プリンス・オブ・ウェールズ







プリンス・オブ・ウェールズの羽根の紋章




現在のプリンス・オブ・ウェールズ、チャールズ王太子の紋章。紋章中央にインエスカッシャンされている赤と黄金の獅子の紋章が古プリンス・オブ・ウェールズ以来のプリンス・オブ・ウェールズの紋章である。


プリンス・オブ・ウェールズ(ウェールズ語: Tywysog Cymru、英語: Prince of Wales)は、グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国(イギリス)で王子に与えられる称号のひとつで、ウェールズの君主「ウェールズ公」を意味する。14世紀以来、次期国王として王位を継承すべきイングランド国王(後にはグレートブリテン国王、連合王国国王)の最年長の王子がこの称号を与えられるようになり、王位の法定推定相続人の称号となった。現在は女王エリザベス2世の長男チャールズがプリンス・オブ・ウェールズである。


日本では、この称号を帯びる第一王位継承者(Crown prince)のことを皇太子と訳すことが多いが、「王太子」と訳すこともある。なお、"Prince of Wales" を「ウェールズ皇太子」や「ウェールズ王太子」と訳すこともあるが、この「prince」は君主を意味する語であって皇太子や王太子の意味では用いられていないため、誤訳と言ってよい(詳細は後述)。また、第一王位継承者が女性の場合、2013年王位継承法制定まで弟が生まれる可能性がほぼ無い場合であっても推定相続人のため、当該女性にはこの称号は付与されなかった(例えば、エリザベス2世は王位継承前には「エディンバラ公爵夫人エリザベス王女(The Princess Elizabeth, Duchess of Edinburgh)」と呼ばれていた)。


プリンス・オブ・ウェールズは、「殿下」(His Royal Highness)の敬称で呼ばれ、その妻はプリンセス・オブ・ウェールズ(Princess of Wales、ウェールズ大公妃あるいはウェールズ公妃)の称号を帯びる。ただし、現在のプリンセス・オブ・ウェールズであるチャールズの妻のカミラは、国民的人気が高い前妻のダイアナに遠慮し、コーンウォール公爵夫人(スコットランドにおいてはロスシー公爵夫人)の称号を名乗っている。




目次






  • 1 起源


  • 2 プリンス・オブ・ウェールズ一覧


    • 2.1 アバフロー家


    • 2.2 プランタジネット家


    • 2.3 ランカスター家


    • 2.4 ヨーク家


    • 2.5 テューダー家


    • 2.6 ステュアート家


    • 2.7 ハノーヴァー家


    • 2.8 サクス=コバーグ=ゴータ家/ウィンザー家


    • 2.9 マウントバッテン=ウィンザー家




  • 3 関連項目





起源


もともとプリンス・オブ・ウェールズの称号は、グウィネズ地方のウェールズ人支配者(公)、ルウェリン・ザ・ラストことルウェリン・アプ・グリフィズがウェールズのほぼ全域のウェールズ人諸侯に支配力を及ぼして、全ウェールズの君主としてプリンス・オブ・ウェールズの称号を名乗ったことに始まる。この場合のプリンスは王子の意味ではなく、君主(元は「第一人者」の意)、すなわち「公」あるいは「大公」と訳される地位のことであり、現在でもアンドラ公国、モナコ公国、リヒテンシュタイン公国において用いられている(princeの語源も参照)。なお、イギリスの王子が一般に「プリンス」と称するのはハノーヴァー朝以降である。


ウェールズ諸侯の名目上の主君であるイングランド王ヘンリー3世は、1267年にルウェリンをプリンス・オブ・ウェールズとして承認し、ここにウェールズ公国(Principality of Wales)が成立した。しかし、ヘンリー3世を継いだイングランド王エドワード1世はルウェリンと対立、1282年から1283年のウェールズ侵攻で、ルウェリンを敗死に追い込み、ルウェリンの弟ダフィズを処刑してその一族を滅ぼした。


