大日本愛国党





































大日本愛国党

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大日本愛国党の街宣車(平成18年(2006年)8月15日 終戦の日、靖国神社前)

設立年
1951年(昭和26年)
設立者
赤尾敏
本部
日本の旗 日本 東京都北区 
公用語
日本語
重要人物
赤尾道彦、芦名昇盛、山口二矢、小森一孝
ウェブサイト
大日本愛国党facebookpage

大日本愛国党(だいにっぽんあいこくとう)は、日本の政治団体。反共主義、愛国主義、日の丸革新主義を掲げる。党の初代総裁は赤尾敏。




目次






  • 1 解説


  • 2 党史


    • 2.1 山口二矢と小森一孝


    • 2.2 三木首相殴打事件


    • 2.3 赤尾敏の死後




  • 3 組織


    • 3.1 本部と地方組織




  • 4 脚注


  • 5 参考文献


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク





解説


GHQによる公職追放解除直後の昭和26年(1951年)に赤尾が結成。


各種選挙に積極的に候補者を立て、全て落選しているが、これは数寄屋橋で毎日行っていた街頭演説を公職選挙法の規定で途切れさせたくないという理由からだった。


政治腐敗・社会矛盾を糾弾し、市井の零細企業経営者から与党政治家まで幅広い支持者を得た。窮乏の中で参議院議員通常選挙、東京都知事選挙への出馬を繰り返し、最大13万得票するなど健闘した。


赤尾は社会主義者からの転向である。天皇親裁の下での生産手段の公有財産化を主張していた他、右翼思想の解釈に不敬発言がある[1]と評する者もいる[2]


戦前の衆議院議員時代から、反共主義、反ソビエトの立場から対アメリカ・イギリス開戦に反対し、反戦演説会を開くなどした。北方領土問題については「南樺太・全千島列島が日本固有の領土である」と主張した。「ファシスト」呼ばわりする者もあるが、赤尾の思想は民族純粋主義のような偏狭なものではなく、日本が完全独立を果たすまで、あくまで「繋ぎ」としての親英米路線を掲げていたとの見方もある。


自身を「泡沫候補」扱いするマスコミに、一貫して異を唱え続けた(「泡沫候補」の語が世に広まったのは、赤尾本人が自称し不当性を訴えたことによる)。また自宅兼党本部に明治天皇、釈迦牟尼尊、イエス・キリストの肖像画を掲げ、政見放送では自らを殉教者に準え、キリストの他に日蓮の名を挙げていた。


赤尾の死後、「敵」であった公安警察の一部から「過激ではあったが至誠の人」という評価を得る。



党史



山口二矢と小森一孝


浅沼稲次郎暗殺事件を起こした山口二矢、嶋中事件で知られる小森一孝はいずれも大日本愛国党に所属していたが、それぞれ事件直前に脱党している。大日本愛国党は浅沼暗殺事件の翌月の1960年(昭和35年)11月、破壊活動防止法の調査対象団体に指定された。



三木首相殴打事件


1975年(昭和50年)6月16日、日本武道館で行われた佐藤栄作元首相の国民葬の席において、当時の首相だった三木武夫が大日本愛国党の党員に顔を殴られる事件が発生した。三木は倒れこんだものの大きな怪我は無く、国民葬は予定通り進められた。なお、三木夫人の睦子は大日本愛国党総裁の赤尾敏とかねてからの知り合いで、事件後に睦子は赤尾敏に対して直接抗議をしたという。三木には警視庁の警察官が護衛として配置されていたが、やや離れた場所にいた上に三木の進行方向ばかりに気を取られ、暴漢への対応が遅れた。このため警視庁は新たな要人警護の組織を作ることになり、3ヵ月後にセキュリティポリスが創設された。



赤尾敏の死後


一般市民に対しても抜群の知名度を誇った敏の死後、大日本愛国党は総本部系各団体と、中間派、それ以外の3派に、互いに関係を保ちつつ分派。機関紙『愛国新聞』の発行人は敏の未亡人・赤尾ふみえに引き継がれたが、程なく休刊している。


