霊魂









霊魂(れいこん、英:SoulもしくはSpirit)は、肉体とは別に精神的実体として存在すると考えられるもの[1]。肉体から離れたり、死後も存続することが可能と考えられている、体とは別にそれだけで一つの実体をもつとされる、非物質的な存在のこと[2]。人間が生きている間はその体内にあって、生命や精神の原動力となっている存在[2]、人格的・非物質的な存在[3]。個人の肉体や精神をつかさどる人格的存在で、感覚による認識を超えた永遠の存在[4]




目次






  • 1 概説


  • 2 「霊魂」という表現


  • 3 宗教などにおける説明


    • 3.1 古代エジプト


    • 3.2 古代ギリシャの哲学


    • 3.3 旧約聖書


    • 3.4 キリスト教


    • 3.5 古代インド


    • 3.6 ヴェーダ、ウパニシャッド


    • 3.7 サンジャヤ・ベーラッティプッタ


    • 3.8 初期仏教


    • 3.9 中国の宗教(道教など)


    • 3.10 日本


      • 3.10.1 日本での仏教


      • 3.10.2 日本の古神道(民間信仰)、神道


        • 3.10.2.1 神霊








  • 4 実在調査


    • 4.1 量子脳理論のアプローチ


      • 4.1.1 素領域理論のアプローチ


      • 4.1.2 サム・パルニアの見解




    • 4.2 イアン・スティーヴンソンによる調査


    • 4.3 関連項目




  • 5 学問


  • 6 文学・芸術


  • 7 霊魂と死生観・全人的健康


  • 8 脚注


    • 8.1 注釈


    • 8.2 出典




  • 9 関連項目





概説


「霊魂」は、体とは別に実体として存在すると考えられているものであったり、人間の生命や精神の源とされ非肉体的、人格的な存在とされるもののことである。


「霊魂」という表現は「霊」と「魂」という言葉の組み合わせであり、両方を合わせて指している。一般には、個人の肉体及び精神活動をつかさどる人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味している。(→「霊魂」という表現)


宗教や文化圏ごとに様々な理解の仕方がある。


古代エジプトの時代から、人が死ぬと肉体から離れるが、肉体に再び戻って来る、という考えがあった。
古代インドでは、霊魂は何度もこの世に生まれ変わるという考え方が一般的であった。輪廻転生(転生輪廻)の思想である。
「あの世」(霊界)へ行ったり、「この世」(生者の世界、現世)に影響を及ぼしたりすると考える文化・思想も存在している。人間だけでなく、命あるもの全般、動物や植物に宿ると考えられたり、さらには鉱物にも霊魂が宿る、とされることもある[4]。霊魂を心と同一視することもある[要出典]。「心は霊体、魂は神魂[要出典]」とする、霊魂と心を同一視しない考え方もある。また他方、すでにサンジャヤ・ベーラッティプッタが来世に関する問いへの確答を避け、不可知論の立場をとった。
(→宗教などにおける説明 )


霊魂は、生きること、死生観の根源的な解釈のための概念の一つともされる。現代では、霊魂を肯定的にとらえることが、生きがいや健康といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている。(→霊魂と死生観・全人的健康 )



「霊魂」という表現


「霊魂」という表現は、「霊」という言葉と「魂」という言葉が組み合わされている。「」(れい、たま)は、すぐれて神妙なもの、神、こころ、いのちなど、多様な意味を持っている[4]
また、そこに何かいると五感を超越した感覚(第六感)で感じられるが、物質的な実体としては捉えられない現象や存在(聖霊など)のことを指すこともある。


(こん、たましい)」の方は、精神を司る精気を指し、肉体を司る「魄」と対比されている[4][注釈 1]


よって「霊魂」という言葉は「霊」と「魂魄」両方を含む概念を指すために用いられている。ただし、通常は、個人の肉体および精神活動を司る人格的な実在で、五感的感覚による認識を超えた永遠不滅の存在を意味している[4]。そして人間だけでなく、動物や植物、鉱物にまで拡大して用いられることがある[4]