エドワードはルウェリンの作ったウェールズ公の黄金の冠をイングランドに持ち去ってウェストミンスター寺院に安置すると、ウェールズ公国をイングランド王の所領に定め、グウィネズを始めとするウェールズ諸侯領を奪ってウェールズ公直轄領とした。王宮所在地はグウィネズのカーナーヴォン城に定められるが、1284年、ここでエドワード1世の子エドワード(後のエドワード2世)が生まれた。


1301年、エドワード1世はウェールズ人の反乱を抑えるため、王子エドワードにプリンス・オブ・ウェールズの称号を授けてウェールズの名目上の君主とした。このために、身重の王妃エリナーを当時ウェールズ侵攻の前線基地であったカーナーヴォン城に連れて行き、そこで王子を出産させたのである。エドワード2世をウェールズ人に「ウェールズ生まれの」支配者として受け入れさせるためであった。エドワード1世はウェールズの諸侯に赤ん坊を見せて「ウェールズ生まれで英語を話さない」と即位を認めさせた、という逸話がある(ただし、当時のイングランド王は英語ではなくフランス語を常用していたため、この逸話の真実性には疑問がある)。


のちにエドワード2世の子エドワード3世が1343年、自身の長男で第一王位継承者のエドワード(黒太子)にプリンス・オブ・ウェールズの称号を与え、エドワードがイングランド王位を継ぐ前に死去すると、プリンス・オブ・ウェールズはその長男の次期国王リチャード(2世)に譲られた。こうしてイングランドの次期国王がプリンス・オブ・ウェールズとなる慣例が定着し、現在に至るまで続いている。



プリンス・オブ・ウェールズ一覧



アバフロー家



























肖像
名前
生没年
付記

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ダフィズ・アプ・ルウェリン
1244年 - 1246年
1212年3月 - 1246年2月25日


Llywelyn le Dernier.jpg



ルウェリン・アプ・グリフィズ
1246年 - 1282年
1228年頃 - 1282年12月11日
ダフィズの甥。

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ダフィズ・アプ・グリフィズ
1282年 - 1283年
1238年7月11日 - 1283年10月3日
ルウェリンの弟。


プランタジネット家



























肖像
名前
生没年
付記

Edward II of England1.jpg



エドワード
1301年 - 1307年
1284年4月25日 - 1327年9月21日

イングランド王エドワード1世の四男。後のイングランド王エドワード2世。

Plantagenet, Edward, The Black Prince, Iconic Image.JPG



エドワード
1343年 - 1376年
1330年6月15日 - 1376年6月8日
エドワード2世の孫。

RichardIIWestminsterHead.JPG



リチャード
1376年 - 1377年
1367年1月6日 - 1400年2月14日
エドワード黒太子の次男。後のイングランド王リチャード2世。


ランカスター家





















肖像
名前
生没年
付記

Henry5.JPG



ヘンリー
1399年 - 1413年
1387年9月16日 - 1422年8月31日
リチャード2世の従兄ヘンリー4世の次男。後のイングランド王ヘンリー5世。

Edward.4.plantagenet.jpg



エドワード
1454年 - 1471年
1453年10月13日 - 1471年5月4日
ヘンリー5世の孫。


ヨーク家





















肖像
名前
生没年
付記

King Edward V from NPG.jpg



エドワード
1471年 - 1483年
1470年11月4日 - 1483年7月6日
ヘンリー5世のはとこリチャード・プランタジネットの孫。後のイングランド王エドワード5世。

