川上憲伸































































川上 憲伸

Kenshin Kawakami on August 3, 2009.jpg
ブレーブス時代(2009年)

基本情報
国籍
日本の旗 日本
出身地
徳島県徳島市
生年月日
(1975-06-22) 1975年6月22日(43歳)
身長
体重

179 cm
90 kg
選手情報
投球・打席
右投右打
ポジション
投手
プロ入り
1997年 ドラフト1位(逆指名)
初出場
NPB / 1998年4月9日
MLB / 2009年4月11日
最終出場
MLB / 2010年9月9日
NPB / 2014年5月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)



  • 徳島県立徳島商業高等学校

  • 明治大学


  • 中日ドラゴンズ (1998 - 2008)


  • アトランタ・ブレーブス (2009 - 2010)

  • 中日ドラゴンズ (2012 - 2015)



国際大会
代表チーム
日本の旗 日本
五輪
2008年

川上 憲伸(かわかみ けんしん、1975年6月22日 - )は、徳島県徳島市出身の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。右投右打。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 プロ入り前


    • 1.2 中日時代


    • 1.3 ブレーブス時代


    • 1.4 中日復帰


    • 1.5 中日退団後


    • 1.6 現役引退




  • 2 選手としての特徴


    • 2.1 投球


    • 2.2 打撃


    • 2.3 守備




  • 3 人物


  • 4 詳細情報


    • 4.1 年度別投手成績


    • 4.2 タイトル


    • 4.3 表彰


    • 4.4 記録


    • 4.5 背番号




  • 5 脚注


  • 6 関連項目


  • 7 外部リンク





経歴



プロ入り前


徳島商業高校時代は第75回全国高等学校野球選手権大会に4番・エースとして出場し、2回戦の久慈商業戦では最大7点差を逆転して勝利するなど,準々決勝まで進出した。その後明治大学二部商学部に進学。


大学でもエースになると、4年時には主将として活躍。大学3年時の(1996年)東京六大学野球秋季リーグ優勝(全勝優勝)に貢献した。慶應義塾大学の高橋由伸とは同期のライバルとして好勝負を繰り広げた。リーグ通算57試合登板、28勝15敗、防御率2.14、311奪三振。ベストナイン3回。


1997年のドラフト会議直前の10月31日に、大学の先輩・星野仙一監督の率いる中日ドラゴンズへの逆指名を表明した[1]。ドラフト会議では、中日が川上の単独1位で交渉権を獲得。契約金1億円、出来高払い5,000万円、年俸1,300万円(金額は推定)という条件で入団した[2]



中日時代


1998年には、公式戦の開幕から、一軍の先発陣に定着。14勝6敗という成績で、セントラル・リーグの新人王に選出された[3]


1999年には公式戦で開幕投手を務めたが、10月2日の対横浜ベイスターズ戦では、7回を投げて19被安打(当時のリーグワースト記録)、14失点(当時のリーグ最多タイ記録)と打ち込まれた。チームのリーグ優勝で迎えた日本シリーズでは、チーム唯一の勝ち星を挙げたことから、敢闘選手賞を受賞した。


2000年には、急性感音性難聴を患ったこともあって、シーズンを通じて不調。一軍公式戦では2勝3敗に終わった。


2001年には、一軍公式戦で6勝しか挙げられず、プロ入り初の二桁敗戦を喫する。


2002年には、一軍の開幕投手に内定していた。しかし、足の深爪によって、二軍(ウエスタン・リーグ)の開幕投手に回った。一軍に復帰してからは、シーズン終盤まで最優秀防御率のタイトルも狙えるほどにまで復調。8月1日の対読売ジャイアンツ(巨人)戦(東京ドーム)では、1四球を出しただけで、NPB史上70人目(81度目)のノーヒットノーランを達成。自身の対巨人戦連敗も9で止めた。2003年には、4月のリーグ月間MVPに選ばれたが、5月に右肩関節唇の損傷で戦線を離脱。残りのシーズンを棒に振った。


2004年は、開幕投手最有力だったがこの年監督に就任した落合博満は川崎憲次郎を起用した[4]。チームのリーグ優勝に貢献するとともに、リーグ最優秀選手、沢村賞など合計9つのタイトルを獲得。5月15日の対横浜戦では、7回2死2塁で迎えた打席で2点本塁打を放って両チーム唯一の打点を挙げると、2対0のスコアで完封勝利を挙げた。西武ライオンズとの日本シリーズでは、初戦と第5戦に先発。初戦では、7回2失点と好投したが、敗戦投手になった。チームの2勝2敗で迎えた第5戦では、8回1失点という内容で勝利。しかし、チームは第6・7戦に連敗したため、日本一を逃した。


