アトランタ・ファルコンズ


























アトランタ・ファルコンズ
Atlanta Falcons

1965年創設
永久欠番



  • 10

  • 31

  • 57

  • 58

  • 60

  • 78

  • 87



ホームタウン


アトランタ・ファルコンズの位置(アメリカ合衆国内)
アトランタ・ファルコンズ



ジョージア州アトランタ

メルセデス・ベンツ・スタジアム(2017-)
ジョージア・ドーム(1992-2016)
アトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアム (1966-1991)


所属地区



  • NFL(1966-現在)


  • NFC(1970-現在)



南地区(2002-現在)


西地区(1970-2001)


  • 西カンファレンス(1967-1969)


海岸地区(1967-1969)

  • 東カンファレンス(1966)

地区分け無し(1966)


チームデザイン
チームカラー

    
    
    
チームロゴ
赤と黒の隼に白と銀の縁取り
獲得タイトル






















スーパーボウル・チャンピオン (0回)

カンファレンス・チャンピオン (2回)
NFC


  • 1998

  • 2016


地区優勝 (6回)
NFC西地区


  • 1980

  • 1998


NFC南地区


  • 2004

  • 2010

  • 2012

  • 2016


ワイルドカード(7回)


  • 1978

  • 1991

  • 1995

  • 2002

  • 2008

  • 2011

  • 2017


プレーオフ進出(14/52回)


  • 1978

  • 1980

  • 1982

  • 1991

  • 1995

  • 1998

  • 2002

  • 2004

  • 2008

  • 2010

  • 2011

  • 2012

  • 2016

  • 2017



球団組織

オーナー: アーサー・ブランク

GM: トーマス・ディミトロフ

ヘッドコーチ: ダン・クイン (2015-)

アトランタ・ファルコンズ(英語: Atlanta Falcons、略称: ATL)は、アメリカ合衆国ジョージア州アトランタに本拠地をおくNFLチーム。NFC南地区に所属している。
1966年、エクスパンション・チームとしてNFLに加盟した。2001年まではNFC西地区に所属していた。これまでに地区優勝4回、スーパーボウルには第33回、第51回の2度出場しているが、いずれも敗れている。




目次






  • 1 歴史


    • 1.1 1970年代まで


    • 1.2 1980年代


    • 1.3 1990年代


    • 1.4 2000年以降


    • 1.5 2010年以降




  • 2 選手/人物名鑑


    • 2.1 殿堂入り


    • 2.2 永久欠番


    • 2.3 その他の名選手


    • 2.4 現役の主な選手




  • 3 歴代ヘッドコーチ


  • 4 成績


    • 4.1 NFC南地区(2002年-現在)


    • 4.2 NFC西地区(1970年-2001年)


    • 4.3 NFL西カンファレンス・海岸地区(1967年-1969年)


    • 4.4 NFL東カンファレンス(1966年)




  • 5 脚注


  • 6 外部リンク





歴史



1970年代まで


1965年6月30日、NFLコミッショナーのピート・ロゼールからランキン・スミスにオーナーシップが与えられチームが創設された。同年11月27日のドラフト1巡目全体1位でテキサス大学出身のLB、トミー・ノービスを指名した。このドラフトでは1巡目から5巡目まで最初と最後に指名権が与えられた。ノービスはAFLドラフトでも1巡目全体5位でヒューストン・オイラーズに指名されたがファルコンズに入団した。


1966年、8月1日に最初のプレシーズンゲームがフィラデルフィア・イーグルスとの間で行われた。レギュラーシーズン開幕後9連敗したが、11月20日、ロードでニューヨーク・ジャイアンツを破りシーズン初勝利をあげた[1]。最後の4試合で2勝をあげて3勝11敗に終わった[1]。ノービスはルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得、プロボウルにも選出された[2]


1967年は1勝12敗1分に終わった。トミー・ノービスが2年連続プロボウルに選ばれた[2]


1968年、開幕から3連敗したところでノーム・ヘッカーヘッドコーチは解任されノーム・バン・ブルックリンが後任となった。ヘッドコーチ交代後2試合目のニューヨーク・ジャイアンツ戦でシーズン初勝利をあげたが、その後1勝しかできず2勝12敗に終わった。クロード・ハンフリーが最優秀新人守備選手に選ばれた[2]


1969年、11月16日のシカゴ・ベアーズ戦では控えQBランディー・ジョンソンが4TDパスを投げて48-31で勝利、週間最優秀攻撃選手に選ばれた。12月7日の地元での試合、FBハーモン・ウェイジがTDラン、TDレシーブ、TDパスをあげる活躍を見せて45-17でニューオーリンズ・セインツを破った。この年チームは創設以来最高の6勝8敗の成績をあげた。プロボウルにジム・バトラー、ボブ・ベリー、グレッグ・ブレジナ、ボブ・エター、ジョージ・クンツ、ジム・ミッチェル、ケン・リーブスの7名が選ばれた[2]


1960年代の4シーズンを通してチームはわずか12勝しかあげられなかった[3]


1970年、9月27日のグリーンベイ・パッカーズ戦でボブ・ベリーがチーム初の300ヤードを投げたQBとなった。10月4日、ジム・バトラーがチーム記録となる127ヤードを走った。11月30日、チームはマンデーナイトフットボールに初登場を果たしマイアミ・ドルフィンズと対戦した。この年チームは開幕から6試合で3勝をあげたが4勝8敗2分に終わった。プロボウルにハンフリー、クンツ、ノービスが選ばれている[2]


1971年、この年ノーム・バン・ブルックリンヘッドコーチがプロフットボール殿堂入りを果たした。最終週に、ニューオーリンズ・セインツを破り、7勝6敗1分けとチーム初のシーズン勝ち越しを遂げた[3][2]


1972年、ドラフトでハイズマン賞を受賞したパット・サリバンを獲得した。10月1日、デイブ・ハンプトンがチーム記録となる161ヤードを走ってチーム創設以来初めてロサンゼルス・ラムズを破った[2]。2試合を残して7勝5敗の成績を収めていたが、サンフランシスコ・フォーティナイナーズに0-20と完封負け、最終週のカンザスシティ・チーフス戦にも負けて7勝7敗に終わった。RBデイブ・ハンプトンはいったんは1000ヤードを超えたが、続くプレーで6ヤードをロスしてしまい995ヤードでシーズンを終えた[1]


1973年、開幕戦でニューオーリンズ・セインツを62-7で破ったが、続く3試合で合計15得点しかあげられず3連敗した。その後7連勝したが最後の3試合中2試合に敗れて9勝5敗でプレーオフを逃した。デイブ・ハンプトンはこの年997ヤードのランで、2年連続あと一歩のところで1000ヤードラッシャーとなれなかった[1]。この年ニック・マイク=メイヤー、ジョン・ズック、クンツがプロボウルに選ばれた[2]


