ブルキナファソ









ブルキナファソ

Burkina Faso











ブルキナファソの国旗 Coat of arms of Burkina Faso.svg
(国旗) (国章)


国の標語:Unité, Progrès, Justice
(フランス語: 統一、進歩、正義)


国歌:Une Seule Nuit(フランス語)
ある一夜


ブルキナファソの位置









































公用語

フランス語

首都

ワガドゥグー
最大の都市
ワガドゥグー

政府












大統領

ロック・マルク・クリスチャン・カボレ(英語版)

首相

ポール・カバ・ティエバ(英語版、フランス語版)


面積











総計

274,200km2(72位)
水面積率
0.1%


人口











総計(2012年)

17,500,000人(???位)

人口密度
50人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2013年) 5兆9,475億[1]CFAフラン


GDP (MER)





合計(2013年) 120億[1]ドル(127位)


GDP (PPP)











合計(2013年)
277億[1]ドル(119位)
1人あたり 1,638[1]ドル


独立
フランスより
1960年8月5日

通貨

CFAフラン (XOF)

時間帯

UTC (+0)(DST:なし)

ISO 3166-1
BF / BFA

ccTLD

.bf

国際電話番号
226



ブルキナファソ(フランス語: Burkina Faso)は、西アフリカに位置する共和制国家。北にマリ、東にニジェール、南東にベナン、トーゴ、南にガーナ、南西にコートジボワールと国境を接する内陸国である。首都はワガドゥグー。


第二次世界大戦後、1960年にオートボルタ(Haute-Volta, 上ボルタ)共和国として独立した。独立後、フランスから離れて非同盟路線を歩み、東側諸国と友好関係を築いたが、1987年以降はフランスとの関係を最重視している。現在の国名ブルキナファソは1984年に旧来の国名のオートボルタから改称された。




目次






  • 1 国名


  • 2 歴史


    • 2.1 モシ人


    • 2.2 フランス植民地時代


    • 2.3 独立


    • 2.4 サンカラ革命


    • 2.5 コンパオレ政権以後


    • 2.6 2015年クーデター




  • 3 政治


  • 4 国際関係


    • 4.1 日本との関係




  • 5 行政区画


    • 5.1 主要都市




  • 6 地理


  • 7 経済


  • 8 国民


    • 8.1 民族


    • 8.2 言語


    • 8.3 宗教


    • 8.4 教育




  • 9 文化


    • 9.1 食文化


    • 9.2 文学


    • 9.3 映画


    • 9.4 世界遺産


    • 9.5 祝祭日


    • 9.6 スポーツ




  • 10 著名な出身者


  • 11 脚注


  • 12 参考文献


  • 13 関連項目


  • 14 外部リンク





国名


フランス語・英語による正式国名はBurkina Fasoブルキナ共和国(Republic of Burkina)と表記する場合もある。国民・形容詞の英語はBurkinabe。


国名のブルキナはモシ語で「高潔な人」、ファソはジュラ語で「祖国」を意味する。



歴史




モシ人


11世紀、ワガドゥグーにモシ人の都市王国、ワガドゥグー王国(Ouagadougou)が成立し、その後は分裂、独立を繰り返した。


1441年にモシ王国(英語版)が成立してその首都となり、19世紀末まで国家として残った。



フランス植民地時代





モシ人の騎兵隊(1890年)。


1884年から1885年にかけて開催されたベルリン会議 (アフリカ分割)でヨーロッパ列強諸国がアフリカ分割の動きを強めると、西アフリカにはフランスが進出し、1896年にワガドゥグーにあったモシ王国がフランスの保護領となった。1898年には現在のブルキナファソに相当する領域全体がフランス保護下に入り、1904年に周辺諸国と共にセネガルのダカールを中心とする広大なフランス領西アフリカの一部としてフランス植民地帝国を構成した。



独立


第二次世界大戦後の1958年にフランス共和国の自治共和国となり、「アフリカの年」こと1960年にオートボルタ共和国(République de Haute-Volta)として独立した。オート・ボルタとはボルタ川の上流という意味である。初代大統領はモーリス・ヤメオゴであった。1961年にフランス共同体から離脱し、1966年にサンゴール・ラミザナによるクーデターが発生しヤメオゴは失脚、ラミザナは1980年にセイェ・ゼルボのクーデターで打倒されるまで、大統領を務めた。




