ノート:楽器
















目次






  • 1 コーディングマニュアル


  • 2 楽器の定義について


  • 3 歴史に神話の話を入れる件


  • 4 「神話」「古事記」「日本書紀」の部分など


    • 4.1 神話に関して


    • 4.2 Tamie様の編集姿勢に関して




  • 5 楽器の目的?





コーディングマニュアル


  • 付録3.2 楽器(群)名称

    • http://www.nii.ac.jp/CAT-ILL/MAN2/CM/furoku3_2.html
      • at 目録システムコーディングマニュアル(国立情報学研究所、NII)




表記、呼称で迷ったときのための参考用。あくまでも参考資料のつもりです。
Opponent 21:54 2003年12月2日 (UTC)

西洋音楽の楽器の分類で書くなら、やっぱり管楽器なんじゃないでしょうか....

それと、楽器の部位で、楽器をコントロールする部分(演奏に関する部分、演奏者のインターフェイス)も会っていいんじゃないでしょうか。鍵盤楽器の鍵盤、木管楽器の指穴やキー、金管楽器のバルブやスライド、弦楽器の指板、MIDI楽器のMIDI鍵盤やシーケンサ、、、compUT/OSer 14:25 2003年12月15日 (UTC)



楽器の定義について


皆さま、日々の編集、おつかれさまです。

さて、定義の部分についてですが、少なくとも、楽器は音楽の道具で、

音楽ではない自然音を楽しむものは、楽器の枠に持ち込むべきではないと思いますが、どうでしょう。
--Pazur(会話) 2016年2月15日 (月) 20:20 (UTC)


「自然の音こそ音楽だ」という考え方だってありますね。そもそもあなたの言う「音楽」とは何ですか? バッハやベートーヴェンのことですか? 酔ったおじさんが「小皿たたいてチャンチキおけさ」を唄うのは音楽ではないということですか?--Tamie(会話) 2016年2月16日 (火) 00:33 (UTC)

私が自然音と言ったのは、水が滴る音のことです。これを音楽と言うためには、順序だった説明が必要だと言うことです。少なくとも2〜3文で済ませられる内容ではありません。「自然の音こそ音楽だ」というのであれば、出展の明記も必要です。
--Pazur(会話) 2016年2月17日 (水) 02:26 (UTC)



それなら、「電子ピアノは楽器であるが、鍵盤端末を繋いだPCは、通常楽器とは呼ばない。」というのも出典が必要なのではありませんか? そもそもこの記事には出典が全く無く、「要出典」タグが貼られていますけど。

私も「楽器とは一般的には音楽を演奏することを目的として作られた器具を指す。」という記述(狭義の楽器)に何ら反対しているわけではありません。しかし、ある人にとっての「音楽」が必ずしも万人の考え方とは一致しない(音楽の定義をお読みになってください。明快な定義とはとてもいえませんよね。)以上、広義の楽器にはいろいろな考え方があると言いたいだけです。秋風が立ったときの葉ずれの音ほどすばらしい音楽を私は寡聞にして知りません。林の中に座って梢を渡る風の音を楽しむとき、木々や木の葉は立派に「広義の楽器」なのではありませんか?

私は水が滴る音が出るものは全て楽器だなどと言っておりません。水琴窟は自然のものではなく、水滴が落ちる音を聴くためにわざわざ人間が作るものです。「広くは音を出すことができるものすべてを楽器とみなすこともある(広義の楽器)」のですから、水琴窟は立派に広義の楽器なのではありませんか? 少なくとも音を出すことがそもそもの目的ではない「小皿」をたたいて唄えば、立派に打楽器として機能するのですから、小皿より水琴窟の方がはるかに狭義の楽器に近いといえませんか? --Tamie(会話) 2016年2月17日 (水) 03:35 (UTC)

少し説明の順序が乱れてしまいました。上記で「広義の楽器」「狭義の楽器」と言っているのは、記事の中にある下記の文のことです。

広義の楽器:広くは音を出すことができるものすべてを楽器とみなすこともある

狭義の楽器:一般的には「音楽を演奏することを目的として作られた器具」を指す。--Tamie(会話) 2016年2月17日 (水) 03:57 (UTC)