1974年、2勝6敗となったところで、ノーム・バン・ブルックリンヘッドコーチ(GMも兼任していた)は解任され、ディフェンスコーディネーターのマリオン・キャンベルが後任となったが、ヘッドコーチ交代後も5連敗し、最終週にようやく勝利し、3勝11敗に終わった。ハンフリーとジェフ・ヴァン・ノートがプロボウルに選ばれた[2]


1975年、ジョージ・クンツをドラフト全体1位指名権と引き換えにボルチモア・コルツにトレードした。ドラフトでQBスティーブ・バートコウスキーを獲得した[3]。2月26日、それまでにグリーンベイ・パッカーズ、マイアミ・ドルフィンズを強豪にしたパット・ペプラーがGMに就任した。この年チームは4勝10敗に終わった。最終週に61ヤードを走ったデイブ・ハンプトンが1000ヤードラッシャーとなった。ヴァン・ノートとPジョン・ジェームズがプロボウルに選ばれた[2]


1976年、キャンベルヘッドコーチがシーズン途中に解任され、パット・ペプラーが暫定ヘッドコーチとなった。チームは4勝10敗に終わった。ジョン・ジェームズは2年連続プロボウルに選ばれた[2]。2年目のQBバートコウスキーは、2TD、9INT、キム・マッキルケンも2TD、10INTと散々だった[1]


1977年、ワシントン・レッドスキンズ、ダラス・カウボーイズでQBを務めたエディ・ルバロンがGMに、ランキン・スミス・ジュニアが球団社長に、ロサンゼルス・ラムズのアシスタントコーチ、リーマン・ベネットがヘッドコーチに就任した。14試合でわずか129失点という近代フットボールとなってからの記録を樹立、7勝7敗でシーズンを終えた。強力なディフェンスは「The Gritz Blitz」と呼ばれた。ジョン・ジェームズ、ハンフリー、ローランド・ローレンスがプロボウルに選ばれた[2]


1978年にチーム創設13年目でプレーオフ初出場を果たしワイルドカードプレーオフでフィラデルフィア・イーグルスに勝利した後、ディビジョナルプレーオフでダラス・カウボーイズと対戦し相手エースQBのロジャー・ストーバックを負傷退場に追い込み試合終盤リードしたが控えQBダニー・ホワイトに逆転を許し敗れた[3]


1978年、2勝4敗から5連勝し7勝4敗、最後の5試合で3敗したものの9勝7敗でプレーオフ初出場を果たした。敵地でフィラデルフィア・イーグルスを14-13で破ったが、翌週ダラス・カウボーイズ戦では前半20-13とリードしたものの20-27と逆転負けし、シーズンを終えた[1]


1979年、9月2日のニューオーリンズ・セインツとの開幕戦で、新人RBのウィリアム・アンドリュースが167ヤードを走り、延長の末40-34で勝利した。彼はチーム記録となる1,023ヤードを走った。またQBバートコウスキーは自身初の2,000ヤードを超える2,505ヤードを投げた。しかしディフェンスが388失点を許し、6勝10敗に終わった[1]。ヴァン・ノートがプロボウルに選ばれた[2]



1980年代


バートコウスキーは成長し、1980年、1981年と2年連続で30以上のタッチダウンパスを決めた7人のQBの1人となった[3]


1980年、バートコウスキーがそれぞれチーム記録となる3,544ヤード、31TDパス、ウィリアム・アンドリュースが1,308ヤードを走り、アルフレッド・ジェンキンスがレシーブで1,025ヤードを獲得、守備でもアル・リチャードソンが9試合連続でターンオーバーを奪うなど、合計42ターンオーバーをあげる活躍を見せ、チームは9連勝も記録、12勝4敗をあげてNFC西地区初優勝を果たした。アンドリュース、バートコウスキー、ジェンキンス、ヴァン・ノート、マイク・ケン、ジュニア・ミラーがプロボウルに選ばれた[2]。プレーオフでダラス・カウボーイズと対戦、24-10とリードして第4Qを迎えたが、ダニー・ホワイトからドリュー・ピアソンへのタッチダウンなどで20点をあげられ27-30で敗れた[3][1]


1981年、チームは開幕から3連勝を果たしたが、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦で3人の先発選手を負傷で失った[1]。5点差以内で7敗し、7勝9敗に終わった。グリーンベイ・パッカーズ戦で第4QにNFL記録となる31得点をあげて17点差からの逆転を果たしている。プロボウルにチーム記録となる7人(マイク・ケン、バートコウスキー、ヴァン・ノート、ジェンキンス、アンドリュース、ジュニア・ミラー、R・C・ティールマン)が選ばれた[2]


1982年、ストライキで短縮されたシーズン、5勝4敗でプレーオフに進出したが、ロードでの試合となったプレーオフ1回戦、ミネソタ・バイキングズに24-30で敗れた。この試合を最後にリーマン・ベネットヘッドコーチは解任された[1]。マイク・ケン、ティールマン、ヴァン・ノート、アンドリュースがプロボウルに選ばれた[2]


1983年、ダン・ヘニングが新ヘッドコーチに就任した。12月18日の試合でヴァン・ノートがファルコンズの選手として200試合出場を果たした。ウィリアム・アンドリューがチーム新の1,567ヤードを走り、バートコウスキーは3,167ヤードのパスを投げたが[2]、389失点を許し、7勝9敗に終わった[1]


1984年、ウィリアム・アンドリューがシーズン開幕前、ひざに大怪我を負いキャリアを終えた。代わりに先発RBとなったジェラルド・リグズがニューオーリンズ・セインツとの開幕戦で202ヤードを走り、この年1,486ヤードを走り、13TDをあげた。382失点を許し、4勝12敗に終わった[1]


1985年、バートコウスキーがシーズンの大半を欠場、リグズはNFCトップの1,719ヤードを走りプロボウルに選ばれたがディフェンスが452失点を許し、4勝12敗に終わった[1]。元ヘッドコーチのマリオン・キャンベルがディフェンスコーディネーターに就任している[2]


1986年、バートコウスキーを解雇し、デビッド・アーチャーがエースQBとなった。開幕から4連勝し、5勝1敗1分と好スタートを切ったが、残り試合で2勝しかあげられず7勝8敗1分に終わった。シーズン終了後、ヘニングヘッドコーチは解任され、かつてヘッドコーチを務めたマリオン・キャンベルが後任となった。この年、18シーズンを過ごしたジェフ・ヴァン・ノートが246試合出場の記録を残して現役を引退、彼の背番号57は永久欠番となった。ビル・フラリックとリグズがプロボウルに選ばれた[2]


1987年、クリス・ミラーを獲得した[3]。12月6日、リグズがアンドリュースの記録を破りチームのオールタイムリーディングラッシャーとなった。この年チームは3勝12敗に終わった。パンターのリック・ドネリーが平均44.03ヤード、キックオフリターナーのシルベスター・スタンプスが27.5ヤードでそれぞれNFLトップの成績をあげた。プロボウルにフラリック、リグズが選ばれている[2]


