中村時広
日本の政治家 なかむら ときひろ | |
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2013年2月1日、名古屋市にて撮影 | |
生年月日 | (1960-01-25) 1960年1月25日(58歳) |
出生地 | 日本 愛媛県松山市 |
出身校 | 慶應義塾大学法学部法律学科 |
前職 | 三菱商事従業員 松山市長 |
所属政党 | (日本新党→) (新進党→) 無所属 |
称号 | 修士 法学士 |
公式サイト | 愛媛県知事 - 中村時広 オフィシャルウェブサイト |
公選第17・18・19代 愛媛県知事 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 2010年12月1日 - 現職 |
第27・28・29代 松山市長 | |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1999年5月2日 - 2010年10月21日 |
衆議院議員 | |
選挙区 | 旧愛媛1区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1993年7月18日 - 1996年9月27日 |
愛媛県議会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1987年 - 1990年 |
中村 時広(なかむら ときひろ、1960年1月25日 - )は、日本の政治家。愛媛県知事(公選第17・18・19代)。松山市長(第27・28・29代)、衆議院議員(1期)、愛媛県議会議員(1期)を務めた。
元松山市長の中村時雄は父。
目次
1 来歴
1.1 松山市長
1.1.1 1999年松山市長選
1.1.2 中村市政
1.2 愛媛県知事
2 人物
3 関連項目
4 参考文献
5 脚注
6 外部リンク
来歴
愛媛県松山市生まれ[1]。慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1982年、三菱商事に入社し、燃料部に配属される[2]。
1987年に愛媛県議会議員選挙で立候補し、初当選した。1990年に1期目の任期途中で愛媛県議を辞職し、第39回衆議院議員総選挙に旧愛媛1区(定数3)から無所属で立候補したが、得票数5位で落選した。のちに日本新党に参加して1993年の第40回衆議院議員総選挙で日本新党公認で旧愛媛1区から立候補する。日本社会党前職の宇都宮真由美に約7千票差で勝ち、得票数3位で当選した。1994年に日本新党が解党して新進党へ合流する。1996年の第41回衆議院議員総選挙で、新進党公認で愛媛1区から立候補したが、自由民主党前職の関谷勝嗣に約5千票差で敗れ、落選した。
松山市長
1999年松山市長選
保守地盤が厚い愛媛から国政に復帰することは困難とみられていたが、市民グループや一部市議から松山市長に推す声が高まり、1999年の松山市長選挙に立候補する。3選を目指す現職の田中誠一は自民党・社民党・民主党・民社協会の各支部から支持や推薦を取り付け、オール与党体制で選挙戦を展開した。田中はかつて助役として仕えた市長の中村時雄に反旗を翻して落選に至らせ、親子二代にわたる因縁の対決とする見方もあった。
中村は単なる新人ではなく、父親が松山市長で自らも元国会議員と政治的な資産があり、「草の根保守」が強く個別の人間関係の影響が大きい愛媛の選挙戦で有利に働いた。愛媛県知事に就任したばかりの加戸守行が「一市民として」中村の支持を表明したことは、県政と市政の繋がりを重視する層や政治的関心の薄い層の間に中村の支持を広げ、県知事選の余韻が残っていたことも中村に追い風となった。田中は組織戦重視の選挙戦を展開し、町内会レベルまで支持と推薦を求め、2月の段階で800もの組織から支援を受けていた。松山は都市化の進行で組織票が弱いことから、中村が現職の田中を下して松山市長に就任した[3][4]。
中村市政
中村は39歳と歴代の松山市長と比べてかなり若かった[5][6]。当時は今治市の越智忍、西条市の伊藤宏太郎、四国中央市の井原巧と、松山以東の市町村は中村以外にも世襲の市長が多かった[7]。中村はオール与党体制を構築し、市長選は連続当選で3期11年間市長を務める。
中村は司馬遼太郎の小説『坂の上の雲』をモチーフに「坂の上の雲のまちづくり」を展開し、30億円かけて2007年に坂の上の雲ミュージアムを開設するも、市長主導の政策で市民の多くは無関心だったが、NHKがドラマ化したことで市民の間に認知が進んだとされる[8]。しかし、この観光振興による地域活性化は上手くいかず、松山経済の地盤沈下は進展したと評される[9]。
坊っちゃんスタジアムへのオールスターゲーム誘致や、フィールド・ミュージアムの考えを取り入れた。松山市役所の行政改革に取り組み、2000年に四国で初めて総合窓口を導入し、2006年にコールセンターを開設した。中村の市長在任中、松山市は四国内で1位かつ唯一の50万都市だったが、周辺に大きな都市がなく合併を重ねても人口規模拡大は現実的に困難であるため、積極拡大政策により政令指定都市を目指したり道州制導入後の州都を目指す考えは示さなかった。
