ヨルダン






ヨルダン・ハシミテ王国

المملكة الأردنيّة الهاشميّة











ヨルダンの国旗 ヨルダンの国章
(国旗) (国章)


国の標語: الله، الوطن، الملك
(アラビア語:神、祖国、国王)


国歌:As-salam al-malaki al-urdoni


ヨルダンの位置









































公用語

アラビア語

首都

アンマン
最大の都市
アンマン

政府












国王

アブドゥッラー・ビン=フセイン

首相(英語版)

オマル・アッ=ラッザーズ(アラビア語版、英語版)


面積











総計

92,300km2(110位)
水面積率
0.4%


人口











総計(2016年)

9,710,752人(???位)

人口密度
107人/km2



GDP(自国通貨表示)





合計(2013年) 240億[1]ヨルダン・ディナール


GDP (MER)





合計(2013年) 339億[1]ドル(91位)


GDP (PPP)











合計(2013年)
762億[1]ドル(85位)
1人あたり 11,639[1]ドル



建国
 - 宣言

イギリスの国際連盟委任統治領より
1946年5月25日

通貨

ヨルダン・ディナール (JOD)

時間帯

UTC +2[2](DST:+3)

ISO 3166-1
JO / JOR

ccTLD

.jo

国際電話番号
962



ヨルダン・ハシミテ王国(ヨルダン・ハシミテおうこく、アラビア語: المملكة الأردنيّة الهاشميّة‎:英語名 Hashemite Kingdom of Jordan)、通称ヨルダンは、中東・西アジアに位置する立憲君主制国家である。首都はアンマン。イスラエル、パレスチナ暫定自治区、サウジアラビア、イラク、シリアと隣接する。イスラエル・パレスチナ暫定自治区とはヨルダン川と死海が国境である。


立憲君主制をとる王国である。イスラームの預言者ムハンマドの従弟アリーとムハンマドの娘ファーティマの夫妻に遡るハーシム家出身の国王が世襲統治する。


国民の半数余りは中東戦争によってイスラエルに占有されたパレスチナから難民として流入した人々(パレスチナ難民)とその子孫である。




目次






  • 1 国名


  • 2 歴史


  • 3 政治


    • 3.1 反政府抗議運動




  • 4 外交


  • 5 軍事


  • 6 地方行政区分


  • 7 地理


    • 7.1 気候


    • 7.2 ヨルダン渓谷


    • 7.3 ヨルダン高原


    • 7.4 砂漠




  • 8 経済


    • 8.1 天然資源




  • 9 国民


    • 9.1 言語


    • 9.2 宗教




  • 10 文化


    • 10.1 スポーツ


    • 10.2 主な史跡




  • 11 脚注


  • 12 関連項目


  • 13 外部リンク





国名


アラビア語の正式名称は 、المملكة الأردنيّة الهاشميّة(ラテン文字転写 : al-Mamlakah al-Urdunīyah al-Hāshimīyah; アル=マムラカ・アル=ウルドゥニーヤ・アル=ハーシミーヤ)。通称الأردن(al-ʾUrdun; アル=ウルドゥン)。
公式の英語表記は、 Hashemite Kingdom of Jordan。通称 Jordan。ハーシミーヤは、預言者ムハンマドの曽祖父ハーシムの子孫の家系であるハーシム家を指す。


ヨルダンの名称は、国土の西を流れるヨルダン川の名に由来する。ヨルダン川は、ヘブライ語起源の河川名で、聖書に名が現われる。アラビア語ではウルドゥン、ヨーロッパ諸言語ではヨルダンあるいはジョルダンとなる。ヨルダン川の名前が国名となったのは、この国が第一次世界大戦後に成立したイギリスの委任統治領トランスヨルダン(「ヨルダン川の向こう」の意)を前身とするためである。


日本の外務省では、国名はその英語発音をカタカナで表記する外務省内の慣習があり、「ジョルダン・ハシェミット王国」としていた。2003年に、「ヨルダン・ハシェミット王国」という表記に変更した。


