サイモン・ヴィーゼンタール



















サイモン・ヴィーゼンタール
Simon Wiesenthal

Simon Wiesenthal (1982).jpg
生誕
1908年12月31日
Flag of Austria-Hungary (1869-1918).svg オーストリア=ハンガリー帝国
Flag of Galicia-Lodomeria 1890-1918.svg ガリツィア・ロドメリア王国 ブチャチ

死没
(2005-09-20) 2005年9月20日(96歳没)
 オーストリア ウィーン
職業
サイモン・ウィーゼンタール・センター代表

サー・サイモン・ヴィーゼンタールSir Simon Wiesenthal、1908年12月31日 - 2005年9月20日)は、ドイツのナチス政権下時代の戦犯の追及者(ナチ・ハンター)として知られるオーストリア人ユダヤ教徒である。名はドイツ語風に「ジーモン」とも表記される。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 生い立ち


    • 1.2 ホロコースト


    • 1.3 ドイツ人犯罪者の追跡


    • 1.4 サイモン・ウィーゼンタール・センター


    • 1.5 引退


    • 1.6 死去




  • 2 小説


  • 3 著作


  • 4 関連項目


  • 5 脚注


  • 6 外部リンク





経歴



生い立ち


オーストリア・ハンガリー帝国領ガリツィア地方のブチャチ(英語版)に生まれた[1]。当時、彼の名前は Szymon Wiesenthal(シモン・ヴィーゼンタール)と綴られている。地元のルヴフ工科大学(英語版)への進学を希望したが、ユダヤ人入学枠の制限から入学できず、チェコスロバキアのプラハ工科大学に進んだ。



ホロコースト


大学では建築家を志して勉強していたが、反ユダヤ人を唱えるアドルフ・ヒトラー率いるドイツによるチェコスロバキア併合が行われた。さらに1939年9月に第二次世界大戦が始まると、間もなくドイツ政府のユダヤ人迫害政策によって強制収容所に収容された。


その後、ヴィーゼンタールは夫人を始めとする家族を失った他、親族のうち計89人がホロコーストの犠牲となった。しかし自身は1945年5月のアメリカ軍によるマウトハウゼン強制収容所解放まで生き残ることができた。



ドイツ人犯罪者の追跡




裁判時のアイヒマン


第二次世界大戦後、ヴィーゼンタールとウィーンに本拠を置くユダヤ人迫害記録センター(ドイツ語版、英語版)は、アルゼンチンやブラジル、チリなどの南アメリカ諸国や、エジプトやシリアなどの中東諸国を中心に、世界中に逃亡したナチス政権下のドイツ人犯罪者の捜索に動き出した。なお彼らまたは彼女らは戦時中よりドイツに協力的で、そしてその後も反共産主義という共通点のあったバチカンやフランシスコ会などの協力の下に逃亡していた。


ヴィーゼンタールはその行動力と情報網を駆使し、多くのナチス政権下のドイツ人犯罪者の逮捕に関与した。その中にはアンネ・フランクを強制収容所に送り込んだゲシュタポのカール・ヨーゼフ・ジルバーバウアー[2]、ソビボル強制収容所の看守グスタフ・ワーグナーなどが含まれる。多くの妨害を受けながらも、マルティン・ボルマンやヨーゼフ・メンゲレなどの戦犯を追い続けた。1962年にはイスラエル諜報特務庁に情報提供して、アルゼンチンに潜伏中のアドルフ・アイヒマン逮捕に関与した。


また、ヴィーゼンタールは1970年代にオーストリアでブルーノ・クライスキーが内閣を組閣する際、数人の大臣が過去にナチス党員だったことを指摘した。これに対してクライスキーは、自身がユダヤ人だったため、ヴィーゼンタールを「身内の悪口を言う人」として非難した。