そうそう、思い出しました。「4分33秒」をお読みになってみてください。こういう「音楽」だってあるんですよ。宇宙はだいたい真空ですから音は聞こえないはずですが、その中には天体の音楽が鳴り響いているのだという人たちもいます。--Tamie(会話) 2016年2月17日 (水) 04:29 (UTC)


とりあえず当該箇所に、要出典タグを付けました。--Pazur(会話) 2016年2月17日 (水) 13:28 (UTC)


この記事は既に全体が「要出典」と指摘されています。二重に指摘する必要はありません。--Tamie(会話) 2016年2月17日 (水) 22:31 (UTC)

神話関係は消しました。時代の話にはならないからです。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 10:43 (UTC)


Tamie様にもの申します。確かにあなたの論には一理ある。楽器の範囲を広く撮れば、あらゆる音の出るものを含めることは出来ます。ですが、それらとは別に厳然たる楽器は存在するわけです。この分ではそちらの面がほぼ完全に消えています。それをおかしいと思いませんか。こんな話はちょいと触れればいいのですよ。ですからこの論調は大きく削るべきだと思います。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 10:49 (UTC)
Keisotyoさんにお答えします。気づかなくてすみません。Keisotyoさんのおっしゃることもわからないわけではありませんが、それならそれでもっと良い内容になるよう、建設的な書き込みをお願いします。文章のつながりがおかしくなってしまうようなバッサリ削除でなく、「こういう考え方もあるが、一方では一般的な認識としてこういう考え方もあるのだ」といった「両論併記」となるような発展的・建設的な方法は取れないものでしょうか。--Tamie(会話) 2016年2月23日 (火) 12:43 (UTC)
とりあえず個人的な感想に基づく文章ではよくするための改良など無理。現実にはいわゆる「楽器」はその音をよくするために多くの人々が多大な苦労をして作り上げた部分がある。そのいっさいを無視するような記述は許せませんよ。それで楽器の記事だというのでは話になりません。たたき台にすらならない。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 13:15 (UTC)




歴史に神話の話を入れる件


そもそも神話の時代は特定できません。ギリシャ神話であればそれは古代ギリシャ時代の伝承ですから、それがそれ以前からあったことが推測できるにすぎません。それずれ正しいとは限らない。その時代に誰かがつくってそこに話を付けたかも知れませんからね。もちろんそんな分野の本であればそんな話を枕に振ることはあるでしょう。ですがそれ自体は面白い話以上の意味を持ちません。それをここに持ち込むことで楽器の歴史について何か理解が進むものですか?


ですから私はそれを無駄だと思います。出典にあったからと言って書いていいというものではありません。それなりに取捨選択すべきです。ご意見をお待ちします。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 11:51 (UTC)


さらに古事記と日本書紀の内容はそれが楽器であるか、あるいは楽器として使われたのかどうかがきわめて微妙であり、例としてもふさわしいと思えません。あえてここに出す意味は感じられませんね。歴史や神話でももっとふさわしいものがあるはず。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 12:03 (UTC)
戻すのであればここに理由を説明してください。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 12:04 (UTC)



「音楽に使用される音を出す器具」が楽器であるとする以上、踏み鳴らした桶は祭りの太鼓と変わるところはありません。その昔(第一次世界大戦より前の話ですが)軍楽隊は兵士を先導し、兵士を鼓舞するために演奏しました。弓弦を鳴らせば(つまり音を出せば)立派に楽器として使ったことになるでしょう。兵を鼓舞した女人たちの行為は、まさに軍楽隊と変わらぬ働きだったと考えます。

「歴史や神話でももっとふさわしいものがあるはず。」とおっしゃるのであれば、そうしたものを示していただければ大いに納得します。「もっとふさわしいものを」とおっしゃるからには、言い換えれば私の書いたものも「全くふさわしくない」とまでは考えておられないということですよね。もっとふさわしいものでなければいきなり削除してよいということにはならないのではありませんか。

