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Showing posts from April 20, 2019

契丹

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この項目では、民族としての契丹について説明しています。契丹民族が建国した国家・契丹については「遼」を、ヨーロッパ、イスラーム世界で中国を指して使われる呼称については「キタイ (地理的呼称)」をご覧ください。 宋代に描かれた契丹人の絵 契丹 (きったん、キタン、キタイ、 拼音 : Qìdān )は、4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。10世紀初頭に現在の中華人民共和国に相当する地域の北部に帝国を建国し、国号を 遼 と号した。しかし12世紀に入り次第に勢力を強める女真が宋と結び南下し、挟撃された遼は1125年に滅ぼされた。契丹人の多くは女真に取り込まれ、一部は中央アジアに逃れて西遼(カラ・キタイ)を建てた。 目次 1 歴史 1.1 契丹の起源と黎明期 1.2 大賀氏の時代 1.3 遙輦氏の時代 1.4 遼 1.5 遼の滅亡後 2 文化・習俗 2.1 婚姻 2.2 経済 2.3 言語 2.4 文字 2.5 葬儀 2.6 宗教 2.7 政治体制 3 構成部族 4 主な指導者と歴代君主 4.1 大賀氏・遙輦氏 4.2 耶律(ヤルート)氏 4.3 北遼と西北遼 4.4 西遼(カラ・キタイ) 5 各言語での「契丹」 6 脚注 7 参考文献 8 関連項目 歴史 契丹の起源と黎明期 『遼史』に記される伝承によれば [1] 、土河(老哈河)の東にある馬孟山(馬鞍山)から白馬に乗った神人が、潢河(西拉木倫河)西岸の平地松林から青い牛の牛車に乗った天女が、両河の合流地点にある木吐山で出会い結婚して8人の子を儲け、契丹古八部の祖先になったとされ、中国の歴史教科書にも紹介されている。また、永州木吐山に始祖・奇首可汗 [2] の祖廟があり、可敦(皇后)と先の八子の像が在るとする。 契丹の起源は拓跋部ではない宇文部から古くに分かれた東部鮮卑の後裔で、庫莫奚もしくは室韋と同系になる考えられている。『新唐書』では、かつて匈奴に破られて逃れてきた東胡の子孫とする。『魏書』、『北史』、『隋書』

童貫

童貫 北宋 宰相・太尉・領枢密院 出生 生年不詳 死去 1126年 海南島付近 字 道夫 主君 徽宗→欽宗 童 貫 (どう かん、? - 1126年)は、北宋末の政治家、軍人、宦官。字は 道夫 。開封の人。去勢され男性機能を失ったはずの宦官でありながら、多くの妻妾と養子を持ち筋骨隆々とした体躯で顎鬚まで生えていたという怪人物 [1] 。 目次 1 略歴 2 軍事的な手腕と生涯 3 参考・引用文献 4 脚注 略歴 書画骨董の目利きであったことから徽宗に気に入られ、宰相蔡京と結託して権勢を極め、また兵法にも凝っていたため禁軍の頂点に君臨し、20年近く兵権を掌握した。しかし、徽宗の贅沢を助長させたため民衆からは怨嗟の対象とされ、蔡京、花石綱らで江南の民を疲弊させた 朱勔 (中国語版) 、 李邦彦 (中国語版) 、王黼、 梁師成 (中国語版) と共に「 六賊 」の一人に挙げられた。また軍費を着服し、私腹を肥やしていたという。後の北宋末を舞台にした小説『水滸伝』でも四奸の一人とされ、悪役になっている。 軍事的な手腕と生涯 童貫は宦官ではあったが軍人の道を選び、劉延慶・楊可世・馬拡らの将校を監督して西夏と戦わせるなど、20年にわたって兵権を掌握した。1111年には太尉・領枢密院に昇進し、その位階は三公に比肩した。 1120年、北宋は女真族の立てた新興の金と結び(海上の盟)、遼を挟撃して遼の支配下にあった北方の燕雲十六州を奪還しようと試み、当時宋軍の総帥の地位にあった童貫が将官を監督してこれに当たらせた。 軍事行動を起こそうとした矢先、江南で方臘の指導する反乱が勃発した。童貫は燕雲十六州攻撃のために編成した軍から15万の南征軍を抜き出し、王淵・韓世忠・辛興宗らの将軍を監督して反乱勢力の鎮圧に当たらせた。反乱勢力の抵抗は長引き、童貫は江南の住民数十万人を殺戮した末に、王淵麾下の将校の韓世忠の活躍などにより1121年4月、方臘を捕えこれを処刑した。 一方、金軍の猛攻の前に遼の天祚帝は逃亡し、遼の将軍耶律大石らは逃亡した天祚帝に代わって耶律淳を皇帝に擁立し、燕雲十六州に北遼を建てる。 1122年、童貫は15万の大兵力

