千葉工業大学













































千葉工業大学

千葉工業大学
千葉工業大学


大学設置/創立
1942年
学校種別
私立
設置者
学校法人千葉工業大学
本部所在地
千葉県習志野市津田沼2丁目17番1号
北緯35度41分21.15秒 東経140度1分16.81秒 / 北緯35.6892083度 東経140.0213361度 / 35.6892083; 140.0213361座標: 北緯35度41分21.15秒 東経140度1分16.81秒 / 北緯35.6892083度 東経140.0213361度 / 35.6892083; 140.0213361
キャンパス
津田沼(千葉県習志野市)
新習志野(千葉県習志野市)
学部
工学部
創造工学部
先進工学部
情報科学部
社会システム科学部
研究科
工学研究科
情報科学研究科
社会システム科学研究科
ウェブサイト
千葉工業大学公式サイト
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千葉工業大学(ちばこうぎょうだいがく、英語: Chiba Institute of Technology)は、千葉県習志野市津田沼2丁目17番1号に本部を置く日本の私立大学である。1942年に設置された。大学の略称は「千葉工大(ちばこうだい)」または「工大(こうだい)」、英称では「CIT」または「ChibaTech」。




目次






  • 1 概観


    • 1.1 大学全体


    • 1.2 教育および研究


      • 1.2.1 大学全般


      • 1.2.2 研究活動の特徴


      • 1.2.3 教務システムの特徴






  • 2 組織


    • 2.1 学部・学科


    • 2.2 大学院


    • 2.3 廃止された学科




  • 3 沿革


    • 3.1 年表




  • 4 基礎データ


    • 4.1 所在地


    • 4.2 象徴




  • 5 所有施設


    • 5.1 附属の研究所


      • 5.1.1 千葉工業大学工学研究所




    • 5.2 学校法人直轄の研究所


      • 5.2.1 未来ロボット技術研究センター


      • 5.2.2 惑星探査研究センター


      • 5.2.3 人工知能・ソフトウェア技術研究センター


      • 5.2.4 国際金融研究センター


      • 5.2.5 次世代海洋資源研究センター






  • 6 研究


    • 6.1 中島「橘花」プロジェクト


    • 6.2 鯨生態観測衛星「観太くん」


    • 6.3 レスキューロボット・原発調査ロボット


    • 6.4 流星観測カメラシステム「メテオ」+流星観測衛星「S-CUBE」プロジェクト


    • 6.5 はやぶさ2プロジェクト


    • 6.6 水星探査プロジェクト




  • 7 教育


    • 7.1 採択されているプログラム


    • 7.2 特色ある大学教育支援プログラム




  • 8 学生生活


    • 8.1 サークル活動


    • 8.2 イベント




  • 9 大学関係者と組織


    • 9.1 大学関係者組織


    • 9.2 大学関係者一覧




  • 10 施設


    • 10.1 キャンパス


      • 10.1.1 津田沼キャンパス


      • 10.1.2 新習志野キャンパス


      • 10.1.3 東京スカイツリータウンキャンパス




    • 10.2 運動施設


      • 10.2.1 茜浜校地(運動場)




    • 10.3




  • 11 対外関係


    • 11.1 他大学・高専との協定(国内)


      • 11.1.1 包括提携校


      • 11.1.2 単位互換協定校


      • 11.1.3 連携大学院


      • 11.1.4 高等学校との協定


      • 11.1.5 その他




    • 11.2 海外学術交流(大学/機関)


      • 11.2.1 留学プログラム




    • 11.3 産官学間での連携


      • 11.3.1 企業との連携


      • 11.3.2 自治体との連携(協定)


      • 11.3.3 研究・教育機関との連携(協定)




    • 11.4 工大の煉瓦門(文化財)


    • 11.5 メディア


      • 11.5.1 撮影協力・製作協力






  • 12 事件・不祥事等


  • 13 脚注


    • 13.1 注釈


    • 13.2 出典




  • 14 参考文献


  • 15 Wiki関係他プロジェクトリンク


  • 16 関連項目


  • 17 公式サイト





概観



大学全体




第一期生入学式記念写真
(1942年6月8日、玉川学園内にて撮影)


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東久邇宮稔彦王





永野修身海軍元帥








澤柳政太郎




小原國芳






大学の沿革マップ




千葉工業大学(JR中央総武線路を挟んで)


本学が誕生するきっかけは、明治から、大正、昭和と日本の教育政策や教育活動に携わってきた澤柳政太郎と小原國芳を中心とする人々らの体験とそれに基づく研究から生まれたものだった。明治以降の教育は富国強兵のスローガンのもと明治政府主導による近代化(西洋化)とそれを達成する為の教育政策が中心だった。そして帝国大学や海軍兵学校、陸軍士官学校をはじめとする官学エリート校が順次作られ、欧米に軽んじられない強力な国家を作る為、西洋を模倣しながら西洋の進んだ思想や学問、技術などを導入し、中央集権的な国づくりが進められていった。この西洋化の波による変化は教育界にも大きな影響を与え、江戸時代までの自由主義的な教育から西洋式の教育システム(人づくり)に改められ、その過程で様々な問題が生じた。創立関係者らは国土も小さく、資源もない日本がこれから国際社会でやっていく為には「人づくり(教育)」が重要だと考えていた。しかし、当時の日本の社会的風潮と教育に、創立関係者たちは問題を感じていた[1]


こういう当時の日本の社会的風潮のもと、行われていた官学をはじめとする既存のエリート教育(具体的には、自由教育を排した中央集権的で無機的な教育[2]や学生生徒個人の個性や人格などを考慮せず、一律の座学とペーパーテストによる優劣だけで人物の評価をする(「ハンモックナンバー#ハンモックナンバーの問題と解決に向けた動き」の記事も参照のこと)、均一的で単純[3]な教育)では、本当に国家や社会を担うべき人材は育たないとの危機感から、計画されたものであり[4]、これまでの教育とは違った、新しい教育のもと世界一の教育立国の建設実現を目指していた文部官僚の澤柳政太郎の遺志を引き継いだ教育学者の小原國芳らによって、世界文化貢献を視野に日本第一、世界第一の教育拠点(小原の言葉では「総本山」)を目指し、1929年(昭和4年)頃から設立の計画が始められた。本学の大きな特徴は、それまでの西欧を起源とするコンセプトの教育機関とは異なる全人的教育を目指すという理念を持っており、東京大学(当時の東京帝国大学)などの既存の大学とは異なる教育を行おうというものだった(小原國芳#全人教育と小原の教育理念)。


