アンドリー・ラジョエリナ


























アンドリー・ニリーナ・ラジョエリナ
Andry Nirina Rajoelina

Andry Rajoelina portrait UN.jpg
2013年撮影




マダガスカルの旗 マダガスカル
初代高等暫定統治機構議長

任期
2009年3月17日 – 2014年1月25日

出生

(1974-03-30) 1974年3月30日(44歳)

政党

決意したマダガスカルの青年(英語版)
配偶者
ミアリー・ラジョエリナ

アンドリー・ニリーナ・ラジョエリナ(マダガスカル語: Andry Nirina Rajoelina、1974年3月30日 - )は、マダガスカルの政治家。2009年から2014年にかけて、高等暫定統治機構議長(暫定大統領)として同国の国家元首の地位にあった。決意したマダガスカルの青年党首。日本の報道では朝日新聞がアンドリー・ラジェリナと表記しているほか、外務省などはアンドリー・ラジョリナと表記している。




目次






  • 1 経歴


    • 1.1 政界に入るまで


    • 1.2 アンタナナリボ市長


    • 1.3 クーデターによる政権奪取


    • 1.4 政権への再挑戦




  • 2 関連項目


  • 3 脚注





経歴



政界に入るまで


1974年誕生。1994年から2000年まで、ライブやイベントの主催者として活動。1999年には、マダガスカル最初の広告代理店を設立した。また、ディスクジョッキーなども務めた。



アンタナナリボ市長


2007年12月12日に実施された首都・アンタナナリボ市長選挙に立候補し、当選する。自ら経営するテレビ局を中心に政府批判を行い、国外退去処分を受けた元大統領のディディエ・ラツィラカのインタビューを放映した。これに危機を感じた大統領マーク・ラヴァルマナナが、2008年12月13日にラジョエリナが運営するテレビ局を完全閉鎖した。



クーデターによる政権奪取



ラジョエリナはマーク・ラヴァルマナナへ猛反発し、応戦の構えを見せた。そしてラヴァルマナナはラジョエリナをアンタナナリボ市長から解任させ、これがきっかけとなってラヴァルマナナへの批判は一層高まった。更に、ラヴァルマナナの公金横領疑惑が積み重なり、ラジョエリナは大統領宮殿の占拠を試みたものの、2月7日に治安部隊の銃撃を受け失敗。3月16日にマダガスカル軍と共に大統領宮殿を占拠し、これを受けラヴァルマナナは大統領を辞任し、マダガスカル軍へ実権を譲渡した[1]。ラヴァルマナナの大統領辞任を受け、新しく元首の座にラジョエリナが就任した(役職名は高等暫定統治機構議長)。この暫定政権は、2014年1月のラジャオナリマンピアオナ大統領就任式まで継続した。また、マダガスカルの法律には40歳以上でなければ大統領に就任は出来ないとされているが、今後憲法を改正すると公表している。


憲法に則らない軍事的なクーデターによる政権奪取について、内外から反発が続出し、アフリカ連合(AU)や南部アフリカ開発共同体(SADC)はマダガスカルを加盟停止処分にしたうえで、早い段階から事態の正常化と政局の安定化を勧告。2011年からはSADC主導で、政治危機打開に向けたロードマップを策定した。ラジョエリナは早い段階で大統領選挙を実施することを表明し、同ロードマップ履行にも徐々にではあるが進展が見られた。2013年5月に同国の特別選挙法院は41名からなる大統領選挙全立候補者リストを発表したが、AUとSADCはこのうち国民の反感が強く対立を煽りかねないラジョエリナ暫定大統領、ララオ・ラヴァルマナナ(マルク・ラヴァルマナナ前大統領夫人)、それにラツィラカ元大統領の3人の立候補を問題視し、要件を満たさない違法な立候補だとして批判した。AUやSADCを中心とする国際コンタクトグループの調停の結果、7月に予定されていた投票は延期され、特別選挙法院はリストを見直し、8月に違法な立候補者を排除した最終候補者リストを発表[2]。ラヴァルマナナ前大統領側はジャン・ルイ・ロバンソン元保健相を、ラジョエリナ暫定大統領側はヘリー・ラジャオナリマンピアニナ財政・予算相を事実上の代理候補とする形で擁立した。こののち全候補者による10月25日の第1回投票、上位2名の候補者(1位ロバンソン、2位ラジャオナリマンピアニナ)による12月20日の第2回投票を経て、ラジャオナリマンピアニナが当選[3][4]。1月25日の就任式でラジャオナリマンピアニナ大統領が正式に就任し、ラジョエリナは退任した[5]



政権への再挑戦


その4年後の2018年マダガスカル大統領選挙(英語版)に立候補し、11月7日の第1回目投票では得票率39.2%で1位となり、2位となったラヴァルマナナ元大統領とともに12月19日の決選投票に進み当選した[6][7][8]



関連項目



  • 世界各国の指導者一覧

  • クーデター



脚注




  1. ^ “マダガスカル大統領が辞任=野党「2年以内に選挙」”. 時事通信. (2009年3月18日). http://www.jiji.com/jc/c?g=int&rel=j7&k=2009031700966 2009年3月18日閲覧。 


  2. ^ “マダガスカル情勢について(外務報道官談話)” (プレスリリース), 外務省, (2013年8月23日), http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/page24_000085.html 2014年5月17日閲覧。 


  3. ^ “大統領選、現職側が勝利=対立候補は再集計要求-マダガスカル”. 時事通信. (2014年1月3日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201401/2014010300220&rel=j&g=int&relid=1_1 2014年2月2日閲覧。 


  4. ^ “現職派の勝利確認=マダガスカル大統領選”. 時事通信. (2014年1月17日). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201401/2014011700967&g=int 2014年2月2日閲覧。 


  5. ^ 石原外務大臣政務官のマダガスカル訪問(概要)


  6. ^ 2018年大統領選挙結果 (PDF)”. 2018年11月20日閲覧。


  7. ^ “Madagascar heads to runoff election on December 19”. News24. (2018年11月19日). https://www.news24.com/Africa/News/madagascar-heads-to-runoff-election-on-december-19-20181119 2018年11月20日閲覧。 


  8. ^ “Madagascar winner declared amid tension” (英語). BBC News. (2018年12月27日). https://www.bbc.com/news/world-africa-46694430 2018年12月27日閲覧。 














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