ヨルダンの国名は他に、「ヨルダン・ハーシム王国」(『ブリタニカ国際百科事典』)、「ヨルダン・ハシミテ王国」(愛知万博、『大辞泉』)と表記されることもある。



歴史



ヨルダンの国土は、およそ50万年前の旧石器時代から人類が住み着いていたことが知られ、紀元前8000年紀には人類最古級の農業が営まれた。西アジアに文明が発達すると交易の中心地として栄え、紀元前13世紀頃からはエドム人が住み着き、アンマンには旧約聖書に登場するアンモン人の国があった。紀元前1世紀頃には南部にペトラ遺跡を残したナバテア王国が発展するが、紀元1世紀から2世紀にローマ帝国に併合された。


7世紀にはイスラム帝国の支配下に入り、アラビア語とイスラム教が浸透してアラブ化・イスラム化が進んだ。ダマスカスに都したウマイヤ朝が滅びイスラム世界の中心がシリア地方から離れると、その辺境として都市文明も次第に衰えていった。




ヨルダンとアラビアの反乱騎兵(1918年)


19世紀に入ると、当時この地方を支配していたオスマン帝国は、ロシアから逃亡してきたチェルケス人をシリア地方の人口希薄地帯に住まわせるようになり、次第に活気付き始めた。第一次世界大戦後の1919年にイギリス委任統治領パレスチナに組み入れられ、1923年にヒジャーズ王国を設立したハーシム家のアブドゥッラー・ビン=フサインが迎え入れられてトランスヨルダン王国が成立した。この政府に対するイギリスの代表者は最初はT・E・ロレンス、ついでジョン・フィルビーであり、パレスチナの高等弁務官の管轄下にあった。


トランスヨルダン王国は第二次世界大戦後の1946年に独立し、1949年に国名をヨルダン・ハシミテ王国に改めた。1950年には、エルサレムを含むヨルダン川西岸地区を領土に加えたが、1967年の第三次中東戦争でイスラエルに奪われる。中東戦争は、イスラエルに占領された地域から大量のパレスチナ人の流入をもたらした。加えて1990年代以降には、民主化に伴い王室の近代化主義に反対する保守派やイスラム主義派が台頭して、国内の不安定要因となっている。




政治





ワシントンを訪問する国王アブドゥッラー2世と王妃ラーニア(2007年)


1952年1月8日に制定された憲法に基づいた、国王を元首とする立憲君主制であり、君主は世襲制となっている。国王は内閣と共に行政権を執行する。二院制の議会を有している。



反政府抗議運動



ジャスミン革命(アラブの春)の影響で、首相を国王が任命するのでは無く国民に直接選ばれた議会が選出する議院内閣制への移行と選挙法改正を要求するため、主にムスリム同胞団やアラブ民族主義政党、左派政党らが結集してアンマンなどで抗議デモが実施された。また、国王の長年の支持基盤だったベドウィンの部族長らもアブドゥッラー2世国王に対して、ラーニア王妃とその一族の浪費癖を批判する声明を出している。しかし、いずれも王制打倒を求める反体制運動には到っていない。



外交


イスラム世界では穏健派に位置付けられる。アラブ諸国や中東内外のイスラム諸国だけでなく、世界各国と協調する全方位外交を展開している。イスラエルとは1994年に平和条約を結び、エジプトに次いでアラブ諸国では2番目に国交を樹立した[3]。2018年には、イスラエルに対して平和条約の一環として賃貸した国境地帯の土地の契約を延長しないと通告した[4]


対イスラエル和平に見られるように、東西冷戦時代から親西側・欧米政策をとっている。アメリカ合衆国からは北大西洋条約機構(NATO)非加盟の戦略的パートナー諸国の一つに位置付けられている。




軍事








地方行政区分




ヨルダンのムハーファザ



12のムハーファザ(県、アラビア語のローマ字転記: muhafazat, 単数形: muhafazah)に分かれている。




  1. イルビド県 (Irbid) - 県都イルビド


  2. アジュルン県 (Ajlun) - 県都アジュルン


  3. ジャラシュ県 (Jerash) - 県都ジャラシュ


  4. マフラク県 (Mafraq) - 県都マフラク


  5. バルカ県 (Balqa) - 県都サルト


  6. アンマン県 (Amman) - 県都アンマン


  7. ザルカ県 (Zarqa) - 県都ザルカ


  8. マダバ県 (Madaba) - 県都マダバ


  9. カラク県 (Karak) - 県都カラク(アル=カラク)


