ギャル








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画像提供依頼age嬢(出来れば、ヘアスタイルやメイクの一般的な参考となる画像。愛知県名古屋市の栄やプリンセス通りなどを中心に活動する派手目な名古屋嬢でも可)、姫ロリ(2008 - 2009年A/WのLIZLISAのようなフォークロアスタイルの姫ギャルなどでも可。(※:ジーザスディアマンテ、リズリサなどの姫ロリは顧客と店員でファッションの温度差が高い可能性があるため、出来れば店員に近いファッションスタイルが好ましい))、2000年初頭のお姉ギャル(目の太い網タイツが流行した時期のモノならなお可)や1999年 - 2000年に流行した厚底ブーツ厚底サンダルなどのギャルに関係するアイテムの画像提供をお願いします。2011年3月



一般的な渋谷のギャル達。
(奥): 典型的なギャルメイク
(右): age嬢特有の盛り髪
(左): 夏場のギャル特有の露出の高い服装
(※:2007年夏頃の写真)





 


原宿系のギャル達(広義のギャル)
(上)ロック系、ヴィジュアル系に感化された原宿ギャル
(下)比較的ナチュラルなメイクをしている原宿ギャル
(※:写真は2006年 - 2007年頃)



ギャルは、英語において若い女性を指す girl英語発音: [gəːrl] ール)の、アメリカ英語における俗語 gal英語発音: [gæl] ギャル)に由来する外来語。日本語でも英語と同様の意味を持つ場合があるが、とりわけファッションやライフスタイルが突飛と見なされながらも、それらが同世代にある程度文化として共有されている若い女性たちを指す場合にも用いる。前者には文化的な意味あいはないが、後者には文化的な意味合いが強く、国外では世界の最先端とみなされることがあり、日本語のローマ字表記にあたる gyaru が英語に借用されている。近年、ギャル文化は新たな輸出産業として日本政府も注目しており、外務省などがリアル・クローズのファッションショーなどを後援している。


本項では後者について詳述する。





目次






  • 1 概要


  • 2 歴史


    • 2.1 ギャルファッションの多様性と分類


      • 2.1.1 1970年代 -


      • 2.1.2 1980年代 -


      • 2.1.3 1990年代 -


        • 2.1.3.1 コギャル


        • 2.1.3.2 ヤマンバ




      • 2.1.4 2000年代 -


        • 2.1.4.1 マンバ


        • 2.1.4.2 ビビンバ


        • 2.1.4.3 白ギャル


        • 2.1.4.4 お姉ギャル(オネギャル)


        • 2.1.4.5 スポギャル


        • 2.1.4.6 アルバカ


        • 2.1.4.7 キグルミン


        • 2.1.4.8 ロマンバ


        • 2.1.4.9 サーフ系


        • 2.1.4.10 サイケギャル(ヒッピーギャル)


        • 2.1.4.11 age嬢(あげじょう)


        • 2.1.4.12 姫ロリ




      • 2.1.5 2010年代 -


        • 2.1.5.1 渋谷系ギャル雑誌の相次ぐ撤退


        • 2.1.5.2 若者文化の変化とギャルの盛衰


        • 2.1.5.3 原宿系ギャルの台頭


        • 2.1.5.4 新たな渋谷系ギャル








  • 3 海外での評価


  • 4 その他のギャルの傾向


    • 4.1 パギャル


    • 4.2 ヤンギャル


    • 4.3 ギャルみこし


    • 4.4 ギャルママ


    • 4.5 ノギャルプロジェクト


    • 4.6 渋ギャル




  • 5 ピンポイント・ファッション


    • 5.1 ギャルファッションにおける時代毎の変移と流行


    • 5.2 主なブランド


    • 5.3 ギャルのメイク


    • 5.4 ギャルのヘアスタイル


    • 5.5 安カワブランド




  • 6 ギャルがよく行くショップビル


  • 7 主なギャル系雑誌


    • 7.1 発刊中


    • 7.2 休刊




  • 8 関連人物


  • 9 脚注


  • 10 参考文献


  • 11 関連項目


    • 11.1 ギャル・ファッション


    • 11.2 地域・ショップビル


    • 11.3 イベント・団体・番組









概要




渋谷系ギャルモデルの撮影風景
(左右)白ギャル
(中央)黒ギャル
(※:2009年池袋にて)


ギャルという言葉は、1972年(昭和47年)にラングラーよりGalsという女性用ジーンズが発売された時から広まった[1]。また、東京においては1973年(昭和48年)に渋谷PARCOが開店し、新宿に代わって渋谷が若者の街として流行の最先端を担うようになるという変化があった。当時、ギャルはニューファッションに身を包んだ女性を指し、逆に若い女性向けの最先端のファッションを「ギャルファッション」とも呼ぶ。
ギャルファッションには「渋谷系ギャル」と「原宿系ギャル」の2つに大別される。


渋谷系ファッションのギャルを「109系」などファッションビルの名称を使用して細分化する例が見られ、特に地方のギャルファッションを取り扱う商業施設をこのように呼称する場合も多い。代表的な例としては愛知県名古屋市にある近鉄パッセや、福岡県福岡市にある天神コアなどこうした商業施設のファッションを109系と呼ぶ。この他に商業施設の名称を使用したギャルファッションの細分化に「丸井・パルコ系」などと呼ばれるものもある。


一方、渋谷系ファッションに限らず原宿系ファッションに対してもギャルという言葉が用いられる場合もある。この理由は原宿系ファッションも10代中盤から後半、20代前半にかけての最先端ファッションの1つとして広く認識されているのが大きな理由でもある。ファッションのテイストやメイクの手法が根本的に違うために厳密には彼女らのファッションは全く別の変異を遂げたギャルである。原宿系ギャルは元来はロック系のファッションを取り扱う店舗も多かったことと、ロック系のメイクは細部の異なりはあるもののギャルのメイクを踏襲した手法が用いられるため、こうした女性が集まるために原宿系を「ギャル」と誤認されたともいえ、この場合は広義におけるギャルとも見做せるが、その興りと歴史には差異が見られる。


当初、ギャルとは渋谷系ファッションとして興ったものであった。その為、狭義におけるギャルとは1990年代中期から末期にかけて、渋谷を中心に活動する前衛的なファッションをする女性を指して表現する言葉であった。当時は女子高生や女子中学生といった世代を反映してコギャル、あるいはマゴギャルなどという語で呼ばれることが多かったが、現在ではどの世代もギャルを使用することで落ち着いている。また、当時はお姉系というファッションも流行を示していたが、この言葉は本来はギャルに該当する女性が趣味嗜好をそのまま維持して大人になった者を指していたが現在は過去にギャルであったか否かは別として独立的なファッションを形成している。また、ギャルファッションが進化を遂げる過程で、その中間的な役割としてお姉ギャル(オネギャル)という存在もあったが、ファッションの系統の分類が明確化された現在では前述の通りギャルとお姉系が完全に別物もファッションとなってしまった為、お姉ギャルという言葉はファッション用語としてあまり用いられなくなりつつある。


egg」や「Popteen」、「Ranzuki」、あるいはかつて発行されていた「Cawaii!」などといったファッション雑誌がギャルに対して大きく影響を与えており、これらの雑誌内にはギャルのアイデンティティなども色濃く書かれ、特に雑誌内に登場するモデルは他のティーンズ誌と比較するとオープンな活動を行っている者も多い。それらに影響された読者がサークル(ギャルサーとも呼ばれる)を作って活動している者も多くみられる。また、雑誌内のコラムやアイデンティティがしばしば性的描写が過度になってしまったために問題となる場合もあった。


また、ギャルに相当する男性の事をギャル男(ギャルお)と呼ばれる事もあった。彼らのファッションを取り扱う雑誌「men's egg」は、前述のギャル系ファッション雑誌「egg」の兄弟誌として創刊された経緯があり、当初のコンセプトの一つとして「ギャルの理想的な彼氏(または一緒に連れて歩く男性)」としてこの言葉を用いられた。現在ではギャル男という言葉はほとんど聞かれず、代わりに「お兄系(おにいけい)」と呼ばれるが、お兄系は本来ジャニーズ系ファッション(丸井・パルコ系)までの綺麗目なファッションを含む幅広い呼称であったものが、次第に雑誌「MEN'S KNUCKLE」に登場するようなファッションを「強めのお兄」と呼ばれ始め、最終的にはこれをお兄系という呼称することに落ち着いた。これらの記述から分かる通り、お姉系とお兄系とでも進化の過程に大きな差異がある。



歴史



ギャルファッションの多様性と分類






ボディコンと呼ばれるファッションに身を包む女性
(写真は2008年)



1970年代 -


1970年代は世界的にファッションの変革が強かった時代とも言える。ジーンズもストレートボトムのものからベルボトムが登場するようになり、よりファッションの幅や自由性が広がった期間ともいえる。また、ananやnon-noといった女性ファッション雑誌が相次いで創刊したのもこの時代であり、ニューファッションに身を包んだ女性が多く登場する。こうした女性の中で特に神戸を中心に発生したニューファッションをニュートラ(和英:New Traditional ) と呼び最先端ファッションをして位置付けされる[2]。当時のファッションの最先端は女子大生や若手OLなど現在よりも年齢層が高いのも特徴である。


1973年に渋谷PARCO、1979年にはファッションコミュニティ109(現在はSHIBUYA-109)が開業し、渋谷が若者文化の中心地として担い始めた年代でもある。
一方、原宿においても1976年頃より竹下通りが商店街化していき独自のファッション文化を形成していった。また、1977年には代々木公園横に歩行者天国を導入し渋谷とは違う若者文化が築かれていった。



1980年代 -


1980年代後半の、バブル絶頂期にはボディコンと呼ばれる非常にタイトでボディラインを強調したワンピース、あるいはスーツに身を包んだ女性が登場するようになる。発祥は1980年代前半のヨーロッパファッションであったが、日本経済が潤沢な時期でもあったためにこうしたファッションが受け入れられてくるようになる。この時期まではこのようなニューファッションを女子大生やOLが特に着用し、ギャルという言葉は若い世代の女性になぞられた。ピチピチギャルという言葉も1980年代前期に登場した言葉である。


渋谷では、渋谷ロフトや西武SEED館(現:モヴィータ館)、109-2など様々なファッションビルや百貨店における建設ラッシュが興り、より若者らしい街へと形成していくことになる。
一方、原宿では1980年代初頭より竹の子族という路上ダンスカルチャーの一大ブームが巻き起こり、竹の子族が下火となった1980年代後半においても路上ライブやパフォーマーなど様々な若者文化が原宿を中心に興った。また、竹下通りにおいてはタレントショップが次々に開業していき、独自の流行を発信していった。



