稲川会
代紋 | |
設立 | 1949年[1] |
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設立者 | 稲川聖城 |
設立場所 | 静岡県熱海市咲見町[1] |
本部 | 〒106-0032 東京都港区六本木7-8-4[PR 1] |
北緯35度39分54.4秒 東経139度43分46.7秒 / 北緯35.665111度 東経139.729639度 / 35.665111; 139.729639座標: 北緯35度39分54.4秒 東経139度43分46.7秒 / 北緯35.665111度 東経139.729639度 / 35.665111; 139.729639 | |
首領 | 辛炳圭[PR 2] |
活動期間 | 1949年~現在 |
活動範囲 | 1都1道16県[PR 2] |
構成員数 (推定) | 約4,100人(2017年末時点)[PR 2] *構成員 約2,300人 *準構成員 約1,800人 |
友好組織 | 六代目山口組等 |
敵対組織 | 神戸山口組 |
稲川会(いながわかい)は、東京都港区六本木に総本部を置く日本の指定暴力団。六代目山口組、住吉会および神戸山口組とともに公安委員会から主要暴力団として位置づけられている[PR 2]。
目次
1 来歴
2 歴代会長
3 稲川会
4 政界との関係
5 法規命令
6 脚注
6.1 出典
6.1.1 一次資料
来歴
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1949年4月[1]、鶴岡政次郎という博徒の配下にあった稲川角二(のちの稲川聖城)が静岡県熱海市咲見町[2]で「稲川組」を結成。事務所の看板を「稲川興業」とした[3]。その後、「鶴政会」、「錦政会」、「稲川一家」と名称変更を経て、現在の「稲川会」となった[PR 3]。
1985年に石井隆匡を会長に据える二代目体制が発足。1990年に稲川聖城の実子にあたる稲川裕紘が三代目会長に就任。1996年には稲川裕紘三代目会長が渡辺芳則五代目山口組組長と五分の兄弟盃を交わす[4]。
2005年に稲川裕紘三代目会長が死去。翌2006年に角田吉男が四代目体制を発足させた。10月には稲川会二代目山川一家若頭・内堀和也内堀組組長が、六代目山口組二代目弘道会若頭・竹内照明二代目高山組組長と五分の兄弟盃を交わした。その際の後見人は六代目山口組若頭・髙山清司二代目弘道会会長と稲川会理事長・辛炳圭(清田次郎)二代目山川一家総長。取持人は双愛会・塩島正則本部長(のち双愛会六代目会長)で、媒酌人は水野四郎であった。
2010年には会長の角田吉男が東京都内の病院で死去。死因は膵臓癌とされた。77歳であった[5]。そして同年に清田次郎を首領に据える五代目体制が発足した。2011年3月、傘下組織の内紛により直系組長らにより「山梨侠友會」が結成された。
2013年1月23日、アメリカ合衆国財務省は稲川会と清田次郎会長と内堀和雄理事長を金融制裁の対象に指定した[6]。
2015年8月に結成された神戸山口組を承認せず、六代目山口組との関係を重視する方針である。
歴代会長
- 初 代 - 稲川聖城
- 二代目 - 石井隆匡(五代目横須賀一家総長)
- 三代目 - 稲川裕紘(二代目稲川一家総長)
- 四代目 - 角田吉男(五代目京葉七熊一家総長)
- 五代目 - 辛炳圭(清田次郎)[PR 2](二代目山川一家総長)
稲川会
役職 | 氏名 | 二次団体 | 三次団体 | 本部 |
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会長 | 辛炳圭[PR 2] | |||
理事長 | 内堀和也 | 三代目山川一家総長 | 神奈川県川崎市 | |
総本部幹事長 | 小原忠悦 | 三代目三日月一家総長 | 千葉県木更津市 | |
総本部本部長 | 吉原勝彦 | 六代目七熊一家総長 | 千葉県船橋市 | |
組織委員長 | 戸上光雄 | 紘城一家総長 | 神奈川県小田原市 | |
渉外委員長 | 國近哲也 | 七代目三本杉一家総長 | 東京都渋谷区 | |
諮問委員長 | 鈴木政行 | 二代目杉浦一家総長 | 神奈川県横浜市 | |
運営委員長 | 坂井繁生 | 四代目森田一家総長 | 静岡県静岡市 | |
慶弔委員長 | 池田龍治 | 三代目山川一家舎弟頭 | 池田組組長 | 神奈川県横浜市 |
筆頭執行部 | 貞方留義 | 三代目埋地一家総長 | 神奈川県横浜市 | |
執行部 | 中島順成 | 二代目中島一家総長 | 岐阜県岐阜市 | |
執行部 | 沖 勝彦 | 二代目山瀬一家総長 | 神奈川県横浜市 | |
執行部 | 鈴木郁夫 | 七代目田中一家総長 | 群馬県伊勢崎市 | |
