蕭撒抹




蕭撒抹(しょう さつまつ、生没年不詳)は、遼(契丹)の軍人。字は胡独菫。遙輦洼可汗宮の出身。



経歴


北院枢密副使蕭涅魯古の子として生まれた。重熙初年、祗候郎君に任じられ、北面林牙に累進した。19年(1050年)、耶律宜新や蕭蒲奴の下で西夏を攻撃した。かつて蕭恵が敗れた地に到達して、斥候を捕らえると、帰国できなくなった契丹人の集落があることを知り、かれらを全て収容して帰還した。大父敞穏に任じられ、山北道の辺境の行政を担当した。清寧初年、西南面招討使・西北路招討使を歴任し、同中書門下平章事の位を加えられ、死去した。


子に蕭奪剌があった。



伝記資料


  • 『遼史』巻92 列伝第22



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