鹿島郡








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石川県鹿島郡の範囲(緑:中能登町 水色:後に他郡から編入した区域 薄黄:後に他郡に編入された区域)


鹿島郡(かしまぐん)は、石川県(能登国)の郡。ここでは前身にあたる能登郡(のとぐん)についても記述する。


人口16,929人、面積89.45km²、人口密度189人/km²。(2018年10月1日、推計人口)


以下の1町を含む。



  • 中能登町(なかのとまち)



目次






  • 1 郡域


  • 2 歴史


    • 2.1 古代


    • 2.2 近世以降の沿革


    • 2.3 町村制以降の沿革


    • 2.4 変遷表




  • 3 脚注


  • 4 参考文献





郡域


1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。




  • 七尾市の大部分(中島町大平・中島町古江・中島町上畠・中島町河内・中島町鳥越・中島町北免田・中島町西谷内・中島町町屋・中島町藤瀬を除く)


  • 羽咋市の一部(大町・四柳町・酒井町・金丸出町・下曽弥町・鹿島路町・西潟町)



歴史



古代


当初は能登郡(のとぐん)という名称であった。元は越前国の一郡であったが、養老2年5月2日(718年6月4日)に羽咋郡・鳳至郡・珠洲郡とともに分立して能登国となり、七尾に国府が置かれた。天平13年12月10日(742年1月20日)から天平宝字元年(757年)までは越中国に属した。後に鹿島郡に改名した。古代の郡域は後の鳳至郡(現・鳳珠郡)の中ほどを東西に走る稜線の南側までを含んだと考えられている。



近世以降の沿革


  • 「旧高旧領取調帳データベース」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り[1]。幕府領は加賀藩預地。旗本領は土方氏領。《 》は同データベースでは左記の村に含まれていると見られる。(1町191村)[2]



  • 明治2年6月17日(1869年7月25日) - 版籍奉還により加賀藩(通称)の正式名称が金沢藩となる。

  • 明治3年5月22日(1870年6月20日) - 幕府領・旗本領が高山県の管轄となる[10]

  • 明治4年


    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が金沢県の管轄となる。


    • 11月20日(1871年12月31日) - 第1次府県統合により、全域が七尾県の管轄となる。



  • 明治5年9月27日(1872年10月29日) - 石川県の管轄となる。

  • 明治初年

    • 日用川河口両岸より奥吉田新村が起立。(1町192村)

    • 別所村(現・七尾市能登島別所町)が改称して島別所村となる。



  • 明治8年(1875年) - 槙山村が小栗村に合併。(1町191村)

  • 明治11年(1878年)12月17日 - 郡区町村編制法の石川県での施行により、行政区画としての鹿島郡が発足。郡役所を七尾町に設置。

  • 明治14年(1881年) - 三階村が二宮川を境に分割され、東三階村・西三階村となる。(1町192村)

  • 明治17年(1884年) - 下村(現・七尾市西下町)が改称して西下村となる。

  • 明治20年(1887年) - 萩屋村が土川村に合併。(1町191村)



町村制以降の沿革


  • 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は現・七尾市。(1町30村)



1.七尾町 2.余喜村 3.鹿島路村 4.御祖村 5.能登部村 6.鳥屋村 7.滝尾村 8.越路村 9.南大呑村 10.北大呑村 11.崎山村 12.東湊村 13.矢田郷村 14.徳田村 15.西湊村 16.端村 17.高階村 18.相馬村 19.田鶴浜村 20.赤蔵村 21.金ヶ崎村 22.笠師保村 23.豊川村 24.熊木村 25.西岸村 26.東島村 27.中乃島村 28.西島村 29.金丸村 30.石崎村 31.中島村(紫:七尾市 水色:羽咋市 桃:中能登町)



  • 明治24年(1891年)7月1日 - 郡制を施行。

  • 明治26年(1893年)2月17日 - 滝尾村の一部(久江・久江原山分)が分立して久江村が発足。(1町31村)


  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 昭和9年(1934年)


    • 6月1日 - 田鶴浜村・端村・赤蔵村が合併して和倉町が発足。(2町28村)