計画当初、小原ら関係者は滝川事件などの経験から国立教育の限界[5]を感じ、自由と多様性がある私学こそ国家を支える人材を養成するのに相応しい環境であるとし「明治維新の大業は私学が成した[6]」と私学教育の重要性を説いた。当初「玉川塾工業大学」として玉川学園が経営するプライベート大学として計画された[7]が、当時の日本の社会的風潮(全体主義や軍国主義)に反した、教育理念(個人尊重の教育理念や自由主義など)を掲げていたこともあり、軍部(主に陸軍上層部をはじめとするエリート階層の人々)をはじめとする旧来の教育を生業とする人々の反発・圧力も強く、設立は困難を極めた。


しかしながら、橋田邦彦文部大臣をはじめ、皆川治広東京市教育局長、小西重直元京都帝国大学総長、本多光太郎元東北帝国大学総長、平賀譲東京帝国大学総長、八木秀次東京工業大学学長、西田幾多郎京都帝国大学名誉教授、波多野精一同教授などの教育界関係者はじめ、政治家の東郷実、森コンツェルンの森矗昶・森曉親子、東京川崎財閥の川崎守之助をはじめとする財政界の支援を受けていた。また、数は少なかったものの、皇族で、陸軍大将の東久邇宮稔彦王を筆頭に、大日本帝国海軍では永野修身元帥海軍大将や財部彪海軍大将、山梨勝之進海軍大将などが、大日本帝国陸軍では菱刈隆陸軍大将や土肥原賢二陸軍大将などの軍関係者も小原の考えに共感し、長年に渡って小原を支援していた。


特に、激しい反対・抵抗勢力がいる中で、大学設立計画が成功したのは東久邇宮稔彦王・永野修身海軍元帥の働きかけと、橋田邦彦文部大臣の尽力が寛大だったと言われている。大学設立申請の途中(近衛文麿内閣時)で、文部省(現:文部科学省)の指導によって準官立大学といえる国策大学に発展して、太平洋戦争(大東亜戦争)中の1942年5月15日(東条英機内閣時)に「興亞工業大學」の名称で玉川学園内に設立された[8]


大学設立の際には東京帝国大学と東京工業大学から全面的な支援を受けたが、不足していた実験設備や実験機器などは東大・東工大の取り計らいにより共同利用するなどして対処した。


太平洋戦争終結後の1946年(昭和21年)には千葉県君津町(現・君津市)へと移転し、校名を「千葉工業大学」と改称[9]。一時は千葉大学や芝浦学園、早稲田大学、中央大学、法政大学等との合併も検討されたが[10]、1950年(昭和25年)に同県津田沼町(現・習志野市)の津田沼校地へ移転し現在に至る。


日本の私立理工系大学としては藤原工業大学(後の慶應義塾大学理工学部)に続き、国内で2番目に古い歴史を持ち、現存する私立理工系大学としては最古の歴史を有する[8][11]


なお、国公立の理工系大学を含めても東京工業大学に次ぐ歴史を持つ[注 1]


設置科は3学部11学科、大学院3研究科修士課程8専攻・博士後期課程3専攻で、学生数は約1万名[12]。また津田沼駅前にある津田沼キャンパスと新習志野キャンパス、および東京スカイツリーキャンパスの3つのキャンパスを有する[13]


2018年度の志願者数は78,905人で日本の私立大学[14]の中で第10位である。



教育および研究



大学全般


  • 本学の基礎は、教養教育においては小西重直博士、小原國芳博士、本間俊平によって、工学教育においては本多光太郎博士、八木秀次博士によって築かれた(千葉工業大学五十年史刊行委員会 『千葉工業大学五十年史』 千葉工業大学、1992年を参照の事)。






小西重直博士




本間俊平









本多光太郎博士





八木秀次博士







研究活動の特徴



  • 2003年には全国初の「学校法人直轄の研究所」として「未来ロボット技術研究センター」を設置している。同じように2009年には「惑星探査研究センター」を、2015年には「人工知能・ソフトウェア技術研究センター」を、2016年には「国際金融研究センター」と「次世代海洋資源研究センター」を設置した。


教務システムの特徴




  • 2005年より、多機能ICカード型の学生証を導入している。


  • 2007年より、NTTドコモの端末が当時の芝園校舎全教室(翌年からは津田沼校舎も)に設置され、全授業でICカードによる出欠確認システムの運用が開始されたが、2015年度をもって使用終了し、端末も2016年度後期までに撤去された。

  • 2016年より、入学時に貸与されるiPadminiにインストールされているアプリを用いた出席システムの運用が開始された。



組織



学部・学科




  • 工学部

    • 機械工学科

    • 機械電子創成工学科

    • 先端材料工学科

    • 電気電子工学科

    • 情報通信システム工学科

    • 応用化学科




  • 創造工学部

    • 建築学科

    • 都市環境工学科

    • デザイン科学科




  • 先進工学部

    • 未来ロボティクス学科

    • 生命科学科

    • 知能メディア工学科




  • 情報科学部

    • 情報工学科

    • 情報ネットワーク学科




  • 社会システム科学部

    • 経営情報科学科

      • 経営システムコース

      • 経営情報マネジメントコース




    • プロジェクトマネジメント学科

      • 経営システムコース


      • プロジェクトマネジメントコース金融・経営リスク科学科







大学院




  • 工学研究科(博士前期課程・博士後期課程)

    • 機械サイエンス専攻

    • 電気電子情報工学専攻

    • 生命環境科学専攻

    • 建築都市環境学専攻

    • デザイン科学専攻

    • 未来ロボディクス専攻




  • 情報科学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
    • 情報科学専攻



  • 社会システム科学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
    • マネジメント工学専攻




廃止された学科



(旧制大学)


