戸塚宏





























とつか ひろし

戸塚 宏
生誕
(1940-09-06) 1940年9月6日(78歳)
大日本帝国の旗 朝鮮(日本統治時代) 咸鏡北道清津市
国籍
日本の旗 日本
出身校
名古屋大学工学部
肩書き
戸塚ヨットスクール校長

戸塚 宏(とつか ひろし、1940年9月6日 - )は、日本の教育家で、フリースクール「戸塚ヨットスクール」の校長(法人登記上は代表取締役)である。生徒への体罰によって死者を出した戸塚ヨットスクール事件を引き起こした。1975年に世界記録を出したヨットマン。




目次






  • 1 来歴


    • 1.1 生い立ち


    • 1.2 戸塚ヨットスクールと事件


    • 1.3 出所後




  • 2 人物像


  • 3 著書


  • 4 著名な支援者・支持者


  • 5 脚注


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク





来歴



生い立ち


日本統治下の朝鮮咸鏡北道清津市生まれ、愛知県名古屋市育ち。名古屋市立菊里高等学校卒。


1959年、名古屋大学工学部機械工学科入学。在学中にヨットに出会う。


1965年、名古屋大学工学部機械工学科を卒業。


1975年、沖縄国際海洋博覧会記念太平洋横断レースで、シングルハンド(一人乗りヨット)による太平洋横断の最短世界記録(41日)を達成して優勝した。



戸塚ヨットスクールと事件


1976年、株式会社戸塚ヨットスクール開校。当初はオリンピックでメダルを獲れるようなセイラーを育成するためのスクールとして発足したが、翌年の秋頃不登校などの情緒障害児の更生に効果があると評判になり、マスコミで紹介されてからは、もっぱら情緒障害児の治療を目的とした活動へとシフトしていった。同スクールの合宿に参加した上之郷利昭が著した『スパルタの海』(支援者である伊東四朗主演で映画化されたが戸塚の逮捕によりお蔵入り、出獄後の2005年支援者によりDVD化、2011年に劇場公開された)では、同スクールの活動が生々しく報告されている。コーチ陣の過度の訓練・体罰が近因となり死者5名(2名は傷害致死、1名は病死、2名は行方不明のままみなし死亡)を出す。


1983年6月13日、戸塚ヨットスクール事件が発覚、コーチと共に監禁・傷害致死の容疑で逮捕。


1986年7月、保釈される。早稲田祭で人物研究会の招きにより講演。以後も日本テレビ「EXテレビ」など各種メディアに登場、脳幹を鍛えれば癌やアトピー、うつ病、登校拒否などあらゆる病状を克服できるという趣旨の「脳幹論」を肝とした持論を展開する。


1992年7月7日、名古屋地裁は戸塚宏とコーチ6名に対して傷害致死罪で執行猶予付きの有罪判決、検察被告とも控訴。


1997年3月12日、名古屋高裁は「訓練は人権を無視。教育でも治療でもない」として一審判決を破棄し、戸塚宏に懲役6年、コーチ3人も実刑の判決を下した。戸塚らは即日上告。


1999年、「電磁界等を考えるシンポジウム京都会議」に、発起人の一人として名を連ねる。


2002年2月15日、最高裁判所は上告を棄却。


2002年3月11日、無罪を主張するが退けられ懲役6年の刑が確定。「教育か、暴力か」が争点となったが、自身を含む15人全員の有罪が確定した。現在も体罰との因果関係は一切無かったとして無罪を主張している。


2002年3月29日、名古屋高等検察庁へ出頭。出頭直後、護送車で名古屋から静岡に護送され静岡刑務所に収監される(懲役6年だが、未決勾留日数の一部を刑に算入されている為、実際の刑期は4年間)。



出所後


2006年4月29日、静岡刑務所を満期出所。出所後、戸塚は静岡市内で報道陣から「お帰りなさい、スクールはまだ続けますか」との問いかけに対し「まだまだ続けていく」と回答した。その後も、戸塚ヨットスクール訓練生の事件が続いている。



人物像


「脳幹論」を基礎にしたスパルタ教育が持論。ただし、脳科学者や医学博士ではない。


刑期を終え出所した後も基本的にその立場を変えていない。収監前の記者会見では「出所後は私立小学校を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。