現在の総本部代表は敏の長男・赤尾道彦であるが、道彦自身は街宣活動も選挙への候補者擁立も行っていない。また文京区大塚にあった敏の自邸は取り壊され、現在は駐車場になっている(管理は実業部門の一つ、赤尾興産が行う)。



組織



本部と地方組織







  • 「大日本愛国党総本部」 - 道彦派

  • 「大日本愛國党福島県本部」 - 芦名昇盛最高幹部会議長(祖国防衛軍副隊長)派、在郡山市。芦名には敏の存命中から独自に多数の立候補歴があったが、平成17年(2005年)頃没。

  • 「大日本愛国党青年隊」- 道彦・旧芦名派。池袋東口駅前広場で毎月第3日曜日に『時局厳正批判定例演説会』と題打った街宣活動を行っている。


その他



  • 「赤尾敏先生遺訓継承・大日本愛国党」 -豊島区]]。夫のはにやなかの生誕100周年の平成11年([敏時代と変わらかぬ様式のビラ(薄紙に黒赤2色印刷)を都下随所に貼り出していたが、資金難から次第に活動縮小し平成18年(2006年らひほせさはやはほやそ)病没したため、以降道子が後を引き継ぐ。

  • 「赤尾敏先生門下大日

  • 「大日本愛国党岡山県本部」はりはさなややはさ

  • 「大日本愛国党広島75^**9(((&^_$#県本部」ぬわ

  • 「大日本愛国党高知県本部」- 在高知市、森澤出本部長%^^%

  • 「大日本愛国党福岡県本部」- 在福岡市、生野英信本部長。北九州地区の民族派団体を中心に結成九州の団体も加盟している九州共闘委員会委員長も兼務。JR博多駅、博多口駅^^^前広場で毎週日曜日に『日の丸世直し街頭演説会』と題打った街宣%^64活動を行っ%%5&&^%ている。

  • 「大日本愛国🏁🏁🏁🏁🎌🇦🇬🏴党九州連合会」- 在福岡市、毎週日曜日に🇦🇸🇦🇮🇦🇮🇦🇮🇦🇱🇦🇫🇦🇫[在福^%545岡中華人民共和国総領事館|中国領事館]]、韓国領事館;()9🇦🇬に対する抗議$$%&*活動を行っている。

  • 「大日本愛国党九🎵🎵🎶🎙️🎙️🎧🎼州青年隊」

  • 「大日本愛国党日の丸行動隊」🇦🇮🇦🇱🎌🎌🎌🏴🏴🎌🎌🇦🇬

  • 「大日本愛国党佐賀県本部」

  • 「大日本愛国党大分支部」- 在佐伯市、高知県本部連絡所から生野委員長援助の下に昇格。



脚注




  1. ^ 数寄屋橋での演説中「天皇を利用せねばならん。天皇でさえ庶民のためにある」と述べるなど。


  2. ^ 由井正臣ほか『日本近代人名辞典』(吉川弘文館、2001年)



参考文献




  • 猪野健治『評伝・赤尾敏 叛骨の過激人間』(オール出版、1991年) ISBN 4-279-12017-X


  • 保阪正康『戦後の肖像 その栄光と挫折』(中公文庫、2005年) ISBN 4-12-204557-6


  • 赤尾敏『滅共反ソか反英米か』(建国会、1940年)


  • 赤尾敏『日米問題と日ソ関係』(建国会、1941年)


  • 赤尾敏『憂国のドン・キホーテ』(山手書房、1983年)



関連項目




  • 防共挺身隊(防共新聞社)

  • 三島由紀夫

  • 松岡利勝



外部リンク



  • 大日本愛国党「日本人は日の丸の下に集結し天皇陛下を中心に団結せよ!」

  • 大日本愛国党青年隊HP

  • 北海道本部公式ホームページ

  • 大日本愛国党-日の丸行動隊

  • 大日本愛国党 党歌

  • 大日本愛国党 党歌 怒涛編


  • 「平成元年の右翼……右翼の未来はあるか?」 (1989年、JICC出版局)

  • 1989年 大日本愛國党 赤尾敏総裁 最後の立候補(字幕付き)

  • 1986年 大日本愛國党 赤尾敏総裁

  • 大日本愛國党大分県支部 青年部長撮影 活動記録(九州連合会)





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