  • 工学部


    • 航空工学科(1942-46・機械学科に編入)


    • 工業経営学科[注 2](1942-46・機械学科に変更)

    • 機械学科(1946-50・機械工学科に学科名変更)


    • 冶金学科(1942-1950・金属工学科に学科名変更)






(新制大学)


  • 工学部


    • 機械工学科(1950-2003・機械サイエンス学科に改組)


    • 金属工学科(1950-2003・機械サイエンス学科に改組)

    • 工業経営学科(1950-2001・社会システム科学部に改組)


    • 電気工学科(1953-2003・電気電子情報学科に改組)


    • 電子工学科(1961-2003・電気電子情報学科に改組)


    • 工業化学科(1961-2003・生命環境科学科に改組)


    • 土木工学科(1963-2003・建築都市環境学科に改組)


    • 建築学科(1963-2003・建築都市環境学科に改組)


    • 精密機械工学科(1966-2003・機械サイエンス学科に改組)


    • 工業デザイン学科(1988-2003・デザイン科学科に改組)

    • 情報工学科(1988-2001・工学部から情報科学部に改組)

    • 情報ネットワーク学科(1997-2001・工学部から情報科学部に改組)

    • プロジェクトマネジメント学科(1988-2001・工学部から社会システム科学部に改組)





(工学部再編前)


  • 工学部

    • 機械サイエンス学科

      • 機械設計・開発コース


      • 機械工学コース

      • マイクロサイエンス工学コース

      • 先端材料工学コース




    • 電気電子情報工学科

      • 総合システム工学コース


      • 電気工学コース


      • 電子工学コース


      • 情報工学コース



    • 生命環境科学科

      • 環境創成工学コース


      • 遺伝子工学コース


      • 生体工学コース


      • 応用化学コース

      • 環境システムコース

      • 基礎自然科学コース




    • 建築都市環境学科

      • 建築都市エンジニアリングコース

      • 地域デザインコース


      • 建築設計コース




    • デザイン科学科

      • プロダクトデザインコース

      • 情報デザインコース


      • インテリアデザインコース



    • 未来ロボティクス学科




沿革








年表


































































































































































































































































































































年  月日 沿革
1929年 4月
小原國芳が成城学園から分離し、町田に財団法人玉川学園を設立。幼稚部・初等部・中等部を設置する。
6月
永野修身海軍兵学校長が学園視察に来訪。最高学府である大学設置構想を説明する。
1939年 9月 大学設置に向けて中等部の上に専門部(玉川塾)を設置し、森矗昶の協力を得て産学連携による実践教育を開始
1940年 9月
東久邇宮が学園視察に訪れ、大学設置の構想が本格化する
1941年 6月 「玉川塾工業大学」設置許可申請を文部省(現・文部科学省)に行うが受理されず
12月8日
太平洋戦争開戦
興亞工業大學設置許可申請文部省(橋田邦彦文部相)受理[注 3]
1942年 5月15日
東京府町田町(現東京都町田市)の玉川学園内に「興亞工業大学」の名称で国策大学として創立(予科3年・本科3年)
小原國芳が理事、東郷実が理事長、小西重直が学長、本多光太郎などが顧問に就任
5月24日
成城中学、早稲田中学で第1回入学試験を実施
6月8日 開校式を実施する。航空工学科(50名)・冶金学科(50名)・機械学科(60名)の160名が入学[注 4]
1943年 7月 小原國芳が理事・学監を辞任。森曉が2代目理事長に就任
1944年 4月 玉川学園内から予科・財団本部が、皇居近くの東京市麹町区紀尾井町上智学院(上智大学)内に移転する
9月
神奈川県川崎市大師河原の日本冶金川崎製造所構内に学部(本科)仮校舎の使用許可を取得する
10月 東京工業大学学長の八木秀次が正式に相談役に就任
1945年 4月13日
東京空襲によって麹町本部・予科校舎が全焼する
5月25日 東京空襲の余波で川崎学部校舎も罹災する
9月
東久邇宮内閣によって太平洋戦争(第二次世界大戦)が終結
君津の旧海軍施設の借用認可を申請、東京残留学生の授業を東京工業大学に委託
戦災による実験設備の損失から学生を東大、東工大、東北大などに預け、卒業研究を開始
11月11日 君津の旧海軍第2航空廠八重原工員養成所設等の施設(君津校舎)の設営管理を開始
1946年 3月30日 東京から千葉県君津町に移転、教員・学生の意見一致のもと校名を「千葉工業大学」に改称
12月4日 玉川学園側との会談の結果、小原國芳から寄贈された土地・建物を清算し不動産を所有しない大学となる
1947年 2月7日 君津校舎のうち寮、食堂、図書館などを含む3/4が漏電による火災で延焼する
3月
公職追放の影響を受けて2代目理事長の森曉、学長の小西重直などが大学を去る
9月30 第1回卒業式が行われる
1948年 4月 田中航空機器製作所津田沼工場の施設を学部校舎・寮として使用する為に文部省に認可申請
予科寮を旧君津海軍病院施設に移転する
12月
千葉大学(当時設立準備中)への統合案が出るが教員・学生が反対し回避される
1949年 4月 新制大学となる
11月26日 PPA創立
1950年 旧鐵道第2聯隊跡地(現・津田沼校舎)を取得し、大学機能を移転する
1953年 11月 校歌制定。電気工学科を増設。
1954年 10月7日 大久保の旧軍施設(旧陸軍習志野学校)を取得
1955年 電気工学科第2部を増設。
1961年 3月10日
電子工学科、工業化学科を増設
1962年 8月 千種校地を取得
12月20日
土木工学科、建築学科を増設
1964年 4月1日 日本私立大学協会常務理事校となる
1965年 8月11日 大学院修士課程(工業化学科、金属工学科)を設置
8月11日 飯岡研修センターを開設
1967年 3月31日 千種寮が完成
1968年 千葉市千種校地に電子計算センター完成
1972年 千種校地に硬式野球場・武道館完成
1986年 芝園校舎(現・新習志野校舎)が完成
1987年 茜浜運動施設(茜浜校地)完成
1988年 工学部第一部情報工学科、工業デザイン学科を新設
1989年 大学院工学研究科博士課程(金属工学専攻・工業化学専攻)
修士課程(機械工学専攻・電気工学専攻・電子工学専攻・建築学専攻)を増設
1990年 第2部電子工学科・情報工学科・建築学科を増設。
大学院工学研究科博士課程(土木工学専攻)修士課程(精密機械工学専攻)を増設
1991年 第1部既設学科(金属工学科を除く)の定員を増加
大学院工学研究科博士課程(機械工学専攻・電気・電子工学専攻)を増設。
1992年 大学院工学研究科博士課程(建築学専攻・精密機械工学専攻)
修士課程(情報工学専攻・工業デザイン学専攻)を増設。
1994年 大学院工学研究科博士課程(情報工学専攻・工業デザイン学専攻)を増設
1995年 大学院工学研究科修士課程(経営工学専攻)を増設。
1997年 第1部情報ネットワーク学科・プロジェクトマネジメント学科を増設。
1999年 工学部に社会人対象教育を充実するために昼夜開講制を導入
ハイテクリサーチセンター開設。
2001年 工学部を改組し、情報科学部・社会システム科学部を新設して3学部制に移行
3学部全学科に昼夜開講制を導入。
2002年
鯨生態観測衛星「観太くん」の打ち上げに成功
2003年 工学部9学科を5学科に改変しフレックス制を導入
(機械サイエンス学科・電気電子情報工学科・生命環境科学科・建築都市環境学科・デザイン科学科の5学科)
未来ロボットセンターを開設
日本の大学としては初めてとなる完全直収型光ファイバー(FTTD)LANを構築
大学としては世界初となる「非接触型手のひら静脈認証技術」および「多機能ICカード」を大学内諸施設へ導入
2004年 大学院工学研究科11専攻を3研究科(工学研究科・情報科学研究科・社会システム科学研究科)7専攻に改組。
2005年
文部科学省の特色ある大学教育支援プログラムに採択、現代的教育ニーズ取組支援プログラムに選定される
2006年 工学部に未来ロボディクス学科を新設
4月 御宿研修センター開設
R&Iによる格付けフォローアップ調査の結果「AA-(ダブルA・マイナス)」を維持
2008年 フレックス制を廃止し、全学部学科とも昼間部に移行。
2009年 4月 社会システム科学部に金融・経営リスク科学科を、また、大学院工学研究科に未来ロボティクス専攻を設置。
惑星探査研究センターを開設。
2012年 5月22日
東京スカイツリーイーストタワーに東京スカイツリータウンキャンパスを開設
2014年 2月23日 東京スカイツリータウン(R)キャンパスAreaII開設
4月 新学生寮(桑蓬寮・椿寮)完成
2015年 3月3日 キャンパス内に千葉銀行と共同で、千葉工大ひまわり保育園を設置
4月1日 人工知能・ソフトウェア技術研究センター STAIR Labを設立
2016年 4月 国際金融研究センター(GiFr)、次世代海洋資源研究センター(ORCeNG)を設立