東昌府区

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中華人民共和国 聊城市 東昌府区 聊城山陝会館 簡体字 东昌府 繁体字 東昌府 拼音 Dōngchāngfǔ 国家 中華人民共和国 市 聊城 行政級別 市轄区 面積 総面積 1,254 km² 人口 総人口 () 97 万人 経済 電話番号 0635 郵便番号 252200 行政区画代碼 371502 公式ウェブサイト: http://www.dongchangfu.gov.cn/ 東昌府区 (とうしょうふく)は中華人民共和国山東省聊城市の管轄下にある市轄区。 行政区画 街道:新区街道 湖西街道 古楼街道 柳園街道 閻寺街道 鳳凰街道 北城街道 道口鋪街道 蒋官屯街道 東城街道 鎮:張炉集鎮 候営鎮 沙鎮鎮 鄭家鎮 堂邑鎮 梁水鎮 斗虎屯鎮 於集鎮 許営鎮 朱老荘鎮 顧官屯鎮 郷:広平郷 韓集郷 表 話 編 歴 山東省の行政区画 省都:済南市 副省級市 済南市 市中区 | 歴下区 | 天橋区 | 槐蔭区 | 歴城区 | 長清区 | 章丘区 | 済陽区 | 平陰県 | 商河県 青島市 市南区 | 市北区 | 李滄区 | 嶗 山区 | 城陽区 | 黄島区 | 即墨区 | 膠州市 | 平度市 | 莱西市 地級市 淄博市 張店区 | 臨淄区 | 淄川区 | 博山区 | 周村区 | 桓台県 | 高青県 | 沂源県 棗荘市 市中区 | 山亭区 | 嶧城区 | 台児荘区 | 薛城区 | 滕州市 東営市 東営区 | 河口区 | 墾利区 | 広饒県 | 利津県 煙台市 芝罘区 | 福山区 | 牟平区 | 莱山区 | 竜口市 | 莱陽市 | 莱州市 | 招遠市 | 蓬莱市 | 棲霞市 | 海陽市 | 長島県 濰 坊市 濰 城区 | 寒亭区 | 坊子区 | 奎文区 | 青州市 | 諸城市 | 寿光市 | 安丘市 | 高密市 | 昌邑市 | 昌楽県 | 臨 朐 県 済寧市 任城区 | 兗州区 | 曲阜市

高唐州

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高唐州 (こうとう-しゅう)は中華人民共和国山東省にかつて設置された州。現在の聊城市高唐県、武城県、夏津県一帯に相当する。 1270年(至元7年)、元朝により設置され、州治は高唐県とされた。明朝が成立すると高唐県は州に統合されている。中華民国成立後の1913年(民国2年)、州制廃止に伴い 高唐県 と改編された。 この項目は、中国の歴史に関連した 書きかけの項目 です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:歴史/P:歴史学/PJ歴史)。 This page is only for reference, If you need detailed information, please check here

柴進

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水滸伝 > 水滸伝百八星一覧表 > 柴進 この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています (詳細) 。 柴進 / 柯引 明代に描かれた肖像 梁山泊 主爵都尉 出生 生年不詳 滄州横海郡 死去 没年不詳 滄州横海郡 ピン音 Chái Jìn 別名 小旋風 主君 晁蓋→宋江 柴 進 (さい しん、Chái Jìn)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。 目次 1 キャラクター概要 2 物語中での活躍 3 補足 4 脚注 キャラクター概要 天貴星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第十位の好漢。渾名は 小旋風 (しょうせんぷう)。 生まれながらにして高貴な顔つきを備え、見た者を圧倒させる威厳を持つ、面倒見のいい大人。北宋の前代の王朝である後周の皇帝・世宗(柴栄)の子である柴世祖 [1] 末裔という設定で、宋王朝に禅譲した経緯から、子孫である柴進の滄州横海郡の広大な邸宅は、皇帝から丹書鉄券(お墨付き)を与えられており、一種の治外法権を認められ、様々な食客が養われていた。そのため東渓村の晁蓋、鄆城県の宋江と並ぶ人格者として侠気を讃えられていた。特に梁山泊のメンバーの中では、林冲、武松、宋江、李逵、石勇などが柴進の屋敷に一時期世話になっている。 水滸伝の原案の『大宋宣和遺事』では、黒旋風李逵の次に並ぶ李逵の弟分として設定されていた人物であった。水滸伝では設定が後周王朝の子孫となりあだ名の由来は不明になってしまった。 物語中での活躍 滄州横海郡に大邸宅を構えていた柴進は、当地へ流罪となって送られてきた林冲をもてなす。同邸に食客として滞在していた高慢な洪教頭に棒術勝負を挑まれ、いとも簡単に勝利した林冲を喝采し、以来親交を結ぶ。林冲が高俅からの刺客を殺し、お尋ね者となった際も屋敷の内に匿った。また、力自慢の武松や誤って殺人を犯した宋江が柴進を頼ってきた。2人は誤解から喧嘩を始めるが、柴進の仲介で意気投合し、義兄弟の契りを結ぶ。さらに、梁山泊に入った宋江は、同郷の朱仝を梁山泊入りさせるため、弟分の李逵に朱仝の主人である滄州の知府の息子を殺