1990年代 -


1990年代に入っても、ギャルという言葉は使用され続けた。特に中尊寺ゆつこが描いた漫画『スイートスポット』登場するオヤジギャルは流行語大賞を獲得するまでの知名度を得た。このオヤジギャルとは、主に当時の若いOLを風刺した題材でもあり、1980年代の末期より流行していたジュリアナ族のように企業の就業時間の定時時刻である17時頃を迎えると挙って制服からボディコンに着替え、夜な夜な街に繰り出してはアバンギャルドな性質を見せる反面、どこか中高年男性(オヤジ)のような性格を髣髴させる、いわば女性としてはどことなくルーズに見え、そして大和撫子的要素の欠損した女性を的確に描いていたものでもあった。この現象はギャルそのものファッションとはあまり関連はないものの、ギャルという印象を「見た目は最先端ながらも言動に秩序やマナーなどがどこか欠落している」といったもので植え付けたともいえ、後に流行するギャル、コギャルらは当時の比較対象としてオヤジギャルを引き合いに出されていた。


この頃の渋谷では、109やPARCOなどのショップテナントが次第に10代向けのものに変移していった事により、ティーンズファッションの最先端地区としての地位を確立していくこととなる。
一方、原宿においてもメインストリートから少し入ったテナント賃料が安い物件でストリートファッションを開花させた裏原系が1993年頃より興っていく。また、1998年頃よりゴスロリファッションが興り、さらに多様な若者文化を形成していく事となる。




1990年代後半のギャルのカリスマとなった安室奈美恵
(写真は2005年)



コギャル

1990年代に入ってからストリートファッションなど「カジュアル」というキーワードをもったファッションが注目される。また、10代の女性の間ではSUPER MONKEY'Sの安室奈美恵の登場により彼女の装いを特に影響された者が続出した。この現象もしくは安室に心酔した彼女らのことをアムラーと呼び、10代の女性の多くが彼女のファッションである70年代風のサーファーファッション、LAファッションなど回帰的なファッションが流行を示した。特に大きな変化として、それまでの日本人にはあまり馴染みがなかった茶髪に対する抵抗感がなくなったことがあげられる。このファッションの流れを汲むのが狭義でのギャルの原点であるというのが定説となっている。また、一般的に安室を「初代ギャルのカリスマ」とされた。


コギャルという言葉は上記のアムラーの発生とほぼ同時期の流行語[3]、あるいは1993年から写真週刊誌フライデーなどの媒体に記述が見られる。ただし、本格的にコギャルという言葉を使われ出したのは1996年からであり、若者の娯楽・風俗までが女子高生・女子中学生を中心とした文化に変化していたことを象徴していた。この当時のギャルの年齢層は1980年生まれ前後(ポスト団塊ジュニア)の女性に相当する。コギャルの語源については諸説あるが[4]、有力な説としてはディスコ・クラブにおいてエントランスチェックの黒服が、本来は深夜入場が不可な女子高校生を成人女性と区別するための隠語として「格好はギャルだけど、未だ本物のギャルに成りきれていない、格好だけのギャル」から、「カッコ(格好)・ギャル」と呼ぶようになり、その「カッコギャル」が縮まって「コギャル」となったものや、マスメディアが「コギャル」の「コ」を「子」ないし「小」であると誤認した結果であるとする説、あるいは「高校生ギャル」を略して「コーギャル(高ギャル)」からコギャルという言葉に派生した説もある[5]。いずれも検証は不可能ではあるが、10代の女性(特に女子高生)に対して主に使用されることが多かった言葉である。しかし、本来の語源は1993年当時、黒服が、幼く見えるギャルを「子or小ギャル」と隠語で呼んでおり、実年齢は問わない(当時の時代背景として、警察の指導でも入らない限りID提示は求めない為)。その後、上記のように一般的に女子高生を指すようになり、孫ギャルという言葉が生まれたが、本来の語源の意味とは違った解釈がなされ広まったものである。




コギャルの一例。1990年代中期から後期にかけてのメイクやヘアスタイル。ガングロと呼ばれる強いタンニングを行っているのも特徴


この他にマスメディア主導によって誕生した派生語に「中学生のギャル」を指すマゴギャル(孫ギャル)があった。


1990年代末期には、既に高校を卒業した身分でありながらも、当時のコギャルとなんら変わりないメッシュを入れた髪で制服に身を包み、ルーズソックスにローファーを履いて街にくりだすという「なんちゃってコギャル」という女性も存在した。当時はコギャルブームと言って良いほどの流行ぶりで、ワイドショーや週刊誌を初めとして、メディアでは女子中高生やコギャルの特集が連日連夜と書き立て報道された。ただし、その影には若者の貞操概念や道徳観の欠落など様々な問題も同時に取り上げられ、特に「援助交際」に関しては児童買春・児童ポルノ禁止法が整備されていなかったり、あるいは青少年保護条例が現代ほど機能していない時代でもあって強く問題視された。その反面に先述のような黒い資金源があってこそ高校生や中学生の身分で非常に高価なファッションを装うことが出来る、あるいは目まぐるしく変化していく流行に順応してゆく彼女らを絡めて、多様なコギャル像が構築されていた(俗流若者論 も参照)。


1990年代を賑わせたコギャルであるが、2000年代に入るとマスコミ媒体ではほとんど聞かれなくなる。ただし、アメリカなどの諸外国では "Kogal" として日本の若い女性を表す一般的な言葉として認識されている。ただし、どちらかというと諸外国では Kogal は性的嗜好やフェティシズムの1つとして認識されている[6]





(左)初期のヤマンバ
(右)2000年ごろのギャル



ヤマンバ

1999年[7]から2000年頃に流行した[8]。語源は山姥(やまうば、転訛してやまんば)。日本の民話で紹介される山姥が総じて白髪で手入れをしていない長髪であったことから由来する。それまでギャルやコギャルにも採用されていたガングロや化粧に加え、髪の毛の脱色が特に顕著であり、部分的な着色・脱色をしたメッシュを施し、乱れたように形作った髪形が特徴であった。また、ネガポジ反転をしたかのようなメイクが流行となり、自身のタンニングされた黒い肌と対照的に白い色のグロスやアイラインを施すことがヤマンバの間で大流行した。


また、この頃、何日も風呂に入らず下着も替えないような、不潔にしているギャルが「汚ギャル(おギャル)」と呼ばれ、テレビのバラエティ番組『学校へ行こう!』などで頻繁に取り上げられていた。特にヤマンバにあたるギャルがターゲットにされることが多かった。彼女らは顔も洗わず、化粧も上塗りを繰り返すためにヤマンバや後述のマンバ以上に濃く、ショーツ(パンティー)の中にナプキンをあてがい、それを取り替えることで必要最低限の衛生を保っていた。このようなことがバラエティで紹介されていたのも、ギャルの社会風刺の1つであり、特に当時のギャル・ヤマンバは家出をすることが日常的で、こうした彼女らの行動パターンから「プチ家出」という流行語にも発展した。プチ家出中は外泊を繰り返すが、その間は渋谷や池袋などで野宿を行ったり、一人暮らしの男性の友達の部屋に上がっては「男女間のバーター取引」を条件に、風呂や食事を提供してもらう、などの行為もマスコミなどに取り上げられ問題となった。





マンバの一例。ヤマンバで流行したヘアスタイルに新たに特徴的なメイクを施している。



2000年代 -



マンバ

2003年から2012年現在まで継続しているギャルファッションの一つ。ヤマンバの進化系ファッションであり、ヤマンバにもあったガングロもさらに強くタンニングを行ってゴングロ、あるいはバチグロと呼ばれる更に黒く焼けた肌を求めた。ヤマンバを継承しているため、白い口紅やアイラインはそのまま使われるが、アイラインに関しては特に目の周りにも白の濃く幅広に引き、まるでフェイスペインティングに近い感覚で描きこむようにメイクがなされた。目自体は縁にマスカラや黒いアイラインやペンシルで色濃くラインを描かれた。口紅を、唇も白系のグロスなどを塗るなどといった化粧をしており、ヤマンバに比べると今までの常識では考えられないメイクとなった。ファッションではパンツルックよりも極端に短いミニスカートを中心にコーディネートされており、それらは原色系や派手な柄ものといったものでまとめているのが特徴。バービー人形のようなマンバスタイルをバンバ、セレブ系のファッションを取り入れたマンバをセレンバと呼ぶ。全盛期に比べ数は少なくなっているが、渋谷の「げーはーこ」に代表されるように今でも一部でこのファッションが見られる。また、マンバに相当するファッションを装った男性をセンターGUYと呼ぶ。



ビビンバ

ギャルファッションのひとつで未成年者を中心にマンバでかつB系の格好をしている。渋谷を中心に棲息し、一部ではギャルサーを作って活動している。





第2のギャルのカリスマと謳われる浜崎あゆみ
(写真は2007年)



白ギャル

この時代のギャルファッションの大きな変革の1つとして「白ギャル」が登場した事によって、より幅広いギャル系の派生や進化を生むようになる。それまでのギャルとは日焼けサロンに通って自身のタンニング具合を維持するなどしていた。これは前述までの流れでも分かるとおりギャルが本来はサーファーファッションやLAファッションを源流としたためであった。しかし、初代ギャルのカリスマと謳われた安室奈美恵が出産を控えた産休でしばらく芸能界から離れることとなったため、その後に登場した浜崎あゆみが2000年ころよりブレイクし始めてくると、その容姿や風貌から「第2のギャルのカリスマ」となった。また、時同じくして化粧業界でも美白ブームが起こっており、浜崎のような白い肌にブリーチによって金髪に近い色にした髪は年頃の近い女性に大きく支持された。その反面、2000年以降に登場するギャルは「白ギャル」と呼ばれる系派が次第に勢力を増してゆくことになる。なお、白ギャルはお姉系ファッションに比較的近い感覚を好む傾向があり、黒ギャルに比べると落ち着いた印象があるために明確なテイストの違いを見た目に識別できる。



お姉ギャル(オネギャル)

S Cawaii!の創刊と共に特に高校を卒業したギャルをさして、2000年頃によく使われた。当時のギャル系とお姉系との間のファッションコンセプト自体に根本的な違いがあり、実際に1990年代末期当時に発売されていたお姉系の赤文字雑誌の中で最も発行部数を占めていたのはJJのようなお姉系の中でも上品な部類に位置されるファッション雑誌であった。そのため、ギャルからお姉系への移行を目的としたニッチ的なジャンルとしてお姉ギャルが誕生した。お姉ギャルは全体的にシンプルにまとめるのが特徴的で、ファッションに原色を中心にまとめているギャルとは見た目が全く違っていた。ただし、メイクに関してはギャルが好んだ「目力を強調したメイク」を踏襲しており、眉や目のラインを念入りに書き込んだ。また、お姉系への移行を兼ねていたために肌の色は当時より登場していた「白ギャル」の系統であった。その後、しばらくはお姉ギャルという言葉を耳に出来たが、2004年頃からCanCam、ViViなどのお姉系雑誌にギャルが直接移行し始めたため、2006年頃よりお姉ギャルという言葉自体は耳にしなくなったが、S Cawaii!というギャルと他のファッション系統と繋ぐ意味の中間的な位置付けのファッション雑誌は残った。なお、当時のお姉ギャルとは2010年代でのセレカジに近い着こなし。