基礎データ



所在地



  • 大学本部(津田沼キャンパス本号館・〒275-0016 千葉県習志野市津田沼2-17-1)

  • 津田沼校地(津田沼キャンパス・千葉県習志野市津田沼)

  • 芝園校地(新習志野キャンパス・千葉県習志野市芝園)

  • 茜浜校地(茜浜運動施設・桑蓬寮・椿寮・千葉県習志野市茜浜)

  • 千種校地(千種寮・千葉県千葉市花見川区千種町)



象徴


逍遙歌










桑蓬の歌


1946年(昭和21年)学生作詞、 学生作曲。



たれ邯鄲の夢に酔ひ


1946年(昭和21年)松藤淳 作詞、山口猛 作曲。



あゝ狂瀾の

?年(昭和?年)作詞、? 作曲。



饗宴の賦

?年(昭和?年)逍遙歌。? 作詞、? 作曲。



スクールカラー

紫紺色でDICカラーガイドのDIC256が指定されている。



モニュメント「永久の環」(芝園校舎)


メビウスの帯と無限の記号「∞」をモチーフにしたアルミ製のモニュメント。

東日本大震災後の修復工事の際に撤去された。




所有施設



附属の研究所



千葉工業大学工学研究所




1970年から1975年にかけて設置されていた、社会貢献や産学連携に主眼を置いた研究所。


学校法人直轄の研究所







未来ロボット技術研究センター




2003年(平成15年)6月1日から、morph3の研究開発チームは科学技術振興機構の北野共生システムプロジェクトから千葉工業大学・未来ロボット技術研究センター(fuRo)に移籍。「人とロボットの共生」をテーマに未来のロボット技術に関する研究を行っている。


惑星探査研究センター




2009年(平成21年)4月から、松井孝典前東京大学新領域創成科学研究科教授を所長に「惑星探査研究センター」を学内に開設した。センターではロボットによる宇宙探査を視野に入れ、研究を実施している。


人工知能・ソフトウェア技術研究センター


2015年に米澤明憲を所長に迎え、学内に設立された研究所の一つ。センターでは幼児の言語獲得や学習過程の解明などを目標として研究をしている。


国際金融研究センター


2016年に学内に設立された研究所の一つ。国際的な金融システムの創造や創出などを目的に研究をおこなっている。


次世代海洋資源研究センター


2016年に学内に設立された研究所の一つ。日本の次世代を担う海洋資源の調査や、新たな関連産業の創出・発展を目的とした研究がなされている。


研究



中島「橘花」プロジェクト



同大教授で海軍航空技術廠所属の中口博海軍技術大尉を中心に、中島飛行機内で開発が進められた大日本帝国海軍の双発ジェット戦闘攻撃機。日本初の純国産ジェット機でもある。


鯨生態観測衛星「観太くん」



この取り組みは謎が多い鯨の生態を、衛星を使って宇宙から解明することを目的に立ち上げられた試みである[15]。このプロジェクトは、学生達が人工衛星の設計、制作に携わる日本で初めてのケースとなった[要出典]。また、衛星は学内の学科の域を超えて電気・電子分野、土木分野、機械工学分野、工業デザイン分野、建築分野などの学生が参加して開発された[要出典]。鯨生態観測衛星「観太くん」は、2002年12月14日に種子島宇宙センターからH-IIAロケット4号機で打ち上げられ、予定の軌道上に乗った[16]。「観太くん」から送られてきた観測情報は、学内外で研究に役立てられている[17]