1988年、5勝11敗に終わったが、その中でCBスコット・ケイスが10インターセプトをあげ、11月の月間最優秀守備選手に選ばれた。またジョン・セトルがドラフト外入団選手として初めて1000ヤードラッシャーとなった。フラリック、ケイス、セトルがプロボウルに選ばれた[2]


1989年、ドラフトでディオン・サンダースを獲得した[3]。彼はロサンゼルス・ラムズとの開幕戦で68ヤードのパントリターンTDをあげ、同じ週にNFLでTD、MLBでホームランを打った最初の選手となった。3勝9敗となったところでキャンベルヘッドコーチを解任、ジム・ハニファンが指揮を執ったが残り4試合も全て敗れて3勝13敗に終わった。新人WRのショーン・コリンズがNFLのルーキー記録となる58回のレシーブを記録した[2]



1990年代


1990年、アグレッシブなディフェンスとハイパーオフェンスの構築を目指すジェリー・グランビルがヘッドコーチに就任した。エルビス・プレスリーを好んだ彼はサイドラインに黒い服装で立っただけでなく、チームヘルメットの色もそれまでの赤から黒に変更した[3]。チームはドラフト全体1位指名権と引換にアンドレ・ライズン、クリス・ヒントンをインディアナポリス・コルツから獲得した[4]。ミラーとライズンのホットラインは相手ディフェンスに脅威的なものとなった[3]。この年5勝11敗に終わったがシンシナティ・ベンガルズとのサンデーナイトゲームで79ヤードのパントリターンTDをあげたディオン・サンダースはNFL有数の人気選手となった[1]。アグレッシブなディフェンスは失敗することもあり、ジェリー・ライスへの5本を含む6本のタッチダウンパスをジョー・モンタナに決められた試合もあった[3]。ジェシー・タグルがNFLトップの201タックル、ライズンがチーム記録となる82キャッチをあげてプロボウルに選ばれた[2]


1991年のドラフト2巡でブレット・ファーヴを獲得したがグランビルはファーヴを好まず、彼は4回のパスを投げただけで翌年、グリーンベイ・パッカーズのドラフト1巡目指名権とトレードされた[1]。この年6連勝するなど、最後の11試合で8勝し、9シーズンぶりにプレーオフに出場、ニューオーリンズ・セインツをロードで破ったがワシントン・レッドスキンズに敗れた[3]。ディオン・サンダースとティム・マッカイヤーがNFLトップの6インターセプトをあげ、プロボウルにはサンダース、ライズン、クリス・ミラー、ヒントンが選ばれた[2]




ジョージア・ドーム


1992年よりホームスタジアムをアトランタ・フルトン・カウンティ・スタジアムからジョージア・ドームに移した。この年MLBと二枚わらじを履くディオン・サンダースは、所属するアトランタ・ブレーブスがワールドシリーズに進出したこともあり、シーズン半ばまで欠場、ワールドシリーズが行われた日にもファルコンズの試合に出場したがチームは敗れた。オフェンスはNFLトップの33TDパス、ライズンはチーム記録となる93回のキャッチを記録、ライズンとマイケル・ヘインズのコンビはNFLトップの21TDをあげたが[2]、ディフェンスが414失点を許し、チームは6勝10敗に終わった[1]。ライズン、サンダース、タグル、スペシャルチームのエルバート・シェリーがプロボウルに選ばれた。


1993年、ライズンがチーム記録となる15TDをあげ、ボビー・エイビアはNFL3位で自己ベストの24TDパスを投げた。またキッカーのノーム・ジョンソンがFG27本中26本を成功(成功率96.3%)でそれぞれプロボウルに選ばれた。また3年目のエリック・ペグラムが1,185ヤードを走った。ディオン・サンダースが7インターセプトをあげたが、ディフェンスが385失点で6勝10敗、シーズン終了後グランビルヘッドコーチは辞任、ジューン・ジョーンズが後任となった[2]


1994年、フリーエージェントでディオン・サンダースを失った。インディアナポリス・コルツからジェフ・ジョージを獲得、ジョージは3,734ヤードを獲得、テランス・マチスとの間でチーム記録となる111本のパスを通した。この年14試合で先制、12試合をリードして第4Qを迎え、残り2分の段階でも11試合リードしていたものの7勝9敗でシーズンを終えた。マチス、タグル、シェリーがプロボウルに選ばれた[2]


1995年、シーズン前、ニューオーリンズ・セインツからフリーエージェントとなったモーテン・アンダーセンを獲得した。5勝2敗と好スタートを切ったが、続く8試合で5敗、最終週、前年のスーパーボウルチャンピオン、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ戦で、この年4,143ヤードを投げたジョージが脳震盪を起こし退場した。しかし控えQBのボビー・エイビアが第4Qにテランス・マチスへのTDパスを決めて28-27で逆転勝ち、9勝7敗でプレーオフ出場を果たした。プレーオフではグリーンベイ・パッカーズに20-37で敗れた。この年
エリック・メトカーフ、テランス・マチス、バート・エマニュエル、クレイグ・ヘイワードの4人が1000ヤード以上を獲得した[2]


1996年、開幕から8連敗するなど、3勝13敗に終わった。シーズン終了後、ジョーンズヘッドコーチは解任された[1]。ジャマール・アンダーソンが1000ヤードラッシャーとなっている[2]


1997年、それまでデンバー・ブロンコスを3度スーパーボウルに導いたダン・リーブスがヘッドコーチに就任した[3]。開幕から8試合でわずか1勝しかできなかったが、選手がシステムを理解しだした後半8試合で6勝し、7勝9敗でシーズンを終えた。クリス・チャンドラーがNFL2位のQBレイティング95.1をマークし、自身初のプロボウルに選ばれた。またディフェンスはチャック・スミスが12サック、トラビス・ホールが10.5サックをあげるなど、リーグ2位の55サックをあげた[2]。シーズン中の10月26日、ランキン・スミスオーナーが72歳で亡くなった[5]


1998年、開幕から6試合を5勝1敗、ニューヨーク・ジェッツに敗れたものの最後の9試合を全勝した[1]。RBジャマール・アンダーソンの1,846ヤードを走る活躍、ディフェンスの44ターンオーバーを奪う活躍などで14勝2敗とチーム史上最高の成績をあげ、リーブスヘッドコーチは最優秀コーチに選ばれた[2]。アンダーソンがタッチダウンをあげた後に見せるセレブレーションのダーティバードダンスは注目されるようになった[3]。11月8日にはニューイングランド・ペイトリオッツを敵地で破り1982年以来続いていた寒冷地での11月・12月の試合の連敗記録を22で止めた。12月にはリーブスヘッドコーチが心臓のバイパス手術を受けるため一時チームを離れた。ディビジョナルプレーオフでサンフランシスコ・フォーティナイナーズを20-18で破り、NFCチャンピオンシップゲームで15勝1敗の成績をあげたバイキングズをオーバータイムの末、30-27で破り[6][7]、初のスーパーボウル出場を果たした。第33回スーパーボウルはかつてリーブスが指導したジョン・エルウェイ、リーブスの下でアシスタントコーチを務めていたマイク・シャナハンのデンバー・ブロンコスとの対戦になった[1]。スーパーボウル前夜、セイフティのユージン・ロビンソンが売春のおとり捜査にかかり逮捕され[8]、19-34で敗れた[9]
チャンドラー、レイ・ブキャナン、ロビンソン、タグル、ボブ・ホイットフィールド、アンダーソンがプロボウルに選ばれた[2]


