ベニート・サンティアゴ







この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はサンティアゴ、第二姓(母方の姓)はリベラです。










































ベニート・サンティアゴ
Benito Santiago
基本情報
国籍
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地
プエルトリコの旗 プエルトリコ自治連邦区ポンセ
生年月日
(1965-03-09) 1965年3月9日(53歳)
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
捕手
プロ入り
1982年 アマチュア・フリーエージェントとしてサンディエゴ・パドレスと契約
初出場
1986年9月14日
最終出場
2005年4月11日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)




  • サンディエゴ・パドレス(1986 - 1992)


  • フロリダ・マーリンズ(1993 - 1994)


  • シンシナティ・レッズ(1995)


  • フィラデルフィア・フィリーズ(1996)


  • トロント・ブルージェイズ(1997 - 1998)


  • シカゴ・カブス(1999)

  • シンシナティ・レッズ(2000)


  • サンフランシスコ・ジャイアンツ(2001 - 2003)


  • カンザスシティ・ロイヤルズ(2004)


  • ピッツバーグ・パイレーツ(2005)




ベニート・サンティアゴBenito Santiago Rivera , 1965年3月9日 - )は、MLBで活躍した元野球選手。ポジションは、捕手。右投右打。プエルトリコ・ポンセ出身。




目次






  • 1 経歴


  • 2 薬物疑惑


  • 3 受賞歴・記録


  • 4 詳細情報


    • 4.1 年度別打撃成績




  • 5 脚注


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク





経歴


1982年に17歳でサンディエゴ・パドレスと契約。
4年間のマイナーでのプレイを経て、1986年9月14日にメジャーデビュー。
17試合に出場したが、翌1987年に新人王資格を残す。チームはそのオフに正捕手テリー・ケネディを放出し、サンティアゴを起用。期待に応えて、1987年にはメジャーの新人記録となる34試合連続安打を記録し、シーズン通算で.300、18本塁打、79打点、21盗塁の活躍で、満票でナ・リーグ新人王に選出された。


座ったまま二塁に投げる強肩ぶりで、この年も100盗塁を記録したビンス・コールマンを3回刺したり、ティム・レインズの盗塁を球速が遅いカーブでも刺す等、活躍を見せた。
1988年にはゴールドグラブ賞を初受賞し、以後3年連続で受賞。この年の秋にはメジャーリーグオールスターの一員として日米野球で来日。1989年にはオールスター初出場を果たし、以後4年連続で出場。


1993年には新球団フロリダ・マーリンズに移籍。4月5日のサンフランシスコ・ジャイアンツ戦では、チーム第1号本塁打を放つ。その後は、故障もあったりで度々移籍を繰り返したが、活躍を続ける。フィラデルフィア・フィリーズ時代の1996年には自己最多の30本塁打を打つ。また、同年グレッグ・マダックス(当時ブレーブス)から満塁本塁打を放ったが、これはマダックスがメジャー11シーズン目にして初めて公式戦で打たれた満塁本塁打であった。


ジャイアンツ時代の2002年にはナ・リーグチャンピオンシップシリーズでMVPを獲得。チームをワールドシリーズに導いたが、シリーズではアナハイム・エンゼルスに敗れた。


メジャーでの出場はピッツバーグ・パイレーツでの2005年4月11日が最後となった。2006年にはニューヨーク・メッツとマイナー契約したが、メジャー昇格はできなかった。2007年以後はどのチームとも契約していない。現時点で正式な引退発表はしていないが、メジャーの公式記録サイトでは現役選手として扱われておらず、事実上の引退状態にある。


捕手としての1917試合出場はMLB歴代10位(2013年終了時点)。捕手以外に一塁手としてのプレー経験がある(25試合)。



薬物疑惑


2003年には連邦捜査官によってアナボリックステロイドを使用した選手の1人として名前が浮上した。2007年12月13日に発表されたミッチェル報告書でもステロイドを使用した選手の一人として名前が挙げられた。報告書によると、『ゲーム・オブ・シャドウズ』の著者は2003年に尿検査サンプルを収集するためにサンティアゴに近づいた際に、サンティアゴはパニックになってクラブハウスから逃げたと書いている。また、調査時にジャイアンツのクラブハウス係員が2003年終わりにサンティアゴのロッカーを掃除中に注射器のパッケージを発見していた事が明かされた[1]