レスキューロボット・原発調査ロボット




東日本大震災後に福島第一原子力発電所へ最初に投入された国産ロボット「Quince」は、千葉工業大学と東北大学の共同開発である[18][19]。また、千葉工業大学は遠隔操縦ロボット「SAKURA」を原子力緊急事態支援センターで試験運用したり、NEDOのプロジェクトによる「櫻壱號」の開発も行っている[20]


流星観測カメラシステム「メテオ」+流星観測衛星「S-CUBE」プロジェクト



NASAと協力して行われた流星観測プロジェクト。


はやぶさ2プロジェクト




JAXAと協力して行われてる観測プロジェクト。


水星探査プロジェクト



宇宙航空研究開発機構 (JAXA) や欧州宇宙機関 (ESA) と協力した水星探査計画。


教育



採択されているプログラム




  • 特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)

    • 文部科学省・2005年

    • マルチメディア教材による教育・学習支援

    • シミュレータをベースにした理工学教育 e-Learning




  • 現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)

    • 文部科学省・2005年

    • 地域との連携による工科系キャリア学習支援

    • PMOによる地域共生型職業訓練教育システムの開発と実践





特色ある大学教育支援プログラム


2005年、文部科学省が選定する「特色ある大学教育支援プログラム」に、『マルチメディア教材による教育・学習支援(副題:シミュレータをベースにした理工学教育 e-Learning)』が採択された[要出典]。情報インフラの整備、学生の授業評価や国内外の教育機関による第3者評価などを行い、シミュレータをベースにしたマルチメディア教材の作成と、それらを補助教材とする教育による教育効果が評価され採択された[要出典][21]



学生生活











サークル活動


以下の学生を主体とした自治組織によりサークルの運営・企画などが行われている(2013年(平成25年)12月現在)。


体育会


  • 33サークル(29部、2同好会、2愛好会)が所属する。

  • 例年「体育会誌」が発行されている。


文化会


  • 35サークル(30部、4同好会、1愛好会)が所属する。


  • 2012年(平成24年度)より「文化会誌」が発行されるようになった。



イベント



文化の祭典

毎年5月下旬に文化系サークルを中心に学生の企画・運営で開催される文化祭。



スポーツフェスティバル

毎年10月中旬に体育会を中心に学生の企画・運営で開催されるスポーツイベント。自由参加で体育会(部活)に所属していない学生も参加できる。卓球やサッカーなど球技が主体。



津田沼祭

毎年11月下旬に津田沼祭実行委員会・学友会執行委員会を中心に学生の企画・運営で開催される学園祭。1970年代頃からキャンパスが立地する地域との交流促進のため、当地の地名を取って「津田沼祭」と呼称するようになった。



大学関係者と組織



大学関係者組織



  • 千葉工業大学同窓会 - 学生・卒業生・教職員による同窓会[22]

  • 千葉工業大学PPA - 保護者・教職員による後援会組織[23]



大学関係者一覧



  • 千葉工業大学の人物一覧

  • 千葉工業大学工学研究所#組織

  • 未来ロボット技術研究センター#人員



施設







キャンパス



津田沼キャンパス




津田沼キャンパス正門



  • 所在地:千葉県習志野市津田沼

  • 使用学年:1・2年(一部学科)及び3・4年、大学院

  • 使用学部:全学部

  • 使用研究科:stub

  • 使用附属施設:工作センター

  • 交通アクセス

    • 鉄道:JR東日本総武本線津田沼駅下車1分、新京成電鉄新京成線新津田沼駅下車4分

    • バス:船橋新京成バス・京成バス・ちばレインボーバス「津田沼駅」バスターミナル下車すぐ





2006年からのキャンパス再開発5か年計画によって、2008年に新1号棟が完成した。2010年に学生ホールが、2011年に新2号棟が完成した。2013年に、新1号棟を2号館、新二号棟を1号館、学生ホールを3号館と名称変更した。


新習志野キャンパス




新習志野キャンパス正門



  • 所在地:千葉県習志野市芝園

  • 使用学年:1・2年

  • 使用学部:全学部

  • 使用研究科:stub

  • 使用附属施設:クラフトハウス

  • 交通アクセス

    • 鉄道:JR東日本京葉線新習志野駅下車、南口より徒歩6分[24]

    • バス:京成バス「千葉工業大学入口」停留所下車、徒歩3分[24]





幕張新都心に隣接している。千葉工業大学では、「環境と人にやさしいキャンパス」と標榜している。2013年4月に、芝園キャンパスから新習志野キャンパスに名称変更した。


東京スカイツリータウンキャンパス


  • 所在地:東京都墨田区押上
    • 鉄道:東武伊勢崎線とうきょうスカイツリー駅下車すぐ



東京スカイツリーソラマチ8階に設けられたサテライトキャンパス。レスキューロボットや超巨大ロボティックスクリーンなどが展示されている。


運動施設



茜浜校地(運動場)



  • 所在地:千葉県習志野市茜浜

  • 交通アクセス

    • 鉄道:JR東日本京葉線新習志野駅下車徒歩20分

    • バス:京成バス(習志野市ハッピーバス)「海浜公園」停留所下車すぐ[要出典]




新習志野(芝園)キャンパスの南方に存在し[24]、野球場、サッカー場などがある。1987年に設置された[25]




男子寮の名称は「桑蓬」と称する。この名称は中国の故事「桑蓬之志」に由来。



桑蓬寮(そうほうりょう)

新習志野キャンパス傍にある男子寮で[24]、2014年に完成[25]

椿寮(つばきりょう)

新習志野キャンパス傍にある女子寮で[24]、2014年に完成[25]







対外関係



他大学・高専との協定(国内)



包括提携校


大学



  • 国立大学法人・千葉大学(千葉県)


  • 私立・神田外語大学(千葉県)


高等専門学校



  • 国立


    • 木更津工業高等専門学校(千葉県)