1999年、第34回スーパーボウルがアトランタで開催されることもあり、史上初の地元チーム出場に期待は高まった。第2週にジャマール・アンダーソンがひざにシーズン絶望となる大怪我をした。チームは開幕から4連敗、5勝11敗でシーズンを終えた。ピッツバーグ・スティーラーズとのマンデーナイトフットボールで、マチスが12キャッチ166ヤードを獲得する活躍を見せてチームの歴代リーディングレシーバーとなった[2]



2000年以降


2000年、開幕から3試合で2勝したが、その後12試合で11敗、4勝12敗でシーズンを終えた。5試合目にキース・ブルッキング、8試合目でタグルが負傷しシーズンを終えた。ジャマール・アンダーソンが前年の大怪我から復帰し、1,024ヤードを走っている。またモーテン・アンダーセンが開幕戦と最終週に5FGずつをあげてFG成功数と得点でチーム歴代1位となった。またマチスがアルフレッド・ジェンキンスを抜いてレシーブヤードでもチーム歴代1位となった。ドラフト7巡で獲得したダリック・ヴォーンがキックオフリターンでNFLトップの27.7ヤードをリターン、3TDをあげた[2]


2001年、サンディエゴ・チャージャーズとのトレードで、ドラフト5巡目の指名権とティム・ドワイトに代えて、ドラフト1巡目の指名権を獲得する。このドラフト権でマイケル・ヴィックを獲得した。ヴィックは1年目はクリス・チャンドラーと併用され、パスで785ヤード、ランで300ヤードを獲得した[1]。2試合を残して7勝7敗とプレーオフ争いに残っていたが最後の2試合に敗れて7勝9敗で終えた。全16試合中11試合で10タックル以上をあげたキース・ブルッキングがプロボウルに選ばれた。パトリック・カーニー(英語版)が12サックをあげた[2]




アーサー・ブランクオーナー(2009年)


2002年、2月にアーサー・ブランクが新オーナーとなった[2]。チームは前年までタンパベイ・バッカニアーズに在籍したウォリック・ダンを獲得した[10]。プレシーズンに14年間ファルコンズでプレーしたタグルが引退を表明した[2]。この年ヴィックがエースQBに昇格した[3]。開幕から4試合で1勝3敗と出遅れたが続く8試合で7勝1分の成績をあげた。ヴィックは12月1日のミネソタ・バイキングス戦でNFLとAFLが統合以後、QBとしてのラッシング記録を更新する173ヤードを走り30-24の勝利に貢献した[11]。ラン攻撃が前年の16位から4位、ウェイド・フィリップスディフェンスコーディネーターが導入した3-4ディフェンスは、リーグ3位の24インターセプト、2位の39ターンオーバー、4位の47サックをあげた。チームはこの年、9勝6敗1分でプレーオフに出場、敵地ランボーフィールドでグリーンベイ・パッカーズを27-7で破ったがフィラデルフィア・イーグルスに6-20で敗れた。ブルッキングが自己ベストの212タックルをあげて2年連続プロボウルに選ばれた[2]


2003年、シーズン前にエースQBマイケル・ヴィックが足を負傷したためチームは苦戦し、第2週から7連敗した。ヴィックは11試合目でようやく復帰した。ヘッドコーチのダン・リーブスはこの年キャリア200勝を果たしたが、シーズン残り3試合となった12月10日に解任され、後任にはディフェンシブコーディネータのウェイド・フィリップスが就任、12月15日にリッチ・マッケイがGMに就任した。5勝11敗でシーズンを終えた。ブルッキングとアルジ・クランプラーがプロボウルに選ばれた[2]




ジム・モーラヘッドコーチ(2006年11月19日)


2004年1月9日、ジム・L・モーラがヘッドコーチに就任した。QBマイケル・ヴィックが怪我から回復、開幕から4連勝[12]、第14週のオークランド・レイダーズ戦でT・J・ダケットの4TDランで35-10と勝利するなど、11勝5敗でNFC南地区優勝を果たした。ラン攻撃2,672ヤード、48サックはそれぞれNFLトップの成績であった。ディビジョナル・プレーオフでセントルイス・ラムズ戦でNFLのプレーオフ記録となる327ヤードのラン攻撃などで47-17と勝利し、NFCチャンピオンシップゲームに進んだが、フィラデルフィア・イーグルスに10-27で敗れた。ヴィック、クランプラー、ブルッキング、パトリック・カーニー、アレン・ロッサムがプロボウルに選ばれた[2]


2005年、シーズン開幕から8試合で6勝2敗の成績を収めたが、残り8試合で2勝しかできず8勝8敗でプレーオフを逃した。ヴィックはパスで2,412ヤード、15TD、13INT、ウォリック・ダンが1,416ヤードを走りチームのラン攻撃は2,546ヤードで2年連続NFLトップであった。またクランプラーが自己ベストの65回、877ヤードをレシーブで稼いだ。ダン、クランプラー、ヴィック、ブルッキング、ロッド・コールマン、ディアンジェロ・ホールがプロボウルに選ばれた[2]




ボールをハンドオフするヴィック


2006年、前年のスーパーボウルチャンピオンのピッツバーグ・スティーラーズにヴィックが4TDパスを投げてオーバータイムの末、41-38で勝利した。5勝2敗と好スタートを切ったが、その後4連敗を喫した。ダラス・カウボーイズ戦でヴィックが再び4TDパスを投げるとともにモーテン・アンダーセンがNFL史上最多得点をあげた選手となった。この年チームは7勝9敗に終わりシーズン終了後、ジム・L・モーラヘッドコーチは解任された。この年もラン攻撃は2,939ヤードを獲得し、3年連続でNFLトップの数字を残した。クランプラーとディアンジェロ・ホールがプロボウルに選ばれた[2]


2007年1月、ルイビル大学のヘッドコーチ、ボビー・ペトリーノが新ヘッドコーチに就任した[13]。3月に控えQBのマット・ショーブがヒューストン・テキサンズへトレードされた[1]。4月、ヴィックが違法である闘犬に関与していた疑いから家宅捜索を受け、その後NFLから無期限出場停止を命じられた[14]。10月9日、チームは調停人を通じて2000万ドルの返還をヴィックに命じた[15]。ヴィックに禁固1年11ヶ月の判決が出た12月10日[16]のニューオーリンズ・セインツ戦でヴィックを支援するためNFLのユニフォーム規定違反をアルジ・クランプラー、ディアンジェロ・ホール、クリス・ヒューストン、ロディ・ホワイト、ジョー・ホーンの5選手が犯し罰金処分がなされた[17]。チームは1勝6敗と出遅れ、12月11日、ペトリーノヘッドコーチが3試合を残して辞任、最後の3試合はエミット・トーマスが指揮した[1]。この年4勝12敗でシーズンを終えた[18]。この年16人が故障者リスト入りしている[2]