2005年では、一軍で自身2年振りの開幕投手を務めた。5月20日の対千葉ロッテマリーンズ戦(交流戦)では、8回途中まで完全試合のペースで好投。8回に李承燁に本塁打を打たれたが、被安打はこの本塁打のみで、スタメン全員から三振を奪って無四球完投勝利を達成した。シーズン途中までは10勝3敗と好調だったが、シーズン後半は1勝5敗と不振。阪神タイガースの主砲・金本知憲には、15打数で被安打8、被本塁打4と打ち込まれた。


2006年には、6月6日の対ロッテ戦に、9回を1安打2四球という内容で完封勝利。7回二死までは完全試合(福浦和也に四球)、9回無死までノーヒットノーランペース(代打のサブローに右前安打)と好投した。8月3日には、NPB史上120人目の一軍公式戦通算1000奪三振を記録。シーズン通算では17勝を挙げて、自身2度目の最多勝、自身初の最多奪三振のタイトルを獲得した。北海道日本ハムファイターズとの日本シリーズでは、10月21日の開幕戦に8回2失点と勝利。ナゴヤドームでは、先発としてシリーズ初の勝利投手になった。第5戦で敗戦投手になったため、チームはまたしても日本一を逃したが、川上自身は2度目の敢闘選手賞を受賞した。


2007年には、8月3日の対横浜戦で、NPB史上124人目(チーム史上9人目)の一軍公式戦通算100勝に到達。228試合目での到達は、212試合の杉下茂、221試合の服部受弘に次いで、チーム史上3番目のスピード記録であった。レギュラーシーズン通算では、4年連続二桁勝利を達成。規定投球回に達しながら完投を記録できないなど、本調子には至らなかったが、K/BBはNPB12球団の規定投球回数到達者でトップの6.90であった。チームのレギュラーシーズン2位で迎えたポストシーズンでは、阪神とのクライマックスシリーズ ファーストステージ第1戦(ナゴヤドーム)で、7回を9奪三振被安打2無四死球無失点と好投。同シリーズ初の勝利を記録した。巨人とのファイナルステージでは、第2戦の先発で、7回を4失点という内容ながら勝利投手。チームの同ステージ3連勝で迎えた日本ハムとの日本シリーズでは、第1戦(10月27日)で先発に起用されたが、8回を被安打2と好投しながら敗戦を喫した。しかし、第2戦以降に先発陣がおおむね好投した結果、チームは日本一を達成した。


2008年には、広島東洋カープとの開幕戦(3月28日)に先発すると、打席でソロ本塁打を放った。この本塁打で、チームのレギュラーシーズン初本塁打・初打点を記録。前年までセ・リーグ4球団の投手から一軍公式戦で本塁打を放っていた川上にとっては、広島戦での初本塁打になった。しかし、次に先発した4月3日の対巨人戦では、高橋由伸・亀井義行・小笠原道大に3者連続ホームランを浴びて逆転負け。以降も調子が上がらなかったため、一時は中継ぎ要員に回った。故障以外では初めての中継ぎ転向だったが、この間に調子を取り戻すと、先発に復帰した6月にリーグの投手部門月間MVPを獲得。夏場に開かれた北京オリンピックでは、野球日本代表の一員として中継ぎに起用されたが、3位決定戦で敗戦投手になった。帰国後は、二軍での調整を経て一軍に復帰。最優秀防御率のタイトルを狙えるほど好調だったが、規定投球回に到達しなかった。シーズン終了後には、ダン・エバンスを代理人に起用するなど、メジャーリーグへの挑戦を模索。11月15日に海外FA権を行使することを発表した。同月19日に、海外フリーエージェント選手としてNPBから公示。