    • 茨城工業高等専門学校(茨城県)


    • 小山工業高等専門学校(栃木県)


    • 長野工業高等専門学校(長野県)


    • 釧路工業高等専門学校(北海道)


    • 一関工業高等専門学校(岩手県)


    • 豊田工業高等専門学校(愛知県)


    • 東京工業高等専門学校(東京都)


    • 石川工業高等専門学校(石川県)


    • 沖縄工業高等専門学校(沖縄県)


    • 福島工業高等専門学校(福島県)




  • 公立

    • 東京都立産業技術高等専門学校(東京都)




単位互換協定校


四年制大学


  • 千葉大学工学部

  • 神田外語大学

  • 敬愛大学

  • 中央学院大学

  • 千葉商科大学

  • 千葉経済大学

  • 帝京平成大学

  • 東京情報大学

  • 東邦大学

  • 明海大学

  • 放送大学

  • 秀明大学

  • 淑徳大学

  • 麗澤大学

  • 和洋女子大学


短期大学


  • 昭和学院短期大学

  • 千葉経済大学短期大学部

  • 千葉敬愛短期大学

  • 千葉明徳短期大学

  • 三育学院短期大学



連携大学院




  • 独立行政法人 産業技術総合研究所(つくば市)

  • 独立行政法人 物質・材料研究機構(つくば市)



高等学校との協定



  • 千葉県立千葉工業高等学校

  • 千葉県立幕張総合高等学校

  • 千葉県立津田沼高等学校



その他



  • サイバー大学


  • 私工大懇話会 (図書館相互利用)


  • 習志野3大学図書館協力会(千葉工業大学・東邦大学・生産工学部)



海外学術交流(大学/機関)


文部科学省資料[26]による。


アジア地域



  • ハルビン工業大学(中国・姉妹校)


  • 吉林大学(中国・姉妹校)


  • 北京理工大学(中国・姉妹校)


  • 国立台湾大学(台湾)


  • 国立台北科技大学(台湾)


  • 台湾東海大学(台湾)


  • モンゴル科学技術大学(モンゴル)


  • モンゴル国立大学(モンゴル)


  • フィリピン大学ロスバニョス校(フィリピン)


  • シンガポール生産技術研究所(シンガポール)


  • 泰日工業大学(タイ)


  • チュラロンコン大学薬学部・工学部(タイ)


  • ベトナム国家大学ハノイ校工科大学(ベトナム)


  • ベトナム国家大学ハノイ外国語大学(ベトナム)


  • ハノイ工科大学(ベトナム)


  • FPT大学(ベトナム)


  • タイグエン大学(ベトナム)


  • バンドン工科大学(インドネシア)


  • 王立プノンペン大学(カンボジア)


  • アミティ大学(インド)

  • マレーシア科学大学(マレーシア)


アフリカ地域


  • ルワンダ国立大学(ルワンダ)

ヨーロッパ地域



  • スウェーデン王立工科大学(スウェーデン)


  • ルンド大学(スウェーデン)


  • ワルシャワ工科大学(英語版)(ポーランド)


  • コンピエーニュ工科大学(フランス)


  • キングス・カレッジ・ロンドン(イギリス)


  • ルール大学(ドイツ)


アメリカ地域



  • トロント大学工学部(カナダ)


  • ブリティッシュコロンビア大学(カナダ)


  • テネシー工科大学(アメリカ)


  • ペンシルベニア州立大学(アメリカ)


  • アラバマ大学ハンツビル校(アメリカ)


  • コロラド大学ボルダー校(アメリカ)


  • パシフィック大学(アメリカ)


  • ミズーリ大学ローラ校(アメリカ)


  • グアム大学(アメリカ)


  • アグアスカリエンテス工科大学(メキシコ)


  • テカマチャルコ工科大学(メキシコ)





留学プログラム


語学研修



  • グアム大学(英語)

  • コンピエーニュ工科大学(フランス語)

  • ハルビン工業大学(中国語)


短期留学



  • ハルビン工業大学(中国)

  • パシフィック大学(アメリカ)

  • コロラド大学ボルダー校(アメリカ)


長期留学



  • ハルビン工業大学(中国)

  • スウェーデン王立工科大学(スウェーデン)

  • コンピエーニュ工科大学(フランス)

  • ペンシルベニア州立大学(アメリカ)



産官学間での連携


千葉工業大学では、企業、研究機関及び自治体、地域組織と連携して共同研究を行っている。


主な連携団体(判明分)


企業との連携




  • 大和ハウス・筑波大学(高齢者在宅健康管理・支援システムを共同開発)[27][28]


  • ツクバリカセイキ・筑波大学・富士ソフト(布ベルト用自動走行計測ロボットの開発)[29]


  • 習志野市産学官連携プラットホーム事業[30]


  • 千葉銀行(中小企業向け助成制度「ちばぎん・研究開発助成制度」。千葉銀行、千葉大学と連携した中小企業向け助成制度)


  • 三菱重工業(技術提携。原発ロボット「櫻弐號」などのロボットを共同で開発)


  • 大成建設(自律型鉄筋結束ロボット「T-iROBO Rebar」などの建設用ロボットの共同で開発)


  • パナソニック(ロボット家電の開発拠点を共同で設置)


  • ジェフユナイテッド市原・千葉(包括連携。トレーニング施設の共同利用及びスポーツ交流)



自治体との連携(協定)


千葉県




  • 習志野市(平成26年3月25日)


  • 浦安市(平成26年5月7日)


  • 御宿町(平成28年6月6日)


  • 千葉市(平成28年4月14日)


  • 香取市(平成28年5月20日)


  • 船橋市(平成30年7月17日)


  • 市川市(平成30年10月16日)



研究・教育機関との連携(協定)



  • 国立科学博物館大学パートナーシップ

  • 東京都立産業技術研究センター

  • 大学研究交流オフィス

  • コラボ産学官連携



工大の煉瓦門(文化財)



CIT-Tsudanuma-RearGate01.jpg



現在千葉工業大学が使用している通用門は、かつて同敷地内にあった鐵道聯隊が使用していた営門を残したもので、銀杏並木がならぶ通用門は国土の歴史的景観に寄与しているとして、1998年に登録有形文化財に登録された[31][32]。一般には「工大の煉瓦(れんが)門」[31][32]、または「工大の赤煉瓦(あかれんが)門」[33]と呼ばれている。


