日本』1936年7月号 - 8月号)
- 猫と蝋人形(『キング』1936年8月号)
- 首吊船(『富士』1936年10月増刊号 - 11月号)
- 薔薇と鬱金香(『週刊朝日』1936年11月)
- 焙烙の刑(『サンデー毎日』1937年1月号)
- 鸚鵡を飼う女(『キング』1937年4月増刊号)
- 花髑髏(『富士』1937年6月号 - 7月号)
- 迷路の三人(『キング』1937年8月増刊号)
- 猿と死美人(『キング』1938年2月号)
- 木乃伊の花嫁(『富士』1938年2月増刊号)
- 白蝋少年(『キング』1938年4月号)
- 悪魔の家(『富士』1938年5月号)
- 悪魔の設計図(『富士』1938年6月増刊号 - 7月号)
- 銀色の舞踏靴(『日の出』1939年3月号)
- 黒衣の人(『婦人倶楽部』1939年4月号)
- 盲目の犬(『キング』1939年4月号)
- 血蝙蝠(『現代』1939年10月号)
- 嵐の道化師(『富士』1939年10月号)
- 神の矢(『ロック』1949年2月号 - 5月号)
- カルメンの死[注 8](『講談倶楽部』1950年1月号 - 3月号)
- 模造殺人事件[注 9](『スタイル読物版』1950年5月号)
推理小説(金田一耕助)
長編
本陣殺人事件[注 10](『宝石』1946年4月号 - 12月号)
獄門島(『宝石』1947年1月号 - 1948年10月号)
夜歩く(『男女』1948年2月号 - 1949年12月号)
八つ墓村(『新青年』1949年3月号 - 1950年3月号、中絶後、『宝石』1950年11月号 - 1951年1月号)
死仮面(『物語』1949年5月号 - 12月号)
犬神家の一族(『キング』1950年1月号 - 1951年5月号)
女王蜂(『キング』1951年6月号 - 1952年5月号)
悪魔が来りて笛を吹く(『宝石』1951年11月号 - 1953年11月号)
不死蝶(『平凡』1953年6月号 - 11月号)
幽霊男(『講談倶楽部』1954年1月号 - 10月号)
三つ首塔(『小説倶楽部』1955年1月号 - 12月号)- 吸血蛾(『講談倶楽部』1955年1月号 - 12月号)
- 毒の矢(『オール讀物』1956年1月号)
死神の矢(『面白倶楽部』1956年3月号)- 魔女の暦(『小説倶楽部』1956年5月号)
迷路荘の惨劇(『オール讀物』1956年8月号)
悪魔の手毬唄(『宝石』1957年8月号 - 1959年1月号)- 壺中美人(『週刊東京』1957年9月号)
支那扇の女(『太陽』1957年12月号)- 扉の影の女(『週刊東京』1957年12月号)
悪魔の降誕祭(『オール讀物』1958年1月号)- スペードの女王(『大衆読物』1958年6月号)
悪魔の寵児(『面白倶楽部』1958年7月号 - 1959年7月号)
白と黒(『日刊スポーツ』1960年11月 - 1961年12月)- 悪魔の百唇譜(『推理ストーリー』1962年1月号)
- 夜の黒豹[注 11](『推理ストーリー』1963年3月号)
仮面舞踏会(『宝石』1962年7月号 - 1963年2月号、中絶後、1974年『新版横溝正史全集 17』(講談社)に書き下ろし)
病院坂の首縊りの家[注 12](『野性時代』1975年12月号 - 1977年9月号)
悪霊島[注 13](『野性時代』1979年1月号 - 1980年5月号)
中短編
殺人鬼(『りべらる』1947年11月号 - 1948年2月号)
黒猫亭事件(『小説3号』1947年12月号)
黒蘭姫(『読物時事』1948年1月号 - 3月号)
車井戸はなぜ軋る(『読物春秋』1949年1月増刊号)
女怪(『オール讀物』1950年9月号)
百日紅の下にて(『改造』1951年11月号)
幽霊座(『面白倶楽部』1952年11月号 - 12月号)
花園の悪魔(『オール讀物』1954年2月号)
蜃気楼島の情熱(『オール讀物』1954年9月号)