あなたは無駄だとお考えでも、わたしはそうは思いませんので戻させていただきたいと考えます。もっとふさわしいものが見つかりましたら、いつでも書き換えていただいて結構です。--Tamie(会話) 2016年2月23日 (火) 12:35 (UTC)
「変わらぬ働きだったと考えます。」つまりあなたがそう判断したと、そう自白していますね。それを独自研究といいまして、Wikipediaでは御法度とされています。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 12:50 (UTC)




「神話」「古事記」「日本書紀」の部分など


Los688さんのご指摘とKeisotyoさんのご指摘が相反していますね。それに、出典を明示して書いている部分をいきなり削除するというのもずいぶん乱暴ですし、もう少しこのノートの場などで問題点を指摘し、より良い方向へ導く努力をしていただけませんか。--Tamie(会話) 2016年2月23日 (火) 12:17 (UTC)


質問に答えずに新しい節を立てるというのは、答えを拒否するということでしょうか?--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 12:21 (UTC)
タイミングの問題にすぎません。悪しからず。--Tamie(会話) 2016年2月23日 (火) 12:36 (UTC)

それでは改めて。

「Los688さんのご指摘とKeisotyoさんのご指摘が相反しています」この判断がまずおかしい。「Los688さんのご指摘」というのは「歴史と神話を混ぜない。 神話は「時代」ではない」でしょうね。それ、わたしの「神話関係は消しました。時代の話にはならないから」とほぼ同じですよね。今のあなたの文章は、あなたの印象にある内容をいい加減に拾い集めた事実でつなぎ合わせたエッセイにすぎません。何より論旨全体を支える出典がないからです。本当なら全部まとめて消したいんですけどね。少なくとも現時点での神話の扱いは大きな問題だと思っています。歴史なら歴史らしい書き方があり、今の文章はそれになっていない。それは言えますので。せめて神話を消せばまだしも、ナノですよ。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 12:45 (UTC)

そのことではありません。『つまり「音を出すことができるもの」は「楽器」と「楽器でないもの」に分けられるというのだが、果たしてそのような区別が可能だろうか。』という部分をLos688さんは削除されましたが、Keisotyoさんは復活されたという点です。この部分に関する限りKeisotyoさんもあってかまわないというお考えですね?

論旨全体を支える出典がないと言われますが、冒頭の楽器の定義「音楽の素材としての音を発するための道具の総称」「音楽に使用される音を出す器具」とされる。」を字義通りに本文で述べているに過ぎませんから、出典は示してあることになります。音楽大事典も音楽中辞典も、「楽器とは音楽を演奏するために作られた道具」というような狭い解釈は採用しておりません。

「歴史なら歴史らしい書き方があり、今の文章はそれになっていない。」というのはKeisotyoさんの個人的解釈ですよね。仮にそうだとしても、それならもっと百科事典にふさわしい表現とするために協力していただけませんか。なぜ問答無用の削除ばかり繰り返されるのでしょうか。--Tamie(会話) 2016年2月23日 (火) 13:14 (UTC)
いえ、一般的な判断です。それと、私は前にもあなたの論に一理はあるといいました。ただしあるのは「一理」だけです。それで記事全部を塗り固めるにはあまりにお粗末な一理です。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 13:17 (UTC)
「一理」はあるとおっしゃるなら、どうかいきなり削除するようなことはなさらず、より良い記事に発展させていくためにご協力ください。--Tamie(会話) 2016年2月23日 (火) 13:32 (UTC)
「一理しかない」とも言いましたよ。少なくともあなたの判断はこの記事を大きく発展させる上では役に立っていませんね。多分本筋の記事が発展した上でその周辺をしっかりとフォローするには役に立ちます。そんな位置ですよ。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 13:38 (UTC)
反論無しに書き換えないでくださいね。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 18:41 (UTC)
「一理」はあるとおっしゃったので、純粋に「事実」に絞って書き加えたまでです。「神話と歴史は別」というご意見も確かだと思いましたので、誤解を生じないよう「あくまで神話だが」と明記した上で、ザックスの文献にあることのみ書いて、出典も明らかにしています。この部分に私の「個人的見解」のようなものは何も含まれていないと考えますが、なぜ一方的に削除されるのですか? --Tamie(会話) 2016年2月23日 (火) 22:20 (UTC)

「あくまで神話だが」と但し書きをすれば書いていいと?そう但し書きをすれば神話が歴史になると?