執行部 | 馬場知己 | 七代目佃政一家総長 | 東京都中央区 | |
執行部 | 秋田 昇 | 六代目七熊一家若頭 | 秋田組組長 | 千葉県船橋市 |
総本部事務局長 | 齋藤孝一 | 七代目三本杉一家慶弔委員長 | 二代目村野組組長代行 | 東京都渋谷区 |
名誉顧問 | 和田嘉雄 | |||
最高顧問 | 中島唯雄 | |||
顧問 | 富山正一 | |||
常任相談役 | 遠藤通夫 | 相模一家総長 | 神奈川県平塚市 | |
常任相談役 | 井積宏之 | 三代目越路家一家総長 | 北海道札幌市 | |
常任相談役 | 遠藤貴嗣 | 紘龍一家総長 | 福島県郡山市 | |
常任相談役 | 山崎功二 | 七代目大場一家総長 | 静岡県沼津市 | |
常任相談役 | 木川孝始 | 習志野一家総長 | 千葉県習志野市 | |
常任相談役 | 小谷野一郎 | 八代目八木田一家総長 | 埼玉県深谷市 | |
常任相談役 | 水野四郎 | 五代目木暮一家総長 | 北海道札幌市 | |
常任相談役 | 西山 輝 | 十代目碑文谷一家総長 | 東京都品川区 |
(2014年5月現在)[7][8]
政界との関係
浜田幸一の所属暴力団は、稲川会の傘下だった。- 系列右翼団体に大行社を持ち、大行社は平成12年(2000年)の第42回衆議院議員総選挙で、東京1区で丸川仁を単騎擁立し、対立候補の与謝野馨を激しく口撃。与謝野は落選したが、自らも最下位落選。また同時期に対立候補事務所に対する、大行社による度重なる暴力行為が発覚、供託金を没収された。
東京佐川急便事件の公判過程で自由民主党と暴力団の関係が浮上。自由民主党の総裁選に絡み右翼団体日本皇民党や、自民党の安倍派と中曽根派から攻撃を受けていた事件(皇民党事件)で、竹下政権が東京佐川急便社長の渡辺広康を介し稲川会長の石井隆匡に仲介を依頼、事件の解決を図った。
- 第87代内閣総理大臣小泉純一郎の選挙対策本部長であった竹内清(元神奈川県議会議長)は稲川会横須賀一家の系列組員であり、石井隆匡と非常に親しく、上下関係の厳しいヤクザの世界にあって石井の葬儀では最初に焼香するなど、肩書きこそ堅気ではあるが非常に密接な関係であった。また息子の小泉進次郎と共に写っている写真が掲載されるなど、小泉父子の選挙区であり、横須賀一家の本拠地でもある神奈川県横須賀市では、両者の結びつきはきわめて強い[9]。
法規命令
- 2013年1月23日、米財務省は、Inagawa-kaiを国外の著しい犯罪組織とその支持者であるとして、国際緊急経済権限法・大統領令13581号に基づき、米国司法権の及ぶ範囲の資産凍結、米国民との取引禁止させる制裁対象とした。また2014年12月26日、米司法省は稲川会が人身売買や銃器密輸等の重大な組織犯罪へ関与しているとしてFBIに国外捜査を命じた[PR 4]。
脚注
出典
- ^ abc大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4 のP.108
^ 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4 のP.110
^ 大下英治『首領 昭和闇の支配者 三巻』大和書房<だいわ書房>、2006年、ISBN 978-4-479-30027-4 のP.111
^ 実話時代編集部『山口組血風録』(洋泉社)2005 P222
^ 『指定暴力団:稲川会の角田会長が病死』 2010年2月24日 毎日新聞
^ “米、稲川会に経済制裁 主要3団体すべて対象”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2013年1月24日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2401X_U3A120C1EB1000/ 2018年4月6日閲覧。
^ 月刊実話ドキュメント 2014年7月号
^ 週刊実話 2014年6月26日号
^ フライデー2004年7月9日号
一次資料
^ 第二章一節一項 指定暴力団の指定の状況(平成21年5月1日現在)(PDFファイル) 平成21年 警察白書 警察庁 2010年5月16日閲覧
- ^ abcdef平成29年における組織犯罪の情勢 (PDF) 警察庁組織犯罪対策部 2018年、2018年12月11日閲覧
^ 『平成5年度警察白書 第1節 暴力団の実態』 1993年 警察庁
^ Treasury Targets Leading Figures of Transnational Criminal Organizations アメリカ合衆国財務省
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