首(『宝石』1955年5月号)
廃園の鬼(『オール讀物』1955年6月号)
七つの仮面(『講談倶楽部』1956年8月号)- 華やかな野獣(『面白倶楽部』1956年12月号)
トランプ台上の首(『オール讀物』1957年1月号)- 泥の中の女 - (『週刊東京』1957年2月23日号 - 3月2日号)
- 傘の中の女 - (『週刊東京』1957年6月29日号 - 7月6日号)
貸しボート十三号(『別冊週刊朝日』1957年8月)- 赤の中の女 - (『週刊東京』1958年5月3日号 - 5月10日号)
推理小説(その他の探偵・ノンシリーズ)
恐ろしき四月馬鹿[注 14](『新青年』1921年4月号)- 山名耕作の不思議な生活(『大衆文芸』1927年1月号)
- 赤い水泳着(『アサヒグラフ』 1929年4月号)
- 芙蓉屋敷の秘密[注 15](『新青年』1930年5月号 - 8月号)
- ある女装冒険家の物語(『文学時代』新潮社 - 1930年5月号)
- 殺人暦(『講談雑誌』1931年2月号)
- 塙侯爵一家(『新青年』1932年7月号 - 12月号)
- 呪いの塔(1932年8月、新潮社)
- 黄色い手袋(『日曜報知』1932年8月号)
鬼火(『新青年』1935年2月号 - 3月号)- 蔵の中[注 16](『新青年』1935年8月号)
- 薔薇王(『新青年』1936年4月号 - 5月号)
- 青い外套を着た女(『サンデー毎日』1937年7月)
- 誘蛾燈(『オール讀物』1937年12月号)
- 血蝙蝠(『現代』1939年10月号)
- 八百八十八番目の護謨の木(『キング』1941年3月号)
- 刺青された男(『ロック』1946年4月号)
- ペルシャ猫を抱く女(『キング』1946年12月号)
びっくり箱殺人事件(『月刊読売』1948年1月号 - 9月号)
女が見ていた(『時事新報』1949年5月 - 10月)
捕物帳シリーズ
- 不知火捕物双紙[注 17]
- からくり御殿[注 18](『講談雑誌』1937年4月号)
- 清姫の帯[注 19](『講談雑誌』1937年12月号)
人形佐七捕物帳
- 羽子板娘[注 20][注 21](『講談雑誌』1938年1月号)
- 振袖幻之丞[注 22][注 23](『講談雑誌』1940年6月号)
- お高祖頭巾の女[注 24](『講談雑誌』1949年1月号)
- 舟幽霊(『京都新聞』1953年2月号)
- 神隠しにあった女(『読切小説集』1953年3月号)
- 三人色若衆[注 25](『別冊講談倶楽部』1955年11月号)
- 左一平捕物帳
- 髑髏検校[注 26][注 27](『奇譚』1939年1月号 - 2月号)
- 京人形の怪(『少年少女奇譚』1939年4月号)
- 左近捕物帳[注 28]
- まぼろし小町(『日の出』1940年6月号)
- 左門捕物帳[注 29]
- 水芸三姉妹(『日光』1949年8月号)
- 十二匹の狐(『日光』1949年11月号)
- 春姿七福神(『日光』1950年2月号)
- お役者文七捕物暦[注 30]
- 蜘蛛の巣屋敷[注 31](『講談雑誌』1957年11月号 - 1958年8月号)
- 恐怖の雪だるま(『週刊漫画Times』1960年1月6日号 - 1960年1月27日号)
時代小説
- 菊水兵談(『講談雑誌』1941年1月号)
- 矢柄頓兵衛戦場噺(『講談雑誌』1943年1月号)
家庭小説
- 雪割草(『新潟毎日新聞』→『新潟日日新聞』1941年6~12月)[9]
ジュヴナイル作品
- 幽霊鉄仮面(『新少年』1937年4月号 - 1938年3月号)
- 真珠塔(『新少年』1938年8月号 - 1939年1月号)
- 怪獣男爵(1948年11月、偕成社)
- 夜光怪人(『譚海』1949年5月号 - 1950年5月号)
- 大迷宮(『少年倶楽部』1951年1月号 - 12月号)
- 黄金の指紋(『譚海』1951年6月号 - 1952年8月号)