スポギャル

「スポーティなギャル」の略で登場した系統の一種。2000年頃に登場。ONE*WAY、Jassie、ラヴァーズハウスなどのポップな印象の強いギャル系ブランドで活発な女性を強調したファッション。特にSkechersの厚底スニーカーを着用するのが定番となった。しかし、女子中学生やギャルに憧れる小学生など比較的若年者層からの支持が強かった反面、高校生以上からの評価はあまり芳しくなく、実際に数年後には女児のキッズ向けファッションとしてスポギャルのコンセプトを踏襲したために、中高生の間からスポギャル支持層が激減してしまった。なお、ONE*WAYと同じ「ヤングファッション研究所」が展開するブランドのone spoもスポーティかつセクシーをコンセプトとしているが、当時のスポギャルとは全く性質もファッションも違うものである。




アルバカ

2003年から2004年まで流行したギャルのファッション傾向の1つ。なお、アルバカとは中国語版の日本の若者用語辞典によると「全身をアルバローザで包んだ派手なギャルのこと」とある[9]。実際に語源はファッションブランドのALBA ROSAの略である「アルバ」と、それを熱狂的に好むものという意味から「馬鹿」を加えてアルバカと称した。ALBA ROSAは1980年代より続くリゾート系ブランドであり、1990年代のアムラー・コギャル世代でもカリスマ化されたブランドであった。したがって、当時の他のギャルブランドと比較して価格帯が高く、いわゆる高嶺の花状態になっていた。2003年に大判のツートンカラーのブロックチェックに同ブランドのロゴであるハイビスカスを描いた通称「大柄ハイビ」が大流行し、これを機に全身をALBA ROSAで包み込むアルバカというファッションが流行した。アルバカの傾向は白ギャル、黒ギャルを問わない流行となり一世を風靡していたが、2004年頃よりセンターGUYと呼ばれるマンバファッションをした男性が登場。そして彼らもALBA ROSAを好んで着用した[10]。このことからALBA ROSAというブランドが崩れ、あるいは当時より流行を見せていたインターネットオークションで前述の大柄ハイビだけが中古で出回って流通する事態にまで発展してしまい、最終的にはALBA ROSAが一時休業するまでの事態になった。



キグルミン

2004年限定で登場[11]。ただし、地域によっては2005年以降も見られた。キグルミンは主に黒ギャルに多く見られ、ピカチュウ、ケロロ軍曹などの着ぐるみを身にまとって市街地などの賑やかな場所を徘徊していた。語源は「着ぐるみ + 民」である。



ロマンバ

2005年頃より少数派ながら現れたマンバの派生。後に姫ロリと呼ばれるファッションの原点であるロマ系とマンバを融合させたもの。なお、ロマ系は2003年頃より誕生した言葉である。





第3のギャルのカリスマと謳われる倖田來未
(写真は2005年)



サーフ系

女性のサーファーファッション自体は以前より存在していたが、2005年頃より再流行しはじめる。特徴としてはこの時期になると自身のファッションに対して「ギャル」と位置付けずにサーフ系と明確な位置付けを行っているのが特徴となった。なお、1990年代末期から2000年代初期にかけて男性の間で流行った「サーファー系」とは全く別物のジャンルのファッションである。特にブランドではCOCOLULUが流行し、ミニスカートやジーンズのヒップに同ブランドのロゴがプリントされた「ケツルル」が一世を風靡した。2005年当時のサーフ系は特にデニム素材を良く用いたファッションが流行し、先述のミニスカートもデニムであった。また、ボトムはバギーをヒップハングするような着こなしが流行していたのもあって、Aラインを意識したシルエットを構築していた。現在でもギャルの中には自身のファッションをサーフ系と明確な位置付けをするものがいる。



サイケギャル(ヒッピーギャル)

SLYやmoussyなどバロックジャパンリミテッドが展開する一部のブランドでサイケデリックをコンセプトとしたギャルが登場した[12]。民族的なファッションをモチーフとしたギャルで、当時の男性にも一部流行していたデリッカーと共通する部分も多い。サイケデリックトランスなどの音楽を好み、レイヴなどの音楽パーティーによく出席する。



age嬢(あげじょう)

ファッション雑誌『小悪魔ageha』が創刊した2006年から2011年頃まで継続したギャルファッションのひとつ[13]。ただし、age嬢という言葉自体はファッションのジャンルではなく、後述のようなメイクやヘアスタイルに特化したギャルに対する称号的な呼称と言える。小悪魔agehaはキャバクラやクラブなど夜の仕事に従事するキャバ嬢(ギャル)をそのままモデルとして起用するという業界初の試みを行なった雑誌であり、誌面に登場する一般モデルを「age嬢」と呼んだことが語源となっている。なお、同誌が創刊される以前、ファッション雑誌『nuts』の増刊ムック本としていたころ、前述のようなキャバ嬢を「小悪魔系」と呼ばれていた。ギャルファッションの多くは一般的な企業からの理解を得るのが難しいといわれており、自身のファッションスタイルを貫き通しながら社会人として活動するためには、そのファッション系統のアパレル販売員になるか、キャバクラなど風俗営業を行う店舗に従事するかの狭い選択肢しかなかった。したがって、ギャルファッションをする多くが社会人となった後にキャバ嬢として就業し、また、109系アパレルショップの顧客にこうした職業の女性が多く見られ、ギャル系アパレルとキャバクラには需要と供給のニーズが合致していることや、さらにはギャル系アパレル業界に従事することを正職とすれば表裏関係にキャバ嬢としての副職があることも暗黙視された。この見方はギャルに憧れる女子高生、女子中学生、あるいは小学生などにまでキャバ嬢に対する支持を得て[14]、実際に小悪魔agehaが創刊される以前より「夜の仕事に従事する人のメイクやファッション」がギャルファッションにおいて一定の注目をされていたことでも、age嬢という流行の登場が必然的であったことがうかがえる。





浴衣を着たすすきのの女性。age嬢を意識した盛り髪をしているのが特徴
(写真は2010年)


小悪魔agehaが創刊されると、雑誌に掲載されたage嬢のセルフメイクや私服が女子高生以下の若い年齢層の女性を中心に好評を博した[14]。ヘアスタイルに関しては基本が盛り髪、巻き髪となり、メイクは目力を強調したものであるが、それまでのギャルと根本的な違いはそのメイク技術が非常に洗練されている点であり、また、服飾よりもメイクとヘアスタイルに特化した「美」そのものを追求した構成であったことが特に若い女性の間で評価された。また、それまでギャルが行うメイクに対して懐疑的、あるいは敬遠していた層もage嬢のメイクを取り入れることによって、他のファッションジャンルへ変化を与えた要素も少なからずあった。その他にage嬢がメディアに注目されたことによって小学生が将来なりたい職業の1位にキャバクラ嬢がランクインされるなど世論の変化も見られ、さらには今までは小学生の女児はほとんど化粧をしないものであったが、age嬢の影響によって非常に濃い化粧をする女児が登場するようになるなど広い分野で美意識に対して変化が見られるようにもなった。着物、浴衣などの和服に関しても従来のギャルよりage嬢の方がより着用をするようになったともいわれる。




姫ロリの一種。お姫様をイメージとした金髪の巻き髪、オフショルダーで甘めのトップスは緩く衣紋が表現される為、ゴージャスなテイストが特徴
(写真は2010年頃)



姫ロリ

2007年 - 2012年頃まで流行[15]。過去にロマンティック系(「ロマ」とも)と呼ばれていたファッションが派生したもの。姫ギャルとも呼ばれる。現在は元ジーザスディアマンテの社員であり、小悪魔agehaの登場モデルである三添桂子の兼ね合いでage嬢の一種と認識されている。他のギャルブランドのようにボディラインの強調や露出によるセクシーさを追求したものではないが、リボンやレースをあしらい、フリルやファー、刺繍、シースルー素材などふわふわした着用感はまるでロリータそのものを連想させる。しかし、メイクやヘアスタイルがロリータと大きく異なり、特にヘアスタイルはage嬢よりも巻きが多く、比喩するならばお伽話に登場するお姫様をギャル化させたような容姿となる。したがって、先述のage嬢の一種と認識されている通りに特有の強いメイクが特徴であり、つけまつげを使用して垂れ目や、大きな瞳をとことん強調するため、まさしくギャルの系統のファッションであることが分かる。そのため、姫ロリはロリータ愛好者の中ではロリータファッションと認識されない傾向が強い。ロリータ愛好者の中での姫ロリとはBaby, The Stars Shine Brightのようなブランドを指すが、ギャル系としての姫ロリとは先述の三添桂子が以前店長を務めていた「ジーザスディアマンテ」や「LIZ LISA」、そのセカンドラインである「TRALALA」などを指すため、あるいはロリータファッションをギャルと同義に扱われることを忌避している、またはそのブランドの店員と顧客のファッションの温度差(店員は姫ロリなのに、客は似て非なる姫系であるなど)が大きいとも言われ、それらを合わせて批判の対象となる場合が多い。





渋原系の姫ギャル。原宿系のテイストを取り入れているのが伺える。
(写真は2012年)



2010年代 -


2000年代後半にはギャルのカリスマが西野カナや加藤ミリヤなどの歌手を代表とするものから益若つばさなどのギャル系ファッションモデルが支持される傾向にあった。また、渋谷系ファッションと原宿系ファッションを融合した新しい考えとファッションとして渋原系という言葉も生まれ定着した。
その結果、渋谷系ファッションにはヤマンバギャルなどのような派手なメイクではなくナチュラルメイクが流行する結果となったが、渋谷系ファッションに見られた2000年代までの劇的な変化や、奇抜な新しいギャルの変異や誕生があまり見られなかった事により、原宿系ファッションへの流行の転機となった。この事も相まって渋谷系ギャルが消極化していくことになる。



渋谷系ギャル雑誌の相次ぐ撤退

渋谷系ギャルが消極化していった原因の一つとして、雑誌媒体におけるファッションモデル依存が挙げられる[16][17]。それまでのギャルファッションの多くが一つのカリスマを崇拝し、己が崇めるモデル(あるいはタレント)が雑誌内で着用する衣服や小物を購入するという動きが強かった。代表的な例として前述の益若におけるつばさ売れという現象などが挙げられる。こうした背景から加齢によって10代ファッションを通していくには無理がある年齢となったとしても他のギャル系雑誌に移籍するなど、古くから人気のあるモデル(つまり「着れば売れる」という実績があるモデル)をそのまま登用し続けた結果、新しいモデルやカリスマ的な人物を輩出出来なかった事が大きいという見方もある。益若の結婚によるPopteen卒業となった2008年には、各ギャル誌は最盛期を迎えたがその後の売り上げは極端に落ち込み始め、小悪魔agehaを例にとれば2008年には30万部を発行していたものが2014年には12万部発行し5万部程度の売り上げにまで落ち込んだ。その結果、様々な雑誌編成や社員リストラなどを行うも同誌やHappie nutsを出版するインフォレストが4月15日に事業停止され、一時休刊となる[18]。また、5月31日の7月号でeggが撤退することが発表され[19]休刊となった。