ハドルを組むファルコンズの選手たち


2008年、マイク・スミスがヘッドコーチに就任した。2月4日、ミネアポリス連邦地裁でヴィックに払った3700万ドルのボーナスのうち、2000万ドルを回収できるとした決定を覆す判決が出された[19]。3月、サンディエゴ・チャージャーズの控えRBマイケル・ターナーを獲得、ウォリック・ダンを放出した[20]。ドラフトでは全体3位でマット・ライアンを獲得した。ライアンは開幕からエースQBとなり、開幕戦のデトロイト・ライオンズ戦では、マイケル・ターナーがチーム記録となる220ヤードを走る活躍を見せて34-21で勝利した。第12週のカロライナ・パンサーズ戦でマイケル・ターナーが4TDをあげる活躍を見せ、45-28で勝利した[21]。チームは11勝5敗でワイルドカードながら4年ぶりにプレーオフに出場したが、アリゾナ・カージナルスに24-30で敗れてシーズンを終えた[22]。この年スミスヘッドコーチはAP通信よりコーチ・オブ・ザ・イヤーに[23]、3,440ヤード、16TDをあげたライアンもNFL最優秀新人攻撃選手に選ばれた。またNFL2位の1,699ヤードを走ったマイケル・ターナーと、レシーブでチーム記録となる1,382ヤードを獲得したロディ・ホワイトがプロボウルに選ばれた[2]


2009年、スーパーボウルリング獲得を熱望するトニー・ゴンザレスをカンザスシティ・チーフスから獲得した。5月20日に仮釈放されていたマイケル・ヴィックとの契約を6月に解除した[24]。4勝1敗と好スタートを切ったがマイケル・ターナーがひざの故障で5試合に欠場、復帰後もあまり活躍できず、9勝7敗とチーム創設以来初の2年連続勝ち越しを果たしたが、プレーオフを逃した[25]



2010年以降




エリック・ウィームス


2010年、開幕戦でピッツバーグ・スティーラーズに敗れたがその後4連勝、フィラデルフィア・イーグルスに敗れて連勝は止まったが、次の試合から8連勝を記録、13勝3敗で地区優勝し、NFC第1シードを獲得した[26]ディビジョナルプレーオフでグリーンベイ・パッカーズに21-48で敗れてシーズンを終えた[23]。ライアンはこの年自己ベストの3,705ヤード、28TDをあげた。またロディ・ホワイトがチーム記録となる115回のキャッチで1,389ヤードを獲得した。マイケル・ターナーはNFCトップの1,371ヤードを走り12TDをあげている。トニー・ゴンザレスはタイトエンドとして初めて1000キャッチを記録した選手となった。この年ジョン・エイブラハム、トニー・ゴンザレス、オヴィー・ムヘリ、マット・ライアン、マイケル・ターナー、エリック・ウィームス、ロディ・ホワイト、タイソン・クラボ、ブレント・グリムスの9名がプロボウルに選ばれた[2]


2011年、10勝6敗でワイルドカードでプレーオフ出場を果たした。ワイルドカードプレーオフでは第4ダウン1ヤードからのマット・ライアンのQBスニークを2度とも阻止されるなど、ニューヨーク・ジャイアンツ守備陣に苦しめられ、守備陣がセイフティであげた2得点に終わり、2-24と完敗した[27]。シーズン終了後、オフェンスコーディネーターのマイク・ムラーキーが退団し、ジャクソンビル・ジャガーズのヘッドコーチに就任、後任にジャガーズで同職を務めていたダーク・コッターが就任した[28]


2012年は地区優勝したがカンファレンス決勝でサンフランシスコ・フォーティーナイナーズに敗れた。その後3シーズンはプレーオフに出場できなかった。


2013年、HCのマイク・スミスは初めて負け越しのシーズンとなった。


2014年も負け越してプレーオフを逃し、シーズン後にHCのマイク・スミスは更迭され、シアトル・シーホークスのディフェンスコーディネーターのダン・クインが後任となった。


2015年は、スタジアム内でクラウド・ノイズを人工的に作り出した疑いでリーグの調査が入り、ドラフト権の一部を失い罰金を課せられた。ダン・クインHC最初の年は開幕から5連勝を飾り上々のスタートを切ったが、Cに故障が出てスナップミスによるファンブルが続出した。またカイル・シャナハンOCの戦略はそれまで単調な攻撃ばかり繰り返してきたオフェンス陣にフィットすることなく、WRフリオ・ジョーンズに頼るだけのものとなった。またWRロディ・ホワイトとシャナハンとの確執などもあり攻撃陣の成績は落ちた。QBマット・ライアンとカイル・シャナハンOCは戦犯扱いされ地元ゲームでブーイングを受けることとなった。パスを回してもらえないWRロディ・ホワイトに至っては、一度キャッチしただけでジョージアドームにロディコールが湧き上がり、その声がファルコンズのオフェンスに対してのクラウドノイズになってしまうという逆転現象まで起きた。結局このシーズンは8勝8敗に終わりプレーオフは逃すが、レギュラーシーズン全勝でスーパーボールに出場することになるキャロライナパンサーズに初黒星をつける。この年フリオ・ジョーンズは1871ヤードのパスキャッチを記録した。またシーズン後、来季日程が、2015年の成績から換算するとファルコンズが一番辛いことが分かる。