    • 10月1日 - 能登部村が町制施行して能登部町となる。(3町27村)



  • 昭和10年(1935年)時点での当郡の面積は392.79平方km、人口は83,168人(男39,713人・女43,455人)[11]

  • 昭和14年(1939年)


    • 7月20日

      • 七尾町・東湊村・矢田郷村・徳田村・西湊村・石崎村および和倉町の一部(奥原・和倉)が合併して七尾市が発足し、郡より離脱。(2町22村)

      • 和倉町の残部が改称して田鶴浜町となる。




    • 11月3日 - 鳥屋村が町制施行して鳥屋町となる。(3町21村)



  • 昭和17年(1942年)1月1日 - 越路村が町制施行して越路町となる。(4町20村)

  • 昭和23年(1948年)4月1日 - 羽咋郡釶打村の所属郡が本郡に変更。(4町21村)

  • 昭和29年(1954年)3月31日(5町9村)

    • 北大呑村・崎山村・南大呑村・高階村が七尾市に編入。

    • 西岸村・釶打村・熊木村・中島村・豊川村・笠師保村が合併して中島町が発足。

    • 田鶴浜町・金ヶ崎村および相馬村の一部(伊久留・七原・吉田・西下)が合併し、改めて田鶴浜町が発足。

    • 相馬村の残部(瀬戸・花見月)が鳥屋町に編入。



  • 昭和30年(1955年)

    • 1月1日 - 越路町・滝尾村・久江村・御祖村が合併して鹿島町が発足。(5町6村)


    • 2月1日 - 東島村・中乃島村・西島村が合併して能登島町が発足。(6町3村)



  • 昭和31年(1956年)9月30日(6町)

    • 能登部町・金丸村が合併して鹿西町が発足。

    • 余喜村・鹿島路村が羽咋郡羽咋町・邑知町と合併して羽咋郡羽咋町が発足。




  • 平成16年(2004年)10月1日 - 田鶴浜町・中島町・能登島町が七尾市と合併し、改めて七尾市が発足。(3町)

  • 平成17年(2005年)3月1日 - 鳥屋町・鹿島町・鹿西町が合併して中能登町が発足。(1町)



変遷表




脚注





  1. ^ 「旧高旧領取調帳」は能登国分が欠けているため、木村礎の手により「天保郷帳」をもとに作成され、「日本史料選書13 旧高旧領取調帳 中部編」(近藤出版社、1977年)に掲載されたデータが国立歴史民俗博物館によりデータベース化されている。


  2. ^ 下記のほか、加賀藩領として《鹿島路村/金丸村/大町村/四柳村/酒井村》請新田、《久木村/坪川村/西村/若林村/飯川村》請新田が記載されている。

  3. ^ ab七尾府中町、七尾湊町一丁目、七尾湊町二丁目、七尾鍛冶町、七尾川原町、七尾今町、七尾塗師町、七尾相生町、七尾大手町、七尾檜物町、七尾作事町、七尾橘町、七尾生駒町、七尾亀山町、七尾松本町、七尾一本杉町、七尾富岡町、七尾魚町、七尾白銀町、七尾阿良町、七尾常盤町、七尾米町、七尾三島町、七尾木町の総称。無高のため「「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。本項では便宜的に1町として数える。


  4. ^ 沢野村・上沢村に分かれて記載。


  5. ^ 後の東三階村・西三階村の2村に分かれて記載。

  6. ^ ab後山村としてまとめて記載。


  7. ^ 鹿島路村・金丸村・大町村・四柳村・酒井村のうちに含まれると見られる。

  8. ^ abcdefghijkl「旧高旧領取調帳データベース」に記載なし。石高がどの村に合算されているかは不明。


  9. ^ 無高のため「旧高旧領取調帳データベース」には記載なし。


  10. ^ 石川県史 第四編,p.3. 近代デジタルライブラリー


  11. ^ 昭和10年国勢調査による。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで閲覧可能。




参考文献



  • 『角川日本地名大辞典 17 石川県』(角川書店、1981年。ISBN 4040011708)

  • 旧高旧領取調帳データベース






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