それからザックスの名を免罪符のようにお使いですが、書籍でのものの書き方については上で私が触れています。そこにあればここに書いていいというものではありあせん。それともそのザックスという人は神話をまともな歴史的事実であると言っているのでしょうか?であれば、その人がどうかしていますからそんな書籍は出典にしてはいけません。--Keisotyo(会話) 2016年2月23日 (火) 22:25 (UTC)

「もちろんそんな分野の本であればそんな話を枕に振ることはあるでしょう。ですがそれ自体は面白い話以上の意味を持ちません。」とおっしゃっている部分ですか? なぜ面白い話を枕にしてはいけないのでしょうか。Wikipediaには、そのような明確な指針があるのですか? 神話は楽器に劣らない立派な文化であり、人間にしか生み出せないものです。ここでの話に絞っても、古い時代に楽器というものがどのようにとらえられてきたかということの一端を示すものとして無意味ではないと考えます。


ザックスは楽器学の分野で大きな貢献をした人物です。別に免罪符として持ち出しているわけでなく、そういう人物が書いた有名な書物ですから、そこに書かれている範囲で紹介する程度のことは不当だとは思いません。Keisotyoさんは、神話というものは全くの絵空事で、歴史を語る上で存在すら無視すべきだとお考えなのですか?

Keisotyoさんは、Wikipediaにおいて何か特別の権限をお持ちになっている方なのですか? 他の参加者の書き込みが気に入らないからといって、問答無用で削除されるのはなぜですか?--Tamie(会話) 2016年2月23日 (火) 22:50 (UTC)

書籍1冊と記事1本では書き方が異なるのは当然でしょう。書籍ならゆとりとくすぐりを加えて読者を引っ張る工夫もするでしょうが、ここではそれが必要と思えません。神話を馬鹿にするものではありませんが、それを歴史と混ぜ合わせて記述するのはここですべきことではありません。それに神話と言いつつギリシャと日本の2件だけ。書くならもっとまとめて書くべきもの。今の記事はあなたの思いつきで知ってることを継ぎ合わせているだけで、楽器全般にわたるものでもありません。楽器に対するあなた個人の偏見を書いているだけです。

私はここの単なる利用者、執筆者の一人です。私があるべきでないと思う文章を消すのは、あなたがあるべきと思って書いた文章を書くのと同等の行為です。あなたは上の方でかなりの諫言を受けながらそれを無視して書いていますよね?私は文句を言うだけでなく、消すべきと考えました。それだけのことです。状況から見て、私の行動そのものは賛同を得てはいませんが、私の判断は同意者がいるように思いますよ。

それにあなたはこの上の方にある楽器の定義の項の最後の私の異議申し立てには答えられていません。あなたの記述に深く関わる部分ですので、それがない限り、私が消した部分を復活させてもまた消さざるを得ません。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 00:50 (UTC)

















(狭くなったので戻します。)


「神話を馬鹿にするものではありませんが、それを歴史と混ぜ合わせて記述するのはここですべきことではありません。」ということですが、シュリーマンの例を持ち出すまでもなく、今日神話や伝承は単なるおはなしではなく、歴史研究の良い道具と認められています。もちろんそれらが全て真実であるはずはありませんが、歴史の中に「神話だと断って」記述するなら、特段の問題はないと考えます。


「ギリシャと日本の2件だけ。書くならもっとまとめて書くべきもの。」と言われますが、私は日本人です。西洋の代表的神話と日本神話に言及しているのに、どうしてそれでは削除されるほどの不具合だということになるのですか? 全くないのに比べれば2件ははるかに多いですよ。あなたがご存知の逸話があったら是非書き加えてください。どうしてそういう建設的な考え方ができないのですか?


「あなたの思いつきで知ってることを継ぎ合わせているだけで、楽器全般にわたるものでもありません。」と言われますが、わたし以外のWikipedia参加者は、みな書いていることについて知り尽くしてエキスパートなのですか? この記事はそもそもスタブであり、協力者を求めているのでしょう? それぞれ知っていることを寄せ合ってより良いものに育てていこうとしている記事です。わたしの書くことが間違いだと考えるなら、ただ問答無用で削除するのでなく、こうした方がいい、こうすべきだという建設的な提案をしていただけませんか。


「状況から見て、私の行動そのものは賛同を得てはいませんが、私の判断は同意者がいるように思いますよ。」もちろん同意者がいるかもしれませんが、わたしの書くことにも同意者がいないとは言い切れませんよね? 一方だけを見て他方は無視するのですか?