ブレーブス時代


2009年1月13日にアトランタ・ブレーブスと3年契約を結び、入団発表が行われた。ブレーブスにとって初めての日本人選手となり、背番号は中日時代と同じ「11」に決定した。4月11日のワシントン・ナショナルズ戦でメジャー初登板を先発として果たし、6回を4安打3失点8奪三振で抑えて勝利投手となりデビューを飾った。5月13日のニューヨーク・メッツ戦では控え野手が尽きてしまったため延長12回に日本人メジャー投手として初めて代打で起用され、高橋建と対戦して空振り三振[5]。31日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦でも、控え野手が2人いたにも関わらず再び代打で起用されるが、空振り三振を喫した[5]。シーズン序盤は打ち込まれることが多く、4月末の時点で防御率7.06、WHIP1.62と不調だったが、5月以降は防御率3.34、WHIP1.30と復調。更にロイ・ハラデイやヨハン・サンタナらメジャーを代表するエース級投手に投げ勝ったことでドラゴンスレイヤーと呼ばれるが、得点援護率がリーグワースト3位になるなど勝ち星に恵まれず[6]、エースのティム・ハドソンが故障から復帰することに伴い、シーズン後半はリリーフに回った。リリーフへ回ってから安定感を発揮し、防御率2.63と好投。シーズン終了後にはシーズンを通じて右肩に違和感があったことを明かした[7]


2010年のスプリングトレーニングでは右肩の負担を減らすための新フォーム開発に着手[7]。開幕から先発ローテーション入りする。打線の援護もなく球団史上ワーストとなる開幕9連敗、昨年から数えて11連敗を喫し、初勝利は6月26日のデトロイト・タイガース戦までずれこんだ[8]。更にこの日の結果に限らずブルペンへの配置転換はすでに決まっており、以後はリリーフへと回ることとなった[9]。8月にはマイナー落ちも経験。防御率、WHIPも前年度を大きく下回り、ポストシーズンのロースターからも外される悔いの残るシーズンとなった。11月13日には40人枠から外れ、傘下のAA級ミシシッピに降格した。


2011年はスプリングトレーニングに招待選手として参加。スプリングトレーニング中には東日本大震災の知らせを受けて被災者に5万ドルの義援金を寄付し、練習前のミーティングでチームメイトにも支援活動への協力を要請するなど支援活動に取り組み[10]、2試合の先発を含む5試合に登板し防御率3.75、WHIP1.25の成績を残したが、先発時は計7回8安打6失点と打ち込まれ、AA級ミシシッピで開幕を迎えた。ミシシッピでは4月17日のモービル戦に先発し初勝利を挙げたが、翌日に右肩の痛みを訴えてDL入りする。22日には地元紙のインタビューで、若手の台頭によりAA級所属となった現在の状況について「コーチや監督たちにはよくしてもらっている。メジャーに戻れるようにと一生懸命努力してくれている」と周囲への感謝も口にした一方で「正直に言って現在の状況は想像していなかった。ショックだったのは3Aを飛ばして2Aに落とされたこと」と語った[11]。6月12日のチャタヌーガ戦で復帰したが、7月12日に右肩痛を再発して再びDL入り。8月中旬に復帰するも、復帰後は6試合の登板で防御率16.07、WHIP2.67と打ち込まれ、この年はメジャーに昇格することなくシーズンを終えた。右肩痛についてはオフに手術に踏み切る覚悟もあることを明らかにした[12]。11月2日にFAとなった。



中日復帰


2012年1月28日に、中日へ復帰することが球団から発表された[13]。背番号「11」を改めて着用すること[14] も決まったため、2010年から「11」を付けていた岡田俊哉は、背番号を「21」に変更した。


2012年には、広島との開幕第2戦(3月31日)に、先発投手としてNPB復帰後初の公式戦登板。6回無失点という内容で、NPB復帰後初勝利を挙げた。しかし、その直後に故障で戦列を離れたため、レギュラーシーズン通算では一軍公式戦7試合の登板で3勝1敗、防御率2.83の成績に終わった。チームのレギュラーシーズン2位で迎えたポストシーズンでは、巨人とのクライマックスシリーズ ファイナルステージ第4戦に先発した。チームの日本シリーズ進出に王手が掛かった一戦での登板だったが、4回2失点で敗戦。チームも、この敗戦から3連敗を喫したことによって日本シリーズ進出を逃した。しかし、シリーズ終了後の契約交渉では、推定年俸6,000万円(3,000万円増)で契約を更改した。


2013年には、右肩痛で出遅れたため、一軍公式戦初登板は8月22日の対広島戦まで持ち越された。この試合で勝利投手になったが、以降の登板では勝ち星を重ねられず、9月25日に出場選手登録を抹消。10月3日には、球団から戦力外を通告されるとともに、引退会見の開催やコーチへの就任を打診された。しかし、11月19日には、推定年俸3,000万円という条件で2年契約を結んだ。球団がこのように方針を変更した背景には、かつて一軍監督を務めた落合博満ゼネラルマネジャーや、シーズン終了後に捕手兼任で一軍監督に就任した谷繁元信の意向があったとされる[15]