サンカラ革命


1983年にブレーズ・コンパオレによるオートボルタ時代最後のクーデターが起こり、ジャン=バプティスト・ウエドラオゴ大統領は失脚、かつて首相でありながらも失脚していたトーマス・サンカラが大統領に就任した。サンカラは社会民主主義、革命的民主主義を掲げて社会主義路線を推進し、ブルジョワジーや伝統的首長、イスラームのマラブー(聖人)と対抗しながら、女性の地位向上、識字運動、福祉の向上などを図り、旧宗主国のフランスや領土問題を抱えていた隣国のマリ共和国と対立する一方で、キューバ、リビア、アンゴラ、モザンビーク、北朝鮮、ベナンなどの社会主義国と友好関係を築いた。1984年8月にサンカラは革命事業の一環として国名を「オート・ボルタ共和国」(「ヴォルタ川の上流の共和国」の意)から現在の「ブルキナ・ファソ」(「清廉潔白な人たちの国」の意)に変更し、自ら新国歌「ある一夜」の作詞もした。サンカラへの支持は国民からも高く、「アフリカのチェ・ゲバラ」の異名を取ったカリスマ的な政治家だった。サンカラ政権下の1985年に、ブルキナファソはen:Agacher Strip War(英語: Christmas War)にてマリ共和国と交戦した。



コンパオレ政権以後


1987年10月15日、サンカラが独裁的かつ行き過ぎた社会主義路線をとっているとして、側近のブレーズ・コンパオレがクーデターを起こし、サンカラは暗殺された。コンパオレは人民戦線を設置し、人民戦線議長(国家元首)に就任。1990年10月にサンカラ時代の急進的左翼路線を放棄し、複数政党制や大統領の直接選挙を柱とする憲法を国民投票にかけ、1992年には複数政党制による総選挙が実施され、大統領に選出された。以後、7年の任期を2回、任期の長さを批判されて短縮された5年の任期を2回、都合27年にわたり大統領として君臨。2014年、翌年の大統領選挙に向けて3選を禁止していた憲法の改正に着手しようとしたところ国民が反発し、同年10月には首都において数十人の死者が出る暴動に発展した(2014年ブルキナファソ反政府運動)。この混乱に対し、軍が収拾に乗り出し内閣を総辞職させ、夜間外出禁止令を出し政権を掌握。事実上、コンパオレ政権が崩壊した[2]



2015年クーデター



2015年9月16日、コンパオレとつながりのある大統領警備隊(フランス語版)兵士がミシェル・カファンド暫定大統領とイザック・ジダ暫定首相、ほか閣僚2名を拘束し、翌17日にクーデターを宣言した。クーデター派は国民民主評議会を設置し議長には、コンパオレ政権で参謀総長を務めたジルベール・ディエンデレを指名。暫定政権を解散させ、国境を封鎖し、夜間外出禁止令を出した[3]。同日、フランスのフランソワ・オランド大統領がクーデターに対する非難を表明[4]。18日、クーデター派は拘束していたカファンドと閣僚2人を解放。封鎖していた国境を開放した。同日、危機打開に向け、西アフリカ諸国経済共同体議長国セネガルのマッキー・サル大統領と、ベナンのヤイ・ボニ大統領がワガドゥグーに到着した。一方、アフリカ連合は平和安全保障理事会後、ブルキナファソの加盟国資格を即時停止を発表。クーデター参加者の渡航禁止と資産凍結を全加盟国に呼び掛けた[5]。21日、クーデターに反対する政府軍部隊が事態収拾を目指しワガドゥグーに入りクーデター派に武装解除を迫ったことにより、22日に拘束していたジダを開放し降伏に向けた協議に入る[6]
23日、交渉が妥結したことによりカファンドが暫定大統領に復帰し、クーデターの終結を宣言。カファンドの職務復帰から数時間後、ディエンデレもクーデターの終結を宣言し、反乱部隊と政府軍との全面戦闘は回避された[7][8]



政治




第6代大統領ブレーズ・コンパオレ


ブルキナファソは共和制、大統領制をとる立憲国家である。現行憲法は1991年6月11日に制定されたもの。


国家元首である大統領は、国民の直接選挙により選出され、任期は5年。3選は禁止されている。首相は国民議会との協議に基づき、大統領により任命される。内閣に相当する閣僚評議会のメンバーは、首相の推薦に基づき、大統領が任命する。