2016年はメルセデス・ベンツ・スタジアム移転を控えてジョージア・ドーム最後のシーズンとなった。オフシーズンに長年活躍してきたロディ・ホワイトとの契約を更新しなかった。ドラフトでは、技術はどうでもいいからスピードとフィジカルの強い選手を探してほしいというダン・クインヘッドコーチの要望に応える形で進められ、SSキアヌ・ニール(1巡)、DBディオン・ジョーンズ(2巡)、DBデボンドレ・キャンベル(4巡)の守備選手を補強。3巡ではTEオースティン・フーパーを指名した。これらの指名によりファルコンズの守備にスピードとフィジカルが加わり、守備陣は一気に若返った。またオフェンスではクリーブランド・ブラウンズよりCアレックス・マック、シンシナティ・ベンガルズからWRモハメド・サヌーを獲得、開幕直前にはベンガルズと契約に至らなかったWRテイラー・ゲイブリエルを加え開幕戦へと臨んだ。開幕戦では地元でタンパベイ・バッカニアーズに24-31で敗戦。大事なところでフォルススタートなどの反則で攻撃のリズムが狂うが、2年目の第2RBテヴィン・コールマンが前年のファンブル癖を克服しパスキャッチ力の進歩を証明して見せた。2戦目、オークランド・レイダースへ出向きWRフリオ・ジョーンズなどの活躍で35-28で勝利を掴む。しかしまだ若手主体の守備陣はミスタックルなどが多く、攻撃陣のお陰で勝てたという状態だった。3戦目、マンデーナイトでニューオリンズ・セインツと戦う。ハリケーン・カトリーナから立ち直ったスタジアム第一戦と同じ組み合わせということもあり、試合前には両選手がフィールドで円陣を組んでからの試合開始となった。ゲームは両QBの投げ合いとなるが終始先手を取ったファルコンズがセインツの反撃をかわして逃げ切った。このゲームではWRフリオ・ジョーンズが怪我のため練習できず試合に臨んだためパスターゲット7に対してキャッチは僅かに1だった。しかしQBライアンはパスを8人の選手に投げ分け前年とは違うことを証明してみせた。またプレシーズンで怪我をしていたSSキアヌ・ニールのデビュー戦でもあった。第4戦、キャロライナに乗り込んだファルコンズは、QBマット・ライアンがパス503ヤード、WRフリオ・ジョーンズがレシーブ300ヤードという記録を打ち立てる。同じ試合でパス500ヤードとレシーブ300ヤードというのはファルコンズがNFL史上初の快挙となった。この頃からファルコンズのオフェンスはアンストッパブルと言われ始めるが、専門家の中には次の二試合を見てみないと分からないという意見もあった。第5~6戦では西海岸へと遠征に出るファルコンズは、留守を守る選手の家族にバラの花束を贈っている。第5戦、前年度優勝のデンバー・ブロンコス戦23-16で勝利する。攻撃ではRBテヴィン・コールマンがラン31、レシーブ136と活躍、守備では前年のドラフト1位のOLBヴィック・ビーズリーが3.5サック、3.5ファンブルフォースと大活躍した。この勝利によって前年スーパーボウルに出場した両チームに勝つということとなり評価を上げた。第6戦、シアトル・シーホークスには24-26で敗戦。前半相手守備の壁にラン攻撃が全く機能せず何もできなかったオフェンス陣は、第3クォーターに入りパス攻撃を中心に攻め、シアトル守備陣を混乱させた。サイドラインではシアトル守備陣がディフェンスコーディネーターと揉めるという一幕もあった。しかしその後、QBライアンのパスがインターセプトされるなどシアトルに反撃を許し逆転される。終了間際にQBライアンがWRフリオに投げたパスは画像で見る限りではシアトルCBシャーマンのパスインターフェアであったが、2ミニッツ後ということでチャレンジは出来ず、レフリーもレヴューを行わなかったため反則は認められず逆転のフィールドゴールもできずに敗退することとなった。このことは各マスコミがこぞって取り上げ問題となった。またダン・クインHCも正式に連盟に抗議すると宣言した。第7戦、ジョージアドームに戻り格下サンディエゴ・チャージャーズ相手に30-33で敗戦。前半10点リードして後半を迎えるがわずかに3点しか取れず守備陣は相手の猛攻をしのぐことができず終了間際に逆転された。この敗戦により、5連勝から成績を落とした前年のことが取り上げられ評価を落とすこととなる。第8戦、グリーンベイ・パッカーズには「33-32」で競り勝つ。両QBともレーティング120以上の投げ合いとなるが、最後にWRモハメド・サヌーへのTDパスが通り逆転となる。この試合でWRテイラー・ゲイブリエルも47ヤードのTDレシーブを決めて存在感を感じさせた。第9戦、バッカニアーズに楽勝するも、CBデズモンド・トゥルファントが怪我によりシーズン絶望となる。第10戦、フィラディルフィア・イーグルスには15-24で完敗。第11戦、アリゾナ・カージナルスには大勝してみせる。第12戦、守備重視のカンザスシティチーフスとの対戦では、相手のパントフェイクなどの奇襲に対処できず、守備陣の若さが露呈。逆転TD後、点差を広げておくための2点コンバージョンのパスがインターセプトTDされ28-29で敗れる。続く第13戦、14戦では低迷するロサンゼルス・ラムズ、サンフランシスコ・フォーティナイナーズを42-14、41-13と下した。この2試合にWRフリオ・ジョーンズはつま先の怪我により不出場。第15、16戦では同地区のキャロライナパンサーズとニューオリンズセインツを33-16、38-32と下しレギュラーシーズンを11勝5敗の成績としNFC第2シードを獲得しプレイオフに挑む。


ディヴィジョナルプレイオフ、シアトルシーホークスを迎え、36-20で勝利。第2Qに19点をあげたファルコンズは後半に入ると守備陣が覚醒しブリッツ多用などによりシーホークスオフェンスを機能させなかった。続くNFCチャンピオンシップでは、第1シードのダラスカウボーイズを倒したグリーンベイパッカーズを迎え44-21で退けた。この試合では攻撃機会8回中6回でTDを奪う猛攻であった。守備陣も前半のパッカーズの攻撃を0におさえ、18年ぶり2回目のスーパーボウル出場となった。


ペイトリオッツとの第51回スーパーボウルでは、第3Q途中まで28-3とリードを広げたが、終盤に追いつかれ28-28のままスーパーボウル史上初の延長戦へと突入する。コイントスに勝ったペイトリオッツが初めの攻撃機会でTDを決め28-34で敗戦。QBマット・ライアンはシーズンMVPと最優秀攻撃選手を受賞し、オールプロとプロボウルに選出、OLBヴィック・ビーズリーはサック王となりオールプロとプロボウルに選出。またWRフリオ・ジョーンスはリーグで唯一1試合平均100ヤード以上のレシーブを達成しオールプロとプロボウルに選出、その他RBデボンテ・フリーマン、Kマット・ブライアン、Cアレックス・マックがプロボウルに選出された。


2017年は最終戦に勝ち、辛くもワイルドカードでプレーオフ進出を果たした。初戦はロサンゼルス・ラムズを破ったが、次戦では第一シードのフィラデルフィア・イーグルスに敗れた。



選手/人物名鑑



殿堂入り




  • ディオン・サンダース CB 1989年-1993年


  • エリック・ディッカーソン RB 1993年在籍


  • トミー・マクドナルド WR 1967年在籍




永久欠番



  • 10 スティーブ・バートコウスキ

  • 31 ウィリアム・アンドリュース

  • 57 ジェフ・ヴァン・ノート

  • 58 ジェシー・タグル

  • 60 トミー・ノービス

  • 78 マイク・ケン

  • 87 クロード・ハンフリー



その他の名選手



  • ジャマール・アンダーソン

  • モーテン・アンダーセン

  • アルジ・クランプラー

  • ウォリック・ダン

  • マイク・ケン

  • ビリー・ジョンソン

  • クリス・チャンドラー

  • エセラ・トゥアオロ

  • レイ・ブキャナン

  • ビル・フラリック

  • マイケル・ヘインズ

  • テレンス・マシス

  • トニー・マーティン

  • クリス・ミラー

  • アンドレ・ライズン

  • ジェラルド・リグズ

  • マイケル・ヴィック




現役の主な選手



  • マット・ライアン

  • フリオ・ジョーンズ

  • ディヴォンテ・フリーマン

  • デズモンド・トルファント



歴代ヘッドコーチ




  • ノーブ・ヘッカー (1966-1968)