宗教などにおける説明


多くの宗教においては、人は死んでも意識あるいはそれに近いものは霊魂となって残ると説く。霊魂は生前暮らしていた土地に鎮まるとも、黄泉のような霊魂の住まう世界に旅立つともいう。霊魂の存在は、しばしば道徳・倫理などと結びつけて語られる。キリスト教などが説くように、生前の行いに応じて天国や地獄などに送られるともいわれる。あるいはヒンドゥー教のように霊魂は生前の行いに応じて転生すると説く宗教も有る。仏教の一部(大乗仏教)でも、六道の間を輪廻すると説く。



古代エジプト





『死者の書』に描かれたオシリスの姿


古代エジプトでは、霊魂は不滅とされ、死者は復活するとされていた。オシリスが死と再生を司る神として尊崇された。
自然界のあらゆるものに霊が宿るとされ、霊にも人間と同様に感情や弱点、欠点があると考えられていた[5]


定められた呪文を唱えたり定まった儀式を行うことによって願望を神に伝えたり、動植物の霊と交流したり、病人から苦痛の原因である悪霊を追い出すことや、死者に再び魂を入れる役割の神官、祭司(魔術師)などがいた[6]


人の魂は五つの部分から成っているとされた(アルファベット表記なら、Ren、Ba、Ka、Sheut、Ibの五つ)[7]。死者のBa(バー)のよりどころとして死者の体をミイラにして保存した。
『アニのパピルス』ではバーは人頭を持つ鳥として表現されている[8]


死者のバーが無事冥界に渡り、将来死者が甦るようにと、ミイラ作成期間の70日ほどの間、祭司は何度も大量の呪文を唱えた[9]。『死者の書』(死者の霊が肉体を離れて冥府に至るまでの過程を描いた書)が死者とともに埋葬されることもあった。


ピラミッド・テキストと呼ばれる初期の死者埋葬のテキストでは、死者が行くのは天の北にある暗黒の部分であり、そこで北極星のまわりの星とともに、アク(霊)として永遠の命を生きる、とされた[10]



古代ギリシャの哲学


ギリシア語では魂は「プシュケー」といい、語源は気息の音に由来する。またプシュケーには「蝶」という意味もあり、死後の魂のイメージを蝶として表現することもある[8]


プラトンは対話篇において霊魂の働きに着目しつつ探求した。『パイドン』および『メノン』においては、永遠の真理(イデア)を認識する方式として想起論を提示し、その前提として霊魂不滅説を唱えた。



旧約聖書


エゼキエル書18章4節(口語訳)には「罪を犯した魂は必ず死ぬ。」と書いてある。18章20節(口語訳)でも「罪を犯す魂は死ぬ。」と書いてある。



キリスト教



旧約聖書では、ネフェシュ(ヘブライ語で「咽喉」の意)と表現される。これに聖なる霊(ルーアッハ。風、息の意)が入って預言がなされるという思想があった。


欧州においては人間を構成する要素は霊魂(アニマ、ANIMA)、精神(SPIRITV)及び肉体 (CORPVS) であり、錬金術ではこれらは三原質と結び付けられて考えられていた。また、3という数からキリスト教では三位一体に比せられることも多かった。霊魂と精神は肉体に宿り、肉体が滅びると精神と霊魂は分かれると考えられており、霊魂と精神は肉体という泉を泳ぐ二匹の魚に擬せられたこともあった。


ここにおける霊魂は人間の本能のようなものであり、成長することはないと考えられていたのに対し、精神は理性のようなものであって成長するものであるとされていた。



古代インド



ヴェーダ、ウパニシャッド


『リグ・ヴェーダ』などのヴェーダ聖典では、人間の肉体は死とともに滅しはするものの、人間の霊魂は不滅である、とされていた。同聖典では、人間の死後に肉体を離れた霊魂は、火神アグニなどの翼に乗って、最高天ヤマの王国にたどり着き、そこで完全な身体を得る、とされた。


後のウパニシャッドにおいては、死者の魂は、解脱する人の場合は"神道"を通ってブラフマンに至り、善人の場合は祖道を通って地上に再生する、と説かれた(「二道説」と呼ばれる)。そして解脱することがウパニシャッドの目標となった。