2014年には、森井茂を抜き球団史上最多となる7度目の開幕投手に抜擢[16]。5月7日の対巨人戦(東京ドーム)でも先発を予定していたが、登板前に腰痛を訴えて登板を回避したため、翌8日に出場選手登録を抹消された[17]。一軍公式戦では、6試合の登板で1勝2敗、防御率4.78と不振。ウエスタン・リーグ公式戦でも、10試合の登板で0勝5敗、防御率10.88という成績に終わった。それでも、球団ではシーズン終盤に、川上との契約を更新する方針を決定[18]。シーズン終了後の11月5日には、推定年俸4,000万円(1,000万増)という条件で契約を更改した[19]


2015年には、右肩の腱板を痛めた影響で、一・二軍とも実戦登板の機会がなかった。9月末に腱板の再建手術を受けた[20] が、世代交代を進めるチームの戦力構想から外れたこと[21] を背景に、10月20日に中日からの退団を表明した[22]。なお、在籍中に一貫して着用してきた背番号「11」は、この年のドラフト会議の1巡目指名で入団した左腕投手・小笠原慎之介に引き継がれた[23]



中日退団後


退団会見の際に「限界に近いのは分かっている、限界を超えてまでもやりたい」と話すなど、現役続行を模索。中日への再々入団も視野に、NPBでの復帰を目指しながら、手術を受けた右肩のリハビリへ専念する意向を示した。「右太ももの筋膜を右肩の棘上筋に移植する」というスポーツ選手では前例の少ない手術で、リハビリに半年ほどの期間を要すること[24] から、2015年11月10日に草薙球場で開かれた12球団合同トライアウトには参加しなかった。


2016年には、現役復帰に向けたリハビリを続けながら、日本テレビ(副音声)・CBCテレビ・CBCラジオゲスト解説者と中日スポーツの野球評論家としても活動。「今年中に現役復帰出来なければ潔く引退する」と語った[25]。シーズン終了後には、郷里の徳島県に本拠地を置く四国アイランドリーグplusの徳島インディゴソックスから、選手兼任コーチへの就任を打診された。しかし、入団に至らなかった[26] ため、現役復帰は叶わなかった。



現役引退


2017年3月19日に、現役を引退することを正式に表明[26]。「今年の3月までに満足のいく投球が出来なければ引退するつもりだった」と語った[27]。引退会見などは特に行っていない。川上の引退によって、ドラフト会議での指名を経て1997年に中日へ入団した選手全員が、現役を退いたこととなった。


2017年のプロ野球シーズンからは、CBCテレビ・CBCラジオの野球解説者と、中日スポーツの野球評論家として正式に活動する。2018年からは、テレビ朝日にも出演。



選手としての特徴



投球




投球フォーム(2009年)




投球後(2009年)


全盛期には平均球速89.8 mph(約144.5 km/h)の速球(フォーシーム、シュート)や平均球速86.3 mph(約138.9 km/h)のカットボール、そしてこれとは対照的に70mph(約113km/h)前後のスローカーブ、フォークボールを駆使した[6][28]。過去にはナックルボールを投げたこともあった。左打者には一発を打たれる傾向こそあるものの強さを発揮した。[29]


代名詞であるカットボールは元チームメイトで明大の先輩にあたる武田一浩から教わり、マリアノ・リベラを参考にして開発したという[30]。それまで変化球はスライダーとスローカーブとフォークボールのオーソドックスな投手であったが、カットボールをマスターすることにより投球パターンが大きく変わった。また、外国人野手や日米野球等で対戦したメジャーリーガー達から「日本で唯一本物のカットボールを投げる投手」と称された事もあり[29]、2010年には被打率.148を記録するなどメジャー移籍後もその威力は健在だが、投球割合のわずか数パーセントしか投げなくなり、逆に投球割合を増やしたストレートとシュートは合わせて被打率.358と大きく打ち込まれた[31]


2009年のスプリングトレーニングにおいて、ボビー・コックス監督から「すごい戦力になるはず。真っすぐはもちろん、ダンディーな(格好いい)カーブを投げる。」などと高く評価された[32]。当日のオープン戦では4三振のうち3つをカーブで奪い、シーズン序盤にカットボールが打ち込まれるようになった際には投手コーチのロジャー・マクダウェルからカーブを多投するようアドバイスを受け、上述のように復調した[6]