「上の方にある楽器の定義の項の最後の私の異議申し立てには答えられていません」というのは、「現実にはいわゆる「楽器」はその音をよくするために多くの人々が多大な苦労をして作り上げた部分がある。そのいっさいを無視するような記述は許せませんよ。」という部分でしょうか? おっしゃることはよくわかりますが、そのような内容はこの記事でなく、個々の楽器の記事に譲るべきと考えておりましたので、ここでは一般的な意味での「楽器」について書いていたつもりでした。確かにそのような記述もあった方が適切だと思いますが、たとえばどのような形で言及したら良いとお考えですか? わたしもより良い記事にしたいという善意で無い知恵絞って書いているのであって、決して悪意で書いておりません。わずかでもヒントなりといただければ、いくらでもよりよくするための努力を致します。ご協力いただけませんか? それとも、わたしはこれ以上この記事に参画すべきでないと言われるのですか?
--Tamie(会話) 2016年2月24日 (水) 03:52 (UTC)


では個別に。以下二節を分けますのでご返答願います。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 04:57 (UTC)


神話に関して


まず神話の方。
Tamie様は最初はこうなさってましたね。


  • 楽器は神話にも登場している。旧約聖書ではカインの子孫ユバルが竪琴と笛を奏する者の先祖とされ、ギリシャ神話では牧神パンがパンフルートの発明者とされている。


これはそれぞれいつの時代なのですか?この時代より前、といいたいのでしょうが、どれくらい前か分かりますか?そもそもその判断が、難しいのくらいは分かりますよね。だいたい神話伝説なんて言うのはどんどん膨らむもので、去年追加された設定もずっと昔からあったように語られるもの。例えば中国武術の流派など、開祖が三国志の英雄というのがざらにありますが、みんな後付けです。それを歴史として書くのは変だという話です。

更に次、あなたはこう書いた。


  • 旧約聖書ではカインの子孫ユバルが竪琴と笛を奏する者の先祖とされ、ギリシャ神話では牧神パンがパンフルートを発明したことになっているが、これらはもちろん神話に過ぎない。


これだったら書く必要ないですね。何しろこんな話はあるが当てにならないというのですから。

それでも神話のことを歴史に交えて書きたい理由ってなんですか?--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 04:57 (UTC)
既に書きましたが、もう一度書きます。シュリーマンの例を持ち出すまでもなく、今日神話や伝承は単なるおはなしではなく、歴史研究の良い道具と認められています。もちろんそれらが全て真実であるはずはありませんが、歴史の中に「神話だと断って」記述するなら、特段の問題はないと考えます。--Tamie(会話) 2016年2月24日 (水) 10:06 (UTC)
なるほど、あなたに理解力が足りないことはよく分かりました。この分野には手を出さないことを進めします。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 10:09 (UTC)





Tamie様の編集姿勢に関して


二つ目です。私自身はこの記事に加筆する気はあまりありません。興味はありますが詳しくもないし出典の持ち合わせもないので。私が今こうしているのは、あまりにひどくなった記事を見つけて、せめてその状態を解消したい、そういう判断でした。



先にも言いましたが、あなたの主張には一理はある。『音が出るものはすべて潜在的には楽器であり得る』と言うことですよね?

それは確かにその通りですし、それ以上に楽器の発祥などの問題には深く関わるものです。しかしながら、だから楽器の範囲は不明、と投げ捨ててしまっていいものですか?他方で楽器でしかないものが多数存在していることを無視してはいませんか?桶は打楽器になり得ますが、ティンパニは打楽器でしかあり得ない。この違いが分かりますか?あなたは桶とオケが同レベルでいいわけですか?