霊魂を示す言葉としては「アス」、「マナス」、「プラーナ」、「アートマン」といった言葉が使われた。その中でも「アートマン」はウパニシャッドの中心概念となっている。



サンジャヤ・ベーラッティプッタ


仏教興隆期のインドのサンジャヤ・ベーラッティプッタは来世に関する4つの問いを設け「来世は存在するか?」「来世は存在しないか?」「来世は存在しかつ存在しないか?」「来世は存在するわけでもなく、存在しないわけでもないか?」それぞれすべてに対して「私はその通りだとも考えないし、別だとも考えない、そうでないとも考えないし、そうでないのではないとも考えない」として確答を避け、不可知論の立場をとった。このような態度はゴータマ・ブッダの「無記」の立場と通じあう点がある、とされる[11]



初期仏教


ブッダが説いた初期仏教での「無我」は「霊魂がない」と解するのではなく「非我」の訳語が示すように、「真実の我ではない」と解すべきもの(自他平等の境地を目指した思想)である、ともされている[12]
俗に言われる霊魂とは全く異なる。



中国の宗教(道教など)


中国の道教では、「(こん、たましい)」と「(はく)」という二つの異なる存在があると考えられていた。魂は精神を支える気、魄は肉体を支える気を指した。合わせて魂魄(こんぱく)ともいう。魂と魄は易の思想と結びつき、魂は陽に属して天に帰し、魄は陰に属して地に帰すと考えられていた。


民間では、三魂七魄の数があるとされる。三魂は天魂(死後、天に向かう)、地魂(死後、地に向かう)、人魂(死後、墓場に残る)であり、七魄は喜び、怒り、哀しみ、懼れ、愛、惡しみ、欲望からなる。また、殭屍(キョンシー)は、魂が天に帰り魄のみの存在とされる。(三魂は「胎光・爽霊・幽精」「主魂、覺魂、生魂」「元神、陽神、陰神」「天魂、識魂、人魂」、七魄は「尸狗、伏矢、雀阴(陰)、容贼(吝賊)、非毒、除秽(陰穢)、臭肺」とされることもある。)



日本



日本での仏教


上記の初期仏教に関する上記の解説とは異なり、ブッダは「無我」を説いて霊魂を否定した[13]、ともされる。近年の日本の僧侶や仏教関係者によって執筆された仏教入門書等ではそのような図式で説明されていることが多い[14]


仏教では、六道の輪廻からの解脱を目的としている。
死後、成仏(解脱)する事ができた者は、諸仏の持つ浄国(浄土)へ生まれ変わる。出来なかった者は、生前の行いにより六道のいずれかに生まれ変わる。
その生まれ変わるまでの期間を中陰と呼ぶが、中陰時の立場を、民間信仰では霊魂と混同されることがある。



日本の古神道(民間信仰)、神道


古神道では、森羅万象にマナが宿るとする。南洋の諸民族、中国などに共通した思想があった。
折口信夫『霊魂の話』によれば、肉体から容易に遊離し、付着すると考えられた。


優れた事績を残した人物の霊魂は、尊と同等の人格神、あるいはこれに相当する存在となるとされる。
国家神道で明治以降、戦死者の魂のことを敬っていう場合は特に「英霊」(えいれい)[15]と呼んでいる[注釈 2]


その区別や概念も曖昧であり、それを分類や定義付けることなく享受してきた。
ただし、強弱や主客といえるような区別は存在し、大きいもの(巨石・山河)や古いもの長く生きたものが、その力が大きいと考えると同時に尊ばれた。


日本神話にある、人格神などの人としての偶像を持つ神々も信仰の対象とし、「それらの神がその他の森羅万象の神々を統べる」という考え方に時代とともに移っていった。


また神(霊魂)には荒御魂や和御魂という魂の様相があるとし、それぞれ「荒ぶり禍をもたらす魂」と、「和ぎり福をもたらす魂」とされる。[16]



神霊



  • 尊(みこと)日本神話にある人格神(人と同じ姿かたちと人と同じ心を持つ神)

