スティーブ・フィンリー














































スティーブ・フィンリー
Steve Finley

Steve Finley.jpg
基本情報
国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地
テネシー州ユニオンシティ
生年月日
(1965-03-12) 1965年3月12日(53歳)
選手情報
投球・打席
左投左打
ポジション
外野手
プロ入り
1987年 ドラフト13巡目
初出場
1989年4月3日
最終出場
2007年6月3日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)




  • ボルチモア・オリオールズ(1989 - 1990)


  • ヒューストン・アストロズ(1991 - 1994)


  • サンディエゴ・パドレス(1995 - 1998)


  • アリゾナ・ダイヤモンドバックス(1999 - 2004)


  • ロサンゼルス・ドジャース(2004)


  • ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム(2005)


  • サンフランシスコ・ジャイアンツ(2006)


  • コロラド・ロッキーズ(2007)




スティーブン・アレン・フィンリーSteven Allen Finley, 1965年3月12日 - )は、MLBの元選手。ポジションは外野手。アメリカ合衆国テネシー州ユニオンシティ出身。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 ボルチモア・オリオールズ


    • 1.2 ヒューストン・アストロズ


    • 1.3 サンディエゴ・パドレス


    • 1.4 アリゾナ・ダイヤモンドバックス


    • 1.5 ロサンゼルス・ドジャース


    • 1.6 引退




  • 2 獲得タイトル・記録


  • 3 年度別打撃成績


  • 4 外部リンク





経歴



ボルチモア・オリオールズ


1986年のMLBドラフトでアトランタ・ブレーブスから11巡目に指名を受けたが契約せず。1987年のMLBドラフトでボルチモア・オリオールズから13巡目に指名を受け入団。1989年4月3日のボストン・レッドソックス戦でメジャーデビューを果たすが、守備の際に負傷しいきなり故障者リスト入りの憂き目に会う。1990年に22盗塁を記録するなど頭角を現す。1991年1月10日にグレン・デイビスとの交換トレードで、カート・シリング、ピート・ハーニッシュと共にヒューストン・アストロズに移籍。



ヒューストン・アストロズ


移籍1年目の1991年は打率.285・170安打・10三塁打・34盗塁を記録する。1992年は全試合出場を果たし、打率.292・177安打・13三塁打・44盗塁と更に成績を伸ばした。1993年は故障の影響もあり全体的に数字を落としたが、13三塁打はリーグトップだった。1994年はMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、自身初の二桁となる11本塁打を記録した。12月28日にデレク・ベル、ダグ・ブロケイルら6選手との交換トレードで、ケン・カミニティ、ロベルト・ペタジーニらと共にサンディエゴ・パドレスに移籍。



サンディエゴ・パドレス


1995年は打率.297・36盗塁を記録し、初のゴールドグラブ賞を受賞。1996年は長打力が増し、打率.298・195安打・45二塁打・30本塁打・95打点・126得点を記録、チームの12年ぶりの地区優勝に大きく貢献する。自身初のポストシーズンとなったセントルイス・カージナルスとのディビジョンシリーズは12打数1安打に終わり、チームも3連敗で敗退した。2年連続でゴールドグラブ賞を受賞し、MVPの投票でも10位に入った。1997年はオールスターゲームに初めて選出される。1998年は打率.249・14本塁打、キャリアワーストの103三振など不振だったが、チームは2年ぶりに地区優勝を果たす。古巣アストロズとのディビジョンシリーズでは打率.100に終わるが、ブレーブスとのリーグチャンピオンシップシリーズでは打率.333と活躍し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。しかしニューヨーク・ヤンキースとのワールドシリーズでは打率.083と振るわず、チームも4連敗と一蹴された。シリーズ直後にフリーエージェントとなり、12月18日にアリゾナ・ダイヤモンドバックスと4年契約を結び移籍。



アリゾナ・ダイヤモンドバックス


1999年は34本塁打・10三塁打、キャリアハイの103打点を記録し、ルイス・ゴンザレス、マット・ウィリアムズ、ジェイ・ベルと『100打点カルテット』を形成、前年地区最下位だったチームは100勝を挙げて地区優勝を果たす。ニューヨーク・メッツとのディビジョンシリーズでは打率.385と活躍するものの、チームは1勝3敗で敗退した。2000年は3年ぶり2度目のオールスターゲームに選出される。2001年は14本塁打・73打点に留まるが、チームは2年ぶりの地区優勝。カージナルスとのディビジョンシリーズでは打率.421を記録するなど、チームを初のリーグ優勝に導く。ヤンキースとのワールドシリーズでも打率.368・1本塁打と活躍し、史上最速となる球団創設4年目での世界一に輝いた。2002年は復活し、25本塁打・89打点、キャリアハイの出塁率.370を記録。チームは2年連続で地区優勝を果たすが、ディビジョンシリーズでカージナルスに3連敗で敗退。4年契約を満了し10月29日にフリーエージェントとなるが、12月7日に再契約。2003年は38歳にしてリーグトップの10三塁打を記録。2004年はチームが地区最下位に低迷し、7月31日にレジー・アバークロンビーらとの交換トレードで、ブレント・メインと共にロサンゼルス・ドジャースに移籍。