Edward of Middleham (geograph).jpg



エドワード
1483年 - 1484年
1473年頃 - 1484年4月9日
エドワード5世の従弟。


テューダー家



























肖像
名前
生没年
付記

Arthur Prince of Wales c 1500.jpg



アーサー
1489年 - 1502年
1486年9月20日 – 1502年4月2日
リチャード・プランタジネットのはとこジョン・ボーフォートの曾孫。

HenryVIII 1509.jpg



ヘンリー
1504年 - 1509年
1491年6月28日 - 1547年1月28日
アーサーの弟。後のイングランド王ヘンリー8世。

Portrait of Edward VI of England.jpg



エドワード
1537年 - 1547年
1537年10月12日 - 1553年7月6日
ヘンリー8世の息子。後のイングランド王エドワード6世。


ステュアート家

































肖像
名前
生没年
付記

Henry Prince of Wales 1610 Robert Peake.jpg



ヘンリー・フレデリック
1610年 - 1612年
1594年2月19日 - 1612年11月6日
エドワード6世の従兄のスコットランド王ジェームズ5世の曾孫。

Charles I (Prince of Wales).jpg



チャールズ
1616年 - 1625年
1600年11月19日 - 1649年1月30日
ヘンリー・フレデリックの弟。後のイングランド王チャールズ1世。

Charles II when Prince of Wales by William Dobson, 1642.jpg



チャールズ
1638年 - 1649年
1630年5月29日 - 1685年2月6日
チャールズ1世の次男。後のイングランド王チャールズ2世。

James Francis Edward Stuart c. 1703 attributed to Alexis Simon Belle.jpg



ジェームズ・フランシス・エドワード
1688年
1688年6月10日 - 1766年1月1日
チャールズ2世の甥。


ハノーヴァー家

































肖像
名前
生没年
付記

King George II by Charles Jervas.jpg



ジョージ・オーガスタス
1714年 - 1727年
1683年11月10日 - 1760年10月25日
ジェームズ・フランシス・エドワードのはとこのグレートブリテン王ジョージ1世の長男。後のグレートブリテン王ジョージ2世。

Frederick Lewis, Prince of Wales by Philip Mercier.jpg



フレデリック・ルイス
1729年 - 1751年
1707年2月1日 - 1751年3月31日
ジョージ2世の長男。

George III As Prince of Wales.jpg



ジョージ・ウィリアム・フレデリック
1751年 - 1760年
1738年6月4日 - 1820年1月29日
フレデリック・ルイスの長男。後のグレートブリテン王ジョージ3世。

George IV bust1.jpg



ジョージ・オーガスタス・フレデリック
1762年 - 1820年
1762年8月12日 - 1830年6月26日
ジョージ3世の長男。後のグレートブリテン王ジョージ4世。


サクス=コバーグ=ゴータ家/ウィンザー家



























肖像
名前
生没年
付記

Prince of Wales00.jpg



アルバート・エドワード
1841年 - 1901年
1841年11月9日 - 1910年5月6日
ジョージ4世の弟エドワードの孫。後のイギリス王エドワード7世。

George V of the United Kingdom01.jpg



ジョージ・フレデリック・アーネスト・アルバート
1901年 - 1910年
1865年6月3日 - 1936年1月20日
エドワード7世の次男。後のイギリス王ジョージ5世。

Bundesarchiv Bild 102-13538, Edward Herzog von Windsor.jpg



エドワード・アルバート・クリスチャン・ジョージ
1910年 - 1936年
1894年6月23日 - 1972年5月28日
ジョージ5世の長男。後のイギリス王エドワード8世。


マウントバッテン=ウィンザー家















肖像
名前
生没年
付記

Prince Charles 2012.jpg



チャールズ・フィリップ・アーサー・ジョージ
1958年 -
1948年11月14日 -
エドワード8世の弟のイギリス王ジョージ6世の孫。


関連項目



  • イギリス王室

  • ウェールズの君主

  • プリンス・オブ・ウェールズの羽根

  • プリンス・オブ・ウェールズ (戦艦)

  • プリンス・オブ・ウェールズ (空母)

  • プリンス・オブ・ウェールズ (紅茶)

  • プリンスオブウェールズステークス (イギリス)

  • プリンスオブウェールズステークス (カナダ)

  • エスケープ事件


  • ドーファン(フランス王国の王太子の称号)


  • アストゥリアス公(スペイン王家の法定推定相続人の称号)


  • ブラバント公(ベルギー王家の法定推定相続人の称号)




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