大韓民国中央情報部




























大韓民国中央情報部
各種表記

ハングル:

대한민국중앙정보부

漢字:

大韓民國中央情報部

発音:

テハンミングクチュンアンジョンボブ

日本語読み:

だいかんみんこくちゅうおうじょうほうぶ

英語表記:

Korean Central Intelligence Agency (KCIA)
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大韓民国中央情報部(だいかんみんこくちゅうおうじょうほうぶ、略称KCIA)は、朴正煕時代の韓国の情報機関である。




目次






  • 1 概要


  • 2 関連項目


    • 2.1 中央情報部が関連した事件


    • 2.2 中央情報部に所属した著名人


    • 2.3 その他







概要


1961年、朴正煕によるクーデター成功の一ヵ月後に、大韓民国国軍の諜報機関であるCIC(Counter Intelligence Corps、対敵諜報部隊)のメンバーを中心に設立された。主要な任務は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)工作員の摘発であったが、軍政時代は反政府運動の取締りにも辣腕を発揮した。本部の所在地名から、通称「南山」と呼ばれ、韓国国民から恐れられた。


根拠法は国家保安法と社会安全法(現:保安観察法)。職務として西氷庫などで拷問を行った。組織・職員・予算は非公開とされ、職員は公募されず、生え抜きの軍人から約10万人が選抜され、国民生活の隅々まで監視した。朴の独裁に反対する国民を拷問・誘拐し、殺害さえすることもあることで知られた。その活動は国外にまで及び、日本で起きた金大中事件では、日本の東声会や山口組系暴力団と共に児玉誉士夫がKCIAに協力して金大中を拉致したことで知られる。


アジア放送研究会の山下透の調べによると、地下放送であった希望のこだま放送は中央情報部が行っていた。これについては軍政時代から「(放送は)韓国の特殊機関が行っている」と韓国放送公社(KBS)の関係者も認めていた。


全斗煥が創設した国家安全企画部、金大中以降の国家情報院と韓国の情報機関はその後も存続したが、政治犯罪のみならず経済犯罪も扱い、また職員の公募も始まるなど、次第にそのベールを脱いでいった。



関連項目



中央情報部が関連した事件


(推定も含む)



  • 第一次人民革命党事件(1965年)


  • 東ベルリン事件(1967年)


  • 統一革命党事件(1968年)


  • 金大中事件(1973年)


  • 民青学連事件(1974年)

  • 第二次人民革命党事件(1974年)


  • 学園浸透スパイ団事件(1975年)


  • コリアゲート事件(1970年代)


  • 南民戦事件(1979年)


  • 金炯旭失踪事件(1979年)


  • 朴正煕暗殺事件(1979年)



中央情報部に所属した著名人


  • 白仁天


その他



  • 国家情報院‐KCIA時代からの部長一覧あり。



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