  10. タフィラ県 (Tafilah) - 県都タフィラ


  11. マアーン県 (Ma'an) - 県都マアーン


  12. アカバ県 (Aqaba) - 県都アカバ



地理




ヨルダンの地図


東部は乾燥した森林高原で、オアシスと季節的な川の流れがあり、灌漑されている。西部は農地が発達し、地中海性の常緑樹が広がる。国の最高地点はウムアルダミ山 (Jabal Umm al Dami) で海抜1854m、頂上は雪で覆われる。西部渓谷を除いた国の大部分は海抜300m以上である。南西端でアカバ湾に接する。



気候


夏の平均気温は30℃、冬は1℃まで下がる。11月から3月の冬季は西部の降雨が大きく、アンマン(標高約1000m)では雪が降る。



ヨルダン渓谷


国土の西部には大地溝帯の北端でもあるヨルダン渓谷がある。ここには死海もあり、標高が極めて低い。この地域は冬でも温暖であり、近年の灌漑技術の発達により、野菜や果物の一大生産地に変貌した。



ヨルダン高原


ヨルダン渓谷の東側に位置する高原地帯。アンマンやカラクなどもこの高地帯に位置する。南部にはヨルダン最高峰のラム山 (1,754m) もある。



砂漠


国土の80%は砂漠地帯に属する。



経済




首都アンマン


IMFの統計によると、2013年のヨルダンのGDPは約339億ドルである。一人当たりのGDPは5,174ドルで、これは世界平均の50%ほどの水準だが、産油国が多い中東ではやや低い数値である。[1]


現在[いつ?]農業従事者は18万人おり、主に果実を中心に栽培している。
畜産業としてはラクダや牛、馬や鶏を育て、牛乳や卵をとっている。
何よりヨルダン経済を支えているのはリン鉱石と天然ガスで、リン鉱石は256万トン、天然ガスは9.6千兆ジュールを産出している。
漁獲量は526トンである。
現状では石油をほとんど産出しないため、1990年代はイラクや近隣諸国から輸入した。イラクのサッダーム・フセイン体制崩壊後は湾岸協力会議諸国からの供給があり、エジプトからは2003年に完成したアカバ湾までのアラブガスパイプラインによりガスを輸入している。イラクとパレスチナでの社会不安のため、それら地域の多くの事業家がアンマンに事務所を置いている。
2000年にWTOに加盟。2001年12月の米国との自由貿易協定以降、米国との貿易が飛躍的に拡大している。政府はリン鉱石やカリ鉱石の輸出あるいは海外からの送金や外国からの支援に頼らない産業、例えばITや観光産業を奨励している。低税金と規制緩和のアカバ経済特区 (ASEZA) に経済成長モデルの期待がある。


ヨルダン統計局発表のGDP成長率は2012年が2.7%、2013年が2.8%となっている[5][6]




天然資源


東部砂漠のRishaガス田を1987年に発見した。埋蔵量はそれほど多くはないが、ヨルダン全体の発電量の1割を支えている。南部には世界第3位を誇るリン鉱石埋蔵量があり、採掘された鉱石は鉄道でアカバ港へ運ばれ輸出される。ウラン鉱石は世界の2%の埋蔵量がある。最近注目されているのがオイルシェールで、400億トンの石油の存在が推定される。ロイヤル・ダッチ・シェルとの間で開発契約が締結された。



国民






















宗教構成(ヨルダン)


イスラム教(スンナ派)
  
90%

キリスト教他
  
10%


住民はほとんどアラブ人である。わずかにアルメニア人、チェチェン人、チェルケス人、アブハズ人、アディゲ人、アヴァールなどがいる。1967年の第三次中東戦争以降流入したパレスチナ難民の人数は、2009年の調査によると、324万とされており、ヨルダン国籍を取得しているなどヨルダン国民として同化しているが、2015年にはガザ紛争等により新たに流入したパレスチナ人を中心におよそ37万人が難民キャンプに在住している。


2013年時点で、隣国シリアの騒乱から逃れてきた難民が大量に流入、ヨルダン人口の1割に達しつつある[7]


イラク・シリア難民の流入を受けて、2016年には人口が970万人を突破し[8]、1000万に迫るほどになっており世界屈指人口増加国となっている。しかし、全人口の30%が非ヨルダン国籍となっている。ザータリ難民キャンプは世界最大のシリア難民キャンプとなっており、一時期は34万人に達したが、2015年3月26日現在では8万3千人となっている。