  • 霊(チ)霊魂の基本となる言葉。血や乳(チ)に通ずるという。


  • 魂(タマシヒ)強い付着性、遊離性を持つマナ

    • 荒御魂(アラミタマ)柳田國男『先祖の話』によれば、新たな御霊(ミタマ)つまり最近死んだものの魂


  • 霊(ヒ)全ての活力の元であり、優れて威力のあるもの。白川静『字訓』によれば、中国で生命の原動力が雨に求められたのに対し(なので雨の字がつく)、日本では太陽光から来ると考えられたので、日と同じヒと呼ばれる。



実在調査







量子脳理論のアプローチ


ケンブリッジ大学の数学者ロジャー・ペンローズとアリゾナ大学のスチュワート・ハメロフは、意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられているが生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している[17]


臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない。」と述べている[18]



素領域理論のアプローチ


数理物理学・量子力学・脳科学・金融工学者である保江邦夫は場の量子論ではゼロ点エネルギーの総和が計算上無限大になるという発散の問題をくりこみ理論によって回避しているものの、点状の粒子という従来の物理学上の矛盾は内包している。それに対して素領域理論では、粒子は最小領域(泡)の中で惹起されると捉えるのでその矛盾は生じず、また個々の粒子に対応する場を無限に想定する必要もなく、それぞれの泡の固有振動数の違い(鋳型)よって異なる粒子が惹起されると捉える。故にミクロからマクロのスケールにまで適応される統一場理論であり、超弦理論よりもはるかに時代を先駆けていたのが素領域理論なのであると述べている。素領域というビールの泡の外と内はどのような構造になっているのか? 保江は「泡の内側は素粒子で構成される物質の世界であるのに対して、外側は非物質で、ライプニッツのいうモナド(単一)のような絶対無限の世界。そこは完全調和なので何も起こらない。あるとき完全調和に崩れ(ゆらぎ)が起きたことによって泡が発生し、それぞれの泡の鋳型に応じた素粒子・物質が生まれるのです。そして人間が肉体の死を迎えると非物質の魂となって元の素領域(泡の外=霊界)に溶けていくんです」と述べている。[出典無効]



サム・パルニアの見解


英国の医師、サム・パルニア(Sam Parnia)は、魂の存在を科学的に実証することを試みた。パルニアは、天井の近くに一つの板を吊り上げ、その板の上に小さな物体を置いた。この物体が何であるかは、パルニアのみが知っている。もし亡くなった人の魂が天井まで漂い浮かび上がることができるならば、魂は物体を見ることができる、という仕組みだ。パルニアは、この方法で100人の患者に実験を行った。そのうち、救急蘇生で生き返った7人が全員、板の上に置いてある物体を正しく認識していたという。これによって、魂は確かに存在し、魂は肉体から離れて漂うことができ、移動することができ、生命のもう一種の存在形式であると結論付けている[19]



イアン・スティーヴンソンによる調査



転生を扱った学術的研究の代表的な例としては、超心理学研究者・精神科教授のイアン・スティーヴンソンによる調査がある。スティーブンソンは1961年にインドでフィールドワークを行い、いくつかの事例を信頼性の高いものであると判断し、前世の記憶が研究テーマたり得ることを確信した[20]。多くは2~4歳で前世について語り始め、5~7歳くらいになると話をしなくなるという[21]日本の前世ブームの前世少女のような思春期の事例やシャーリー・マクレーンのような大人の事例は、成長過程で得た情報を無意識に物語として再構築している可能性を鑑みて重視せず、2~8歳を対象とした。前世を記憶する子供たち』では、子どもの12の典型例を考察している[要出典]。竹倉史人は、スティーヴンソンの立場は科学者としての客観的なもので、方法論も学術的であり、1966年の『生まれ変わりを思わせる二十の事例』は、いくつかの権威ある医学専門誌からも好意的に迎えられたと説明している[22]赤坂寛雄は、スティーブンソンは生まれ変わり信仰に肯定的であり、むしろ一連の前世研究は、前世や生まれ変わりが事実であることを証明しようという執拗な意思によって支えられているかのように見えると述べている[要出典]