- 金色の魔術師(『少年倶楽部』1952年1月号 - 12月号)
- 仮面城(『小学五年生』1952年4月号 - 1953年3月号)
- 青髪鬼(『少年倶楽部』1953年1月号 - 12月号)
- 白蝋仮面(『野球少年』1953年2月号)
- 獣人魔島(『冒険王』1954年9月号 - 1955年6月号)
- 蝋面博士(1954年12月、偕成社)
- 風船魔人(『小学五年生』1956年4月号 - 1957年3月号)
- 黄金魔人(『おもしろブック』1957年1月号 - 8月号)
- まぼろしの怪人(『中一コース』1958年1月号 - 1959年3月号)
- 迷宮の扉(『中学生の友』1958年1月号 - 12月号)
- 姿なき怪人(『中一コース』1959年4月号 - 1960年4月号)
- 怪盗X・Y・Z(『中二コース』1960年5月号 - 1961年4月号)
演じた俳優
香川照之 - 『RAMPO』(松竹)
小日向文世 - 『犬神家の一族』『八つ墓村』『女王蜂』『悪魔が来りて笛を吹く』『悪魔の手毬唄』(いずれもフジテレビドラマ)- 横溝正史(本人) - 『病院坂の首縊りの家』(東宝)、『金田一耕助の冒険』(東映)
その他
研究・解説本
小林信彦編 『横溝正史読本』(角川文庫、1979年、2008年改版)- 『横溝正史研究』(2017年に第6号発行、戎光祥出版)[10]
中川右介 『江戸川乱歩と横溝正史』(集英社、2017年)
漫画作品
- 『血まみれ観音』 絵:高階良子
- 原題『夜光虫』の漫画化。1973年11月 - 1974年2月号の『なかよし』に連載。1999年に講談社漫画文庫で復刻した。
- 『真珠色の仮面』 絵:高階良子
- 原題『仮面劇場』の漫画化、1972年11月 - 12月号の『なかよし』に連載。1999年講談社漫画文庫において『血まみれ観音』に収録。
影丸譲也『八つ墓村』『悪魔が来りて笛を吹く』『霧の別荘の惨劇』
- 『八つ墓村』は1968 - 1969年『週刊少年マガジン』誌に連載され大ヒット。横溝ブームの先駆け的役割を果たした。単行本は何種類も発行されている。
- 『悪魔が来りて笛を吹く』は1979年の東映映画公開のタイアップとして、映画シナリオを元に漫画化した作品。
- 玄太郎『鬼火』『蔵の中』『カルメンの死』『蜘蛛と百合』
ささやななえ『獄門島』『百日紅の下にて』
つのだじろう『八つ墓村』『犬神家の一族』『悪魔の手毬唄』- 岩川ひろみ『女王蜂』
いけうち誠一『犬神家の一族』『獄門島』『悪魔の手毬唄』- 鳳英洋『黒猫亭事件』
- 掛布しげを『湖泥』『八つ墓村』『女王蜂』
JET『獄門島』『本陣殺人事件』『黒猫亭事件』『睡れる花嫁』『車井戸はなぜ軋る』『八つ墓村』『悪魔の手毬唄』『女怪』『犬神家の一族』『蝙蝠と蛞蝓』『雌蛭』『悪魔が来りて笛を吹く』『花園の悪魔』『鴉』『悪魔の寵児』『悪霊島』『面影双紙』『真珠郎』『蜘蛛と百合』『薔薇と鬱金香』- たまいまきこ『悪霊島』『女王蜂』『トランプ台上の首』
- 長尾文子『迷路荘の怪人』『睡れる花嫁』『不死蝶』『犬神家の一族』『本陣殺人事件』『獄門島』『悪魔の手毬唄』『八つ墓村』『鴉』
小山田いく『犬神家の一族』
田中つかさ『人形佐七捕物帳』
出演
映画
犬神家の一族 (那須ホテルの主人として出演、1976年)
病院坂の首縊りの家 (老推理作家として出演、1979年)
金田一耕助の冒険 (横溝先生として出演、1979年)
CM
角川書店 角川文庫ミステリーフェア GUILTY篇(高木彬光、森村誠一と出演、1978年)[11]
脚注
注釈
^ 大阪薬専は3年制で専攻科もなかったので、薬学得業士の称号は有さないと思われる。
^ 世界社『富士』第5号 (1952) より。なお、該当記事には誕生日を1日ずらして5月25日としている。
^ 清張と正史のお互いに対する考えは、松本清張#推理作家 横溝正史の項を参照。