  • ノーム・バン・ブルックリン (1968-1974)


  • マリオン・キャンベル (1974-1976)


  • パット・ペプラー (1976)


  • リーマン・ベネット (1977-1982)


  • ダン・ヘニング (1983-1986)

  • マリオン・キャンベル (1987-1989)


  • ジム・ハニファン (1989)


  • ジェリー・グランビル (1990-1993)


  • ジューン・ジョーンズ (1994-1996)


  • ダン・リーブス (1997-2003)


  • リッチ・ブルックス (1998) ダン・リーブスが心臓の手術のためチームを離れた際、指揮を執った。


  • ウェイド・フィリップス (2003)


  • ジム・L・モーラ (2004-2006)


  • ボビー・ペトリーノ (2007)


  • エミット・トーマス (2007)


  • マイク・スミス (2008-2014)

  • ダン・クイン (2015-)



成績



NFC南地区(2002年-現在)



  • NO:ニューオーリンズ・セインツ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、CAR:カロライナ・パンサーズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ

  • 数字:シード順

  • v:スーパーボウル優勝

  • s:スーパーボウル敗退

  • c:カンファレンス決勝敗退

  • d:ディビジョナルプレーオフ敗退

  • w:ワイルドカードプレーオフ敗退

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

2018





2017
NO(4d) 11 5 0
CAR(5w) 11 5 0
ATL(6d) 10 6 0
TB 5 11 0

2016
ATL(2s) 11 5 0
TB 9 7 0
NO 7 9 0
CAR 6 10 0

2015
CAR(1s) 15 1 0
ATL 8 8 0
NO 7 9 0
TB 6 10 0

2014
CAR(4d) 7 8 1
NO 7 9 0
ATL 6 11 0
TB 2 14 0

2013
CAR(2d) 12 4 0
NO(6d) 11 5 0
ATL 4 12 0
TB 4 12 0

2012
ATL(1c) 13 3 0
CAR 7 9 0
NO 7 9 0
TB 7 9 0

2011
NO(3d) 13 3 0
ATL(5w) 10 6 0
CAR 6 10 0
TB 4 12 0

2010
ATL(1d) 13 3 0
NO(5w) 11 5 0
TB 10 6 0
CAR 2 14 0

2009
NO(1v) 13 3 0
ATL 9 7 0
CAR 8 8 0
TB 3 13 0

2008
CAR(2d) 12 4 0
ATL(5w) 11 5 0
TB 9 7 0
NO 8 8 0

2007
TB(4w) 9 7 0
CAR 7 9 0
NO 7 9 0
ATL 4 12 0

2006
NO(2c) 10 6 0
CAR 8 8 0
ATL 7 9 0
TB 4 12 0

2005
TB(3w) 11 5 0
CAR(5c) 11 5 0
ATL 8 8 0
NO 3 13 0

2004
ATL(2c) 11 5 0
NO 8 8 0
CAR 7 9 0
TB 5 11 0

2003
CAR(3s) 11 5 0
NO 8 8 0
TB 7 9 0
ATL 5 11 0

2002
TB(2v) 12 4 0
ATL(6d) 9 6 1
NO 9 7 0
CAR 7 9 0


NFC西地区(1970年-2001年)



  • SF:サンフランシスコ・49ERS、LA→RAM→StL:ロサンゼルス・ラムズ→セントルイス・ラムズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、NO:ニューオーリンズ・セインツ、CAR:カロライナ・パンサーズ、SEA:シアトル・シーホークス

  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。

  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。



































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

2001
StL(1s) 14 2 0
SF(5w) 12 4 0
NO 7 9 0
ATL 7 9 0
CAR 1 15 0

2000
NO(3d) 10 6 0
StL(6w) 10 6 0
CAR 7 9 0
SF 6 10 0
ATL 4 12 0

1999
StL(1v) 13 3 0
CAR 8 8 0
ATL 5 11 0
SF 4 12 0
NO 3 13 0

1998
ATL(2s) 14 2 0
SF(4d) 12 4 0
NO 6 10 0
CAR 4 12 0
StL 4 12 0

1997
SF(1c) 13 3 0
CAR 7 9 0
ATL 7 9 0
NO 6 10 0
StL 5 11 0

1996
CAR(2c) 12 4 0
SF(4d) 12 4 0
StL 6 10 0
ATL 3 13 0
NO 3 13 0

1995
SF(2d) 11 5 0
ATL(6w) 9 7 0
StL 7 9 0
CAR 7 9 0
NO 7 9 0

1994
SF(1v) 13 3 0
NO 7 9 0
ATL 7 9 0
RAM 4 12 0


1993
SF(2c) 10 6 0
NO 8 8 0
ATL 6 10 0
RAM 5 11 0

1992
SF(1c) 14 2 0
NO(4w) 12 4 0
ATL 6 10 0
RAM 6 10 0

1991
NO(3w) 11 5 0
ATL(6d) 10 6 0
SF 10 6 0
RAM 3 13 0

1990
SF(1c) 14 2 0
NO(6w) 8 8 0
RAM 5 11 0
ATL 5 11 0

1989
SF(1v) 14 2 0
RAM(5c) 11 5 0
NO 9 7 0
ATL 3 13 0

1988
SF(2v) 10 6 0
RAM(5w) 10 6 0
NO 10 6 0
ATL 5 11 0

1987
SF(1d) 13 2 0
NO(4w) 12 3 0
RAM 6 9 0
ATL 3 12 0

1986
SF(3d) 10 5 1
RAM(5w) 10 6 0
ATL 7 8 1
NO 7 9 0

1985
RAM(2c) 11 5 0
SF(5w) 10 6 0
NO 5 11 0
ATL 4 12 0

1984
SF(1v) 15 1 0
RAM(4w) 10 6 0
NO 7 9 0
ATL 4 12 0

1983
SF(2c) 10 6 0
RAM(5d) 9 7 0
NO 8 8 0
ATL 7 9 0

1982
ATL(5w) 5 4 0
NO 4 5 0
SF 3 6 0
RAM 2 7 0

1981
SF(1v) 13 3 0
ATL 7 9 0
LA 6 10 0
NO 4 12 0

1980
ATL(1d) 12 4 0
LA(5w) 11 5 0
SF 6 10 0
NO 1 15 0

1979
LA(3s) 9 7 0
NO 8 8 0
ATL 6 10 0
SF 2 14 0

1978
LA(1c) 12 4 0
ATL(4d) 9 7 0
NO 7 9 0
SF 2 14 0

1977
LA(2d) 10 4 0
ATL 7 7 0
SF 5 9 0
NO 3 11 0

1976
LA(3c) 10 3 1
SF 8 6 0
ATL 4 10 0
NO 4 10 0
SEA 2 12 0

1975
LA(2c) 12 2 0
SF 5 9 0
ATL 4 10 0
NO 2 12 0


1974
LA(c) 10 4 0
SF 6 8 0
NO 5 9 0
ATL 3 11 0

1973
LA(d) 12 2 0
ATL 9 5 0
SF 5 9 0
NO 5 9 0

1972
SF(d) 8 5 1
ATL 7 7 0
LA 6 7 1
NO 2 11 1

1971
SF(c) 9 5 0
LA 8 5 1
ATL 7 6 1
NO 4 8 2

1970
SF(c) 10 3 1
LA 9 4 1
ATL 4 8 2
NO 2 11 1


NFL西カンファレンス・海岸地区(1967年-1969年)