メディア



撮影協力・製作協力




  • ボーイハント - 撮影協力


  • 古畑任三郎 - 撮影協力


  • ふたつのスピカ - ロボット協力


  • ヤマトナデシコ七変化 - 撮影協力


  • 医龍 -Team Medical Dragon- 3 - 撮影協力


  • Paradise Kiss - 撮影協力


  • 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 - 撮影協力


  • HERO - 撮影協力


  • キカイダー REBOOT - 撮影協力及び企画協力


  • 相棒 - 撮影協力


  • コード・ブルー - 撮影協力

  • 下町ロケット - 撮影協力



事件・不祥事等




  • 2012年に千葉工業大学側の報告によって経済産業省からの研究費使用に関して不正のあったことが発覚した[34]。具体的な不正の内容としては、千葉工業大学の研究者が物品などを購入していないにも関わらず、取引業者より購入したとする偽装工作を行い、同研究費から業者に物品購入代金として金を支払っていたというのが一点[34]、もう一点は千葉工業大学の研究者が同研究費を私的目的に使用し、その金の流れを取引業者に研究目的のための物品購入であったことを偽装工作させるなどした[34]、というものであった。これら千葉工業大学の不正に関し経済産業省は、交付した研究費の返還、一定期間研究費交付停止、などの処分を行った[34]


  • 2017年1月10日に大学教員が学生の成績情報などの個人情報をメールに添付し外部の複数の人物に送信してしまう事件が発生した[35]。流出した情報は、学生の氏名や学籍番号、成績などであったという[35]



脚注


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注釈





  1. ^ 理工学部を持つ旧帝国大学はどれも数に含めず、対象を「現存する単体の理工系大学」に限定した場合。1929年に国立の東京工業大学が設置され、1942年に私立の興亞工業大學(千葉工業大学の前身)が設立された。東工大と同時に昇格した大阪工業大学(1929年設立)は、1933年に大阪帝国大学に吸収されたため数に含めない。日本最初の私立理工系大学である藤原工業大学(1939年設立)も、1944年に慶應義塾大学に併合されて同大学の工学部となったため数に含めない。これら以外の現在存在する国立:私立の理工系単科大学は全て戦後に設立されたものである


  2. ^ 設置が計画されたが戦時のため、機械学科に変更された。戦後に生産工学、経営工学分野を扱った学科として早稲田大学に次き2番目に設置された


  3. ^ 日本人(東洋人)を代表してクリスチャンで、教育家の小原國芳が大学設立趣意書を提出(アジア解放を望んだ日本国民の自発性を尊重すると共に、再起と誡めの契約を結ぶ)


  4. ^ 急な開校指令だったこともあり全ての建物が完成していなかったため、講義を屋外で行う




出典





  1. ^ 西洋化の過程で入ってきた強い階級主義的意識、権威主義的意識のもとエリートたる人物の多くが社会の中で威張り散らしたり、学閥や派閥を作っては争ってばかり(小原は、当時の日本の社会全体が「人」の問題で混沌としていた様子を述べている)で、人格人心に問題がある人物が多くエリート校から輩出されていた事実(特に創立関係者たちも各エリート校の出身者であり、学歴差別(例:西田幾多郎)を受けたり、学会や教え子から迫害(例:八木秀次)を受けたり、その実情を体験していた)、社会全体が出世主義的な風潮が強く、教員、保護者までもが、教育現場に口出しをし、自分の教え子、自分の子供を出世させようとする押しつけがあること(小原は、特に、大臣の妻が一番手ごわく、自分が大臣になった気分で口出ししてくると述べている)、そして、良い点数を取る→出世街道(エリートコース)という社会的傾向から、学生生徒の多くもテストの点を取ることばかりに集中してしまい(小原の言葉では「点取り虫」「棒暗記」「一夜漬け」などのキーワードが出てくる)、教育の本質的なことが疎かにされ、教育の本質的な意義が見失われていたこと(なぜ学ぶのか?など、その本質的な意味を考えずに、ただ点取り合戦をしている学生生徒の惨状を見て)など


  2. ^ 江戸期までの教育は東洋的な精神のもと、自由主義的な教育が中心だったが、明治期を迎えると明治政府主導のもと西欧文明を起源とする国家主義的な教育に性質が変わっていった(詳細は日本教育史を参照)。小原國芳著「全人教育論(玉川大学出版部発行)」では政府が国家統制を計るために初等教育において国家神道以外の江戸時代までの神仏を畏敬する心を育てる教育(多様な宗教観を育む教育)の一切を廃止したことを批判しており、ガリレオ・ガリレイの言葉『神なき知育は知恵ある悪魔をつくることなり(神仏を畏敬する心を教えず、知識や技術だけ教えれば、将来的に大きな災いを起こす人物が生まれてくる)』を用いて厳しく批判していた。


  3. ^ 学生生徒を大きな教室に集め、一律に同じような授業をし、同じような知識や思想、技術を持った人間を育てるやり方(小原國芳 『教育と我が生涯 小原國芳』 南日本新聞社より)


  4. ^ ちなみに小原國芳著「全人教育論(玉川大学出版部発行)」では、単純に「字」の読み書きを教えたり「計算」の仕方を教えたり「専門知識」や「スポーツ」の仕方ばかりを教える学校があるが、それは本当の意味での人を育てる教育ではないと書かれており、それらの学校をヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチの言葉を用い「綴り方学校」と区別し呼び、本当に国家や社会を担う創造的な人間を育てる教育ではないと論じている。


  5. ^ 官立大学は公的な教育機関であるため、平等な教育活動しかできず、学生生徒個人の個性を尊重した独創的な教育活動を展開することが困難で、当たり障りのない平均的な人間(金太郎飴のように切っても切っても同じような人材)しか育てられないという教育環境の問題、そして何より、官立大学は政府(国家)から資金を貰って運営されていることもあり、国家や政府の意に反する研究や発言をすると思想弾圧や言論弾圧を受け、学問の自由や大学の自治が妨害されるなどを関係者は痛いほど経験していた。