打撃


MLB移籍前にはバッティングに定評があり[33]、中日在籍時は自身のウェブサイトに全本塁打の詳細な記録を載せていた(通算本塁打数は8本)。



守備


フィールディングもうまく[34]、2006、2007年度と二年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。2006、2007年度は同僚の谷繁元信も二年連続で受賞しており、同一チームの同一バッテリーによる二年連続受賞はセ・リーグ初の快挙であった。



人物


2011年末に29歳の一般女性と結婚していたことが2012年2月に明らかになった[35]



詳細情報



年度別投手成績





























































































































































































































































































































































































































































































































































































W
H
I
P

1998

中日
26 25 4 3 2 14 6 0 -- .700 649 161.1 123 14 51 1 2 124 4 0 48 46 2.57 1.08

1999
29 25 3 1 1 8 9 1 -- .471 695 162.0 173 20 43 0 2 102 3 0 84 80 4.44 1.33

2000
14 10 0 0 0 2 3 0 -- .400 260 60.1 65 10 20 3 1 24 1 0 32 32 4.77 1.41

2001
26 25 3 1 1 6 10 0 -- .375 608 145.0 153 12 36 1 4 127 4 0 61 60 3.72 1.30

2002
27 27 3 3 1 12 6 0 -- .667 760 187.2 170 13 34 4 8 149 0 0 54 49 2.35 1.09

2003
8 8 1 0 0 4 3 0 -- .571 234 53.2 60 2 14 0 1 37 3 0 22 18 3.02 1.38

2004
27 27 5 2 1 17 7 0 -- .708 774 192.1 173 27 38 2 4 176 2 0 72 71 3.32 1.10

2005
25 25 3 2 2 11 8 0 0 .579 738 180.1 186 20 28 4 4 138 1 0 75 75 3.74 1.19

2006
29 28 6 3 2 17 7 0 0 .708 841 215.0 166 22 39 1 5 194 3 0 74 60 2.51
0.95

2007
26 26 0 0 0 12 8 0 0 .600 696 167.1 175 18 23 2 6 145 1 0 72 66 3.55 1.18

2008
20 16 1 0 0 9 5 0 1 .643 473 117.1 99 11 25 3 5 112 1 0 33 30 2.30 1.06

2009

ATL
32 25 0 0 0 7 12 1 0 .368 669 156.1 153 15 57 6 6 105 8 1 73 67 3.86 1.34

2010
18 16 0 0 0 1 10 0 0 .091 391 87.1 98 10 32 10 1 59 4 0 57 50 5.15 1.49

2012
中日
7 6 0 0 0 3 1 0 0 .750 121 28.2 25 3 10 0 2 17 0 0 10 9 2.83 1.22

2013
5 5 0 0 0 1 1 0 0 .500 119 28.0 26 3 13 1 0 12 4 0 11 10 3.21 1.39

2014
6 6 0 0 0 1 2 0 0 .333 142 32.0 33 2 17 0 2 24 1 1 18 17 4.78 1.56

NPB:14年
275 259 29 15 10 117 76 1 1 .606 7110 1731.0 1627 177 391 22 46 1381 28 1 666 623 3.24 1.17

MLB:2年
50 41 0 0 0 8 22 1 0 .267 1060 243.2 251 25 89 16 7 164 12 1 130 117 4.32 1.40

  • 各年度の太字はリーグ最高


タイトル


NPB



  • 最多勝:2回 (2004年、2006年)


  • 最多奪三振:1回 (2006年)



表彰


NPB



  • 新人王 (1998年)


  • MVP:1回 (2004年)


  • 最優秀バッテリー賞:2回 (2004年、捕手:谷繁元信、2006年、捕手:谷繁元信) ※同一バッテリーの複数回受賞はセ・リーグ史上初


  • 沢村賞:1回 (2004年)


  • 最優秀投手:2回 (2004年、2006年)


  • ベストナイン:2回 (投手部門:2004年、2006年)


  • ゴールデングラブ賞:3回 (投手部門:2004年、2006年、2007年)


  • 月間MVP:8回 (投手部門:1998年7月、2002年8月、2003年4月、2004年5月・8月、2005年7月、2006年5月、2008年6月) ※セ・リーグ史上最多

  • 最優秀JCB・MEP賞:1回 (2004年)

  • 優秀JCB・MEP賞:1回 (2002年)


  • JA全農Go・Go賞:1回 (最多奪三振賞:2008年5月)


  • 日本シリーズ敢闘選手賞:2回 (1999年、2006年)


  • オールスターゲームMVP:1回 (1998年 第1戦)


  • 出身地別東西対抗戦優秀選手:1回 (2002年)



記録


NPB初記録(投手記録)