  • SF:サンフランシスコ・49ERS、ATL:アトランタ・ファルコンズ、LA:ロサンゼルス・ラムズ、BAL:ボルチモア・コルツ

  • 括弧内の文字はv:スーパーボウル(AFL-NFLワールドチャンピオンシップゲーム)優勝、s:スーパーボウル敗退・NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退

  • プレイオフは地区優勝チームのみ出場





















































































地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

1969
LA(c) 11 3 0
BAL 8 5 3
ATL 6 8 0
SF 4 8 2

1968
BAL(s) 13 1 0
LA 10 3 1
SF 7 6 1
ATL 2 12 0

1967
LA(c) 11 1 2
BAL 11 1 2
SF 7 7 0
ATL 1 12 1


NFL東カンファレンス(1966年)



  • CLE:クリーブランド・ブラウンズ、StL:セントルイス・カージナルス、PHI:フィラデルフィア・イーグルス、WAS:ワシントン・レッドスキンズ、PIT:ピッツバーグ・スティーラーズ、NY:ニューヨーク・ジャイアンツ、DAL:ダラス・カウボーイズ、ATL:アトランタ・ファルコンズ

  • 括弧内の文字はv:NFL優勝、n:NFL決勝敗退・カンファレンス優勝



















































































優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム チーム

1966
DAL(n) 10 3 1
CLE 9 5 0
PHI 9 5 0
StL 8 5 1
WAS 7 7 0
PIT 5 8 1
ATL 3 11 0
NY 1 12 1


脚注


[ヘルプ]



  1. ^ abcdefghijklmnopqrstuv“Atlanta Falcons (1966-Present)”. sportsecyclopedia.com. 2012年1月22日閲覧。

  2. ^ abcdefghijklmnopqrstuvwxyzaaabacadaeafagahaiajakalamanaoapaqarasHistory Section (PDF)”. media.atlantafalcons.com. 2012年1月22日閲覧。

  3. ^ abcdefghijklmno“Atlanta Falcons Football”. footballbabble.com. 2011年11月8日閲覧。


  4. ^ この指名権でコルツはジェフ・ジョージを獲得した。


  5. ^ “Rankin Smith, 72, the Owner Of the Falcons”. ニューヨーク・タイムズ (1997年10月27日). 2012年1月22日閲覧。


  6. ^ Brian Ditullio (2010年12月2日). “The 15-1 Vikings Lose To Morten Anderson In OT”. bleacherreport.com. 2013年8月4日閲覧。


  7. ^ “リーグ史上に残るオーバータイム名勝負トップ5”. NFL JAPAN (2011年7月19日). 2011年8月2日閲覧。


  8. ^ “SUPER BOWL XXXIII; Robinson's Arrest Looms Larger After the Falcons' Defeat”. ニューヨーク・タイムズ (1999年2月2日). 2012年1月22日閲覧。


  9. ^ “ブロンコス連覇達成。QBエルウェイMVPに輝く”. TSPスポーツ (1999年1月31日). 2011年11月8日閲覧。


  10. ^ “PLUS: PRO FOOTBALL; Falcons Sign Dunn To Six-Year Deal”. ニューヨーク・タイムズ (2002年3月16日). 2011年11月8日閲覧。


  11. ^ “Vick caps big running day with 46-yard overtime TD”. ESPN (2002年12月1日). 2012年1月22日閲覧。


  12. ^ “ファルコンズ無傷の開幕4連勝、終了間際に逆転FG”. NFL JAPAN (2012年10月1日). 2012年10月19日閲覧。


  13. ^ “アトランタ・ファルコンズの新HCにボビー・ペトリーノ氏が就任へ”. AFP (2007年1月8日). 2012年1月22日閲覧。


  14. ^ 生沢浩 (2009年5月21日). “天国か地獄、マルチアスリートQBビックの進む道”. NFL JAPAN. 2011年11月8日閲覧。


  15. ^ “ヴィック ファルコンズにボーナスの返却を命じられる”. AFP (2007年10月10日). 2012年1月22日閲覧。


  16. ^ “マイケル・ヴィック被告に1年11月の禁固刑、闘犬に関与した罪”. AFP (2007年12月11日). 2012年1月22日閲覧。


  17. ^ “ヴィック被告のチームメイトが規定違反で罰金”. AFP (2007年12月19日). 2012年1月22日閲覧。


  18. ^ “ファルコンズ シーズン最終戦でシーホークスを降す”. AFP (2007年12月31日). 2012年1月22日閲覧。


  19. ^ “ヴィック受刑者 2000万ドル返却の必要なし”. AFP (2008年2月5日). 2012年1月22日閲覧。


  20. ^ “Dunn leaving Atlanta Falcons' long-time running back requests release”. スポーツ・イラストレイテッド (2008年3月2日). 2011年11月8日閲覧。


  21. ^ “ターナーの4TDでファルコンズ パンサーズに快勝”. AFP (2008年11月24日). 2012年1月22日閲覧。


  22. ^ “カーディナルス ファルコンズ下しカンファレンス準決勝へ”. AFP (2009年1月4日). 2012年1月22日閲覧。

  23. ^ ab“Mike Smith taken to hospital after game”. ESPN (2011年12月11日). 2012年1月22日閲覧。


  24. ^ “ヴィック 無期限出場停止処分が解かれる”. AFP (2009年7月28日). 2012年1月22日閲覧。


  25. ^ “【第17週】ファルコンズ、球団44年目で初の2シーズン連続勝ち越し”. NFL JAPAN (2010年1月4日). 2011年11月8日閲覧。


  26. ^ “プレイオフ出場チーム紹介”. NFL JAPAN. 2011年11月8日閲覧。


  27. ^ “攻守に隙なし、ジャイアンツがファルコンズ圧倒”. NFL JAPAN (2012年1月9日). 2012年1月21日閲覧。


  28. ^ “異例の人事、ファルコンズ新OCに前ジャガーズのコッター”. NFL JAPAN (2012年1月16日). 2012年1月21日閲覧。




外部リンク




  • Atlanta Falcons (英語)


  • NFL JAPANプロフィール (日本語)












































































Popular posts from this blog

サソリ

広島県道265号伴広島線

Accessing regular linux commands in Huawei's Dopra Linux