言語


公用語はアラビア語で、話し言葉(アーンミーヤ)はヨルダン方言。



宗教


宗教はイスラム教スンナ派がほとんど。その他にキリスト教なども信仰されている。



文化



スポーツ


ヨルダンでは、サッカーが人気である。詳しくはサッカーヨルダン代表を参照。



主な史跡





ペトラ



  • ジャラシュ

  • ペトラ

  • ペラ

  • ウンム・カイス

  • アジュルーン城






































































































祝祭日[9]
日付
日本語表記
現地語表記
備考
1月1日 元日 رأس السنة الميلادية 太陽暦の新年
1月30日
アブドゥッラー国王の誕生日
ذكرى ميلاد الملك عبد الله الثاني
5月1日 労働節 عيد العمال
移動祝日、ただし常に東方キリスト教のカレンダーによる 復活祭 これは休日と最近宣言されはしたが全国で行われているわけではない。休日はその趣旨に関係する人々にのみ適用される。通常、この日を休むのはクリスチャンである。
5月25日 独立記念日 عيد استقلال المملكة الاردنية الهاشمية
6月9日
アブドゥッラー国王の即位
عيد جلوس جلالة الملك عبدالله الثاني بن الحسين المعظم
6月10日 国軍及び大アラブ反乱記念日 عيد الجيش والثورة العربية الكبرى
11月14日
フセイン国王の誕生日
ذكرى ميلاد المغفور له الملك الحسين بن طلال طيب الله ثراه フセイン国王の死の後、この日は「フセインへの忠誠日」と呼ばれている。
12月25日 クリスマス عيد الميلاد المجيد 民間ではこの休みを4日間か5日間に拡張することが法によって可能になっている。
移動祝日 犠牲の祝宴、あるいは大祝宴、イード・アル=アドハー
عيد الأضحى المبارك 息子を犠牲にするアブラハムの意思を記念し、メッカ巡礼の月末に置く。
移動祝日
ラマダーン初日
بداية الصيام
移動祝日 小祝宴、イード・アル=フィトル
عيد الفطر المبارك
ラマダーンの終了を記念する。
移動祝日 元日 ذكرى الهجرة النبوية الشريفة イスラム教の新年
移動祝日 ムハンマド昇天日
移動祝日
預言者ムハンマドの誕生日
عيد المولد النبوي الشريف


脚注




  1. ^ abcde“World Economic Outlook Database, October 2014” (英語). IMF (2014年10月). 2014年12月15日閲覧。


  2. ^ ただし2012年10月26日から2013年3月30日については、当初は冬時間に戻る予定であったものの、夏時間として利用されていたUTC+3をそのまま継続することとなった。“Gov't rescinds decision to switch to winter time”. The Jordan Times (2012年10月24日). 2013年3月25日閲覧。


  3. ^ ヨルダン・ハシェミット王国 外交・国防日本国外務省ホームページ(2018年10月24日閲覧)。


  4. ^ 「ヨルダン、領土賃貸条約延長せず」『日本経済新聞』夕刊2018年10月22日(2018年10月24日閲覧)。


  5. ^ “Jordan’s 2012 GDP grows by 2.7%”. The Jordan Times. (2013年3月31日). http://jordantimes.com/jordans-2012-gdp-grows-by-27 2013年8月25日閲覧。 


  6. ^ “GDP grows by 2.8% in 2013”. The Jordan Times. (2014年3月31日). http://jordantimes.com/gdp-grows-by-28-in-2013 2014年4月6日閲覧。 


  7. ^ “シリア難民受け入れ「限界」 ヨルダン国王が支援訴え”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2013年11月4日). オリジナルの2013年11月7日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20131107192107/http://www.asahi.com/articles/TKY201311040102.html 2013年11月6日閲覧。 


  8. ^ “Population clock”. Jordan Department of Statistics. 2016年6月18日閲覧。


  9. ^ “الاعياد القومية والوطنية”. الموقع الرسمي لأمانة عمّان الكبرى. 2012年10月14日閲覧。




関連項目



  • ヨルダン関係記事の一覧

  • 日本とヨルダンの関係

  • サッカーヨルダン代表



外部リンク






政府



  • アブドゥッラー2世公式ウェブサイト (英語)


  • アブドゥッラー2世公式ウェブサイト (アラビア語)


  • ヨルダン王国政府 (アラビア語)


日本政府


  • 日本外務省 - ヨルダン

  • 在ヨルダン日本国大使館


観光

  • ヨルダン政府観光局











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