若者文化の変化とギャルの盛衰

インターネットとSNSの普及によって10代及び20代前半の若者文化に大きな変化を及ぼした。これらは出版不況とも重なる為、前述の渋谷系ギャル雑誌の相次ぐ撤退にも関係するが、SNSの普及によって自分の情報を発信する文化が根付いた為、一般の人間が自分のファッションのコーディネイトをインターネット上に掲載する事で、その閲覧者がその情報を参考にするようになった為、雑誌のような1ヶ月などのスパンで得る情報から日替わりで得る情報を重宝するようになった[20][17]。これらの事から、若者の情報を得る行動も近しい友達を伝って得るよりもSNSなどで自分が良いと思った情報を得ていくという文化を形成していく事になる。その結果、従来の渋谷系ギャルに多かった「ギャルサー」などによって独自のコミュニティを形成することよりも、原宿系ギャルのような既存の友達以外にもインターネット上で浅い繋がりを持って幅広いアンテナを持つ事でファッションの変化に幅やスピードを持たせる事が出来たとも言える。情報収集力に差が出た結果とも言え、一種の情報格差とも取ることが出来る。
また、渋谷系ギャルは過去の自分における犯罪歴や悪い体験談、あるいは性の経験人数や初体験の年齢の若さなど負の側面を暴露する事(通称:闇語り)をすることによって自己顕示していく路線と取っていたのに対し、原宿系ギャルは過去の負の歴史を秘匿化してあくまで現在の自分を一つのキャラクターとして自己表現する路線を取っている(通称:不思議ちゃんキャラ)[21]。インターネットの普及や前述のような情報発信の傾向で2010年頃より男女を含めて受け入れられるようになったのが原宿系ギャルと言える。
また、前述の「闇語り」やそれまでのイメージによってコンプライアンス上の問題から渋谷系ギャルが淘汰されたという見方もある[22]




原宿系ギャルのカリスマとして謳われるきゃりーぱみゅぱみゅ。
(写真は2014年)



原宿系ギャルの台頭

渋谷系ギャルの衰退と入れ替わる形で、原宿系ギャルが台頭していった結果、きゃりーぱみゅぱみゅ藤田ニコルが原宿系ギャルのカリスマとして認められていくことになる。
それまでの原宿系もKERAやZipperなどの青文字系雑誌に代表されるような個性的なファッションを示していたが、原宿系ファッションを好む女性の多くはガーリー系などの比較的ナチュラルなものであった。益若による渋原系の提唱がなされた2009年頃より原宿系が渋谷系ファッションを取り入れる動きが興るようになり、その影響はそれまで渋谷系ギャルを中心に構成していたファッション誌Popteenが原宿系ギャルを中心にした構成になるなど、明らかにムーブメントに変化が起きていた。これらの結果、ガーリー系により奇抜なヘアカラーを施したようなフェアリー系に代表されるファッションが流行を示したほか、1990年代末期に原宿系ファッションで一定の流行を示したデコラ系が10代半ばの女性に大きく支持され、髪や衣装にヘアピンなどカラフルな色合いの服飾が流行を示すなど、徐々に原宿系ギャルが台頭していく様相となる。



新たな渋谷系ギャル

2010年代中期になると、欧米を中心とした外国人女性により日本のファッションカルチャーに対して大きく評価がなされる。原宿系の台頭によって渋谷系ギャルが激減したが一部のギャルサーが海外に対するアピールなどを行った結果、他国でも渋谷系ファッションを取り入れる動きが活発化しつつある。その結果、2014年頃にはネオギャルという海外セレブのファッションを取り入れた全く新感覚のギャルが登場するなど、巻き返しを図りつつある。また、一時休刊となっていたギャル系雑誌「小悪魔ageha」が2015年4月18日に、「Happie nuts」も同年7月17日に復活した[23][24]



海外での評価




マンバメイクのガングロコギャル達とホスト風のギャル男
(2000年初頭ごろ)


近年ギャル文化は渋谷系、原宿系共に外国人からみて日本の若者文化として理解と共感が見られるようになりつつあるが、当初はこれらのファッションは日本の若者文化の中で特に狂っている(理解できない)文化であると判断されていた。ギャルはロリータ・ファッション以上に狂った文化であると評価される傾向が強く、外国人から見たギャルは1つのジャンルの中に複数のサブグループ(つまりは「ヤマンバ」や「ガングロ」など)があるとの認識があり、これらの派生グループとして登場する新たなギャル、さらに新しいサブグループが去年のものよりもさらに奇妙なものとして登場するとの見解を示していた。外国人にとってギャルとは『ある日、普通の女子高生が足を踏み外し、自分の髪の色を金髪にし、自分の学校の制服を信じられないほど短いミニスカートと信じられないほど垂れ下がった靴下(ルーズソックス)を用いてセクシャライズに着こなし、顔を日焼けさせて自分の顔よりさらに濃い色のファンデーションでメイクをして、唇の色と同じ白いペイントで目にステッカーを描いている。』という奇異な眼差しで見られていた。いわゆる日本の学校制服で見られる着崩しという行為は、学校制服自体がフォーマルな服装として扱いを受ける欧米文化では受け入れられず、さらにはギャルメイクのあり方なども酷評されることが専らであったからである。
また、マンバに関しては『パンダの売春婦のように見える。』、ヤマンバには『自分のことを日本語で「山のババア」と称する女性。』と散々に書き下ろしたり[25][26]、『限りなく露出し、ハイヒールを履いている様がコールガールを連想するため、男性としては見た目には嬉しいが、どこに目をやっていいか分からない。』などと性的な視点から外国人の目に映っていた。また、逆に「ギャル男」にあたるファッションをする男性に対しても『なぜ極端にやせ細っていて、しかも自身の貧弱さを強調するかのようにボディラインの薄っぺらい服を着るのか?』などと評価がなされていたり、外国人から受け入れられない時代が続いた[27]




原宿系ギャルファッションに身を包む外国人ギャル達。


これらの酷評が一変して外国人から支持と評価を集めた要因は政府によるファッション産業や日本の文化を広めようとする文化外交による成果と言える。日本国内においては経済産業省がJapan Fashion Week (JFW)を支援することによって、ファッションの多様化が進み近年では東京ガールズコレクションが開催され対外的な発信がなされ、外務省や観光庁においても2009年よりJapan Expoの参加を行い、カワイイ大使の創設などを行ってより日本文化の発信力向上に力を注いだ[28]


これらの成果として、ギャル以外にも、ロリータ・ファッションやヴィジュアル系なども外国人から見た日本文化やファッションへの理解が深まった事で、日本でもテレビにて「外国人ギャル」というものが紹介される事が多くなる。代表的な例としては2009年9月29日放送のフジテレビ『めざましテレビ』の特集「渋谷に外国人ギャル流行」や、2010年3月20日放送のNHK総合テレビジョン『東京カワイイ★TV』の特集「続々上陸! 外国人ギャル軍団」などで、日本のギャル系ファッションがインターネットなどを通じて外国の若者たちから人気を集め、各国から実際に来日して渋谷でショッピングを楽しんでいる様子などが紹介されたり、2010年1月14日放送のフジテレビ『めざましテレビ』の特集「英国ギャル渋谷道中」では、イギリスから初来日した一般人のギャルとギャル男の2名を、egg専属モデルの高橋由真(ゆまち)と田中愛奈が出迎えて渋谷を案内するなどのメディアに登場する機会が増えた。なお、このイギリス人2名はイギリス国内でも有名な「マンバ」ファッションの熱狂的な崇拝者であり、母国イギリスの国営テレビ放送局BBCのインタビューでもマンバファッション特有のメイクやスタイルなどの魅力を伝えているなどをした[29]


日本人と身体的な特徴が似ているアジア系外国人ではなく、ヨーロッパ系の外国人にギャル系ファッションが流行していることが大きな特徴であり、欧米圏を中心に渋谷系ギャルが評価されるようになりつつある。特にガングロカフェなどのギャル系カフェに外国人観光客が急増している[30]。これらの事から現在でも外国人からみた渋谷系ギャルや原宿系ギャルに対して少なからず賛否両論はあるものの、近年では日本の若者文化としての認知度が高まったと言える[31]



その他のギャルの傾向


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女子高生制服の着崩しの一例。ブラウスの上にカーディガン、スカート丈は限りなく短くし、ルーズソックスとローファーを組み合わせて(2011-2014年)



パギャル


「中途半端なギャル」の略で用いられる言葉。この意味はかなり広義で使用される傾向が強く、ファッションが成長過程であることから用いられる場合もあれば、あるいはいわゆる「ダサい」からパギャルと呼ばれる場合もある。また、外見だけでなくギャルの精神をあまり受け継いでいない女性に対してもパギャルと呼ばれる場合もある。パギャルを決める尺度はかなり個人での開きがあり、一般的には自分が気に食わないギャルに対する否定的な呼称、あるいは侮辱する場合に用いられる。



ヤンギャル


ヤンキーからギャルに変移すること、あるいはギャルへ発展する過程段階のことを指す言葉。先述のパギャルと違うのは「ヤンキーからギャル」という明確な意味を持っている点である。容姿や外見に対してヤンギャルという言葉が用いられる場合は、そのファッションがどこかしらヤンキーファッションを彷彿とさせる要素がある場合であり、あるいは前述のパギャルと同様に「ダサい」ということで侮辱する意味合いで呼称される場合もあった。元々、ギャルファッションが流行する過程にはヤンキー系女性がギャル系に変移した者が多かったことが起因しており、特に1990年代に同様の流れでギャルになった女性のことを「脱ヤン」とも呼ばれた。ヤンキーファッションも社会的アンチテーゼが強かったため、金髪や濃いメイクなど共通する点が多く、そのためヤンキーからギャルへ変移しやすかったこともこの言葉が誕生する切っ掛けとなった。


2004年頃から登場した「女性のスウェット族」に対してもヤンギャルと呼ばれる傾向があった。スウェット族の女性が増えた原因の1つにキグルミンの流行と衰退があり、若い女性が着ぐるみを着用して街を徘徊していた層がほぼそのままスウェット族に移った。また、キグルミンの着ぐるみも、女性のスウェット族が好んだスウェット衣料も共通してドン・キホーテでよく販売されていた人気商品であったのも増加の原因になったともいえる。そのため、スウェット族の多くがメイクやヘアスタイルはギャル系のそれでありながらも、衣類は無地同色のスウェット素材の衣料上下(セットアップ)にキティサンという格好で外出するのが定番となった。これらを踏まえて、顔はギャルでありながらもファッションはヤンキーそのものであると評価された結果、あるいはその格好で深夜に駐車場などに座り込んで数人で談笑するギャルの習慣も相まって女性のスウェット族も同様にヤンギャルと呼ばれた。


その他の用途に、ヤンキーとギャルを大別せずに1つのジャンルに括った呼称として「ヤンギャル」と呼ばれる傾向もある。





ギャルみこしの様子
(写真は2010年7月23日)



