沖縄県立第一高等女学校
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沖縄県立第一高等女学校 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 沖縄県 |
設立年月日 | 1900年6月20日 |
創立記念日 | 4月2日 |
閉校年月日 | 1945年 |
共学・別学 | 女子校 |
学期 | 3学期制 |
所在地 | 〒 |
沖縄県島尻郡真和志町間切安里村 |
沖縄県立第一高等女学校(おきなわけんりつ だいいちこうとうじょがっこう)は、かつて沖縄県島尻郡真和志町間切安里村(現・那覇市)にあった県立高等女学校。略称は「一高女」。
目次
1 沿革
2 行事・課外活動・事件
2.1 クラブ活動
2.2 修学旅行
3 その他
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
沿革
- 1900年6月20日 - 私立沖縄高等女学校設立。
1903年4月2日 - 沖縄県立高等女学校に改称。
1906年10月27日 - 大運動会。
1907年 - 校友会誌乙姫第1号発刊。
1907年9月29日 - 第1回同窓会。
1908年2月15日 - 記録上最古の学芸会。
1908年10月28日 - 移転。
1908年11月1日 - 校舎竣工移転。
1912年4月2日 - 10周年記念会。
1913年12月25日 - 終業式後職員生徒で忘年会。
1915年6月25日 - 連合学芸会。
1916年1月12日 - 沖縄県女子師範学校が移転し、並置となる。
1918年3月28日 - 初の県外修学旅行。
1922年 - 全校生徒自治会で「女学生の制服として和服と洋服と何れが可なりや」との議題が提案。賛否激しい議論に。
1923年 - 職員会で制服制定の件で洋服和服自由期間を設ける。半年でほぼ全員が洋服に。
1926年 - 制服がセーラー服に正式決定。
1927年 - 姫百合第1号発刊。
1927年 - 姫百合会発足(校友会で、本校の校友会と女子師範学校の学友会が合同)。
1928年3月31日 - 沖縄県立第一高等女学校に改称。
1928年4月6日 - 農場設置。
1932年 - 制服改善運動。あるクラスの学級会で議題 → 庶務係会にかけられる → 全校の研究課題に → 職員会に生徒が実物見本を作製・提案し絶賛され決定される。この顛末は学芸会の劇にもなった。
1935年12月1日 - 12月3日 - 一高女25周年記念式と諸行事(祝賀会・展覧会・バザー・寄宿舎公開・同窓会・記念映写会・物故者の慰霊祭・音楽会・運動会)。
1941年 - それまで自由だった髪型が1年生おかっぱ、2年生分け髪、3年生分けて結ぶ、4年生三つ編みと決められた。
1941年 - この年の入学生から、セーラー服がへちま襟に変更。
1942年6月1日 - 学校放送開始。
1942年 - この年の後半から通学がスカートの代わりにもんぺ着用になる。
1943年 - プール竣工。
1945年3月23日 - 米軍の沖縄上陸作戦開始。
1945年3月24日 - 姫百合学徒隊出発式。
1945年3月29日 - 校舎灰燼に帰す。
1945年6月18日 - 学徒隊解散命令。- (沖縄戦により壊滅・廃校)
行事・課外活動・事件
5月に波上宮の例大祭に参加。ある年ミルクセーキ事件が起きた。
クラブ活動
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修学旅行
1918年から毎年3月に、1ヶ月近くかけて行った。1918年の場合は九州・山陽・関西・名古屋・東京・日光に行った。
1939年10月は短縮され、これが最後の修学旅行となった。「…東京は防空演習で僅かに明るいのがゴーストップの赤と緑の電燈だけ…」という状況もあった。
その他
- 学校の門前に勉強堂という文房具店があり、菓子も扱っていたことから、よく女子生徒がたむろしていた。
- 白紙同盟 - 試験中に紙切れが回ってきて、全員が白紙で提出することが時々行われ、先生を泣かせた事もあった。
参考文献
- 沖縄県女師・一高女同窓会『ひめゆり 女師・一高女沿革誌 』1987年
関連項目
- 旧制中等教育学校の一覧 (沖縄県)
- ひめゆりの塔
- ひめゆり学徒隊
- 沖縄戦
外部リンク
- ひめゆり平和祈念資料館 / HIMEYURI PEACE MUSEUM