議会は一院制で、正式名称は国民議会。定数111議席。議員は比例代表制に基づく選挙で選出され、任期は5年である。


主要政党としては、第6大統領ブレーズ・コンパオレ率いる民主主義進歩会議 (CDP) があり、強力な与党として国政を支配している。野党勢力は脆弱だが、比較的有力なものに民主連邦同盟 (ADF) とアフリカ民主連合 (RDA) があり、この2党は国民議会において統一会派を組んでいる。



最高司法機関は最高裁判所である。



国際関係



ブルキナファソはかつて1961年12月から1973年10月まで台湾、1973年9月から1994年2月まで中国と国交を持っていた[9]。1994年2月から台湾と復交して中国と断交していたが、2018年5月24日に再度台湾との断交を発表し、5月26日に中国と復交した。なお、2017年に中国から500億ドルの供与を条件に中国との復交と台湾との断交を持ちかけられたが当時は断っている[10]



日本との関係


1960年のオート・ボルタ共和国の独立と同時に同国を承認、1979年より経済協力を開始した。当初は食糧援助や肥料等の援助が中心で、水、教育等に協力分野を広げ、今では保健、農業、環境と協力分野が広がっている。


2009年1月に在ブルキナファソ日本国大使館が開館した。経済協力分野に加え、日本国大使館や国際交流基金が主催する文化面での交流も活発に行われるようになった。また、2009年には同国では初めてとなる文部科学省国費留学生選考試験が行われるなど人物交流も盛んである。初代駐ブルキナファソ特命全権大使は杉浦勉が務めた。


2015年8月、前年より練習生として四国アイランドリーグplusの高知ファイティングドッグスに所属していたサンホ・ラシィナが高知球団と選手契約を結び、ブルキナファソで初めてプロリーグに所属する野球選手となった[11]



  • 在留日本人数 - 126人(2013年10月現在)[12]

  • 在日ブルキナファソ人数 - 57人(2013年)[13]



行政区画





ブルキナファソの地方




地形図


ブルキナファソは13地方、45県、301郡に分割されている。




  • ブクル・デュ・ムウン地方(Boucle du Mouhoun)(コッシ県・スル県・ナヤラ県・バレ県・バンワ県・ムフン県)


  • カスカード地方(Cascades)(コモエ県・レラバ県)


  • 中部地方(Centre)(カディオゴ県)


  • 中東部地方(Centre-Est)(クリテンガ県・クルペロゴ県・ブルグ県)


  • 中北部地方(Centre-Nord)(サンマテンガ県・ナメテンガ県・バム県)


  • 中西部地方(Centre-Ouest)(サンギエ県・シッシリ県・ジロ県・ブルキアンデ県)


  • 中南部地方(Centre-Sud)(ズンドウェオゴ県・ナウリ県・バゼガ県)


  • 東部地方(Est)(グナグナ県・グルマ県・コモンジャリ県・コンピエンガ県・タポア県)


  • 上流域地方(Hauts-Bassins)(ケネドゥグ県・トゥイ県・フエ県)


  • 北部地方(Nord)(ゾンドマ県・パッソレ県・ヤテンガ県・ロルム県)


  • 中央大地地方(Plateau-Central)(ウブリテンガ県・ガンズル県・クルウェゴ県)


  • サヘル地方(Sahel)(ウダラン県・スム県・セノ県・ヤガ県)


  • 南西部地方(Sud-Ouest)(イオバ県・ヌンビエル県・ブグリバ県・ポニ県)



主要都市



10万人以上の都市は首都のワガドゥグーとボボ・ディウラッソの2つである。



地理





ブルキナファソの地図




ヴォルタ川の色分け


ヴォルタ川沿いを除く全土にサバナが広がる。国土を白ヴォルタ川、黒ヴォルタ川が貫き、ヴォルタ川はガーナに至って最終的にはギニア湾に注ぐ。国土の北部はサヘル地帯にあたり、砂漠化が少しずつ進行している。


ケッペンの気候区分ではサバナ気候 (Aw)に相当する。




経済





首都ワガドゥグー




植民地時代に作られた鉄道駅(ボボ・ディウラッソ)