ギャルみこし


大阪天満宮で開催される天神祭にて毎年7月23日に行われている行事。1981年から続いており、地域文化の発展・振興と地域の活性化の一環として天神橋筋商店街の四町会、四番街、天四北商店街、天五商店街、天六商店街の各商店街団体が中心となって企画された。このギャルみこしは毎年担ぎ手をオーディションにて募集する。オーディションでは参加者それぞれの得意とするかくし芸を面接審査で行って人選し、その中から優秀者は「ミス天神橋」(1名)「準ミス天神橋」(2名)として表彰される。なお、これら優秀者には副賞として海外旅行が贈呈される。2005年までの参加資格は満16歳 - 28歳の女性に限られていたが、2006年以降は年齢制限が撤廃された。また、ギャルみこしの担ぎ手に選ばれたメンバーはこの他に大阪市の各種公共イベントなどに出席したり、海外姉妹都市などへの招待を受けて演技することもある。2005年は第25回記念大会として、将来を担う子供たちと過去にギャルみこしを経験した母親との親子が参加する企画も行われた[32]



ギャルママ


子を出産し、育児を行う母親になったギャルのことをギャルママと呼ぶ。近年では2010年に発足した日本ギャルママ協会に所属している人もいる。



ノギャルプロジェクト


ギャルから実業家となった藤田志穂が2009年より行っているプロジェクト。都心から地方に向けて農業を行う人材を育成しようと「ノギャル」というプロジェクトを発案し、藤田は一旦代表取締役を辞任してこのプロジェクトに動いた。語源は「 + ギャル」である。この都心から地方に向けて農業や林業などに派遣を行うビジネスモデルは次第に定着しつつあり、実際に藤田の行いはギャルを含めた若者の農業に対する認識・関心が僅かずつではあるが高まりつつある[33]


2010年には派生系として「ウギャル」(魚/海+ギャル。漁業)が現れた。



渋ギャル


渋谷を愛する雑誌モデル「えひゃん」が渋ギャルと名づけたといわれている。


また、シブギャル-SHIBUGALはSHIBUGAL株式会社の公式ページによれば商標登録済みといい、所属ブロガーや読者モデルの意見に基づき、完成した企画商品として、つけまつげ、フェイスマスク、クレンジングなどがシブギャルというブランド名で発売されている。
また、



ピンポイント・ファッション



ギャルファッションにおける時代毎の変移と流行
















































































































































































































時代別ギャルファッションのキーワード及びマストアイテム
時代 名称 分類 説明
1990年代
ALBA ROSA

ブランド
1990年代にギャル系が登場した際にカリスマブランドとして認識された。

アムラー

流行

安室奈美恵のファッションスタイルを崇拝する女性の事。ギャル系の発展とコギャルの登場に大きく影響。

ルーズソックス

アイテム
履いている状態がゆるい印象を与える靴下で、主にブレザーやセーラー服を着用の上で、ローファーと組み合わせて履かれる。コギャルから制服の着くずしという文化が変化してゆき、それまでの制服の着こなし方が大きく変化させた現在でも定番的なアイテム。


ロングブーツ
アイテム
コギャル初期のアイテム。特に黒のスエード風のロングブーツが流行した。ブーツの流行はバブル期以前では短命に終わっていたが、コギャルにブーツが流行したことによって2007年にブーティーなどのショートブーツ化したファッションが発生するまで10年以上も定番となった。
パレオドレス
アイテム

パレオで女性が着るドレスが流行したもの。1枚布を結ぶだけの簡素なもので、夏に着用していた。

ビキニ
アイテム
バブル期からしばらくは水着の流行はハイレグであったが、ギャル系ファッションがビキニを支持していた。その後、他のファッションも海でのファッションにはビキニを着用する人が多くなった。
LOVE BOAT
ブランド
1996年に創業したギャルブランドで、創業当時のこの時代は特に人気が高かった。移り変わりの激しいギャル系の流行にも定番的な地位を確立し、後にLDS(Love Drug Store[34])LB-03、LOVE GIRL MARKETなど展開している。

CECIL McBEE
ブランド
同じく1996年に創業したギャルブランドで、同じく移り変わりの激しいギャル系の流行にも常勝的な地位を確立しているブランド。現在では新ブランド「Fabulous CECIL McBEE」も展開。同ブランドの代表取締役である木村達央は1996年という年を「渋谷にセクシーカジュアルの突風が吹いた」と評しており、実際にこの年に創業したブランドも多く、さらにはギャル系ファッションがより進展し始めた時期も1996年と重なる[35]

アイプチ
アイテム

二重まぶたにするための糊の一種で、特にギャルメイクを行う上で「目力(めぢから)を強める」というのは一つのキーワードとなっていた。アイプチをすることによって二重まぶたにすることが出来るが、その反面にギャルが好むメイクを行うには相応の技術が必要となりギャルによってアイプチが流行したものの、中にはメイクが難しくなるという理由でアイプチを使用することを敬遠する者もいた。

日焼けサロン
その他
ガングロになるためには日焼けサロンは必要不可欠であった。若しくは黒系のファンデーションをタンニングした肌の上から厚塗りしていた。なお、ガングロの略称には諸説があり、「ガンガン黒い」の略称、あるいは「顔黒」から来ているという説もある。ガングロよりも焼いた肌をゴングロ、さらに焼いた肌をバチグロと呼んだ。ただし、このスタイルの流行は地域差があり、例えば関西地方においては、隆盛を極めた時期でさえも、街中でこのようなスタイルの少女を見かけることは稀であった。

黒系のファンデーション
アイテム

厚底ブーツ
厚底サンダル
アイテム

ソール全体を厚くしたブーツとサンダル。1990年代末期に流行。厚底サンダルは1999年S/Sで流行したが、厚底ブーツは1998年 - 1999年A/Wと、1999年 - 2000年A/Wで流行した。ブーツに関しては前期と後期で種類が違い、初期はスエード調レザー用いたベージュかクリーム色のようなブーツが流行した。後期は前期のスエード調以外にレザー調の光沢感のある黒や茶色のブーツが流行った。特に後期は前期のものよりもスタイリッシュな造りが多く、編み上げブーツが特に流行した。
アニマル柄

色彩
1998年頃より流行。特にヒョウ柄、ゼブラ柄が人気を博し、特にヒョウ柄はギャル系の代名詞的な色彩となった。当時、ギャルファッションのキーワードとしてワイルドなイメージを前面に押す、あるいは南国イメージが強いパッションな表現も多かった。この年のアニマル柄の大流行はギャルだけでなく他のファッションにも大きな影響を及ぼした。翌年以降より一旦はアニマル柄の流行は沈静化したが、ギャル系には散発的なヒットを繰り返すようになった。2005 - 2006年A/Wには再度ファッションと問わずにヒョウ柄が大流行している。

キャミソール
アイテム
1998年頃より流行。それまで、下着ないしインナーとして着用していたキャミソールであったが生地をメリアス等に変更してトップス向けのものが登場しギャルの間で大流行した。その結果、夏場などはトップスはキャミソール1枚のみという女性も少なくなかった。現在では定番化し、様々な着回しやローテーションが出来るアイテムとして、あらゆるファッションにおいてキャミソールが定着している。
ブラストラップ
ストラップレスブラ
アイテム
キャミソールの流行と同時期より普及。キャミソールの形状上、ブラジャーのストラップが見えてしまう為、見えてしまう箇所を如何にお洒落に見せるかが課題となった。ブラストラップ自体は安価であった事と交換が容易であった事から、ストラップの普及に繋がった。特にクリアタイプやアニマル柄は大きく流行した。また、ストラップ自体見える事を忌避する需要もあった事から、ストラップレスブラも流行した。これらの事象から女性用下着のニーズの幅が広がり、様々なデザインや色柄の下着が販売されていくこととなる。

メッシュ

ヘアスタイル
ガングロからヤマンバが登場する過程で登場した、部分的な色違いの毛染めを施したスタイル。それまでは頭髪は茶髪や金髪などに染色しているスタイルが多かったが、渋谷センター街を発祥として1999年頃に隆盛を極めた。

パラパラ

音楽
1990年代はパラパラは複数回流行したが、ギャルの間でパラパラが大きく流行したのは1990年代末期であった。特に当時はサークルを作って深夜徘徊を行っているギャル達が公園や路上などの公衆の面前でもパラパラの振り付けを行って楽しんでいる様子がうかがえた。
2000年代

美白ブーム
その他
2000年頃より流行した肌の美意識傾向の一つ。1999年頃より放映され始めたポンズ・ダブルホワイトのCMによって翌年より白い肌が尊重される美白ブームに取って代わった。これによりギャルの傾向が「白ギャル」や「お姉ギャル」という新しいタイプのギャルが登場した反面、従来の黒い肌を基調としたガングロが激減し、その影響でマンバ系のギャルも減少傾向となった。
ミニ浴衣
アイテム
ギャルブランドの多くが夏になると浴衣を販売しており、これによりギャルの間で夏に浴衣を着ることが定着したが、2000年ころに「ミニ浴衣」というものが登場した。ミニ浴衣は通常の浴衣と比べて身頃が極端に短くなっており、ちょうどミニスカートくらいの丈となっている。ギャル浴衣以外に甚平も良く好んで着る切っ掛けになったとも言われる。

アユラー
流行
安室奈美恵の信者を「アムラー」と称したことから、浜崎あゆみの熱狂的な信者を「アユラー」と称された。ギャル傾向の白ギャル化が際立って目立つ中、浜崎は多くの支持者に偶像化されていった。

ミュールサンダル
アイテム
それまでは「ヘップバーンサンダル」と呼ばれていたものであったが、本格的に流行り始めたのは2000年代初頭からであった。当初流行ったものは非常にヒールが低いミュールが流行り、当時はヒールが低いサンダルのことをミュールと誤解する人も多かった。

メイベリン
ブランド
日本でも知られるマスカラブランドの一つ。1996年にロレアルグループの傘下となったために1999年ころより日本でのブランド展開を一新。2000年代よりCMが盛んになるとギャルもそのブランドの認知度が大きく向上した。これを危惧したコーセーはブランド「ヴィセ」のイメージキャラクターに浜崎あゆみを起用するなどして、マスカラ市場のギャルの動向はより激しいものとなり、同時にマスカラの性能はこの時期より飛躍的に向上した。

ストレッチファイバー メザイク
アイテム
二重まぶた矯正アイテムの一つ。2000年に登場して以来、アイプチと二極で覇を競っており、当時メザイクの登場の際にはアイプチでの問題点を解決できたアイテムであるとして好評を博した。
金髪のショートヘア
ヘアスタイル
浜崎あゆみの曲evolutionが発表された時期に起きたギャルの傾向。この時期に浜崎はロングヘアからショートヘアへとばっさり髪を切ったため、これに感化されたギャル(特にアユラー)が一斉に髪を切ってしまい、ギャルの中でショートヘアが大流行した。