にもかかわらずあなたはこの記事の楽器の基本的な解説の部分を桶だけにした。しかも他の記事でも同様な主張をしており、さらにはこの記事にそんな記事への誘導までつけた。自分の意見をそのままだらだら繰り広げたノートに誘導するなんてあきれ果てましたよ。つまりあなたはかなり偏った主張で記事幾つかをまとめた上で、それらへの誘導をした。これは明らかに自己の主張のためにWikipediaを私物化したものです。これは許されるものではありません。

ですから私としてはこの記事に手を出すのはやめてほしい。そう思いました。ただ、こうしてみると話の分かる人かもしれません。もし自己の主張がたった一理しかないことがご理解いただけるのでしたら、その線で加筆くださる分にはよいと思います。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 04:57 (UTC)
誤字修正しました。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 05:43 (UTC)

何を言うにもケンカ腰なんですね、義憤に燃えて頑張るのも結構ですが、もう少し冷静に議論することを覚えた方がよいと思います。

Wikipediaの私物化というおことばは、そっくりお返しいたします。なぜなら、あなたのお書きになっていることは、全てあなたの個人的意見に過ぎないからです。わたしの書くことが、Wikipediaのどのような指針に反しているというのですか? わたしはこれまで誰も出典などひとつも示さなかった記事に、明確に出典を示して書いています。わたしの書くことに一理はあると言われましたが、あなたの言われることには一理もありません。自分の個人的意見をわがままに押し通そうとしているだけです。だからあなたは私の回答に対して論理的に応ずることも建設的な提案もできず、ただただ「自分には気に入らない」としか書けないのです。

「興味はありますが詳しくもないし出典の持ち合わせもないので。」ということなら、当然あなたはこの記事に加筆すべきでありません。

ただ、私が加筆する前よりは、この記事は現状でもわずかではあるがマシになっています。わたしが出典に基づいて書いたことが少しは残っていますから。といっても、あなたが改めて削除されるなら別ですけどね。ですから、わたしもしばらくこの記事から手を引くことにいたします。わたしもこの記事は特に思い入れがあって書き始めたわけではありません。わたしより楽器に詳しい方が現れて、もっとすばらしい記事に育ててくれることを祈りたいと思います。もし、改めて書きたくなったときは、またご指導のほどよろしくお願いします。--Tamie(会話) 2016年2月24日 (水) 10:06 (UTC)
私はこの記事からあなたの主張の大部分を排除しました。つまりあなたの私物化をどけたのであって、自己の主張は入れていません。それで私物化呼ばわりは心外ですな。その上であなたの主張を少し残したのは一理を認めたからです。現状ではこれ以上残せませんとの判断です。手を引くというならそれで結構です。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 10:13 (UTC)

わたしの答えに何の論理的回答もできないのに、「自己の主張は入れていません。それで私物化呼ばわりは心外ですな。」と言われては苦笑するしかありませんね。議論の仕方も知らない人とは議論のしようがないと言っているのです。

そこまでご自身の主張に自信があるなら、この件について「Wikipedia:コメント依頼」を提出すべきです。Keisotyoさんの方が正しいと言う意見が大勢なら、わたしは今後「しばらく」ではなく「永久に」手を引くしかないし、あなたはいっそう自信を深めることができるでしょう。それができないなら、あなたはほんとうは自信がないのだということです。

わたしはWikipediaの指針に反したことは書いていないつもりですから、わたしの方から他の方々に対してコメントを求める必要性を感じません。--Tamie(会話) 2016年2月24日 (水) 22:25 (UTC)
それはそれは。それでは。--Keisotyo(会話) 2016年2月24日 (水) 22:33 (UTC)
指摘した通りのようですね。--Tamie(会話) 2016年2月25日 (木) 21:59 (UTC)











楽器の目的?


Tamieさん。お元気そうでなによりです。

さて、「楽器は必ずしも音楽のためだけに使われるものではない」とありますが、
少々混乱した文章に見えますね。
例えば、シンバルを鍋のフタに使ったところで、それはそれで自由だとは思いますが、はたして、記事の内容としてふさわしいかどうか、疑問に思います。
--Pazur(会話) 2016年5月2日 (月) 16:11 (UTC)


例えば笛は警笛に使います。音楽ではないですね。--Keisotyo(会話) 2016年5月2日 (月) 19:55 (UTC)



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