サイモン・ウィーゼンタール・センター


1977年にはアメリカ合衆国のカリフォルニア州ロサンゼルスに寛容博物館(英語版)が設立された。これは「ホロコーストの記憶を風化させないための施設」とされている。


この博物館の運営団体としてマーヴィン・ハイヤー(英語版)によって設立された組織は、世界のユダヤ人の人権を守る運動を行う組織としても活動している。この組織はウィーゼンタールを顕彰して、「サイモン・ウィーゼンタール・センター」と名付けられた。ヴィーゼンタールは命名料などの支払を受けたが、組織の運営などにはほとんど関与できなかった。



引退


2003年4月にヴィーゼンタールは引退を発表した。『私は生き残った全ての犯罪者を見つけだした。もし生き残っている者がいれば、彼らは年を取りすぎて今裁判を受けることは出来ないだろう。私の仕事は終わった』と語った。ヴィーゼンタールによれば、当時まだ生きているとされていたただ1人のオーストリア人戦犯はアイヒマンの片腕だったアロイス・ブルンナー(1912年生まれ)で、シリアに潜伏していると言われていたが、2018年現在既に死亡したとみられている。


ヴィーゼンタールの引退後の2004年2月に、イギリス政府は「人間性のための一生の奉仕」に対してという名目で、ヴィーゼンタールのこれまでの活動を称えてナイトの称号を与えることを決定した。また、フランス政府からはレジオンドヌール勲章を贈られている。



死去


2005年にヴィーゼンタールはウィーンの自宅で老衰で死去した。96歳であった。生涯で約1100人のドイツを中心としたナチス党員の犯罪者やドイツ軍の戦犯の逮捕に貢献したといわれている。ヴィーゼンタールの訃報を聞いたイスラエルのモシェ・カツァブ大統領は、ヴィーゼンタールを「この世代の最も偉大な闘士」と呼んで称えた。



小説


アイラ・レヴィンの小説『ブラジルから来た少年』の登場人物の『ヤコフ・リーベルマン』は、ヴィーゼンタールがモデルとなっている。また、フレデリック・フォーサイスの小説『オデッサ・ファイル』でもドイツ人ジャーナリストに情報を与える役で登場している。



著作



  • 『殺人者はそこにいる』中島博訳、朝日新聞社、1968年

  • 『希望の帆 コロンブスの夢、ユダヤ人の夢』徳永恂・宮田敦子訳、新曜社、1992年

  • 『ナチ犯罪人を追う S・ヴィーゼンタール回顧録』下村由一・山本達夫訳、時事通信社、1998年

  • 『ひまわり ユダヤ人にホロコーストが赦せるか』松宮克昌訳、原書房、2009年



関連項目



  • アドルフ・ヒトラー

  • アウシュヴィッツ

  • マルコポーロ事件



脚注


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  1. ^ 篠田航一 『ナチスの財宝』 講談社、2015年、118頁。.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit}.mw-parser-output .citation q{quotes:"""""""'""'"}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/6/65/Lock-green.svg/9px-Lock-green.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg/9px-Lock-gray-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/a/aa/Lock-red-alt-2.svg/9px-Lock-red-alt-2.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration{color:#555}.mw-parser-output .cs1-subscription span,.mw-parser-output .cs1-registration span{border-bottom:1px dotted;cursor:help}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/4/4c/Wikisource-logo.svg/12px-Wikisource-logo.svg.png")no-repeat;background-position:right .1em center}.mw-parser-output code.cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:inherit;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-visible-error{font-size:100%}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#33aa33;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-subscription,.mw-parser-output .cs1-registration,.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right,.mw-parser-output .cs1-kern-wl-right{padding-right:0.2em}
    ISBN 978-4-06-288316-0。



  2. ^ ヴィーゼンタール 『ナチ犯罪人を追う S・ヴィーゼンタール回顧録』p. 377-378 下村由一、山本達夫訳、時事通信社、1998年。ISBN 978-4788798090




外部リンク










  • バイオグラフィー








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