エクステ
ヘアスタイル
2000年代初頭より流行。特に先述の浜崎のショートカット後にエクステをつけてロングヘア化したことが話題となって、多くのギャル(アユラー)達がマネをした。これによりエクステをつけることが一般的となった。

チューブトップ
アイテム
2000年頃より流行。当初は欧米人より華奢な日本人の体形ではズレやすい為にあまり合わず、本格的な流行となったのは2002年以降である。

ヌーブラ
アイテム
2002年頃より流行。既に流行していたキャミソールや、前述のチューブトップをブラストラップを見せずに着用するにはストラップレスブラ以外に選択肢がなかった。特にズレ防止の為には摩擦の強い生地のブラジャーを使用しなければならず、下着のラインが響いてくるため思い切ったファッションがしにくいという欠点も露呈した。ヌーブラの登場により特にチューブトップやベアトップなどズレやすい形状の衣類や、肩や背中などで下着を見せないようにする事が可能となることや、前面においても下着の形状が衣類に響いてこない自然なバストの形状を見せる事も相まって爆発的な流行をした。その他にも、自身のバストサイズよりも大きめのブラジャーの内側にヌーブラを装着することで、自身のバストを大きく盛る技術も流行。一般的に痩せ型体形が多いと言われるギャル達の間で大きく普及していき現在では様々なファッションの間で定番化した。

トラパラ
音楽
2003年頃より流行。それまではパラパラが流行していたが、いつのまにかトラパラの流行に移行していた。ディスコには連日ギャルが多く居た。

ネイルアート

美容
キャル文化の中で特にネイルアートが2003年頃より一般的となった。特にネイルチップからスカルプチュアを実施する層が増えた。当時はまだジェルネイルがないために加工に時間がかかっていたが、それでも己の美のために待つ労力も惜しまなかった。

デコ電
その他
ネイルアート技術の発展により、携帯電話をデコレーションすることも流行した。それまでも携帯アートというものがあったが、本格的なものになるとエアブラシなどを使わなければならないために専門的な知識や技術が必要であったが、デコ電は個人でも比較的楽しめた。また、ネイリストがネイルアートの技術を用いて本格的なデコ電にすることも可能であったため、特に若い女性が好むデザインに仕立て上げることも可能であった。これにより当初はギャルの間で流行し、後に一般的な女性や幼い子供でもデコ電にする傾向が広まった。
ケツルル
アイテム
サーフ系の復活により、2004年頃よりCOCOLULUの人気が高まる。同ブランドのジーンズで尻部にロゴがプリントされたものが爆発的にヒットし、これを「ケツルル」と呼ぶ。
エロカワ
流行
2005年頃より倖田來未がギャルのカリスマとして人気を博すと、当時の倖田が「エロかっこいい」と形容されはじめ、また、本人も女性へのメッセージとして性愛に対してオープンになるように発言したことから、女性達が「エロ」に対して非常に寛容になった。これにより、ファッションに関して「エロカワ」という要素が確立し、男性から見た性的興奮を狙ったファッションが評価されるようになり、挑発的な露出(例:胸の谷間が見える、太ももが見えるように強調した服装)をエロカワイイという位置付けとした。この現象は当初ギャル系が先行して受け入れたが、次第にSeventeenなどのコンサバなティーンズファッション雑誌や、ViViを中心にCanCam、JJ、Rayなどの赤文字雑誌(いわゆるお姉系)にも広がり、ファッションがより男性の視線を意識したものに変移していった。

ショーパン
アイテム
日本で1970年代に流行したホットパンツの再来。2006年頃より流行。当初の雑誌ではホットパンツと銘打ったが、次第にショートパンツと呼ばれ、やがては「ショーパン」と略されるようになった。従来のミニスカートよりも脚のコーディネイトの自在性が前面に出されることと、スカートと比べて活発な行動が可能であり、特にパンティを見られる可能性が極限に低下させることが出来る、あるいはスカートよりも防寒性があるのは大きなメリットでもあった。
また、同年より「ニーハイ丈」という一つのファッションキーワードが登場した。これは2006年当時の美脚ブームから派生するもので、ショートパンツで脚の露出を上げて膝上丈(ニーハイ丈)のロングブーツや、ニーハイソックスとコーディネイトすることによって、脚を長く見せる効果があった。特にニーハイソックスに関してはギャル系だけでなく他のファッションにも大きな流行を及ぼした。

ニーハイ丈
流行
デカ目
流行
2006年に雑誌「小悪魔ageha」が創刊されて顕著になった傾向。メイク技術によって「目を大きく見せる」というものが1つの目標となり、この傾向を「デカ目」と呼んだ。アイメイク用の化粧品も販売競争が激化し、大手化粧品メーカーの資生堂も「MAJOLICA MAJORCA(マジョリカ マジョルカ)」などの若年者向けレーベルでラッシュ・エキスパンダーネオというマスカラを発表させるなど、ギャル(age嬢)のメイクには各化粧品メーカーが注目していたといえる。
また、この他にもカラーコンタクトレンズを取り扱うメーカーも注目しており、医療機器関連メーカーのジョンソン・エンド・ジョンソンも2005年2月にコンタクトレンズ「ワンデー アキュビュー ディファイン」を発売。黒目を大きくくっきり見せられるとして爆発的な人気を博した。翌年11月にはより目を大きく見せられる「VIVID STYLE」が発売された。しかし、しっかりとした医療機器として販売される商品がある中、雑貨として「おしゃれ用カラーコンタクトレンズ」が医師の診断なく販売され、特にインターネットや雑誌の広告などによって通信販売などがされた結果、購入者からその取り扱いの不備によってさまざまな事故(眼障害)が報告されるなどの事件が発生した。その結果経済産業省と厚生労働省が厳密に薬事法による取り扱いを行う製品にすることが発表されるなどデカ目から派生したカラーコンタクトレンズ問題は大きな物議を醸すこととなった[36]

ハイブランド
その他
小悪魔agehaによってキャバクラ嬢が注目されるようになると、彼女らが所持しているルイ・ヴィトン(特にモノグラム・マルチカラーやダミエ・アズールなどの柄)、クリスチャン・ディオール、シャネル(カンボンラインなど)、コーチなどのバッグや財布などを社会人のギャルだけでなく高校生や中学生のギャル達も所持することが非常に多くなった。しかし、高価なブランドであるために商品を安価に入手するためにインターネットオークションを利用して並行輸入品と呼ばれるものを入手する者も多く、その結果コピー商品を掴ませられるなどの問題ともなっている。
ムートンブーツ
アイテム
2007年頃より流行したブーツ。表面はスエードで起毛処理された革(ムートン)を使用し、内側にファーが施されているブーツで、長さは従来のロングブーツと比較するとふくらはぎ丈ほどしかないもの。「シープスキンブーツ」とも呼ばれる。元はアグ・オーストラリアが発売するアグブーツと呼ばれるものがこのデザインの原点であり、サーフィンをする者が足先を冷やさぬように施されたブーツで、2006年ころロサンゼルスで流行しサーフ系セレブファッションとして日本に伝わった。なお、日本では本物のムートンが使用されていなくても形状のみでムートンブーツと呼称される傾向がある。春先までブーツとして、特にブーツの履き口を折って中のムートン部を外に露出して使用することもできる2通りの使い方が出来るとして定番化しつつある。
カラータイツ
アイテム
2007 - 2008年に流行。ショートパンツが定番アイテムとなった結果、前年度にはレギンスやタイツと組み合わせてコーディネイトする女性が増えたが、翌年にはタイツのカラー版が登場した。さまざまな色やデニールの太さ細さによって透け感の演出など服飾のアクセントとして取り入れることが出来たため流行した。前述のムートンブーツと合わせやすかったのも人気の理由となっていた。

ブーティー
アイテム
2007年秋頃より流行。日本では1990年代中盤より10年以上もロングブーツが定番化してしまっていたために、当時ブーティーはかなり画期的かつ斬新なアイテムであり、同年夏から流行の兆しがあると予測されながらも当初はこれを新しいファッションアイテムとして使いこなせる女性が少なかった。形状はブーツを踝かアキレス腱辺りで切ったような形状をしており、ショートブーツに位置付けられる。これも前述のカラータイツの登場や、ミニスカートからショートパンツへボトムのファッションが切り替わったことによる「美脚化」の流れであった。次第にブーティーとの組み合わせが考えられた結果、翌年以降からも定番化した。


主なブランド



ALBA ROSA(アルバローザ)

かつてのギャルのカリスマブランド。ロゴにハイビスカスの花を用いている。宮下美恵がギャルのアイコンとなり、大流行[37]

COCOLULU(ココルル)

現役のギャルのカリスマブランド。サーフ系を中心としている。かつて丸井に入っていたが、すでに閉鎖をし渋谷109に入っている。2004年頃には後ろにCOCOLULUのロゴが付いてあるジーンズが流行り、「ケツルル」と呼ばれた。

BLUE MOON BLUE(ブルームーンブルー)

109やALTAなどに入っているサーフ系のカリスマブランド。ハイビスカスの花を用いたTシャツやパーカーなどが多い。


かつて丸井に入っていたが、北千住マルイは2012年2月をもって閉鎖をし、すでに丸井から姿を消した。※現在消滅。



ROXY(ロキシー)

かつて渋谷109にも入っていたサーフ系ショップ。こちらも宮下美恵がギャルのアイコンとなり、大流行丸井のフィールドで取り扱ったり、渋谷109には2003年、4月にBLUE MOON BLUE(ブルームーンブルー)のサーフ系ショップがオープンをした関係で、ROXY(ロキシー)のショップは渋谷109から撤退となった。

EGOIST(エゴイスト)

1999年に渋谷109にオープンをしたカリスマブランド。

JSG(ジェイエスジー)

渋谷109にオープンをしたカリスマブランド。ハデ色パーカーやネコの耳がフードについたパーカーなどを取り扱っている。渋谷109以外には大宮アルシェに入っている。※現在消滅。

マープルQ

渋谷109内に入っているカリスマブランド。ハデ色パーカーやハデ色Tシャツなどを取り扱っている。

ANAP(アナップ)


1992年創立の原宿の竹下通りの本店の路面店をメインに作られたカリスマブランド。派手色のパーカーやスエットで作られたショルダーバッグなどを取り扱っている。姉妹ブランドにはANAP GIRLなどがあり、こちらは中学生のギャルをメインに作られたブランドである。また、社会人の既婚のギャルの母親や子供をターゲットに作られたANAP KIDSなどがある。





 

ギャルのアイメイクの一例。特にギャルは「目力」を強調するため、念入りに行う。
瞼の粘膜にまでラインを入れてマスカラを重ね塗りしてまつげをカールさせて目を大きく見せる。白人のメイク技術に近い。




