伊藤道郎






1951年




1919年


伊藤 道郎(いとう みちお、1893年4月13日 - 1961年11月3日) は、日本のダンサー、振付師。




目次






  • 1 人物・来歴


  • 2 親族


  • 3 参考文献


  • 4 脚注


  • 5 外部リンク





人物・来歴


東京市生まれ。伊藤為吉の長男。1912年に帝国劇場歌劇部に入団し『釈迦』で初舞台。同年11月にオペラ歌手を志し渡欧。1913年にドイツドレスデン郊外のリトミック考案者エミール・ジャック=ダルクローズの舞踊学校に入団。1914年に第一次世界大戦の影響でイギリスロンドンに渡る。1916年にはアイルランドの詩人イェイツと共に日本の能を研究し、イェイツの代表作である戯曲『鷹の井戸』の完成に貢献した。のちにニューヨークに渡り『武士道(寺子屋)』を演出、1918年にはニューヨークにスタジオを開いた。アメリカでは各地を公演で巡業し、1929年にはハリウッドでスタジオを開いた。英国ではホルストに作曲を依頼した『日本組曲』(Japanese Suite)の舞踊公演などを行った[1]


ニューヨーク・ブロードウェイではミュージカルの振り付けを担当している。戦後はGHQに接収されていたアーニー・パイル劇場(東京宝塚劇場)で、本国以上の演出を行なって見せ、柿の木坂にスタジオを持っていた。アメリカでの活動も再開した[2]。1964年の東京オリンピックには開会式、閉会式の総合演出を担当したが、開催を待たずして死去した。


墓所は豊島区駒込の染井霊園。




親族


演劇人の伊藤熹朔と千田是也(俳優座主宰)は弟。俳優のジェリー伊藤は次男である。ニューヨーク時代に結婚した妻のヘラルド・ライトもダンサーで、長男のドナルド(40代で死去)とジェリーをもうけた[2]。真珠湾攻撃勃発によりスパイ容疑で2年間収監されたことから妻と離婚し家族とは音信不通となったが、戦後ジェリーが海兵として来日し再会した[2]。孫(ジェリーの子)は、兄妹デュオ「デビッド&ミシェル」として「菩提樹の丘」(1975年)で日本で歌手デビューした。ミシェルはその後ロスでTV制作者となった[2]。姪(姉と古荘幹郎の娘)の古荘妙子はダンスの弟子で、道郎没後もダンススタジオを支え、伊藤道郎財団を設立した[2]



参考文献




  • ヘレン・コールドウェル 『伊藤道郎 人と芸術』中川鋭之助訳 ISBN 9784152032638


  • 藤田富士男 『伊藤道郎・世界を舞う―太陽の劇場をめざして』 武蔵野書房、1992。


  • 斎藤憐 『アーニー・パイル劇場―GIを慰安したレヴューガール』 ISBN 9784893091413
    • 『幻の劇場 アーニー・パイル』 ISBN 9784103648017 の改題新装版




脚注


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  1. ^ ホルストへの依頼、『日本組曲』の舞踏公演については異説あり。『日本組曲』の項参照。

  2. ^ abcdeNew Legs for a LegendLos Angels Times, March 24, 1998 




外部リンク



  • 関連家系図


  • 伊藤道郎の日本的舞踊武石みどり、東京音楽大学研究紀要 24, 35-60, 2000-12-20


  • 伊藤道郎のアメリカにおける舞踊活動 : ロサンゼルスでの活動を中心に柳下恵美、早稲田大学WASEDA RILAS JOURNAL NO. 4 (2016. 10)












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