呉用

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水滸伝 > 水滸伝百八星一覧表 > 呉用 この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています (詳細) 。 呉用 呉用。歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之一個・智多星呉用」 梁山泊 軍師 出生 生年不詳 死去 1124年 蓼児窪 ピン音 Wú Yòng 字 学究 別名 智多星 主君 晁蓋→宋江 モデルは北宋の趙普とされる 呉 用 (ご よう)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。綽名は 智多星 ( ちたせい ) 。 目次 1 キャラクター概要 2 物語中での活躍 3 補足 4 その他 キャラクター概要 天機星の生まれ変わりで、序列は梁山泊第三位の好漢。字は学究。道号は加亮。 天下に並びない智謀の持ち主で、軍師として神算鬼謀の限りを尽くした。しかし、『三国志演義』の諸葛亮のような神懸り的な人物ではなく、失敗もすれば冗談も飛ばす人間的な人物である。戦略や謀略の才には長けているが、実践の戦術や兵法に関する造詣は次席の軍師・朱武に多少劣る。また、鎖分銅の使い手でもある。 物語中での活躍 元は村下に隠棲する書生だが、その智謀を買われて晁蓋から生辰綱奪取の協力を求められる。棗売りに化けて輸送隊にしびれ薬入りの酒を飲ませて、まんまと奪取に成功し、梁山泊に逃れる。 以降、軍師として梁山泊の運営に携わり、様々な策を用いて官軍の討伐を退けた他、次々と好漢達を山塞に招き入れる。盧俊義や朱仝を招いた時のように、手段を選ばない策を用いたり、失策によりかえって危機を招いたりすることもあったが、仲間内での信頼度は高かった。 宋江とは強い信頼関係で結ばれており、荒くれ者が多い梁山泊の中で宋江の心情を最も理解している人物の一人だった。江南の方臘討伐後、官位を授かるが辞退し、宋江が毒殺されたことを知ると花栄とともに墓所に赴き、後を追って自殺した。 補足 詳細は「水滸伝の成立史」を参照 梁山泊の軍師として数多の謀計詭計を発案・実行した彼だが、宋江を江州から救出する際に印鑑を扱い間違ったり、高廉の妖術を破ろうとして返っ

李逵

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水滸伝 > 水滸伝百八星一覧表 > 李逵 この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字が含まれています (詳細) 。 李逵 通俗水滸伝豪傑百八人之一個・黒旋風李逵 梁山泊 歩兵軍頭領 出生 生年不詳 死去 1124年 ピン音 Lǐ Kuí 別名 黒旋風、鉄牛 主君 晁蓋→宋江 李 逵 (り き)は、中国の小説で四大奇書の一つである『水滸伝』の登場人物。 天殺星の生まれ変わりで、梁山泊第二十二位の好漢。二挺の板斧(手斧)を得意とする。渾名は 黒旋風 ( こくせんぷう ) で、李逵自身の剽悍性とその怪力、色の黒さからよく 鉄牛 ( てつぎゅう ) とも呼ばれる。怪力で武芸に優れた豪傑である。特に集団での乱戦において凄まじい実力を発揮する。一方で正式に武芸の修行を積んでいないためか、武芸を極めた達人級との一騎討ちでは苦戦したり敗れる事もある。水練は苦手でまったくのカナヅチである。 性格は幼児がそのまま大きくなったような無邪気さがあり、物事を深く考えることは無く我慢もきかないため失敗も多い。また幼児独特の残虐性や善悪の区別の曖昧さもそのまま残しているため、人を殺すことをなんとも思っておらず、無関係の人間を巻き添えにしたり女子供を手にかけることも厭わない。それゆえ宋江や晁蓋の叱責を買うことも多い(公孫勝の師である羅真人によると、下界の人間が悪事ばかり働くので、それを罰するため天殺星である彼が、天に代わり一身に殺劫を引き受けているらしい)。仲間意識が強く、特に同じ無頼漢タイプの鮑旭や焦挺等と非常に仲がよい。一方で入山時いざこざがあった朱仝とは不仲であり、温厚で平和的な性格の楽和も李逵が苦手らしい。また彼の保護者的立場である戴宗や、呉用、燕青等機転の利く人間には頭が上がらない。 宋江に非常に懐き、宋江を絶対的存在と認識しており、彼のためなら命を投げ出すことも辞さず、少しでも宋江の役に立ちたいと思うがため何にでも首を突っ込みたがる傾向にある。逆に宋江以外の権威は彼にとって全く無価値で、朝廷への帰順を考える宋江としばしば激しくやり合う。 生涯 沂州沂水県百丈村董店東の小作農の次男として生まれる。喧嘩で人を殺して村から逃