ギャルのメイク


ギャルになるための最低限の法則として、以下の手法が挙げられる。



  • アイメイク

  • 髪盛り

  • ファッション


ファッションに関しては前述までのギャルの派生や系統で紹介したために割愛するが、上記のアイメイク、髪盛りはギャルファッションを行う上で必須といっても過言ではない[38]。ギャルメイクの手法は年代別に変化をしている。1990年代のギャルのメイクは2010年代に比べると比較的ナチュラルなメイクが流行し、1980年代のバブル期のメイクに比べるとパーツ毎に極端な色を表現するような(※:例、真っ赤な口紅やいかにも書いたような濃いブローなど)メイクが廃れ、ベージュ系など比較的柔らかい色のメイクが主流となった。また、チークを使用したりして肌のコントラストを表現して立体的に見せるメイクが多くなり、あるいはマスカラで目の大きさを強調したり、眉毛を形状を加工し、目元のシャープさを印象付けるものが多くなった[39]


2000年代に入ると、化粧品が驚異的に進化を遂げ、また、ギャルなどの若年層が好む安価な化粧品もドラッグストアやコンビニエンスストアで販売されるようになる。また、資生堂なども大手ブランドも若年者向けレーベルが販売されるようになり、代表的なレーベルにマジョリカマジョルカなどが挙げられる。また、ギャル文化において、小悪魔agehaのようにメイクとヘアスタイルに突出したファッション雑誌の登場は必要不可欠なものであり、それまでにも各ギャル雑誌にてメイクの手法が取り上げられてはいたものの、キャバクラ嬢のメイクやヘアスタイルがクチコミ的に注目されていたのも相まって、このような雑誌の登場は自明の理であったとも言える。現在のギャルメイクはアイメイクに8割の時間と労力が掛けられているといわれる。これは1990年代のギャルの頃から「目で落とす(男を落とす)」というのもキーワードになっていたためでもあり、それから発展した現在のアイメイクは肌のコンディションも自在に操れる高等な技術といっても過言ではない[40]




金髪の巻き髪と茶髪のギャル達(写真は2007年ごろ)



ギャルのヘアスタイル


ギャルのヘアスタイルも時代と共に大きな変化を見せた。コギャルブームの1990年代ではストレートヘアに茶髪が流行し、その後金髪が目立った。中でもメッシュと呼ばれる部分的な脱色が1999年頃に隆盛したが、2000年にはいってから次第に巻き髪のギャルが増え始めた。また、頭髪を金髪に見せる技術もこの頃より進歩を見せ、それまでは単にブリーチと呼ばれる漂白剤を何度も髪になじませて頭髪の色素を落として金髪に見せていたが日本人の髪は脱色を繰り返しても黄味だけが残り黄色く仕上がってしまうため、脱色後にカラーリングとして青みがかったヘアカラーリング剤を含ませることによってより自然な金髪に見せる。こうしたヘアカラー技術が発達し、金髪だけでなく「ミルクティ色」など甘めな印象を与えるカラーリングも登場し、次第にヘアカラーが10代や20代には一般的となり、それに伴って市販品でも新商品が続々と発売された。


前述のギャルのメイクでも記した「小悪魔ageha」の影響はヘアスタイルでも大きく作用し、巻き髪盛り髪という概念が登場する[41]。これは2000年頃より愛知県を中心に発祥した名古屋嬢が起因しており、他の地区よりも早くから中部圏では女性が巻き髪や盛り髪を行っており、特にロングヘアに太い縦巻きのカールがついたヘアスタイルを「名古屋巻き[42]」と呼ばれ、これがキャバクラ嬢にとって必須のヘアスタイルとなった。また、小悪魔agehaが創刊されるとそれらのヘアスタイルが日本全国に流行することになり、市販品でもカーリングトングストレーナーなどのヘアーアイロンがさまざまなメーカーから販売されるようになり、女性の間でも特にギャルにとっては必須のアイテムとなっていった。








(左)COCOLULUのアイテムを多用したアメカジ風のギャル。60年代 - 70年代風のヘアスタイル。
(中)アッシュ系のカラーリングを施したストレートヘアの黒ギャル。
(右)姫系のギャルに良く見られる金髪の外巻きカール(age嬢に良く見られるヘアスタイル)。








安カワブランド


安カワブランドとは、「安くて可愛いブランド(やすくてかわいいブランド)」の略称。ギャル系のファッションアイテムやメイク用品などを安価で販売している店や安価で可愛い商品そのものを指して単に「安カワ(やすカワ)」と呼ぶ場合もある。




渋谷センター街入口。右手はQFRONT。



渋谷のギャル系や渋谷系のファッションビル


東京都渋谷区の渋谷駅ハチ公口前の地域に大小様々な店が集中している。主なエリアは、渋谷駅ハチ公口前の西側へ伸びる「渋谷マークシティ(京王井の頭線)」から時計回りに、道玄坂、百軒店、文化村通り(東急百貨店本店・Bunkamura前)、渋谷センター街、スペイン坂、井ノ頭通り、渋谷公園通り、北側へ伸びる「JR線(山手線)」手前のファイヤー通り(渋谷消防署前)あたりまで。

J Machree

ファッションビル。渋谷店は渋谷センター街奥にある。

Jam Pixy

ファッションビル。渋谷店は宮益坂の渋谷郵便局横にある。

ドン・キホーテ


ディスカウントストア。メイク用品や雑貨を扱う。略称は「ドンキ」、渋谷店は東急百貨店本店前にある。

ユニクロ


ファストファッション店。渋谷店は「渋谷駅中央口店」「道玄坂店」「スペイン坂店」の3店舗がある。

ユザワヤ


手芸や工芸用品の専門店。ネイルアートやデコレーション携帯電話(デコ携帯)の素材などを扱う。渋谷店は渋谷BEAM内。

マツモトキヨシ


ドラッグストア。略称は「マツキヨ」、渋谷店は道玄坂下に「渋谷Part1店」「渋谷Part2店」の2店舗がある。薬局だが、メイク用品や美容関連商品などを扱う。

しまむら

ファストファッション店。この店を好む顧客層は「しまラー」と呼ばれる。

ハニーズ

ファストファッション店。この店はイトーヨーカドーやイオンやダイエーやLIVINなどの大型スーパーやショッピングモールなどに入っている。別名では、ハニークラブやクロスオーバーなどの名前で出している店舗もある。亀戸アトレや新宿のサブナードはハニークラブの名前で店舗を出していて、オリナス錦糸町店ではクロスオーバーの名前で店舗を出している。ここでも、安カワのギャル服や雑貨などを取り扱っている。



ギャルがよく行くショップビル




渋谷駅ハチ公口前交差点から道玄坂下交差点を望むと、SHIBUYA 109の正面が見える。


ギャル系や渋谷系のファッションを扱う大型のファッションビル。ファッション雑誌やマスメディアなどで取り上げられるブランドが多く出店しており、カリスマ店員などの特集が組まれることもある。



109

渋谷店は2店舗。道玄坂にある「SHIBUYA 109(しぶや・いちまるきゅー)」は通称「まるきゅー」。渋谷駅ハチ公口前にある「109-2(いちまるきゅー・つー)」は通称「きゅーつー」。

丸井

渋谷店は2店舗。神南一丁目の交差点を挟んで、渋谷駅側が「マルイジャム」、渋谷神南郵便局側が「マルイシティ」。

パルコ

渋谷店は2店舗。渋谷公園通り前の「PARCO part1」と、その裏手の「PARCO part3」。「PARCO part2」は2007年に閉鎖。

その他



  • ラフォーレ原宿

  • ABAB





主なギャル系雑誌


ギャル系や渋谷系のファッションを扱うファッション雑誌を挙げる。なお、記載順は月刊誌として定期刊行が開始された創刊年度に従った。詳細は各誌の項目を参照のこと。[43]



発刊中



popteen


1980年に角川書店が創刊。ティーンエイジャーの女性向けファッション雑誌の先駆け的な存在。1990年代の「女子高生ブーム」に合わせ、編集方針を大幅に変更して現在に至っている。

S Cawaii!


2000年に主婦の友社が創刊。同社の「Cawaii!」よりも高い年齢層を対象にした。

Ranzuki

2000年にぶんか社が創刊。

BLENDA


2003年に角川春樹事務所が創刊。

GISELe


2005年に主婦の友社が創刊。

美人百花

2005年に角川春樹事務所が創刊。

JELLY

2006年にぶんか社が創刊。

ES POSHH!

2006年にリイド社が創刊。同社の「Ego system」の後継。

小悪魔ageha

Happie Nuts

Happie Nutsは2004年、小悪魔agehaは2006年に共にインフォレストが創刊した。Happie Nutsは黒ギャルがメインのギャル雑誌で、小悪魔agehaは「age嬢」以降のギャル系ファッションに大きな影響を与えた雑誌である。2014年4月15日にインフォレストが負債総額30億円を計上して事業停止となった為、両雑誌が一時休刊となったが、小悪魔agehaが2015年4月18日、Happie nutsが同年7月17日にネコ・パブリッシングより復刊されることになった。



休刊



Cawaii!


1996年に主婦の友社が創刊。2009年に休刊。

Ego system

2004年にリイド社が創刊。2006年に休刊。


Hana*chu 


2002年に主婦の友社が「Cawaii!」の妹系の雑誌として創刊し、2003年に月発売として創刊、こちらはナルミヤインターナショナルのジュニア系ブランドを卒業しギャル系或いは109系ブランドを取り扱った雑誌でもある。2011年4月をもって休刊した。

egg


1995年に大洋図書が創刊。素人の読者モデルを積極的に採用し、スタジオ撮影ではなく渋谷の街中でスナップ撮影したポラロイドやプリクラの写真を多用するなど、「コギャル」以降のギャル系ファッションに大きな影響を与えた。1999年にはギャル男系雑誌「Men's egg」も姉妹誌として創刊した。読者の一人で、後に「小悪魔ageha」編集長となった中條寿子は当時の衝撃を「10代の頃いきなり出てきて(創刊されて)あれだけ売れた。(eggは)私にとって神様みたいな存在」だったと述べている。[44]2014年5月31日の7月号をもって休刊した。



関連人物



あ行



  • 青木英李

  • AKI

  • 秋山未来

  • 安倍麻美

  • 安部ニコル

  • 安室奈美恵

  • 荒木さやか

  • 安西ひろこ

  • izu

  • 井上乃帆

  • 今井華

  • 小原優花



か行



  • 金田久美子

  • 鎌田安里紗

  • 河西美希

  • 川端かなこ

  • 菅野結以

  • 木下優樹菜

  • ギャル曽根

  • 倖田來未

  • 寿るい

  • 小森純



さ行



  • 坂下由真

  • 桜井莉菜

  • 鈴木あや

  • 鈴木えみ

  • 鈴木奈々

  • 孫暐



た行



  • 高橋由真

  • 田中愛奈

  • 田母神智子

  • 辻希美

  • 土岐田麗子



な行



  • なちゅ

  • 西川瑞希

  • 西野カナ

  • 西野七瀬

  • 根本弥生



は行



  • 橋本甜歌

  • 浜崎あゆみ

  • 浜田ブリトニー

  • 藤田志穂

  • 舟山久美子

  • 細井宏美



ま行



  • 益若つばさ

  • 松尾沙織

  • 武藤静香

  • 宮下美恵

  • 村田莉

  • 桃華絵里



ら行


  • ローラ



脚注


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  1. ^ 日本語大辞典(講談社)、新版実用辞典(角川書店)