ロサンゼルス・ドジャース


移籍後は13本塁打・46打点を記録。10月2日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦でサヨナラ満塁本塁打を放って逆転勝利し、チームは9年ぶりの地区優勝を果たした。シーズン通算で36本塁打・94打点を記録し、39歳にしてキャリアハイの本塁打数となった。自身4度目の対戦となったカージナルスとのディビジョンシリーズは1勝3敗で敗退。10月28日にフリーエージェントとなり、12月11日にアナハイム・エンゼルスに移籍。



引退


2005年は打率.222・12本塁打に留まるが、チームは2年連続の地区優勝。ポストシーズンでも打率.150に終わり、チームもリーグチャンピオンシップシリーズでシカゴ・ホワイトソックスに1勝4敗で敗退した。12月22日にエドガルド・アルフォンゾとの交換トレードでジャイアンツへ移籍。2006年6月14日の古巣ダイヤモンドバックス戦で、初回先頭打者本塁打を放って通算300本塁打に到達し、史上6人目の300-300(300本塁打・300盗塁)を達成した。41歳ながらリーグ4位タイの12三塁打を記録するが、打率.246・6本塁打に終わる。オフにフリーエージェントとなり、2007年2月24日にコロラド・ロッキーズと契約。しかし打率.181・1本塁打と結果を残せず6月13日に解雇され、引退。



獲得タイトル・記録




  • MLBオールスターゲーム選出 2回:1997年, 2000年


  • ゴールドグラブ賞 5回:1995年, 1996年, 1999年, 2000年, 2004年



年度別打撃成績


















































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1989

BAL
81 241 217 35 54 5 2 2 69 25 17 3 6 2 15 1 1 30 3 .249 .298 .318 .616

1990
142 513 464 46 119 16 4 3 152 37 22 9 10 5 32 3 2 53 8 .256 .304 .328 .632

1991

HOU
159 656 596 84 170 28 10 8 242 54 34 18 10 6 42 5 2 65 8 .285 .331 .406 .737

1992
162 686 607 84 177 29 13 5 247 55 44 9 16 2 58 6 3 63 10 .292 .355 .407 .762

1993
142 585 545 69 145 15 13 8 210 44 19 6 6 3 28 1 3 65 8 .266 .304 .385 .689

1994
94 417 373 64 103 16 5 11 162 33 13 7 13 1 28 0 2 52 3 .276 .329 .434 .763

1995

SD
139 630 562 104 167 23 8 10 236 44 36 12 4 2 59 5 3 62 8 .297 .366 .420 .786

1996
161 721 655 126 195 45 9 30 348 95 22 8 1 5 56 5 4 87 20 .298 .354 .531 .885

1997
143 615 560 101 146 26 5 28 266 92 15 3 2 7 43 2 3 92 10 .261 .313 .475 .788

1998
159 674 619 92 154 40 6 14 248 67 12 3 3 4 45 0 3 103 9 .249 .301 .401 .702

1999

ARI
156 663 590 100 156 32 10 34 310 103 8 4 2 5 63 7 3 94 4 .264 .336 .525 .861

2000
152 623 539 100 151 27 5 35 293 96 12 6 2 9 65 7 8 87 9 .280 .361 .544 .905

2001
140 548 495 66 136 27 4 14 213 73 11 7 2 3 47 9 1 67 8 .275 .337 .430 .767

2002
150 577 505 82 145 24 4 25 252 89 16 4 1 3 65 7 3 73 10 .287 .370 .499 .869

2003
147 582 516 82 148 24 10 22 258 70 15 8 0 3 57 4 6 94 6 .287 .363 .500 .863

2004
104 456 404 61 111 16 1 23 198 48 8 4 6 5 40 1 1 52 9 .275 .338 .490 .828

LAD
58 250 224 31 59 12 0 13 110 46 1 3 3 2 21 0 0 30 5 .263 .324 .491 .815
'04計
162 706 628 92 170 28 1 36 308 94 9 7 9 7 61 1 1 82 14 .271 .333 .490 .823

2005

LAA
112 440 406 41 90 20 3 12 152 54 8 4 1 4 26 3 3 71 6 .222 .271 .374 .645

2006

SF
139 481 426 66 105 21 12 6 168 40 7 0 3 4 46 2 2 55 6 .246 .320 .394 .714

2007

COL
43 102 94 9 17 3 0 1 23 2 0 0 0 0 8 1 0 4 2 .181 .245 .245 .490
通算:19年
2583 10460 9397 1443 2548 449 124 304 4157 1167 320 118 91 75 844 69 53 1299 152 .271 .332 .442 .774


  • 太字はリーグ1位。


外部リンク


  • 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)











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