  6. ^ 小原國芳は私学教育の代表例として広瀬淡窓の咸宜園、吉田松陰の松下村塾、細井平洲の興譲館などの例をよく挙げているが、それら私学の先哲者たちの教育精神を忘れない為に、玉川学園内には咸宜園と松下村塾の模築が建てられている。


  7. ^ 玉川学園大学部として計画した記述もあるが、姉妹校として計画したという記述もある

  8. ^ ab「玉川学園の歴史-興亜工業大学」玉川学園、(2013年6月5日)、2018年8月7日閲覧。


  9. ^ 昭和21年文部省告示第35号(『官報』第5771号、昭和21年4月13日、p.61)


  10. ^ 『千葉工業大学五十年史』 1992年、87-88頁


  11. ^ 千葉工業大学 工学部 機械サイエンス学科 松井研究室「(研究所・研究室紹介)精密加工技術プラスアルファによる新展開を目指して」、『精密工学会誌』第80巻第2号、2014年、 167-168頁。


  12. ^ “在学者数”. 情報公開・大学概要. 千葉工業大学 (2014年5月1日). 2015年2月17日閲覧。


  13. ^ 入学案内 2015, p. 154-155.


  14. ^ 最新!「志願者数が多い大学」ランキング100 2018/05/25


  15. ^ 林友直「鯨生態観測衛星(観太くん)プロジェクトについて」、『瀬戸内海』第31号、2002年、 32-34頁。<--(特集)森林と海-連鎖への回帰-リモートセンシングの利用と海域生態系-->


  16. ^ 林友直、岡本良夫、横山幸嗣、細川繁、冨田秀穂、升本喜就「鯨生態観測衛星システムとその応用」、『電子情報通信学会技術研究報告(SANE, 宇宙・航行エレクトロニクス)』第105巻第102号、2005年5月、 13-20頁。


  17. ^ 鯨生態観測衛星(観太くん)オフィシャルページ Archived 2009年7月3日, at the Wayback Machine.


  18. ^ “廃炉に挑むロボット”. 四国新聞: p. 4. (2015年1月4日) 


  19. ^ “廃炉に挑むロボット 待ち受ける最難関任務”. 2014年版新年動画. 47NEWS. 2015年2月17日閲覧。


  20. ^ 真野敦史 『NEDO災害対応無人化システム研究開発プロジェクト』117、2014年10月、666-669頁。


  21. ^ 特色ある大学教育支援プログラム-特色GP&現代GP-教育・研究活動


  22. ^ “同窓会”. 大学案内. 千葉工業大学. 2015年2月17日閲覧。


  23. ^ “PPA”. 大学案内. 千葉工業大学. 2015年2月17日閲覧。

  24. ^ abcde入学案内 2015, p. 155.

  25. ^ abc入学案内 2015, p. 22.


  26. ^ 大学等間交流協定締結状況 日本側機関別一覧(千葉工業大学) - 文部科学省


  27. ^ 住宅床下点検ロボット開発


  28. ^ 高齢者在宅健康管理・支援システムを共同開発(2009.09.08)


  29. ^ (2009.02.09)


  30. ^ 習志野市産学官連携プラットホーム

  31. ^ ab千葉県教育委員会 (2014年8月7日). “千葉工業大学通用門(旧鉄道第二連隊表門)”. 習志野市の県指定および国登録文化財. 千葉県. 2015年2月17日閲覧。

  32. ^ ab“千葉工業大学通用門(旧鉄道第二連隊表門)”. 文化遺産オンライン. 文化庁. 2015年2月17日閲覧。


  33. ^ “津田沼キャンパス”. キャンパス案内. 千葉工業大学. 2015年2月17日閲覧。

  34. ^ abcd経済産業省 (2013年11月12日). “学校法人千葉工業大学における委託費等の不適正な経理処理に対して措置を行います(METI/経済産業省)”. 経済産業省. 2014年10月15日閲覧。

  35. ^ abSecurity NEXT (2017年1月27日). “成績情報含むファイルを学外に誤送信 - 千葉工業大”. 2017年2月18日閲覧。




参考文献







  • 千葉工業大学PPA・千葉工業大学同窓会「千葉工業大学校歌・寮歌・応援歌集」

  • 小原國芳編『全人』No.113 玉川学園出版部、1942

  • 千葉工業大学二十五年史刊行委員会『千葉工業大学二十五年史』千葉工業大学、1967

  • 小原國芳 『教育と我が生涯 小原國芳』 南日本新聞社 編、玉川大学出版部、1977年11月。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 978-4472028724。

  • 玉川学園五十年史編纂委員会 『玉川学園50年史』 玉川学園、1980年。

  • 日本冶金工業 『日本冶金工業六十年史』 日本冶金工業、1985年11月。ASIN B000J6OBRI。

  • 千葉工業大学五十年史刊行委員会 『千葉工業大学五十年史』 千葉工業大学、1992年。

  • 戸高一成 『[証言録]海軍反省会』 PHP研究所、2009年8月。
    ISBN 978-4569709703。

  • 千葉工業大学70年史刊行委員会 『千葉工業大学70年のあゆみ』 千葉工業大学、2012年。

  • “興亜工業大学”. 玉川学園について. 玉川大学・玉川学園 (2013年6月5日). 2015年2月16日閲覧。

  • “入学案内2015”. デジタル図書館. 千葉工業大学. 2015年2月17日閲覧。



Wiki関係他プロジェクトリンク



















関連項目



  • 工業大学

  • 旧制大学

  • 旧官立大学

  • 千葉工業大学工学研究所



公式サイト




  • “千葉工業大学”. 2015年2月16日閲覧。

    • “写真で振り返る70年”. 2015年2月16日閲覧。

    • “デジタル図書館”. 2015年2月16日閲覧。



  • “千葉工業大学 惑星探査研究センター(PERC)”. 2015年2月16日閲覧。

  • “千葉工業大学 未来ロボット技術研究センター(fuRo)”. 2015年2月16日閲覧。

  • “CITALUMNI 千葉工業大学同窓会”. 2015年2月16日閲覧。















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