スティーブンソンの前世研究は、世界的発明家チェスター・カールソンがパトロンとして支え、子どもたちが語る前世の記憶の真偽を客観的・実証的に研究する The Division of Perceptual Studies(DOPS)がヴァージニア大学医学部に創設された[23]。死後100万ドルの遺産がスティーヴンソンが属するヴァージニア大学に寄付され、現在もDOPSで前世研究が続けられ[21]、2600超の事例が収集されている。DOPSの調査データを分析した中部大学教授・ヴァージニア大学客員教授の大門正幸によると、収集された事例のうち、前世に該当すると思われる人物が見つかったのは72.9%、前世で非業の死を遂げたとされるものは67.4%である[24]。懐疑主義者の団体サイコップの創設メンバーであるカール・セーガンは、生まれ変わりは信じないが、「まじめに調べてみるだけの価値がある」と評した[25]



関連項目



  • 心の哲学


  • 懐疑論。霊魂などの存在を必ずしも否定していない点では無神論と異なる。


  • 不可知論は、永久に知ることが出来ないとする立場。

  • 心霊治療



学問


霊魂については、宗教学、民俗学、文化人類学などといった人文科学からの研究がある。霊や魂といった概念の変遷についての研究などがある。



文学・芸術


文学から霊魂の存在あるいは、霊魂になって何かをするというのは、一つの魅力的なテーマである。[独自研究?]日本神話にも、イザナギが黄泉の国にいるイザナミを訪ねるという話があり、似たモチーフは世界の他の神話にも見受けられる。


芸術作品として描かれたもの


  • 映画「21g」:人が死ぬ前と死んだ後で21gだけ重さが違うという話があり、それをモチーフにした映画。


霊魂と死生観・全人的健康


古来より多くの神話、宗教、哲学、芸術などが担ってきた重要な役割の一つは、これら人の生死を含む世界観、生きること、生かされていること、死ぬことの意味の説明である。宗教家らは、人々の抱えるこうした重い問いに対して説明を提供するという重要な役割を果たしてきたのである。


現代においては、魂を肯定的にとらえることが、生きがいや健康といったものと深く関係があることが、様々な学者の研究によって明らかにされている[26]


スピリチュアルケアを提供できる状態になっていることが、病院が病院として認可されるための必要条件とされている国[どこ?]もあるほどである。日本の医療の場においては欧米に比べると認識が浅く、スピリチュアルケアを提供する体制の整備が遅れがちであったが、最近では充実化に向けて様々な活動が行なわれるようになってきている。[27]


また、魂の永遠性を信じることは、ターミナルケアの場に限らず、ごく普通の日常においても、人が本当の意味で健康に生きる上で重要なことである、ととらえられることも増えてきている。[28]


世界保健機関(WHO)は1984年の第37回総会で決議された「西暦2000年までにすべての人々に健康を」の決議前文で、健康が含むスピリチュアルな側面について言及した。さらに、1999年の総会においては、健康の定義文に以下の語も加えることを提案した。


健康とは身体的・精神的・霊的・社会的に完全に良好な動的状態であり、単に病気あるいは虚弱でないことではない。[29]


脚注


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注釈





  1. ^ 大和言葉の「たましい(魂)」の方は、信念や思想、あるいはその心を表現する言葉としても慣用的に使われる。


  2. ^ 通常は英霊ではなく尊敬語はいずれも御霊(みたま)




出典





  1. ^ 広辞苑 第五版 p.2828 霊魂

  2. ^ abデジタル大辞泉 「霊魂」


  3. ^ 広辞苑 第五版 p.2828 霊魂「人間の身体内にあってその精神、生命を支配すると考えられている人格的、非肉体的な存在」

  4. ^ abcdef小口 偉一、堀 一郎、1973、『宗教学辞典』、東京大学出版会 ISBN 4-13-010027-0


  5. ^ 吉村作治『ファラオと死者の書 古代エジプト人の死生観』p.37


  6. ^ 吉村作治『ファラオと死者の書』p.41


  7. ^ * Allen, James Paul. 2001. "Ba". In The Oxford Encyclopedia of Ancient Egypt, edited by Donald Bruce Redford. Vol. 1 of 3 vols. Oxford, New York, and Cairo: Oxford University Press and The American University in Cairo Press. 161–162.
    • Allen, James P. 2000. "Middle Egyptian: An Introduction to the Language and Culture of Hieroglyphs", Cambridge University Press.