^ 封切り初日に、プロデューサーの葛井欣士郎から作者に「先生、ヒットです、ヒットです。あまりの観客にドアがしまらないくらいです。」と電話があり、京都でもヒットしていると監督の高林陽一から電話があった[4]。
^ この4作は、長野・静岡・東京・岡山と、横溝が好んで舞台にした4つの都県を一巡している。
^ 『横溝正史読本』によれば一種のアル中だと自己診断している。
^ 横溝正史邸から生原稿など発見される
^ 原題「迷路の花嫁」。
^ 冒頭の2章のみで未完。
^ 「金田一耕助シリーズ」の第1作。
^ 「青蜥蜴」の別題あり。
^ 「金田一耕助最後の事件」として知られる。
^ 横溝正史による最後の長編。
^ 横溝正史の処女作の短編。
^ 横溝正史の最初の長編。
^ 実写ではニューハーフ・松原留美子が姉を演じて話題になった。
^ 主人公は不知火甚左。横溝正史の捕物帳シリーズ最初の作品。
^ 横溝の書いた初捕物帳。西洋人が黒幕で江戸城大奥にも絡む、大掛かりな新興宗教の本山が敵というスケールの大きな作品となっている。
^ 島抜けの直次郎(御家人くずれ)は後の「人形佐七」にも登場。
^ 「三人羽子板娘」の別題あり。
^ 『人形佐七捕物帳1 嘆きの遊女』嶋中文庫(2005年)収録
^ 「振袖幻之嬢」の別題あり。
^ 振袖を着た女装美少年・幻之丞(実は大身直参の正室(江戸御前)の息子)登場。直参の隠し子で女装の美男という設定は、のちの女装の女狂言師「お美乃(舞台で男役の時は坂東蓑次)」として敵の屋敷に潜入する「お役者文七」に引き継がれている。
^ 『横溝正史時代小説コレクション-捕物篇2』出版芸術社(2004年)収録
^ 『人形佐七捕物帳全集8(新装版)』春陽文庫(1984年)収録
^ 謎の怪人・髑髏検校(ドラキュラの翻案とも)が登場する怪異時代長編。
^ 『髑髏検校』角川文庫 緑304-19(1975年)収録
^ 花吹雪左近が難事件に挑む。
^ 旗本・服部左門を主人公にした捕物帳。
^ - 性別を問わず変装できる美男・お役者文七(正体は大身直参のご落胤)を中心に、だるま親分・その妻でお吉・女装姿の文七に惚れるお小夜などが活躍する推理群像劇。
^ 第一長編。中村錦之介主演で映画化(東映『お役者文七捕物暦 蜘蛛の巣屋敷』1959年)。
出典
^ “昭和随一の流行作家は超遅咲き 横溝正史”. 本の話WEB (2011年7月11日). 2016年6月12日閲覧。
- ^ ab『横溝正史読本』(小林信彦・編、角川文庫、2008年改版) 「年譜」参照。
^ 横溝正史、幻の長編小説「雪割草」見つかる…金田一耕助の“モデル”も登場『産経新聞』朝刊2017年12月22日
^ 『真説 金田一耕助』(横溝正史著、角川文庫、1979年) 「小説と映画 I」参照。
^ 『真説 金田一耕助』(横溝正史著、角川文庫、1979年) 「勲章を貰う話」参照。
^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)351頁
^ 『真説 金田一耕助』(横溝正史著、角川文庫、1979年) 「最高と最低」参照。
^ 『真説 金田一耕助』ハードカバー版参照。
^ 戎光祥出版から2018年3月8日に刊行。
^ 横溝正史研究 6戎光祥出版(2017年12月22日閲覧)
^ 『ACC CM年鑑'79』(全日本CM協議会編集、誠文堂新光社、1979年 44頁)
関連項目
- 神戸文学館
- 日本における検閲
真備町 - 戦時中の疎開先。「倉敷市横溝正史疎開宅」として当時の家が残されている。- 金田一耕助
船穂町 - 父親の出身地- 梁場山城
横溝武夫 - 異母弟、兄の正史と同じく『新青年』の編集長をつとめた。
岩田準一 - 交流があった。
外部リンク
- 横溝正史館(山梨市)
- 橫溝正史エンクロサイペディア
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