2009年8月に大阪府知事の橋下徹らとともに、「首長連合」として第45回衆議院議員総選挙で民主党を支持すると表明した[10]。
愛媛県知事
2010年9月、愛媛県知事の加戸が任期を2ヶ月残して辞任した。それに伴う愛媛県知事選挙への立候補を表明し、10月21日に松山市議会議長に辞職願を提出した[11]。松山市議会の会派である松山維新の会からも推薦を受けた[12]。愛媛県知事選は加戸前知事の事実上の後継候補選挙で、自民党をはじめ県議会に議席を有する各政党から支援を受けた一方で、中村の辞職に伴う松山市長選挙で自民党愛媛県連が候補を擁立したが、中村は自身の後継候補である野志克仁を支援した[13]。11月28日投開票の愛媛県知事・松山市長のダブル選挙で、知事選は中村が、市長選は中村が擁立した野志が当選した[14]。中村は愛媛県政と松山市政を一気に掌握した[15]。
2012年9月2日、自身が代表を務める政治塾「えひめ志高塾」を開講した。2014年11月の愛媛県知事選挙で、自由民主党・民主党の県連の推薦、みんなの党・社会民主党の地方組織の支援を受け、愛媛県知事に再選した。[16]。2018年の選挙で3選。
人物
- 趣味は読書、スキー、バドミントン。
- 自転車文化の普及に熱心であり、「石鎚ヒルクライム」や「しまなみサイクリング」のイベント開催に尽力した。2013年のしまなみサイクリングに自身も参加し、最遠距離設定の110キロメートルコースを完走した。
- 「既存のものを壊すのが大好き」とされている。「同タイプ」の橋下徹から慕われており、中村が彼に「府県と県庁所在地の首長を同時に掌握するメリットなどを教えた」と報道されたこともある[17]。
関連項目
愛媛維新の会
- 松山維新の会
- 西予維新の会
- 大阪維新の会
- 日本創新党
参考文献
河村和徳『現代日本の地方選挙と住民意識』(慶応義塾大学出版社、2008年) - 1999年松山市長選について分析されている
市川虎彦『保守優位県の都市政治 -愛媛県主要都市の市政と市長選-』(晃洋書房、2011年)
脚注
^ 愛媛県庁/知事のあいさつ
^ 愛媛県知事 - 中村時広 オフィシャルウェブサイト|TOKIHIRO.JP - プロフィール
^ 河村和徳『現代日本の地方選挙と住民意識』(慶応義塾大学出版社、2008年)153 - 173ページ
^ 市川虎彦『保守優位県の都市政治』(晃洋書房、2011年)21 - 23ページ
^ 前掲市川23ページ
^ 前掲市川23ページ
^ 前掲市川74ページ
^ 前掲市川24ページ
^ 前掲市川29 - 30ページ
^ “「首長連合」は民主支持…橋下府知事ら発表”. http://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin2009/news1/20090811-OYT1T00878.htm 2016年6月19日閲覧。
^ “中村市長が退職願”. 朝日新聞. (2010年10月22日). http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000331010220002 2010年10月26日閲覧。
^ “松山維新の会 中村氏を推薦”. 朝日新聞. (2010年10月14日). http://mytown.asahi.com/ehime/news.php?k_id=39000331010140001 2011年7月13日閲覧。
^ “松山市長選 自民、事実上分裂へ 一本化失敗”. 毎日新聞. (2010年10月3日). http://mainichi.jp/area/ehime/archive/news/2010/10/03/20101003ddlk38010329000c.html 2010年10月26日閲覧。
^ “愛媛県知事選 与野党相乗りの中村氏 初当選確実”. 産経新聞. (2010年11月28日). http://sankei.jp.msn.com/politics/election/101128/elc1011282126003-n1.htm 2010年11月28日閲覧。
^ 前掲市川29ページ
^ “愛媛知事選、現職の中村時広氏が再選”. 読売新聞. (2014年11月16日). http://www.yomiuri.co.jp/election/local/20141116-OYT1T50047.html 2015年2月28日閲覧。
^ “ある大物知事 橋下氏と小沢氏の橋渡しで永田町入り?”. http://dot.asahi.com/wa/2012092601061.html 2016年6月19日閲覧。
外部リンク
- ようこそ知事室へ(愛媛県)
- 中村時広公式ホームページ
公職 | ||
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先代: 加戸守行 | 愛媛県知事 公選第17・18・19代:2010年 - | 次代: (現職) |
先代: 田中誠一 | 松山市長 第27・28・29代:1999年 - 2010年 | 次代: 野志克仁 |
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