  • 初登板・初先発登板・初勝利・初先発勝利:1998年4月9日、対阪神タイガース3回戦(ナゴヤドーム)、7回0/3を1失点

  • 初奪三振:同上、3回表に藪恵壹から

  • 初完投勝利・初完封勝利:1998年7月4日、対読売ジャイアンツ15回戦(ナゴヤドーム)

  • 初セーブ:1999年6月3日、対読売ジャイアンツ8回戦(ナゴヤドーム)、6回表に2番手として救援登板・完了、4回無失点

  • 初ホールド:2008年10月12日、対阪神タイガース24回戦(スカイマークスタジアム)、3回裏に2番手として救援登板、2回無失点


NPB節目の記録


  • 1000投球回数:2005年5月13日、対福岡ソフトバンクホークス1回戦(ナゴヤドーム)、1回表3死目にフリオ・ズレータを中飛で達成 ※史上301人目

  • 1000奪三振:2006年8月3日、対横浜ベイスターズ10回戦(横浜スタジアム)、4回裏に古木克明から ※史上120人目

  • 100勝:2007年8月3日、対横浜ベイスターズ13回戦(横浜スタジアム)、先発登板で7回2失点 ※史上124人目

  • 1500投球回数:2007年9月6日、対読売ジャイアンツ21回戦(ナゴヤドーム)、8回表3死目に李承燁を右飛で達成 ※史上160人目


NPB初記録(打撃記録)


  • 初打席・初打点:1998年4月9日、対阪神タイガース3回戦(ナゴヤドーム)、2回裏に藪恵壹から投手前スクイズ

  • 初安打:1998年4月16日、対読売ジャイアンツ3回戦(東京ドーム)、5回表に三澤興一から左中間二塁打

  • 初本塁打:1998年7月11日、対横浜ベイスターズ11回戦(釧路市民球場)、3回表に川村丈夫から左越2ラン


NPBその他の記録



  • ノーヒットノーラン:2002年8月1日、対読売ジャイアンツ20回戦(東京ドーム) ※史上70人目


  • 開幕投手:7回 (1999年、2003年、2005年‐2008年、2014年)


  • オールスターゲーム出場:6回 (1998年、2002年、2004年 - 2006年、2008年)



背番号



  • 11 (1998年 - 2015年)


脚注


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  1. ^ 『中日新聞』1997年10月31日朝刊32頁


  2. ^ 『朝日新聞』1997年11月26日付朝刊 (14版、25面)


  3. ^ 年度別成績 1998年 セントラル・リーグ


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  5. ^ ab“ブレーブス川上、代打で三振「そう簡単には打てない」”. ZAKZAK (2009年6月1日). 2012年5月2日閲覧。

  6. ^ abc友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2010』 廣済堂出版、2010年、282頁。ISBN 978-4-331-51439-9。

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  11. ^ 川上、地元紙に「2Aショック」 日刊スポーツ


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  16. ^ これは谷繁兼任監督が同年3月24日のセ・リーグファンミーティングにて発表した。


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  19. ^ 中日川上1000万増の4000万円で更改 日刊スポーツ2014年11月5日配信


  20. ^ 中日川上 9月末に右肩手術 現役続行へ 日刊スポーツ2015年10月4日配信


  21. ^ 中日川上と小笠原が来季構想外 世代交代図る方針 日刊スポーツ2015年9月8日配信


  22. ^ 中日ドラゴンズ 公式サイト - ドラゴンズニュース ★川上憲伸投手が会見 - 2015年10月20日


  23. ^ 中日1位小笠原に背番11 川上憲伸以来の新人王だ 日刊スポーツ2015年12月12日配信


  24. ^ 川上憲伸が現役続行へ 中日退団会見で再入団予告 日刊スポーツ2015年10月21日配信


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  35. ^ “憲伸、結婚!お相手は父が米国人の29歳一般女性…中日”. スポーツ報知. オリジナルの2012年2月14日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20120214193257/http://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20120208-OHT1T00002.htm 2015年3月12日閲覧。 




関連項目



  • 徳島県出身の人物一覧

  • 明治大学の人物一覧

  • 中日ドラゴンズの選手一覧

  • ノーヒットノーラン達成者一覧

  • メジャーリーグベースボールの選手一覧 K

  • 日本出身のメジャーリーグベースボール選手一覧

  • 日本人のマイナーリーグ選手一覧



外部リンク








  • 個人年度別成績 川上憲伸 - NPB.jp 日本野球機構

  • 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)












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