IMFの推計によると、2013年のブルキナファソのGDPは120億ドルである。一人当たりのGDPでは711ドルとなり、隣国のガーナやコートジボワールと比べると半分ほどで、世界平均の10%未満の水準にある。[1]


輸入超過を慢性的に計上しているが、1994年から貿易額自体が膨張し、赤字もふくらんでいる[14]


農業国であり、全世界の生産量ではソルガムがニジェール、マリに次ぐ6位、トウモロコシが10位を占める(2002年)。


14世紀ごろ豊富だった金鉱の採掘は、現代でも続いており、2008年の5トンから2009年には11トン以上に伸びている。1991年以来、鉱山地理局をふくむ国営企業の民営化を推進したことにより投資環境が整備された。その結果、2009年に鉱山開発権の付与数が前年比62件増の599件となり、同部門への投資額は約734億円に上った。外資の出所は、イギリス、カナダ、オーストラリア、アメリカなどの企業であるが、当然ながら多国籍企業もふくまれる。


人口過剰のため、周辺諸国への出稼ぎがさかん。特にコートジボワールのカカオ農園の労働者として多数のブルキナファソ人が働いているが、コートジボワール大統領だったコナン・ベディエの「イボワリテ」政策以降、労働条件が悪化。多数が帰国した。


国内で電力需給を賄うことができず、隣国から電力を輸入している。このため2030年を目標に電力需要の30%を太陽光発電で賄うことを目指しており、2017年には首都ワガドゥグ郊外に西アフリカ最大規模の出力33MWの太陽光発電所が建設されている[15]




国民




第2の都市ボボ・ディウラッソにあるイスラームの大モスク。




首都ワガドゥグーにあるカトリック教会の大聖堂。



民族


モシ人が約40%、プル人(フラニ人)、グルマンチェ人、グルンシ人、ボボ人、ロビ人、マンデ人などモシ人以外の民族が約60%を占める[16]



言語



公用語はフランス語であり、90%の国民がモシ語などニジェール・コンゴ語族のスーダン系言語を話している[16]



宗教


イスラームが60%、ローマ・カトリックが19%、アニミズムが15.3%、プロテスタントが4.2%、その他が0.6%、無宗教が0.4%である[16]。ブルキナファソのイスラームはスンナ派のマーリク法学派が優勢である。



教育


2003年の推計によれば、15歳以上の国民の識字率は21.8%(男性:29.4%、女性:15.2%)である[16]。2010年の教育支出はGDPの4%だった[16]



文化




食文化








文学








映画



1969年以降、首都のワガドゥグーではアフリカ最大の映画祭の一つであるワガドゥグ全アフリカ映画祭 (Festival panafricain du cinéma et de la télévision de Ouagadougou,FESPACO) が開催されている。



世界遺産



ブルキナファソ国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が1件存在する。



祝祭日















































































































日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 Jour de l'an
1月3日 1996年反乱記念日
3月8日 国際婦人デー Journée de la femme

春分の日以降の満月の
次の日曜日
復活祭 Pâques 変動あり
5月1日 メーデー Fête du Travail
復活祭から40日後 主の昇天 Ascension
復活祭から50日後 ペンテコステ Pentecôte
8月4日 人民共和国発足記念日 Anniversaire de la révolution
8月5日 独立祭 Fête de l'indépendance
8月15日 聖母被昇天 Assomption
10月15日 国家改善運動の日 Anniversaire de la rectification
11月1日 諸聖人の日 Toussaint 全ての聖人と殉教者を記念する日
12月11日 独立記念日 Fête nationale フランスの自治共和国になった日
12月25日 クリスマス Noël イエス・キリスト生誕

ヒジュラ暦第3月12日
預言者生誕祭 Mouloud 預言者ムハンマドのヒジュラ暦による誕生日
ヒジュラ暦第9月 ラマダーン Ramadan

イード・アル=アドハー Tabaski (Aïd el-Kebir) ラマダン明けから70日後


スポーツ







フランス出身のフィリップ・トルシエは1997年から1998年にかけてサッカーブルキナファソ代表監督を務め、同代表をアフリカネイションズカップ1998第4位に導き「白い呪術師」の異名を取った。