  2. ^ “≪70年代のファッション≫”. ファッションの歴史. http://www.fashion-rekishi.com/70.html 2011年2月23日閲覧。 


  3. ^ 西田善太(2009年)の18頁参照。


  4. ^ 西田善太(2009年)の18頁参照。


  5. ^ 『クイズ!年の差なんて』(フジテレビ)のヤング問題で「コギャルは何の略?」という問題が出題されたとき、「高校生ギャル」を正解としていたことがある


  6. ^ “Japan: Sex, Teenage Girls and Consumerism”. ed strong. (2006年4月6日). http://www.edstrong.blog-city.com/japan_sex_teenage_girls_and_consumerism.htm 2011年2月23日閲覧。 


  7. ^ “検証!「ヤマンバ」の登場と衰退 ~國學院大學 講座「渋谷学」連動企画~”. (2002年11月15日). http://www.shibukei.com/special/118/ 2016年1月10日閲覧。 


  8. ^ 西田善太(2009年)の19頁参照。


  9. ^ “日本年轻人用语”. 贯通日本学习频道. (2004年7月25日). http://www.kantsuu.com/Article/200407/20040725133700_6049.shtml 2011年2月24日閲覧。 


  10. ^ 当然ながら、当時のALBA ROSAはレディスのみでメンズの取り扱いはなかったため、事実上の女装である。


  11. ^ 西田善太(2009年)の19頁参照。


  12. ^ “サイケギャル・ヒッピイギャル - Psy Gal / Hippie Gal”. Gal International. (2008年1月16日). http://galinternational.webs.com/fashionblog.htm?blogentryid=2799518 2011年2月24日閲覧。 


  13. ^ 西田善太(2009年)の19頁参照。

  14. ^ ab“「キャバ嬢」は女性「憧れの職業」 ブログやテレビでアイドル扱い”. J-Cast News. (2008年5月21日). http://www.j-cast.com/2008/05/21020404.html?p=all 2011年2月24日閲覧。 


  15. ^ 西田善太(2009年)の19頁参照。


  16. ^ “ギャル文化以降の女子カルチャーとは【前編】 - 「反オヤジマインドの敗北」 - ギャル雑誌の衰退が女子カルチャーに残す課題”. サイゾーウーマン. (2014年9月3日). http://www.cyzowoman.com/2014/09/post_13255.html 2016年1月8日閲覧。 

  17. ^ ab“ギャル文化以降の女子カルチャーとは【後編】 - 変容するギャル以降の女子カルチャー - 消費を拒否、文化系オヤジを拒む女子の可能性”. サイゾーウーマン. (2014年9月4日). http://www.cyzowoman.com/2014/09/post_13289.html 2016年1月8日閲覧。 


  18. ^ “「小悪魔ageha」の出版社・インフォレストが事業停止”. ITメディアニュース. (2014年4月16日). http://mdpr.jp/gal/detail/1359976 2014年5月7日閲覧。 


  19. ^ “「egg」休刊、創刊から19年の歴史と渋谷ギャルの現状”. モデルプレス. (2014年5月6日). http://mdpr.jp/gal/detail/1359976 2014年5月7日閲覧。 


  20. ^ “インターネット世代は渋谷を潰す?”. ライブドア. (2010年10月19日). http://travel.cnn.com/tokyo/play/internet-generation-killing-shibuya-228795/ 2016年1月8日閲覧。 


  21. ^ “「渋谷系ギャル」と「原宿系女子」...似てきたけど、やっぱり違うアレとコレ”. J-cast. (2014年9月12日). http://www.j-cast.com/trend/2014/09/12215767.html 2016年1月8日閲覧。 


  22. ^ “衰退報道がつづく「ギャル文化」…渋谷のギャルの現在は「相当減ってる」”. ライブドア. (2014年8月12日). http://news.livedoor.com/article/detail/9138447/ 2016年1月8日閲覧。 


  23. ^ “「小悪魔ageha」復刊が正式決定 編集長がコメント”. モデルプレス. (2015年3月10日). http://mdpr.jp/gal/detail/1472949 2015年7月24日閲覧。 


  24. ^ “ギャル誌「Happie nuts」復活を発表<編集部コメント>”. モデルプレス. (2015年7月2日). http://mdpr.jp/gal/detail/1498225 2015年7月24日閲覧。 


  25. ^ “外国人が「狂っている」と驚愕した日本6つの若者文化”. MONEYzine. (2010年6月13日). http://moneyzine.jp/article/detail/185843 2011年2月23日閲覧。 


  26. ^ “6 Japanese Subcultures That Are Insane (Even for Japan)”. Cracked.com. (2010年6月7日). http://www.cracked.com/article_18567_6-japanese-subcultures-that-are-insane-even-japan.html 2011年2月23日閲覧。 


  27. ^ “フランス人が日本に来て驚く14のこと”. MadameRiri. (2010年3月25日). http://www.sylvaniafamily.com/madameriri/2010/03/25/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E4%BA%BA%E3%81%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E6%9D%A5%E3%81%A6%E9%A9%9A%E3%81%8F%EF%BC%91%EF%BC%94%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8/ 2011年2月23日閲覧。 


  28. ^ “ファッションビジネスの特徴とその可能性”. 社会・経済システム学会. (2010年5月). http://jasess.jp/conference/2010/5-b-2.pdf 2015年8月6日閲覧。 


  29. ^ “British followers of Japanese fashion”. BBC. (2009年7月3日). http://www.sanspo.com/geino/news/100114/gnj1001141728014-n1.htm 2011年2月14日閲覧。 


  30. ^ “話題のガングロカフェに行ってみたら、こんなにスゴかった!ギャルたちがおもてなし!”. Business Journal. (2015年3月27日). http://biz-journal.jp/2015/03/post_9384.html 2015年7月11日閲覧。 


  31. ^ “Japan's Next Big Trend Could Be "Neo Gals"”. Business Journal. (2015年3月27日). http://kotaku.com/japans-next-big-trend-could-be-neo-gals-1586450677 2015年7月11日閲覧。 


  32. ^ “天神祭ギャルみこし”. 天神祭ギャルみこし 公式サイト. http://www.galmikoshi.com/ 2011年2月24日閲覧。 


  33. ^ “「ノギャル」藤田志穂さん、農業体験希望者募集-今月「シブヤ米」田植え”. 秋田経済新聞. (2009年5月15日). http://akita.keizai.biz/headline/633/ 2011年2月24日閲覧。 


  34. ^ 初期の頃はLove Boat Drug Storeが正式な屋号であり、事実上LOVE BOATのセカンドラインであった。


  35. ^ “転機は「渋谷にセクシーカジュアルの突風が吹いた」96年渋谷の魅力は情報力。ますます若い人に魅力ある街に”. 木村達央 (渋谷文化プロジェクト). (2009年). http://www.shibuyabunka.com/keyperson2.php?id=77 2011年2月26日閲覧。 


  36. ^ “おしゃれ用カラーコンタクト、規制へ 事故多発受け”. 朝日新聞. (2008年7月10日). http://www.asahi.com/health/news/TKY200807100116.html 2011年3月6日閲覧。 


  37. ^ ALBA ROSAは全国の店舗を閉鎖していたが、最近「大人のラグジュアリー・エイジレスファッション」をコンセプトとしたALBA ROSA JAPANとして生まれ変わって、新しい店舗をオープンさせている。


  38. ^ “ギャルの法則”. ギャルメイクやり方講座. http://www.galmake.net/c1/3.html 2011年2月26日閲覧。 


  39. ^ “ナチュラルメイクの90年代”. ギャルメイクやり方講座. http://www.galmake.net/c1/6.html 2011年2月26日閲覧。 


  40. ^ “2000年代のギャルメイク”. ギャルメイクやり方講座. http://www.galmake.net/c1/7.html 2011年2月26日閲覧。 


  41. ^ “キャバ嬢をリスペクト「小悪魔ギャル」って何だ?!”. ZAKZAK. (2008年1月21日). http://www.zakzak.co.jp/gei/2008_01/g2008012129_all.html 2011年3月17日閲覧。 


  42. ^ “【名古屋巻き】美容院用語辞典・ヘアサロン用語集”. 岐阜美容院Navi.. (2010年). http://www.ghs-navi.com/Nagoya-rolling.html 2011年3月17日閲覧。 


  43. ^ ファッション雑誌ヘッドライン「廃刊/休刊雑誌一覧」より。


  44. ^ 「日経エンタテインメント!」(日経BP、2008年07月号)の特集記事「雑誌を面白くする3大キーワード/姫ギャル・ユニセックスマンガ・スターモデルって何?」より。




参考文献




  • 西田善太 編集 「GIRL'S CULTURE-ギャルが日本を救う!?-」『BRUTUS』5月1日号、マガジンハウス、2009年。


  • “戦後ユース・サブカルチャーズをめぐって(5):コギャルと裏原系」(.pdfファイル)”. 難波功士 (関西学院大学). (2006年3月). http://www.kwansei.ac.jp/s_sociology/attached/5054_42921_ref.pdf 2011年3月5日閲覧。 


  • “ギャル文化特集〜ギャルの歴史と生態〜”. アジアンビート. (2011年8月3日). http://asianbeat.com/ja/feature/issue_gal/history/01.html 2015年8月6日閲覧。 



関連項目



ギャル・ファッション



  • アムラー

  • ギャル男

  • ギャル語

  • ギャル文字

  • ギャルサー


  • ギャルサー (テレビドラマ) - 2006年に日本テレビで放映されたテレビドラマ。「エンゼルハート」という架空のギャルサーが登場する。


  • 可愛い(かわいい、Kawaii) - エロかわいい - キモかわいい - ブスかわいい


  • GALS! - 藤井みほなの少女漫画。連載された1999年から2002年までの当時のギャル文化やギャルファッションに傾倒する主人公達が描かれている。


  • ギャルル - 藤田志穂がプロデュースしたギャル系アイドルグループ。ぁみみ、そねね、あべべで構成。初代リーダーはつじじ。

  • ギャルカフェ

  • ファストファッション

  • ファッションモデル

  • ファッション雑誌

  • ブランド

  • 盛り髪



地域・ショップビル



  • ファッションビル


  • 渋谷センター街 - 東京都渋谷区宇田川町の繁華街。


  • スペイン坂 - 東京都渋谷区宇田川町の繁華街。

  • 109 (商業施設)

  • 丸井

  • パルコ



イベント・団体・番組



  • 渋谷ガールズコレクション

  • 東京ガールズコレクション

  • 日本ギャルママ協会


  • 東京カワイイ★TV (NHK 放送)


  • 渋谷ギャル部 - 渋谷系ギャルファッションの読者モデル「SJK」によるトーク番組(ストリーミング放送)。




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