  8. ^ ab小池寿子『死を見つめる美術史』ポーラ文化研究所 1999年、ISBN 4938547473 pp.124-128


  9. ^ 吉村作治 同書 p.55


  10. ^ 吉村作治 同書 pp.74-75


  11. ^ 岩波書店『哲学・思想事典』、「懐疑主義」の項


  12. ^ 岩波『哲学・思想事典』、「懐疑主義」の項。


  13. ^ 岩波『哲学・思想事典』、「霊魂」の項。


  14. ^ 仏教関係者による解説の例。 「日本人の霊魂観」(真宗の関係者向けの冊子「御坊さん」に掲載されたもの)


  15. ^ 大辞泉


  16. ^ 出典:『マンガ神道入門~日本の歴史に生きる八百万の神々~』(監修:神保郁夫 原作:白取春彦 版:サンマーク出版)、『日本精神通義~人生、道を求め徳を愛する生き方~』(著:安岡正篤 版:致知出版社)、『神道辞典』(版:神社新報社)、『神道がよくわかる本』(著:安部正路 版:PHP文庫)


  17. ^ モーガン・フリーマン 時空を超えて 第2回「死後の世界はあるのか?」


  18. ^ NHK ザ・プレミアム超常現象 さまよえる魂の行方


  19. ^ http://www.epochtimes.jp/jp/2015/07/html/d68669.html


  20. ^ 竹倉 2015. 位置No.1678/2493

  21. ^ ab竹倉 2015. 位置No.1646/2493


  22. ^ 竹倉 2015. 位置No.1617/2493


  23. ^ 竹倉 2015. 位置No.1637/2493


  24. ^ 竹倉 2015. 位置No.1790/2493


  25. ^ 竹倉 2015. 位置No.1844/2493


  26. ^ * 大石和男、安川道夫、濁川孝志、飯田史彦「大学生における生きがい感と死生観の関係」(健康心理学会『健康心理学研究』2007年末掲載)
    (大石和男は専修大学教授、安川道夫は専修大学教授、濁川孝志は立教大学教授、飯田史彦は福島大学教授)

    • 熊野道子 2003「人生観のプロファイルによる生きがいの二次元モデル」(『健康心理学研究16』pp.68-76)

    • 熊野道子 2005「生きがいを決めるのは過去の体験か未来の予期か?」(『健康心理学研究18』pp.12-23)

    • 佐和田重信、興古田孝夫、高江州なつ子他 2003「伝統的信仰意識が地域高齢者のメンタルヘルスに及ぼす影響についての検討」(『民族衛生69』pp.124-125)

    • 興古田孝夫、石津宏、秋坂真史、名嘉幸一、高倉実、宇座美代子、長濱直樹、勝綾子 1999「大学生の自殺に関する意識と死生観との関連についての検討」(『民族衛生65』pp.81-91)


    • 飯田史彦『生きがいの創造III』PHP研究所、2007年、ISBN 4-569-69448-9




  27. ^ ウァルデマール・キッペス『スピリチュアルケア 病む人とその家族・友人および医療スタッフのための心のケア』サンパウロ、1999


  28. ^ 関連文献: 竹田恵子、太陽好子『日本人高齢者のスピリチュアリティ概念構造の検討』(川崎医療福祉学会誌 Vol.16, No.1, 2006 53-66)


  29. ^ 『健康と霊性』宗教心理出版、2001年、ISBN 4-87960-057-1




関連項目







古代エジプト

  • en:Egyptian soul

キリスト教



  • 魂(キリスト教)

  • 聖霊

  • 御霊


ヴェーダ、古代仏教


  • 転生

  • 前世

  • 来世


中国

  • 魂魄

古神道、神道


  • 現世

  • 常世

  • 御霊信仰

  • 荒魂・和魂

  • 祖霊

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心霊主義


  • エクトプラズム

  • 心霊写真

  • 守護霊


生物学

  • 生気論

その他


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  • 悪霊

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  • 亡霊

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  • スピリチュアリティ









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