著名な出身者





  • イドリッサ・ウエドラオゴ - 映画監督。


  • ガストン・カボーレ - 映画監督。


  • ウィルフリード・サヌ - 同国出身のプロサッカー選手。


  • ムムニ・ダガノ - 同国代表の最多得点記録を持つ現役のプロサッカー選手。


  • トーマス・サンカラ - 政治家、革命家。


  • アラサン・ドラボ - 彫刻家。


  • サンホ・ラシィナ - 野球選手。



脚注


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  1. ^ abcde“World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年10月30日閲覧。


  2. ^ “反大統領デモ発生のブルキナファソ、軍が政権掌握を宣言”. AFPBBNews (フランス通信社). (2014年10月31日). http://www.afpbb.com/articles/-/3030460 2014年11月1日閲覧。 


  3. ^ “ブルキナファソ、大統領警備隊がクーデター宣言”. AFPBBNews (フランス通信社). (2015年9月17日). http://www.afpbb.com/articles/-/3060672 2015年9月19日閲覧。 


  4. ^ “クーデター非難=仏大統領”. シブヤ経済新聞 (みんなの経済新聞ネットワーク). (2015年9月19日). http://www.shibukei.com/gpnews/225945/ 2015年9月25日閲覧。 


  5. ^ “暫定大統領ら解放=AUは加盟資格停止発表-ブルキナファソ”. 時事ドットコム (時事通信社). (2015年9月19日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201509/2015091900081 2015年9月25日閲覧。 


  6. ^ “ブルキナファソ:反乱部隊が首相を解放 降伏に向け協議”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年9月22日). オリジナルの2015年9月24日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20150924222806/http://mainichi.jp/select/news/20150923k0000m030068000c.html 2015年9月25日閲覧。 


  7. ^ “ブルキナのクーデター失敗、暫定大統領が職務復帰”. AFPBBNews (フランス通信社). (2015年9月24日). http://www.afpbb.com/articles/-/3061052 2015年9月25日閲覧。 


  8. ^ “ブルキナファソ:全面戦闘回避し暫定政府大統領が復帰へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2015年9月24日). http://mainichi.jp/select/news/20150924k0000e030205000c.html 2015年9月25日閲覧。 


  9. ^ Shinn, David H.; Eisenman, Joshua (2012). China and Africa: A Century of Engagement. Philadelphia: University of Pennsylvania Press. p. 248. ISBN 081-220-800-5. 


  10. ^ “中国、台湾との断交提案 ブルキナに5兆円示す “金銭外交”露呈”. 産経ニュース. (2017年1月26日). http://www.sankei.com/world/news/170126/wor1701260028-n1.html 2017年1月26日閲覧。 


  11. ^ “ラシィナ選手とFDが契約 ブルキナ出身者初めてプロ昇格”. 高知新聞. (2015年8月26日). http://www.kochinews.co.jp/il/15il/150826news02.htm 2015年8月29日閲覧。 


  12. ^ 外務省 ブルキナファソ基礎データ


  13. ^ 外務省 ブルキナファソ基礎データ


  14. ^ ブルキナファソ国立統計人口動態研究所「2008年版統計年鑑」2009年4月


  15. ^ 西アフリカ最大の太陽光発電所、運転開始 ブルキナファソ AFP(2017年12月14日)2017年12月14日閲覧

  16. ^ abcdeCIA World Factbook "Burkina Faso"2013年7月3日閲覧。




参考文献


  • 岩田拓夫 「アフリカの革命政権再考――トマ・サンカラが遺したもの」『宮崎大学教育文化学部紀要. 社会科学』 宮崎大学、2008年9月30日、1-23頁。


関連項目







  • ブルキナファソ関係記事の一覧(英語版)

  • ブルキナファソの都市の一覧

  • ワガドゥグ全アフリカ映画祭

  • ソナポスト



外部リンク


  • 政府


    • ブルキナファソ政府 (フランス語)


    • 駐日ブルキナファソ大使館 (日本語)




  • 日本政府


    • 日本外務省 - ブルキナファソ (日本語)


    • 在ブルキナファソ日本国大使館 (日本語)



  • 観光

    • 日本ブルキナファソ友好協会 (日本語)


  • 報道
    • ブルキナファソ見聞録 岡田綾(JICA職員)
















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