出所後、静岡刑務所内での処遇を著した自著の中で、「法の概念から外れたとんでもないことをやっている」「憲法に反する人権侵害」「刑務官によって自殺に追い込まれた受刑者がいる」などと述べている。


反「戸塚ヨットスクール」キャンペーンの先頭に立った『サンデー毎日』(逮捕を報じた号では手錠をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった)を発行する毎日新聞社の対応を良く思っておらず、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、毎日新聞は出所直後の静岡市内での記者会見の内容(「体罰は教育だ」などの発言)をいち早く報じている(支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった)。


儒学等を思想的根拠として所謂「嫌韓」を主張し、在日韓国・朝鮮人の特別永住者に対する排外主義活動を行っており、義家弘介と激しく対立する。



著書




  • 1976年 - 『太平洋一直線』オーシャンライフ オーシャンブックス


  • 1983年 - 『私が直す!』飛鳥新社


1985年11月に角川書店で文庫化 ISBN 4-04-162001-5


  • 1983年1月 - 『孤独の挑戦』ズーム社 Zoom Books ISBN 4-8033-0758-X

  • 1983年1月 - 『私はこの子たちを救いたい - "殴らない父"と"愛しすぎる母"へ』光文社 カッパビジネス ISBN 4-334-01150-0

  • 1985年11月 - 『獄中記』飛鳥新社 ISBN 4-87031-020-1([1]にて閲覧可能)


  • 1988年6月 - 『敵は脳幹にあり』アポロ出版 ISBN 4-87454-702-8


  • 1992年7月 - 『こんな輩が子供をダメにする - 偽善を排す異論・暴論63』太陽企画出版 ISBN 4-88466-205-9

  • 1992年8月 - 『熱論戸塚宏 - 反平等主義論』フローラル出版 ISBN 4-930831-04-0


  • 2003年4月 - 『教育再生 - これで子供は救われる』大洋図書 ISBN 4-8130-1074-1


  • 2006年11月 - 『静岡刑務所の三悪人』飛鳥新社 ISBN 4-87031-763-X


  • 2007年4月 - 新潮新書212『本能の力』新潮社 ISBN 978-4-10-610212-7



著名な支援者・支持者



  • 石原慎太郎(政治家)

戸塚ヨットスクールを支援する会会長。戸塚ヨットスクールを支援する会のホームページにて『スクールが「大自然との闘いで精神を鍛える」という方法により五百余名の情緒障害児(登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力など)を更生させ、心身の本当の健康状態を回復させることにも成功した事実には、教育と医学の両分野における画期的意義を見出すことができます。』と述べる[1]。本人もヨット愛好者である。


  • 西村眞悟(政治家)

戸塚ヨットスクールを支援する会発起人



  • 小室直樹(評論家、東京大学法学博士)[2]


  • 村松剛(評論家・フランス文学者、筑波大学名誉教授)[3]


  • 立川談志(落語家)[3]


  • 伊東四朗(俳優)


  • 田母神俊雄(元航空幕僚長)[4]


  • 野口健(登山家)


ブログで『あえて厳しい環境の中に身をおいて、時に死の恐怖と戦うことによって「何が何でも死にたくない」と生に対する執着心が芽生えるもの。戸塚ヨットスクールは極限状態を子どもたちに体験させ脳幹を鍛え生命力をつける教育なのだ。』と言及[5]


脚注


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  1. ^ “戸塚ヨットスクールを支援する会”. totsuka-junior.com. 2018年10月3日閲覧。


  2. ^ 小室直樹文献目録 - 「小室直樹センセイ“戸塚ヨットスクール賛歌”の激烈」 週刊大衆 1983年9月12日号 P.34-35

  3. ^ ab“『石原慎太郎氏、堀本和博氏、立川談志氏、村松剛氏らが戸塚ヨットを支援』”. 2016年4月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年7月1日閲覧。 - 「戸塚ヨットスクールを支援する会」会報『ういんど』創刊号 1988年9月1日発行 2013年7月1日閲覧


  4. ^ 書籍『それでも、体罰は必要だ!』(ISBN 4898316247)で対談


  5. ^ アルピニスト・野口健のブログ : 戸塚ヨットスクール、戸塚宏先生との対談 2008年8月3日 2017年4月29日閲覧




関連項目



  • 長田百合子

  • 杉浦昌子

  • 風の子学園事件

  • 不動塾事件

  • 時津風部屋力士暴行死事件



外部リンク


  • 戸塚ヨットスクール








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