栄養補助食品会社であるバルコ(BALCO)が運動能力向上薬物を違法提供していたとされるバルコ・スキャンダルに関連して、2003年12月に連邦大陪審に召喚されて証言を行っている。サンフランシスコ・クロニクル紙の報道ではバルコ社と関わりがあり、バリー・ボンズの専属トレーナーであるグレッグ・アンダーソンから提供されたクリア(THG)やクリーム(THGとセットで使用)を使用した事を認めたとされている[2]



受賞歴・記録




  • 新人王(1987年)


  • ゴールドグラブ賞(1988年 - 1990年)


  • シルバースラッガー賞4回(1987年、1988年、1990年、1991年)


  • オールスター出場5回(1989年 - 1992年、2002年)


  • リーグチャンピオンシップシリーズMVP1回(2002年)



詳細情報



年度別打撃成績



























































































































































































































































































































































































































































































































































































































































O
P
S

1986

SD
17 65 62 10 18 2 0 3 29 6 0 1 0 1 2 0 0 12 0 .290 .308 .468 .776

1987
146 572 546 64 164 33 2 18 255 79 21 12 1 4 16 2 5 112 12 .300 .324 .467 .791

1988
139 527 492 49 122 22 2 10 178 46 15 7 5 5 24 2 1 82 18 .248 .282 .362 .644

1989
129 494 462 50 109 16 3 16 179 62 11 6 3 2 26 6 1 89 9 .236 .277 .387 .664

1990
100 382 344 42 93 8 5 11 144 53 5 5 1 7 27 2 3 55 4 .270 .323 .419 .742

1991
152 614 580 60 155 22 3 17 234 87 8 10 0 7 23 5 4 114 21 .267 .296 .403 .699

1992
106 411 386 37 97 21 0 10 148 42 2 5 0 4 21 1 0 52 14 .251 .287 .383 .670

1993

FLA
139 515 469 49 108 19 6 13 178 50 10 7 0 4 37 2 5 88 9 .230 .291 .380 .671

1994
101 369 337 35 92 14 2 11 143 41 1 2 2 4 25 1 1 57 11 .273 .322 .424 .746

1995

CIN
81 296 266 40 76 20 0 11 129 44 2 2 0 2 24 1 4 48 7 .286 .351 .485 .836

1996

PHI
136 533 481 71 127 21 2 30 242 85 2 0 0 2 49 7 1 104 8 .264 .332 .503 .835

1997

TOR
97 366 341 31 83 10 0 13 132 42 1 0 1 5 17 1 2 80 10 .243 .279 .387 .666

1998
15 30 29 3 9 5 0 0 14 4 0 0 0 0 1 0 0 6 1 .310 .333 .483 .816

1999

CHC
109 386 350 28 87 18 3 7 132 36 1 1 0 2 32 6 2 71 13 .249 .313 .377 .690

2000
CIN
89 277 252 22 66 11 1 8 103 45 2 2 0 5 19 8 1 45 7 .262 .310 .409 .719

2001

SF
133 515 477 39 125 25 4 6 176 45 5 4 7 6 23 0 2 78 19 .262 .295 .369 .664

2002
126 517 478 56 133 24 5 16 215 74 4 2 3 7 27 8 2 73 19 .278 .315 .450 .765

2003
108 434 401 53 112 21 2 11 170 56 0 1 0 2 29 0 2 69 13 .279 .329 .424 .753

2004

KC
49 189 175 15 48 10 0 6 76 23 1 2 3 1 8 0 2 32 9 .274 .312 .434 .746

2005

PIT
6 23 23 1 6 1 1 0 9 0 0 0 0 0 0 0 0 3 1 .261 .261 .391 .652

MLB:20年
1978 7515 6951 755 1830 323 41 217 2886 920 91 69 26 70 430 52 38 1270 205 .263 .307 .415 .722

  • 各年度の太字はリーグ最高


脚注





  1. ^ Mitchell Report (PDF)” (英語). Office of the Commissioner of Baseball. pp. SR134-135. 2013年10月28日閲覧。


  2. ^ “What Bonds told BALCO grand jury” (英語). San Francisco Chronicle. 2013年10月28日閲覧。




関連項目



  • プエルトリコ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧

  • ミッチェル報告書に記述された選手一覧





外部リンク





  • 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube
















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